(3)

 朝、教室へ迎えばニコルがすっ飛んで来た。ニコルとは取っている授業が被っているので日中は顔を合わせる機会が多いのだ。だが、今までこうやって隣に座ることなどなかった。わたしを挟みニコルとは反対側に座る友人が「珍しいこともあるのね」というような顔をしているのがその証拠である。


「エミリーは今日も綺麗だね」


「振り向かせる」って本気だったのかよ……。わたしは戦慄した。


 微笑むニコルの姿は「王子」のあだ名にふさわしいものであった。秀麗なかんばせをゆるませ、微笑みかける姿は、男だろうが女だろうが魅了するだけの破壊力があった。


 しかしわたしはニコルの顔なぞ見慣れているので、こうして微笑まれたところでだからなんだという話である。美形は慣れるものだ。だいたい今はイケメン面しているが、わたしはこいつの鼻水たらした泣き顔を嫌というほど見ている。今さらこういうことをされても「成長したな」と感慨深くなるだけだ。


 ……っていうか口説くとかそういうことは恋人であるバートにしてやれよ!


 わたしはそう叫びたいのを我慢して黙々と授業の準備をする。お忘れかもしれないが、わたしは世間ではクールキャラで通っているのだ。それは幼馴染であるニコルやバートに対しても同じである。


 前世では「オープン腐女子」なる言葉があったが、わたしは永遠の隠れ腐女子だ。この嗜好をオープンにするなぞ恐ろしくてできやしない。しかも今世ではナマモノを主食にしているのだ。余計オープンにできるはずもなかった。ナマモノジャンルはデリケートなのだ。


「エミリー、今日のお昼はいっしょに食べようよ」

「急にどうしたのよ。いつもはいっしょに食べないでしょう」

「うん、そうだけど。ねえ、ワイエス嬢もどう?」


 わたしを落とすのが困難と知るや、ニコルはすぐさまわたしの隣に座る友人――ロージー・ワイエスへと話を振る。


「えっ。わ、私?」


 いつもは勝気なロージーも、学園の王子様に微笑まれては形無しである。おのれニコル。


 気がつけばニコルはロージーを巻き込んで昼食の席を共にする約束を取りつけていた。そこにバートが来ることも言い置いて――。


 それからもニコルはわたしのクールな態度にめげず口説き続けた。「小鳥のような声」だの「月も恥らう美しさ」だの「小鹿のような足」だの「どんな花よりも愛らしい」だの、年頃の女の子ならもうとろけきってしまうような、歯が浮くようなセリフの連続であった。


 だが悲しいかな。わたしの心にはなにひとつとして響くものはなかった。やっぱり今まで築いたものって大事だと思うのだ。わたしにとって、ニコルはヘタレな弟分というイメージが強すぎた。だから彼が一生懸命口説く姿を見ても、「素敵!」と思うよりも「成長したのね……」と微笑ましい気分になってしまうのである。すまんな、ニコル。己の過去を恨むがよい。


 そうして午前の授業が終わるころには、ニコルがわたしを口説いているという事実は学校中の知るところになった。


「いったいなにがあったのよ?」


 場所はお昼のカフェテラス。ニコルがバートを呼びに席を外しているあいだ、ロージーがわたしに耳打ちをして来た。疑問に思うのも無理はない。たしかに今までだってニコルとは親しい付き合いをしていたが、そこに恋愛的な意味合いがないというのは明らかだった。そんな状況から一転、熱心に口説いているのだから何事かと思うのが普通だろう。


 わたしはうんざりとした顔でロージーの疑問に答える。


「……わたしがニコルとバートを応援していたのは知っているわよね?」

「そりゃあね。あれだけ熱心にしていたら」

「それで昨日、ニコルとバートが恋人同士になったのよ」

「え?! それはおめでとう。……じゃあなんでニコルがあなたを口説いているわけ?」

「話すと長くなるから結論だけ言うけど、わたしとバートとニコルの三人で付き合いたいんだって」


 わたしの言葉にロージーは意外にも「へー」と言うだけで、別段驚いた様子はなかった。


「まあ、あなたたち仲が良かったものね。いいじゃない。三人で付き合えば」

「ちょ、ちょっと待ってよ……ロージーまでそんなこと言うの?!」

「あら、結婚したら二馬力でしょう。おまけに片方は領地持ちの貴族で、もう片方は将来有望な騎士志望。あなたは家庭に入って家を支える。将来安泰ね」


 忘れていた。准男爵令嬢のロージーはお金で苦労しているせいか、「将来は玉の輿」を掲げて絶賛侯爵令嬢と交際している身なのだ。そんな彼女からすると三人で付き合うというのは、将来的に財布がもうひとつ増える、くらいの認識しかないのであろう。相談する相手を間違えたとしか言いようがない。


「あのねえ……」

「いいじゃないの。あなたもいつかは輿入れ先を決めなければならないのだから。それが見知った相手ならお父さまも安心でしょう」


 他人事だからって適当なこと言いおって……。


 そうこうしているあいだにニコルがバートを連れて戻って来た。バートと学校で顔を合わせるというのは、なかなかに新鮮である。バートはひとつ学年が上なので、昔に比べればめっきり顔を合わせる機会が減っていた。会うのはたいていバートが相談に乗って欲しいときだ。それも昨日でお役御免かと思いきや、まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。


「やあふたりとも」


 バートはいかにも好青年といったさわやかな笑顔で片手を上げる。バートもバートでニコルとは別ベクトルの美形であった。ニコルが耽美系イケメンなら、バートはワイルド系イケメンである。無論モテるのだが彼に想い人がいること自体は有名であったから、ここ最近ではバート相手に玉砕する人間はずいぶんと減ったものである。


 ああ、それにしてもニコルとバートは絵になる。可憐な王子さまと雄雄しい騎士。ベタだけど素晴らしいじゃないの。そしてふたりからかもし出される甘い空気……。やっぱりバーニコは楽園


「三人で付き合うことになったんですってね。おめでとう」


 なに言ってんだこいつ?!


「え? 付き合う気になってくれたの?!」


 嬉しそうな顔すんな! だれもその気になってねえよ!


「違うってば。――ロージー!」

「あらあ? 私の勘違いみたいね? でもいいじゃないの、学園の美丈夫ふたりと付き合えるなんて。みんなうらやましがるわよ~」


 わたしはその美丈夫ふたりが付き合っているところを見たいんであって、ふたりと付き合いたいわけじゃないんだよ! くっ……ロージーの裏切り者め……。


 その後はなごやかに昼食を……と行けばよかったのだが、例によって口説き文句を差し入れてくるふたりに、わたしは味のしない食事を終えたのであった。ロージーはロージーで愉快犯的に混ざってくるし……裏切り者め……。


「結婚式には呼んでちょうだいね」

「ああ、もちろん」

「ロージー! バートも返事しないで!」


 ああ……疲れる。



「どうしてそんなに頑ななのかしら?」


 昼食後、ガラス張りのテラスで休憩するわたしの隣でロージーはそう言った。ニコルとバートはこの場にはいない。わたしがここまでロージーを引きずって来たのだ。


「だってあのふたりに恋愛感情なんてないもの」

「別に付き合うのに恋愛感情は必要ないでしょう」

「わたしには必要なの」


 それに純粋にふたりの邪魔をしたくなかった。バーニコのあいだに女など必要ないのだ。待てよ。もしわたしが男だったら……いや、ないな。わたしという時点でないな。


 まあとにかくわたしはあのふたりを陰から見守りたいのである。そして拝みたい。ひっそりと観察し、萌えのおこぼれにあずかりたいという煩悩まみれの願望を成就するためには、わたしの存在は必要ないのである。


 かといってロージーに言ったこともなまじ嘘ではない。ハナから恋愛感情など抱けないのに、「おためし」で付き合って気を持たせるようなことをするのは忍びなかった。まあ、あのふたりの場合は付き合えだのなんだのは一時いっときの気の迷いだと思うが。


 だがそんなわたしの心情など、ふたりは汲み取ってくれないわけで――。


「エミリー! この前このケーキ食べたいって言ってただろ?」


 ニコルが甘い言葉の口撃ならば、バートは物で釣る作戦に出たらしい。一日限定五十個のケーキをわたしに献上してくれたが、心動かぬこと山の如し。だがケーキは頂いた。ケーキに罪はないもの。


「こうやっていつもそばでエミリーのこと見ていたいな」


 口下手なりにバートも口説いてくれるのだが……やっぱりどこかぎこちない。というか、頬を赤らめながら言うなよ。自分が先に照れてどうするんだ。わたしを照れさせるのが先だろう。


 ああ……これがわたしへの言葉じゃなくニコルへの言葉だったらいいのに。王子様なニコルのために手足となって一生懸命働くバート。そんなバートのためにニコルは「ご褒美」をあげるの。そしてめくるめく薔薇色の世界へ――


「エミリーは、おれたちといっしょにいるのは嫌か?」

「嫌だったらこんな態度じゃすまないわよ。――というか何度も言っているけどわたしのことは気にしないで、ふたりでいればいいじゃない」


 そしていちゃいちゃしている姿をわたしに見せてくれ。


「……エミリーは、おれがニコルといっしょにいるところ好きなんだな」


 …………?!


 ちょ、ちょっと待って。ちょっと待って。その言葉はどういう意味? いや、そんなまさか。まさかまさか。バレてるわけないよね……? まさかね? そんなハズないわよね?


「そりゃあね。他人の幸せを妬むほどわたしは狭量じゃないもの。幸せな人間を見れば嬉しい気持ちになるくらいの心は持っているわ」

「じゃあ三人いっしょにいればエミリーはもっと幸せになれるんじゃないか?」

「それは遠慮するわ」

「でもおれたちのことは見ていてくれるんだろう?」


 ……さっきからなんとも微妙なラインをかすめて来るわね。これは……バレてる? バレてない? いや、バレてないでしょ。バートってばにぶいし。


「まあ、あなたたちってば危なっかしいし」

「じゃあ、三人でいればいいじゃないか」

「もう! どうしてそんなにわたしを入れたがるのよ?」

「そりゃエミリーが好きだから。エミリーだっておれたちのこと好きだろ?」

「よく臆面もなく言えるわね……」

「エミリーとは長いからな。色んなことがわかるさ」


 その色んなことにわたしが腐女子だってことは入っていないでしょうね? そうよね? ああ、安心し


「エミリーが男同士のロマンスが好きだってことは知ってるよ」


 あ゛?!


「昔からそうだもんな」


 あ゛あ゛?!


「姉貴の本を隠れて読んでたもんな」


 あ……あ……?!


「隠れて小説も書いていたし――」


 あば、ば、ば……。


「おれがニコルといっしょにいるとやたらガン見してたし」


 あばばばばばばばばばばばばばばばばばばば。


「でも、エミリーのそういうところ好きだよ。クールに振舞ってるけどたまに落ち着きがなかったり、趣味がバレてないと思ってるとこ、かわいいと思うし。昔から変わらない……。なあ、おれやっぱり三人でいるのが一番好きだ。ニコルも好きだけど、エミリーも好きなんだよ。だから――」


 そこから先の記憶はない。なんだかしんみりした顔でいいこと言ってる感のある雰囲気をかもし出していたバートのツラは覚えている。だが後半の言葉は頭には入って来なかった。わたしは腐女子であることがバレた上に、隠れてBL小説を読んだり書いたりしていた過去を掘り起こされ、死んだ。そう、死んだ。死んだわたしはゾンビになって走って逃げた。邪道と言うなかれ。ゾンビだって走りたいと思うときがあるかもしれな――話がそれた。


 とにかくわたしは逃げた。恥ずかしすぎて逃げた。それが事実だ。クールぶった面の皮をはがされた。それが事実だ。そして腐女子バレした。それが事実だ。


 うわあああああああああああああああああああああああああマジかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?! マジで?! マジでバレてたん?! いつ?! いつだよ?! いつからバレてたんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!


 寮の自室に逃げ帰ったわたしはクッションを抱えて床を転げまわった。恥ずかしくて爆発してしまいそうだった。いや、いっそ爆発してくれたほうがよかった。自分のためにも、世間のためにも。


 腐女子バレの傷は深く、その日のわたしはゾンビと化し、夕食もそぞろに不貞寝した。寝て起きたら腐女子バレした事実が消えていないかなと思ったが、もちろんそんなことはなかった。


 その日からわたしはふたりを避けるようになった。バートが知っているということは、むろんニコルも知るところなのだろう。わたしは恥ずかしさと申し訳なさからふたりを見つければ逃げ出した。これ以上、傷をえぐられるのはたまらなかったし、恥を重ねるのもごめんであった。


 だがわたしが逃げれば逃げるほど、ふたりは執拗に追いかけて来るようになった。放っておいてくれ! というわたしの心の声はふたりには届かなかったらしい……。まあ、そうだよな。わかったらエスパーだしな。


 だがこちらも必死だ。隠れ腐女子にとって腐女子バレのダメージは大きいのだ。恐竜が絶滅するくらいのインパクトなのだ。幼馴染を妄想の餌にしていたなどとバレてしまっては平静ではいられぬというもの。心の中で謝りつつ、わたしはふたりを避け続けた。もはや故郷にもいられはしない。学園を卒業したら遠方へ就職しよう……。


『エミリーへ。一度話をしませんか。今日の放課後、裏庭で待っています。――ニコル』


 などと逃げ回っていたらさすがのふたりも作戦を変えたらしい。ニコルからそんな手紙が届いた。


 わたしも腹を括った。圧倒的飢餓からナマモノBLに覚醒し、ふたりで萌えていたことを謝ろう。だが、ふたりを応援する気持ちに嘘偽りはなかった。わたしは腐女子だが、その前にふたりの幼馴染で、友人であった。だから、ふたりが想いを通じ合わせて恋人同士になったことは、腐萌えを抜きにしても喜ばしいことなのだ。本当に、心から祝福したのだ。


 そしてわたしはきたる放課後、裏庭バトルフィールドへと赴いたのだが――。


「ニコル! 君のことが好きなんだ!」


 ……なんなんですかね、これは。

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