僕の大事な幼馴染

不知火白夜

1

 小さい頃から、僕には大事な幼馴染がいた。幼稚園のときから一緒で、とても明るくて元気で、運動神経もいい僕の大事な幼馴染。名前は遊佐ユザオオトリ遊佐。名前も、見た目もかっこいい彼は、ずっと前から僕のものなのだ。



楠木クスノキくんって、鳳くんといつも一緒にいるよね」


 中学生一年生の夏のある日。この日の部活動を終えた夕方。少々広めの演劇部の部室の片隅で帰宅準備をしていた僕――楠木常陸ヒタチに、同級生の女子が声をかけた。

 名前はなんだったか。そう思って僕がちらりと制服につけられた名札に目を向けると、そこには『澤田サワダ』と名字が書いてあった。

――そうだ、そんな名前だったな。

 胸の内でそんなことを思いながら、僕は言葉を続ける。


「……そうだけど、何? 文句あるの?」

「あ、いや、文句じゃないの。ただ、鳳くんと普段何話してるのかなあって……」


 少し冷ややかな声に驚いた様子の彼女は、僕の言葉を慌てて否定し目線を泳がせる。澤田の反応はちっとも面白くないしなんだか不愉快だ。なんでそんなことを聞くのかよく分からないし、他人が友人と何を話していようと関係ないだろうに。だけど、そう口にしたい気持ちをぐっと抑えて、僕は極力態度を変えないように返す。


「……読んだ本の話とか、ゲームの話とかしてるよ」

「そうなの? あの、例えば、どういう本を……?」

「……えっと」


 何故そこまで聞くのだろう。そう考えて、ふと、遊佐に好意を向けているのだろうかと思いつく。好きな人の好きなものを知りたいというのは、納得出来る理由だ。でも本人に直接聞けないから友人である僕に聞いているのだろう。相手の心境はなんとなく理解はしたが、個人的に許せるものじゃない。

 荒れた気持ちで、仕方なく本について言いかけたその時、開きっぱなしになっていた扉から、見慣れた姿が現れた。


「常陸!」

「あ、遊佐! お疲れさま」

「常陸ー! 疲れたよー」


 目を向けた先にいたのは、僕の大事な幼馴染、遊佐。僕より結構背が高くて、とっても運動神経がよくてとってもかっこいい、僕の幼馴染。水泳部に所属している彼は、練習終わりは少し髪が濡れて塩素のにおいがつんと鼻に届くのだ。それはいつものことだからいい。それよりもなによりも、僕を見てにこにこ笑って駆け寄ってくる様を見られる方がいい。なんだか大型犬のようで可愛らしいとも思う。


「部活終わった? 帰ろ!」

「あぁ、うん。いいよ」

「――って、あれ、その人と喋ってた? それはごめん」


 遊佐の黒い瞳がすっと澤田に向けられると、途端に澤田は目を逸らす。何処か顔が赤くなったような気もして、更に気持ちがざわざわした。

 そんな僕の気持ちも知らず、遊佐は彼女に『ごめんね』なんて笑いかけている。澤田は、大丈夫だなんて言って更に顔を赤くした。この反応は、確実だろう。澤田は、遊佐が好きなのだ。その事実に、僕の胸中は更に荒れていく。


「あ、鳳くん……えっとね、別に、大した事じゃないんだ。ごめんね、お疲れさま、楠木くん」

「あーうん。オツカレサマ」

 ぺこりと頭を下げた澤田は、慌てて部室を出ていった。

「帰ろっか、常陸」

「うん」


 今更ながら、部外者の遊佐が堂々と部室に入ってきたのは、どうなんだろうと思われそうだが、帰り際だったし、先輩たちもどんどん帰宅して行っていたからだろうか。誰も何も言及することは無かった。



 部室を後にして、僕達は自転車を押しながら帰宅する。最近読んだ本の話とか部活動の話とかをしながら、蝉の声を聞きながらまだ明るい空の下を歩いていく。

 遊佐は今日も水泳部で厳しい練習をこなしてきたようだ。小さい頃からスイミングスクールに通う彼は、中学生になって当然のように水泳部に入った。部活の練習は、スイミングスクールとはまた違う厳しさらしいけれど、彼は厳しい練習こそ面白くてやり甲斐があって最高だと言っていた。僕からすればにわかに信じ難いが、身体的負荷が多い練習が楽しく思えるらしい。そこだけは変だと思う。


「常陸はどう? 練習大変?」

「まぁね、もうすぐ大会もあるし。僕はなにも役はないけど、裏方で忙しいよ。やることはめちゃくちゃあるんだよね」

「そっかあ、大変だなあそりゃ」

「大変なのはそっちもでしょ」

「うん、まぁ、でも練習楽しいから! 大丈夫!」


 清々しい笑顔で言う彼の言葉は心の底から出されたものだろう。それが、とても遊佐らしくて、僕は好きだ。

 彼と話していると心が落ち着いていく。さっきの、澤田とかいう女と話していた時とは比べ物にならない程に。

 遊佐とは小さい頃から一緒にいて、僕が凄く可愛がってきた。だから遊佐は僕のもので、その分僕なりにとても大事にしてる。

 でもあの女は、別に僕のものじゃないし、大事にする必要もそういう気持ちを向ける必要も一切ない。改めてそう認識すると、少しだけ気持ちが落ち着くような感覚があった。



 それから数日が経過したある日の部活終わり。澤田がまたおずおずと遊佐のことを聞いてくる。

 遊佐は何が好きだとか、どんな本を読むのとか、どんなゲームをするのとか。そんなことを、いくつもいくつも聞いてくる。

 僕はそれを全て知っている。だけど、それをこの女に教える気は全くない。

 だから僕は澤田からのどの質問にも答えず全て無視して背を向けていた。すると、その態度に不満を抱いたらしい澤田が、やや不満を口にした後、名前を呼びかけながら僕の腕を掴んだ。僕はそれをすぐさま振り払う。すると僕の行動に流石に動揺したのか、反射的に手を引っ込めた澤田が不安げな様子で声を震わせた。


「く、楠木、くん、どうしたの? ご、ごめんね」

「……うるさい」

「えっ……」

「うるさいって言ってんだよ」


 相手を睨みつけ、突き放すようにそう言い放ち、僕は荷物を手に部室を後にした。近くにいた同級生がなにか言っていたがそれらもすべて無視してやる。

 廊下に出ると、そこには少し目を丸くした遊佐がいた。恐らくさっきのやり取りは聞かれていたんだろう、彼は目を丸くして戸惑っていた。僕は少しの不満や苛立ちを胸の内でかき混ぜながら遊佐の手を引いた。


「行くよ、遊佐」

「え、あ、うん。……帰ろう」


 衝撃に目を丸くしていた遊佐だが、声をかけるとすぐさま我に返り、いつものように僕の後ろに着いてくる。

 校舎の外に出てからは、喧しい蝉の声を聞き流しながら、僕達は特に会話もなく歩く。居心地は少し悪いが、やっぱり遊佐が隣にいるというだけで結構落ち着いた気持ちになっている気がする。

 とはいえども、やはり遊佐の表情からは困惑の色が消えていない。だから僕は足を止めて、ゆっくりと訊ねる。


「言いたいことあるなら言っていいよ」

「えっ……あー、うん、そう?」


 一瞬肩を跳ねさせた遊佐は、目線を泳がせてぎこちなく応答をした。続けて周囲を確認した後に道の脇にある屋根のあるバス停を指さした。日陰の下で少し話そうと言うことらしい。一言二言のやりとりでは終わらないだろうと予想できるため、僕は遊佐の言葉に従った。

 二人で自転車を押してバス停に移動し、自転車を傍らに停めた。念のため、バスが来る時刻も確認しておく。……どうやら次のバスまでに二十分ほどあるらしい。誰も待っている人がいないのもそのせいかと納得し、バス停の座席に腰を下ろした。座面が熱いがまあ仕方ない。

日陰で少し暑さが和らいだ気がする中、水筒の飲み物を飲んだ遊佐は静かに訊ねる。それは勿論、さっきの澤田に対する態度についてだ。


「えーっとさ、全部聞いてたわけじゃないから、なんともわかんないけど、さっきの態度は……あまり、良くないんじゃないかな?」

「なんで?」


 僕の迷いのない返答に呆れた遊佐は、言葉を選びながら話を続ける。


「なんでって……あの子は一応同級生なんだし、もうちょっと……優しくしてあげても……いいんじゃないかな……?」

「それはそうだけど、あいつは僕の友達じゃないし。同じ部活なだけで知らないやつだし。そんなやつを大事にする必要なんて一切ないでしょ」


 僕は、時々汗を淡々と自分の考えを吐く。考えとしては良くないことは理解しているが、家族でも親戚でも友達でもないのに気を遣うのは無駄に思える。


「僕の考えはいいことじゃないと思うよ。でもさ、好きでもない人になんでこびへつらわなきゃいけないのさ」

「うーん……こびへつらうじゃなくてさ……最低限の優しさってのがあってもいいんじゃないかって思うだけだよ。別にめちゃくちゃ優しくしなくていいから、あんなきつい言い方じゃなくて、もう少し落ち着いて返してもいいんじゃないかなあって」


 それでも遊佐は躊躇い、悩ましげに眉を顰めて僕の話を聞いている。それも当然の反応だろう。だから僕は、自分が気持ちを荒らげている根本の理由を口にした。


「だってさ、あいつは、遊佐のことが好きで、僕から遊佐のこと聞き出そうとしてたやつなんだよ? それってつまり、僕から遊佐を取ろうとしてるってことじゃん。僕の友達でも何でもないのに! そんなやつに優しくする必要ある? ないでしょ? そんなやつに優しくできるわけないじゃん!」


 僕は、本心からぽろぽろと言葉を溢れさせる。途中から語気を強めて発されていくその言葉を静かに聞いていた遊佐は、ついさっきまでの悩ましげな表情を切り替え、瞠目する。

 そして暫しその言葉を反芻するように聞き入り、思案したかと思うと、ふっと口の端を緩めた。


「…………なんだ、そんなことか。……常陸らしい話じゃん」


 呆れたような、微笑むような不思議な表情の彼は、それで納得したらしい。


「そんな理由だったら、あんたが不機嫌になってあんな態度とるのも分かるわ」


 上を見上げて軽い笑い声を上げた遊佐は、独り言のようにあれこれ言葉を零す。よく聞こえなかったところもあるが、どうやらその発想に至らなかった自分に対して文句を言っているようだった。続けて体勢を正した遊佐は、真剣な顔つきで僕に向き直り言葉を向ける。


「……はっきり言って、常陸のあの態度はあまりよくない。それは常陸本人もよく分かってると思う」

「……うん」

「俺が取られそうで嫌だったっていうのも分かるけどさ。……とはいえ、俺は、元から常陸のものだし、そう簡単に他人に所有権譲るつもりないよ。だから変にイライラする必要ないんじゃないかな?」

「えっ……あ、でも、そうか……」


 遊佐の言葉に一瞬驚いたが、その直後に思い出す。

 僕たちが小さい頃、それこそ幼稚園児くらいの年齢の時。僕は遊佐にこう言いつけた。

『ゆざ! きみは、ぼくのものだからね! かってにほかのひとのところにいかないでね!』

 その言葉に、当時の遊佐は一瞬驚いていたが、元気よくこう返事をしたのだ。

『だいじょうぶ! おれ、ちゃんとひたちくんのだからね、かってにちがうとこにいったりしないよ!』

 僕はそれを思い出し、一瞬恥ずかしくなった。遊佐は元から僕のものって言ってくれてるのに、何を勝手に不機嫌になっていたのやら。

 自嘲気味に笑う僕に、遊佐はフッと微笑む。


「思い出した?」

「……うん」

「なら良かった。……ま、俺が常陸から許可なく離れることはないからさ。そこは信用してほしいな。……だからその、あんまり周りにも冷たい態度を取り過ぎず……」

「そうだね、僕も悪かったし、態度は調整するよ。ずっと不機嫌でいるのも良くないしね」

「そうそう。……せっかくだし澤田? さんにも謝ったら?」

「それは嫌だ」

「そっか」


 僕の返答にへらへらと笑った遊佐は、徐に立ち上がり、にこやかな笑顔で自転車の元へ移動する。


「流石にそろそろ帰ろうぜ。あっついしさ」

「そうだね。あ、せっかくだしうちこない? アイスあるから遊佐にもあげるよ」

「まじで? やったあ! じゃあお邪魔しようかな」


 僕の提案に笑顔を見せる遊佐を見て喜ばしいような清々しいような気持ちを抱きながら立ち上がり、日陰から暑い日差しの元へ移動する。気分が高まった僕は汗を拭うのも忘れて自転車に乗り込み、勢いよく漕ぎ出した。遊佐も、それに倣う。

 遊佐は僕の大事な幼馴染。そして遊佐は僕のもの。お互いの認識が一致していることが、とても嬉しかった。

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僕の大事な幼馴染 不知火白夜 @bykyks25

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