第2話 吸血鬼のごはん

 目を覚ますと、二階ベッドの上段の床板という、いつもの見慣れた風景が広がっていた。


(またあの夢、かぁ……)


 ふーっとため息をつき呼吸を落ち着け短く、あ、と呟く。

 声はでる。

 寝ころんだまま膝を折り曲げ足を顔に近づけるが、もちろん鎖などついていない。

 けれど、手首にも足首にもまだ鉄のひんやりとした感覚が残っていた。


(また、ジニアに心配されるなぁ。今日はあの日だっていうのに)


 上の段にいるジニアの、こちらを気遣う顔が容易に浮かんだ。

 床板から軋む音がかすかにするため、もう起きているのだろう。


 軽くあくびをしながら背伸びをすると、こつんと二段ベッドの床部分に手があたった。

 その音で僕が起きたことに気づいたのか、ジニアがひょっこり上から逆さの顔をだした。


「おはよう。ヨウにしては起きるのがちょっと早いね……って、その青ざめた顔をみる限りまた例の夢?」

「うん、密猟者にとっつかまった時の」

「すごい寝汗だよ。大丈夫? タオルと飲み物を用意してもらおうか」

「お願い。のどがすっかりカラカラなんだ」


 言うやいなや、ノックの音とともに扉が開かれ、執事がカラカラとキャスターを押して入ってくる。

 このタイミングを計ったかのような登場にはいい加減慣れた。ここに連れてこられた当初、誰かがくる気配を察知したらベッドの裏へ逃げ込んでいた頃が嘘のようだ。


 ベッドから降り、執事からタオルをもらい顔をふいていると、二段ベッドから軽やかに着地したジニアがオレンジジュースの入った冷たいグラスをおでこにコツンとつけた。


 心地よい冷たさが、頭から首へと伝わる。

 しばらく目を閉じ、生ぬるい温度になったところでグラスを受け取りコクコクと飲む。

 そうして飲み終わったところで、こちらを伺っていたジニアが口を開いた。


「ヨウ……夢見が悪くてそんなに気分もよくないときにこんなこと言うのは、非常に申し訳ないのだけれど……そのぅ……」


「心配しなくていいだよ。気分落ち着いたし、全然平気」


 安心させるようにニコッと笑い、すっと首筋を差し出す。


「ありがとう、ヨウ」


 ジニアは首に顔をうずめると舌を這わせた。温かでぬめったものに首筋をチロチロ舐められるくすぐったさにぞわぞわと寒気が背筋を這い登る。


「いただきます」


 声とともにずっと細い針のような牙が体内に侵入し、体がびくりと反射的にゆれ、心臓が早打った。


 痛みは、ない。


 彼らの唾液には痛覚神経を鈍らせる成分が含まれていて、舐められた場所は痛みに鈍くなる。

 

 けれど、いまだに噛まれる感覚にも血を吸われる感覚にも慣れない。

 体に危害が加えられていることに対する原始的な本能のようなもので消えることはないのだろう。


 ジニアの鼓動と呼吸を数えながら待つ。

 吸う前に舐めるなんて蚊みたいだ、でも言ったら絶対にむっという顔をされるだろうなとぼんやり考えていたら、牙が引き抜かれる感触の後、再び止血と消毒がわりに舌で傷口をなめられる。ジニアは出血がないことを確かめ、満足げな顔をして離れた。


「ごちそうさま、お腹一杯だよ。やっぱりヨウの血は格別だ。前回はトマトだったけれど今回のは……お肉いっぱい食べたでしょう? これは豚……かな? どう、当たってる?」

「残念。ほぼ正解だけれどハズレ。豚肉よりもっとワイルドなイノシシ肉メインの食事だ」

「豚とイノシシの違いまで分かるわけないじゃないか。遺伝的にほぼ一緒でしょう」

「いいや、食べるとぜんぜん違うよ。脂のノリとか歯ごたえとか野性味があるとか。という訳で僕の勝ち」


 ひっかけ問題への予想通りの反応ににんまり笑うと、負けず嫌いのジニアはむーという顔をしたあと、やれやれとため息をついた。


「来月は絶対言い当てるからね。あと、いつも言っているけれど……」

「今日は安静に、でしょう。もう100回以上は聞いているし耳にたこができているよ」

「分かっているならよろしい」


 ジニアと軽口叩きながら着替えをしている最中に鏡で首筋を映し出すと、小さな赤い点がぽつりと2つ残っているのが見えた

 これが完全に癒えて消えるまでは血を吸わないというのが、彼のポリシーだ。


 もっと好きなように飲めばいいのにと言っているが、彼はガンとして譲ろうとしない。


 頑固者と思うけれど、それだけ大事にされているのだと思う。


 たとえ、その愛情が僕が思っているものと性質が全く違っても別にいい。


 ――僕は、彼のごはんなのだから。




 

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