(4)
わたしの目の前では見知らぬ男子生徒がニコルの手を握ってなにやら熱弁している。ところどころ漏れ聞こえる内容から、彼がニコルに懸想をしていることはわかった。とにかく取り込み中であるのはたしかなので、わたしは手近な茂みに姿を隠した。
ニコルはその可憐な容貌に困り顔を作って男子生徒を説得している。
「気持ちは嬉しいけれど……ぼく、付き合ってる人がいるから」
「そんなの関係ない!」
いや、関係あるだろ。多様な恋愛形態が容認されている、とは言ってもさすがに浮気や不倫は不道徳な事柄とされる。複数人での付き合いが成立するのは、嘘や隠し事をせず、かつ当人全員がその関係を了承している場合だけだ。
……などと成り行きを見守っていたら、どうにも不穏な流れになって来た。
「ニコル! 俺の想いを受け取ってくれ!」
そう言うやいなや、男子生徒はニコルの華奢な肩を掴んで芝生に引き倒した。
同時に、わたしはスカートの裾を翻し、颯爽と茂みを越えて着地する。わたしに背を向けたままニコルに馬乗りになる男子生徒は、そのことに気づかない。
「くおラアアアアアア! なにさらしとんじゃ貴様あああああああああ!」
わたしの右手が唸る。風を切り、男子生徒の左頬を捉え、勢いを殺すことなく張り倒す。男子生徒は無様な声を上げて上半身をよろめかせる。だが下半身はしっかりと地についているせいか、張り手だけではニコルから引き剥がすことはできない。
ようやくわたしの存在に気づいた男子生徒は、おどろいた様子でこちらを見る。
「な、なんなんだお前?!」
なんだじゃねえよこのモブ男! モブレ(モブによるレ○プ)が許されるのは二次元の中だけだ!
「なんだはこっちのセリフじゃ! ニコルになにしようとしてんだ? あ゛あ゛?!」
「こ、これは……!」
完全にガキ大将モードに入ったわたしは止まらない。チンピラモードとかいう単語が一瞬頭をよぎったが、ガキ大将ったらガキ大将なのである。
「俺は、ニコルが好きで……」
「だったらなんでもしていいわけないだろうが。――とにかく、このことは教師に報告しておきます。わかったのなら早くニコルの上からどいてちょうだい」
「――う、く、くそ!」
男子生徒はヤケになったのかわたしに向かって突進する。突進してどうしようとしたのかはわからない。ニコルに不届きな行いをした事実は消えないのだし。
「エミリー!」
ニコルが悲痛な声を上げるが、わたしは動じなかった。かつて旧ガキ大将を沈めたボディーブローが、男子生徒のみぞおちをえぐる。ニコルを守る必要がなくなっても、わたしは体型を維持するために今日までトレーニングを欠かすことはなかった。すべては擬態のためだ。一般人を装うためだ。
男子生徒は形容しがたい声をあげ、地に崩れ落ちた。
「真人間になって出直して来い」
気絶した男子生徒を見下ろすわたしの目は、とてつもなく冷めていたことだろう。ニコルを手篭めにしようとした罪は重い。
「お前が真人間とか言うのかよ」。――そんな声が聞こえてきそうだが、勢いで言ってしまったのだ。どうか許して欲しい。決して自分は真人間であるとか思っているわけではないのだ。
芝生に座り込むニコルを注意深く見るが、外から見る限りでは外傷はなさそうだ。わたしは安堵しつつ彼に近寄る。
「ニコル、だいじょうぶ? 怪我はない?」
「うん。ありがとうエミリー」
「いいのよ」
「……エミリーは、やっぱり強いね」
「そんなことないわ」
「ううん。それに引き換え情けないね、ぼく」
可憐な顔をわずかに歪ませ、ニコルがうつむいた。ニコルの体つきは華奢だ。背もわたしとあまり変わらない――というか、これはわたしの背が女にしては少々高すぎるせいだが。
ニコルもやはり男か、とわたしは感慨深くなった。昔はすぐわたしの背に隠れていたというのに。男の矜持というものが備わ
「エミリー、ぼくのそばにいてよ」
うん?
「ぼく、やっぱりエミリーがそばにいないとダメみたい」
んん?
「エミリーといっしょにいたいんだ!」
……わたしは気づいた。ニコルの話の流れが不自然なことに。
……わたしは気づいた。薔薇の茂みの陰にだれかがいることに。
「……バート?」
わたしの口からコキュートスの底からうめき声を上げるサタンのごとき音が出た。
茂みが大きく揺れ、そこから気まずい顔をしたバートが出て来る。
「……これはどういうこと?」
「これは、そのー……」
「たまたまだよ! たまたま!」
「ニコルはちょっと黙ってて」
そう言ってひとにらみすればニコルは即座に口をつぐんだ。わたしが姉貴分という上下関係はいまだ彼の体に染みついているようである。
「バート?」
「はい……」
「見てたのね?」
「……はい」
「知ってたの?」
「…………」
「……おい」
「はい! ……知ってました」
……頭が痛くなって来た。
まとめると、近頃わたしが全力でふたりを避けるので押してダメなら引いてみよう、いや、誘き出そう、という話になった。そこで最近ニコルにしつこく言い寄っている男子生徒も呼び出すことにした。
ニコルに言い寄る男子生徒→わたし来る→わたしは絶対そういうのは見逃さないので男子生徒を追い返す→ニコルがわたしに感謝する→わたしがいないとダメなんだよ! と言って情に訴えかける→わたし折れる→Happy End……。
……ガバガバすぎて涙が出て来た。なんだこの頭の悪い計画。ふたりとも若干天然なところはあったけれども、ここまでアホだったの? マジで? アホすぎない? このふたりだいじょうぶなの? このさき生きていけるの?
「――っていうかバート!」
「はい!」
「あんたなに恋人危険に晒してんのよ?!」
「すまん!」
「わたしがいたからいいようなものを……。はあーッ……ホントなんなの?」
「すまん、エミリー。反省している」
「ごめんねエミリー」
しょげかえるふたりを見ていると怒るのもアホらし――
「おれはやっぱり未熟だ! おれたちにはエミリーが必要なんだ! な、ニコル」
「そうだよ。やっぱり三人いっしょが一番だよ! ねえ、エミリー」
おい。反省したんじゃないのか。おい。
「ちょっと、あんたたちふたりとも、わたしにおんぶに抱っこで生きて行く気なの?」
「ちがう! そうじゃない! だが、そう聞こえたのならおれたちはまだ未熟ということだ。エミリー、君に恥じない男になるからそばで見守っていてくれ」
「アホか! わたしはあんたらの保護者じゃないっつーの!」
ああ……わかってたけどこいつらヘタレすぎる。わかってたけど、わかってたけど……! こんなのが学園の二大イケメンとか世の中どうなってるんだ。
ふたりはわたしを口説くのではなく、情に訴えかけて篭絡しようとしているらしい。たしかに効果は絶大だ。だってこのふたり、不安すぎるもの。なんだか高そうな壷とか買わされそうなんだもの。腐女子の顔を出す暇もなく、
「でも! でもエミリーはぼくたちが好きなんでしょ?」
「それは何度も言ってるじゃない。ちゃんと好きだってば、幼馴染として。ふたりが恋人同士になったからってなにも変わらないってば」
「そばでぼくらを見られるよ?」
「……うん?」
「エミリーは
やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
その! 話を! 今! 掘り返すんじゃねえ!
「おれたちを見てエミリーが喜ぶなら、おれたちも嬉しい」
「やめて。自分たちの身を売るような真似はしないで」
「でも、エミリーが好きっていうならぼく……」
「やめて。そんなこといいから。やめて」
「どうしてそんなこと言うんだ? 好きな人が喜ぶことをしたいと思うのは普通のことだろ?」
「ゆるしてつかあさい!」
わたしは土下座した。土下座の意図することなどこの世界では通じないだろうが、せずにはおれなかった。
「わたしが、わたしが腐女子なのは認めるから! 男同士のアレコレが好きなのは認めますから! 軽蔑しても構わないからもうその話は勘弁してください!」
「軽蔑って……だから逃げ回ってたの?」
頭上からニコルの呆れた声が降ってくる。
マジでこのまま消え入りたい。次の瞬間には透明人間になってねえかなあ。
――まあ、そんなことは起こるはずもなく。
「ふたりには……申し訳ないと思ってるわ。でも、ふたりのことを応援する気持ちに嘘偽りはないし、ふたりが恋人になって嬉しいのも本当だから。腐った目線抜きで、幼馴染としてふたりのことは祝福してる。信じられないかもしれないけど」
「腐った……? とかはわからないけど、エミリーのこと疑ったことなんてないよ」
「おお。エミリーはいつもおれらのこと考えて助けてくれるしな」
ふたりともピュアすぎるだろ! こっちの胸が痛いわ!
「ぼくがバートと想いを通じ合わせることができたのはエミリーのおかげだよ。いつも真剣に相談に乗ってくれたし、背中も押してくれた。エミリーがいなかったら、この恋はあきらめていたと思う」
「ニコル……」
「だから、気づいたんだ。エミリーも好きだって」
「いや、ちょっと」
「情けないぼくだって呆れたりせずにずっとついていてくれて、困ったときは迷わず手を伸ばしてくれる。――そんなエミリーが好きだって気づいたんだ。ううん、昔からずっと惚れてたんだよ。だから、ぼく、バートもエミリーも好きだよ」
「ちょ」
「おれも……エミリーのそういうところが好きだ。面倒だなんて思わずに助けてくれる。そういうのってなかなかできないだろ? そういうカッコイイところも好きだし、クールなふりしておっちょこちょいで、ちょっと抜けてるところも可愛いと思う。この先、ニコルとエミリー以上に好きになれる人間なんていないと思う」
「待って」
「だからエミリー、ぼくたちと付き合おうよ。大事にするから」
「付き合えば男同士のアレコレ見放題だぞ!」
待て。待て待て待て。なんだこれ。どうなってんだこれ。と、とりあえずふたりを止めなければ……。
「アノデスネ。腐女子にとって己の存在は必要ないのデスヨ。壁とかね、床とかになりたいのね? わかって?」
いや、まず話すのはこれじゃねえよな。
「え? でもいっしょにいた方が近くで見れてお得じゃないのか?」
「いや、得とか損とかいう問題じゃなくてね……? っていうか妄想の餌にされるのとか嫌でしょう?」
「エミリーならいいよ?」
「いやいやいやいや……考え直そうよ」
妄想の餌にされてもいいとかこのふたり、ツワモノすぎるだろ! 普通は嫌だろ! 普通は!
「わたしは遠くからふたりを見ているだけでいいの! わたしはいらないんだってば!」
そう、これ! これだよ言いたかったことは! なんか色々ありすぎて忘れてたけど、モトをただせばふたりのあいだにわたしはいらないという話なんだよ!
そんな渾身のわたしの主張に、ふたりはなぜだか悲しそうな顔をする。
「エミリーいらないとか言わないでよ。ぼくたちにとってはかけがえのない、唯一の存在なんだから」
このときわたしは気づいた。わたしはふたりの告白を真面目に受け取っていなかった。それどころか脳内の最萌えCPの形を守るのに必死で、ふたりのことを省みていなかった。
ふたりはわたしのことを優しいだのなんだと言っていたが、どこが優しいのだ。むごいではないか。妄想と現実の区別がつかず、ふたりの思いを真剣に受け取っていなかったのだから。……自分が恥ずかしい。
「そう……ね。さっきは言いすぎたわ。わたし、あなたたちの言葉を真剣に受け取っていなかった」
「エミリー……」
「今度はちゃんと真剣に考えるから。……だから、待っていてくれる?」
わたしの言葉にふたりとも笑顔を見せる。
……あーホントにピュアなんだから。こんなのでだいじょうぶなのかしら? このふたり。
「エミリーがその気になるまで待ってるよ?」
「っていうかその気にならなくても惚れさせてやるからな!」
「あーはいはい」
そのままふたりはアレコレと話し始める。その主題がいかにわたしを惚れさせるか、というのは目をつぶるにしても、活き活きとしたふたりを見るのは純粋に嬉しいと思うし、これからもそんなふたりを見守って行きたいと思う。
でもやっぱりわたしはいらないと思う。妄想の邪魔だし。
――どこか、奈落を思わせる瞳でエミリーはそう思う。その瞳に映るのはふたり並んだ幼馴染――最萌えCPの姿のみ。
エミリーは懲りていなかった。
エミリーは骨の髄まで腐女子であった。
そう、腐りきっていた。
ふたりはエミリーを説得することができるのか?
がんばれふたり。がんばればエミリーも改心する……かもしれない。
すべては神のみぞ知るところである。
「今度三人でデートしようね、エミリー」
「……うしろからついて行くんじゃダメ?」
「ダメ」
そこにわたしはいらないから! やなぎ怜 @8nagi_0
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。