第8話 悪意が紛れる都市
渋い赤色のレンガ造りの建造物が、高層ビル群の前に立ちはだかっていた。
その全長は数百メートルを優に超えており、正面から改めて見ると、西欧諸国にある城壁に似ていた。
現代のオフィス街で異彩を放っている姿は、一度見たら忘れようがない。
開業100年を超えた、日本の表玄関と呼ばれた重要文化財。
初期転送位置は「東京駅の赤レンガ駅舎前」だった。
俺は左手の親指を動かす。
初期アプリのカメラを起動した。
端末の裏側のカメラレンズを向けると、目の前の光景を縮小コピーしたかのように、雨の中の赤レンガ駅舎が画面に出てきた。
すかさずインカメラに切り替え、自分の顔を画面に映してみる。
――初心者プレイヤーにとって、都会に転送されることほど不利なことはない。
ゲームクリアを目指す他プレイヤーが集まりやすく、コインを奪われたときに、電車やタクシーなどの逃走用の交通手段が多いからだ。
おまけに今の天気は雨だ。
傘も差さないで、濡れた格好は周囲から目立ちすぎる。
ゲームスタート直後から、コインを狙われたら、ゲームオーバーになる可能性が高い。
「サブカル系って感じの顔だな。当たり前だけど、現実世界と全然違うや」
大人びた男子高校生の顔が、スマホ画面に映っていた。
濡れた髪はアッシュグレーに染められている。
痩せた顔にはワインレッドのスクエア型眼鏡をかけていて、レンズの中の瞳の色は青かった。
肌の色は白くも黒くもない。
細めの眉毛はアーチの形に整えており、鼻と口も顔の大きさとバランスが取れていた。
「プレイヤーが操作するアバターは『脳』だけが現実世界と同じ、か。……さて、アレが引き継がれてるかを試すか」
俺はスクエア型眼鏡を外す。
視線を斜め上に向けて、細い雨をじっと見つめる。
落下する雨粒は空気抵抗を受けて、自らの形を変えていた。
「球体」だった雨粒は下半分が潰れて、「ドーム型」の雨粒に変形していく。
地上に近づくにつれて、落下する速度も徐々に遅くなっていく。
雨粒の中にビルの窓が映り込むのが見える。
眼鏡をかけていたときよりも、目はよく見えている。
遠くの雨粒の形まで鮮明に見えるようになったことで、脳内で処理する情報量は多くなり、頭がフル回転しているのを感じる。
全身から力が漲ってきて、集中力が最大限に高まっているのがわかる。
そのまま瞬きせずにいると、30秒が過ぎたあたりで、後頭部がズキズキと痛みはじめた。
「ふう、この感覚はいつもどおり。1分間が限界だな」
俺は目を閉じる。
視界を隠すと、頭の回転速度は落ち着いていき、後頭部の痛みはスーッと引いていった。
真っ暗な中、手探りで、自分の顔に眼鏡をかけ直す。
「『チュートリアル』を探そう。このゲームについて、訊きたいことが多すぎる」
運が悪いことに、降っていた雨は激しくなった。
雨粒が勢いよく落ちた。
BGMの雨音が大音量で響きわたる。
周囲の環境音が雨音で聞こえにくくなる。
街の中のアバターたちは早足で歩いていた。
彼らは後ろを歩くアバターに怯えることなく、お互いに肩と肩が触れ合いそうな距離ですれ違っていた。
全員が傘を差しているせいで、どんな表情をしているのかは見えにくい。
それぞれの目線の動きはもっと読み取りづらい。
数人に1人はスマートフォンを手に持っている。
スマホを手に持っていない人たちも、ズボンのポケットがそれとなく膨らんでいる。
いますぐ彼らの中の1人が『ギア』と呼ばれるアプリを使って、俺を攻撃してきてもおかしくない。
もしくはスマートフォンを持ってないように見せかけて、いきなり手の中に隠していた針を首に刺してくる可能性だってある。
――みんなが怪しい人に見える。
――悪意を持っている人が見分けられない。
俺は学ランのホックを締める。
頭からつま先までずぶ濡れになっている。
額から流れる水滴は、雨粒なのか、冷や汗なのか、わからなかった。
「どうしたの君、大丈夫? 何か手伝おっか? ――初心者プレイヤーくん」
快活な響きのあるソプラノ。
優しくて、安心感を与えるような声色。
土砂降りの雨音の中から、若い女性の声がした。
聞き覚えのない声のはずなのに、どこかで会ったことがあるような親しみを感じる。
俺はゆっくりと振り返る。
ダークカラーのスーツを着こなした女が傘を差していた。
年齢は20代前半くらい。
髪は後ろで束ねており、暗めのブルージュに染めている。
スーツの襟には、「地球のロゴ」のバッジを付けていた。
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