第8話ウサギもたまには振り返る
「はぁ~~…」
どうしよう。
男子高校生1人相手に思いっきり喚いて、しかも言い残してそのまま逃げてしまった。
まさにもう、やっちまった。の一言だ。私というものが大人気ない…
「うあー!」
昨日のことを思い出して、羞恥と後悔に頭を抱えて、がくりと首を落とす。
むかっとして余裕がなかったところに、それまで悩んでいたことのど真ん中を的確に射抜かれて。ついカッとなっていってしまったけれど。冷静になって考えれば、あの少年の言葉に悪意はなかったように思えるし、今思えば感謝すらしている。
反省もしている。謝らなくてはとも思っている。けど、照れ臭ささと恥ずかしさが素直な気持ちを通せんぼする。
だいたい世間様は私たちをリア充だのなんのって、さも悩みもなく能天気に生きているかのように揶揄するけど、奴らは一体私たちをなんだと思っているのか。
私たちもあなたたちと変わらない人間なのだ。落ち込みもすれば凹みもする。いっちょまえに悩みだってある。まぁ、その悩みの中の一番大きなものは、少年のおかげで解決したから良かったのだけど。またその話はおいおい。でもまたそれで少年と喧嘩して悩んでるんだから世話がない。
「だーめだこりゃ…」
1人で考えると梅雨時期の日の当たらない地面のように、どうしてもうじうじと考えてしまっていけない。このままだと頭の中にドクダミが生い茂ってしまいそうだ。かといって誰かに連絡しようにも、みんなほどほどに忙しくて即レスは望めない。電話はもってのほか。
今日もバイトすると言ってしまった手前、お店を投げ出して出かけるわけにはいかないし…
彼氏も最近冷たいし…
「はぁ~~…」
お客さんが誰もいないことをいいことに、私はテーブルに顎を乗せて盛大にふてくされる。
今日に限って、どうして話し相手の少年は来ないのだろう…って当たり前か。昨日私と喧嘩したんだもんね…
「あぁもう!」
そもそも何で私がガキくさい子供のことで悩まねばいけないんだ…
ムカついた腹いせに彼のいつもの特等席を思いっきり占領してやる。どうせ今日は来ないんだろうし。店員にあるまじき態度で、だらんと畳に寝転がる。少年がいつも使っているクッションをぼすぼすと殴って八つ当たり。疲れた私はお店の天井を見上げた。
古臭い店だな。と素直にそう思う。
壁や天井の所々にシミがあって、貼ってあるポスターはいったいいつの時代のものやら。ある程度掃除は行き届いていても、色褪せていく時の流れには逆らえまい。
そもそも本なんて読んで来なかった私だけれど、気まぐれに本屋さんを訪れることはなくもない。でもその本屋も駅前に居を構えるような大型チェーンがほとんどで。アルバイトの声がかからなければ、きっとこんな時代に取り残されたようなお店に入ることはなかったし、そもそもその存在に気づくことすらなかっただろう。
そんなお店を目ざとく見つけて、入り浸り。彼はいったい何を思い、貴重な花の高校時代を削ってまで1年間も、この景色を見続けてきたのだろう。
私にとって高校生活は駆け抜けるような日々だった。一分一秒を惜しむように部活に励んで、友達とはしゃいで、恋をして。3年間という小さなカバンの中に、ありったけの荷物を入るだけ押し込んだような濃密な日々の中で、思えば必ずだれかがいつも隣にいた気がする。
予定帳はいつも真っ黒に染めて、書ききれなかった分は付箋にびっしり。どんな小さな隙間でもここぞとばかりに約束を詰め込んで。絶えず忙しない毎日の連続だったから、1人でいることなんて考えられなかった。
そんな人生を送ってきた私だから、少年のような生き方が私には想像もつかない。
私が少年に抱いた最初の印象は、ずっと本ばかり読んでる暗い子。だった。
勘違いでぶっ叩いて、挙句説教を垂れてしまった人間が何を言うかって言われるとちょっと恥ずかしいけれど。
ともかくまぁ実際、後に彼は友達が少ないということを自白するのだから、この時の私の認識にあまり間違いはなかったのだと思う。
来る日も来る日も本棚に刺さった一冊を手にとっては、黙々と読む。終わったら戻して、しばらく店の中をうろうろとして、次の一冊を手に取ると、また読む。その繰り返しで、飲み物を飲んだり、お菓子を口にしたりする以外は文章から目も離さない。
最近の高校生にあるまじきことに、彼の隣に読み終わった本が積み上がるくらいに時間が経っても、友達と連絡を取るどころか、そもそも携帯を取り出そうとしない。彼がスマホを持っていたことを知ったのは彼と出会って2週間も経ってからだ。1時間もスマホを放置すれば、通知が3桁に到達してしまう私としては、とても信じられない行いだった。
そんな珍種の高校生の生態に驚きつつも、彼は結局ただの客の1人で、そう関わることもないのだろうと思っていたけど、思いのほか新しく始めたこのバイトが暇で、気づけば少しずつ彼に話しかけるようになっていた。
初めは陰気なイメージが強かったから、ちゃんとした会話が成立するか心配だったけれど(今から考えれば初対面の人に失礼な話だ。)彼は別段、コミュ障というわけでもなく、しっかりこちらの目を見て受け答えをするものだから少し驚いたのを覚えている。
加えて彼はそんなにおしゃべりな方ではなかったから。無駄に長々とした会話になることもなく。彼との言葉のやりとりが、私の集中が途切れたときのちょっとした暇つぶしにはとてもちょうど良くて。そうやって日々を過ごして言ううちに、重ねた言葉の数々が季節を進めて。雪解けに春が芽吹く…ってはちょっとロマンチックすぎるからなし。これはボツ。
んま、兎にも角にも、少しずつ打ち解けるようになったわけだ。
うん。まぁ、そんな感じ。
そうやって私たちは友達になったんだと思う。
そしてあるとき、私は友人らしく少年の悩みを聞いた。
彼は言う。「自分はまるで亀のようだ。」と。
曰く、彼は物事を考える速度が常人より著しく遅いらしい。
確かに、彼と会話していて会話の歩調が合わないな。と思うことは何度かあった。だから疑問に思って、聞いて見たりしたのだけど。
しかしそれでは今の、特に若者の世界では生きづらいだろう。
昨今の情報は魚や野菜と同じ生鮮食品だ。今日最新だったはずの情報が、明日にはもう古くなって使い物にならない。分単位で更新されるSNSを追うことのできないものから脱落していく。
毎日が競争のようなそんな日常で、一時間に二桁以上走る都会の時刻表に、田舎の単線を走るような彼の思考回路じゃ置いていかれて当然だと私は思う。
実際その遅れが連なって、今の彼の状況があるのだろう。
一度気になって彼に尋ねてみたことがある。「ひとりでいるのは辛くないの?」と。
私の素朴な疑問に。
「いえ、別に辛くはありません。」
迷うことなく、そう断言する。
「たしかに、大人数で楽しそうにはしゃいでいるクラスメイトを見ると羨ましく思うことはありますし、あの輪に加われたならきっと楽しいだろうなという確信もあります。でも。」
彼はそこで一度言葉を切ると、私の目を見て、ふっと笑って言葉を重ねる。
「でも、同様にこうやって1人で物語を慈しむ時間もとても楽しいんです。だから別に1人でいる時間を、辛いと思ったことはありません。」
本読むの大好きですし。そう言って彼は手にする文庫本の手触りを確かめるように優しく撫でる。
「どっちが楽しいかなんて、比べるものでもないのだと思います。どちらにも良さがあって、どちらも同じように楽しいのだと。」
まぁ、僕はこの通り独り身なので、みんなでいる楽しさをあまり理解できていないんですけれどね。
なんて、彼は苦笑いしながら付け足す。
そんな少年の言葉にきっと嘘はないのだろうと思った。なぜかって、数日話をした私がわかるくらいに、この男子高校生は嘘がとても下手なのだ。
そんな、私とは考え方も生き方も違う。大抵いつも1人で、さみしいとはいうけれど自らを悲観はしない、その姿に私はなぜだか少し興味を持った。
そうやって、彼と会話を重ねるうちに、初めはお母さんに頼まれて仕方なく引き受けたバイトでめんどうくさく思っていたのが、やって見れば案外仕事が楽だったというのももちろんだけれど、何だかんだ話し相手がいるっていうのも楽しくて少しずつバイトに入る頻度が増えていって。
いつしか、少年がこないとわかると、どこか気落ちしている自分を見つけるようになった。
思えば少年はとても不思議な子だ。初めは教室に必ず1人はいるような、ただ暗くて人見知りで、臆病な。言ってしまえば陰キャかと思ったけれど、少し違くて。話しかければ、ゆっくりだけれどハキハキと答えるし、臆病でもないように思う。
子供だなと思うこともあれば、真摯に悩みを聞いてくれて、しかもアドバイスまでしてくれる大人な部分もあったり。私にとって彼はどんな存在なんだろう。そう考えると、なんか友達というよりも。弟。というのが一番しっくりくるような気がした。
うん。そうだ。
私から見れば彼はちょっと放って置けない不器用な弟なのだ。
だからきっとこれは姉弟喧嘩だ。
「ちゃんと謝ろう…」
私の方が大人なのだから。お姉さんなのだから。
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