第5話カメのやさぐれ冒険記
シンと音が聞こえそうなほど怜悧な早朝の大気。丸々とした冬毛に衣替えをしたスズメたちはそれでもまだ寒いのであろう。ちゅんちゅんと高く鳴きながら電線の上で身を寄せ合う。
平和な景色を横目に見ながら、通学路を歩くは僕1人。まったく、現実は物語のように都合のいいようにはできていない。少しの改行を挟んで数日後へとジャンプしたり、人の心が文字になって、事細やかに書かれていたりもしない。悲しきかな、どれだけ祈りを捧げたとしても、時間はどこまでも連続で。どれだけ目を懲らそうとも、人の心は覗けない。
全く現実は融通がきかない…と胸の内でぼやきながら、どんより重たい心と、筋肉痛で重たい足を引きずって学校を目指す。
自分の中にあるものを吐き出せば少しは軽くならないか。そう思い「はぁ…」と勢いよく息を吐いてみるものの、身も心もさして軽くなるはずもない。
追体験でもするかのごとく鮮明にフラッシュバックするのはつい昨夜の出来事。
まぶたの縁にに小さなダイアモンドの雫を讃えて、悲痛な表情を向けるサキさん姿が、張り詰めた弦で切ってしまった傷のように、胸を刺し続けて離れない。
あの時一体僕はどうすればよかったのだろう。いざ振り返ってみれば、あの時ああすればよかった。こうすればうまくいったなどと、せんのないたらればが渦を巻き、後悔はまるで真夏の炎天下のように、じわじわと気力を削り取っていく。
歩いて片道15分。たったそれだけの道のりが、今日はやけに長く感じる。学校って、こんなに遠かっただろうか。
「憂鬱だ…」
またため息をつく。一体今日何回のため息を吐けば気がすむのだろうか。
気だるさを纏う肩をがくりと落として、僕は校門をくぐった。
鳴り響く4限終了のチャイムを学生の元気な喧騒がかき消していく。購買へのスタートダッシュをかます男子生徒たちが勢いよく飛び出して行くと、後の教室には午前の授業を乗り越えた解放感からか弛緩した空気が広がっていった。
「だぁぁぁ…。」
僕もその雰囲気に当てられて、机に突っ伏す。最早一日分の授業全てを受けきったのではないかと思いたくなるほど体が重い。よもや誰か僕の周りの重力を増やしているのではあるまいか。おのれ魔術師め。
訳のわからない妄想に逃げていると、「おーい。元気かー。」と心配したらしき友人が声をかけてきたので、「問題ない。とても元気だ。」と返しておく。
「そんななりで言われても説得力ないぞ~。」
「そんなことはない。元気な筈だ。」
ガバッと顔を上げて精一杯の生気をアピールする。
「筈ってなんだよ。んで、お前飯は?」
「持っていない。」
「購買早く行かないと食うもんなくなるぞ?」
「そもそも食う気がせん…」
「やっぱり元気ねぇんじゃねぇか…」
誤魔化しきれなかったようだ。どうやら僕は嘘をつくのが下手らしい。
「なにかあったか?」
と心配して聞いてくれるので、「訳あって本屋のお姉さんと喧嘩した。」と愚痴をこぼすと
「へっ。最近楽しんでやがった罰だ。いい気味だぜ。」
と嫌味たっぷりの笑みを頂戴した。全くひどい友人だ。
「俺らみたいなのがリア充の真似事しようとするからそうなるんだよ。」
ほれ。と差し出してきたのはりんごジュースとカレーパン。何か食べないと、とは思っていたのでありがたく頂戴する。やっぱり持つべきはいい友人だ。
「300円な。」
…訂正。やっぱりひどいやつ。
「そりゃあんな風になれりゃ楽しいだろうとは思うけれどなぁ…」
僕が渡した300円でお手玉をしながら彼はぼやく。彼が目線の先に向けるのはクラスの中心グループ。華やかで、楽しげで、その姿に昨日の女子大生たちを重ねてちょっとムッとする。
「あそこまで忙しくなりたいとは思わないけれどね。」
「おっ…珍しく毒のある発言。ほんとどーしたお前?」
「なんでもない。」
頬を膨らましながらそっぽを向いたら、お前がやっても可愛くねぇ。と言われてしまった。確かにそれはそうだ。
そんなくだらないやりとりに興じていると、「はーい、注目~!」という声とともにクラスのリーダーである女の子が手を叩く。彼女は教室内の全員の視線が集まったことを確認すると
「今日放課後カラオケ行く人~!」
手を上げて!と当人も勢いよく右手を空へ。
そういえば今朝のホームルームで、今日は職員会議があるから基本的に部活はないと担任が言っていた。ずいぶん唐突な話だったようで、いっときクラスがざわめいたのを思い出す。僕はどの部活にも所属していないのであまり気にしていなかったが、なるほど部活がないからみんな暇なのではないかという想定のもとで、クラス全員に声をかけたのだろう。
「どうするー?」
仲のいい友人同士でどうするかを話し合っているのだろう。ざわざわとざわめきが広がる。しばらくすると意見が固まったようで、降り始めの雨のようにパラパラと手が上がる。
「うん。いーね。行こう。」
「久しぶりに歌いたいしね。」
「この前でた新曲歌わなきゃ!」
停滞から流動へ、動きだしてしまえば後は勝手についてくる。気づけば両の手に収まらない数の腕が挙げられていた。
「おーおーリア充どもがやってるねぇ…」
じゅるじゅると、パックジュースのストローを咥える友人がぼやく。彼の、中心にいる女の子へと送られる視線はどこか眩しげだ。
彼の視線の先を追う傍で、僕の頭は、僕の意思を無視して勝手に記憶のレコードの再生を始める。思い出されるのはからかうようにコロコロと笑う彼女の声。「陰キャだなぁ…」「カラオケ行く友達いるんだ。」「聴いてる曲古っ!」かけられた言葉の一言一言を思い出すたびに、僕の心にモヤモヤと暗雲が立ち込める。
うるさいうるさいうるさい。僕だってやればできるんだと。そう証明してやると。
「行きます。」と僕はムキになって、まっすぐ手を上げた。
「え!?行くの?!」
友人の驚愕の声。彼は加えていたストローをとり落す。クラスの視線が集中し、空気を媒介にして伝わってくる驚きと戸惑いに、若干の後悔が心をよぎる。
「ん、おっけー。んで結局15人でいいかなー?」
やっぱりやめとこうかなんて、迷っている間に人数に数えられてしまって、これはもう取り下げられそうにない。
まぁ、いいや。スクールカースト?口下手?んなも知るか。もうどうにでもなってしまえ。
どうせ失敗したって、大して失うものもない。やさぐれる今日の僕は無敵だった。
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