第2話カメとウサギの自己紹介
後からおじいちゃんがしてくれた話によると、どうやら件の女性はおじいちゃんの兄の孫。家系的に言えば姪の娘。小難しく言えば姪孫にあたるらしい。
おじいちゃんの友人がやっている商店がどうやら大変らしく、おじいちゃんが手伝うことになったのはいいものの。その間のお店をどうするか困っていたところ、大学生であるらしいおじいちゃんの姪孫が、バイトとして店を引き受けてくれたそうだ。
そうして、その女性にお店の案内をしようと連れて来た折に僕に出くわした、ということらしい。つまりとんだ怒られ損だったわけだ。
まぁ、僕としても、おじいちゃんの好意に甘えてしまっているという自覚はあるので文句は言えないけれど。
とまぁ、そういうわけで。
お店に入ると、おじいちゃんに加えて女性、改めお姉さんの顔を見ることが多くなった。なぜお姉さんという呼称になったのかというと、某日お店にて、僕が珍しく本を読むでなく、学校の課題に唸っていると。彼女が
「少年。お姉さんが教えてあげよっか?」
と得意げな顔で近づいて来たことに由来する。なお、その問題は二人の頭で1時間煮詰めても答えは出てこなかった。
ちなみにお姉さんは僕のことをなぜか少年と呼ぶ。何故なのかと聞いてみると、現役高校生の知り合いなんて少年くらいのものだから、ということらしい。理由はよくわからなかったが、
その呼称は不思議と不快ではなかったので良しとした。
そうして、書店の店員さんとして新たに女子大学生が加わったとしても、若い子が入ったとおじさんおばさんが冷やかしに来る程度で、客足にさしたる影響はなく(この点お姉さんは少し不服そうではあったが)、2時間に1人2人のお客さんが気まぐれに入ればいい方の、お店は常に閑古鳥状態。つまりお店が開いている時間の多くは、猫のように居着いた僕と、店員のおじいちゃんかお姉さんの2人だけにきりになるわけで。僕が話し相手になっているおじいちゃんと同じように、物語を啄む片手間に、僕がお姉さんと話をするようになるのは自然な流れだった。
初めはどんな会話だったろう。
「本、面白い?」
最初はそんな、お姉さんのとりとめもない疑問から始まったように思う。
「ん~…今読んでる本はそんなに面白くないです。」
「面白くないんかい。」
「はい。中世の貴族ものなんですけれど、あまりこの時代に知見がなくて…」
「それなのに読むんだ?」
「だって、どんな本でも作者が努力して書いたものじゃないですか。それを、いとも簡単に諦めてしまうのは少し申し訳ない気がして。」
「娯楽にそこまで真剣にならなくてもいいと思うけれどなぁ…」
「それに、途中から一気に面白くなるんだとしたら今諦めるのはもったいないじゃないですか。」
「あ、それはわかるかもしれない。少年、さては優柔不断だな。」
「まぁ、幸いなことに時間はたくさんありますし。」
「高校生でいられる時間は短いぞー?」
「そうですか?」
「失って気づくものもあるのだよ…」
「はぁ…?なにか、やり残したことでも?」
「それ聞いちゃうー?聞いちゃいますー?」
なんて、とりとめもない会話を、お姉さんは大概携帯を弄るか、雑誌を漁っていて、他のことをやっていたとしても漫画を読むか、学校の課題をするくらい。対する僕も本を読みながら、宿題をやりながら。
「大人ってめんどくさいよねぇ…」
ため息をつきながら机に突っ伏すお姉さん。どうやらこの日は機嫌が悪かったらしい。
「どうしたんですかいきなり。」
尋ねると、お姉さんは待ってましたと言わんばかりに「いやぁさ…」と愚痴り始める。
「親とかさ、今まで散々子供だからダメって色々禁止したりして、子供扱いしてきたくせに、ようやく子供扱いされない歳になってきたぞと思ったら、今度はいい大人なんだからって口うるさくさ。」
話を聞く限りどうやら親ともめたらしかった。
「なによぅ。言うこところころ変えちゃってさ。子供はどっちよ。」
お姉さんは覇気のなさそうな声でぼやく。
「案外、大人と子供の境目なんてないのかもしれませんね。」
僕はふと思ったことを口にした。
「どういうこと?」
「んとですね。選挙がどうのこうのとか、お酒が飲めるだとか、そういう法律的な話や立場的な話なんかをまるっと除けばの話ですけれど。 」
そう切り出して、僕は頭の中でこねて丸めた言葉を少しずつ取り出しては、粘土細工を作るかのように文章を作り出していく。
「そもそも子供の心や大人の精神、自覚とかってこの日を境にがらっと変わるとか、そんなことは絶対になくて、いろんな出来事を経験しながら、年を追うごとに少しずつ変わっていくものだと思うんです。」
お姉さんもいきなり大人になった!なんて感覚ないでしょう?そう問いかけると、お姉さはうん。ないない。と勢いよく頷いた。
「しかも人の全部が全部、変わっていくわけじゃなくて、大人になっていきながらも、子供っぽい部分も残ったり、そんな風に個性を出しながら、人は一生成長していくものだと思うんです。」
「なるほどなるほど。」
「大人びた子供とか、子供っぽい大人とかいますしね。」
「たしかに。そういう君は背伸びしている生意気な子供だ。」
「そうやって茶化してからかうあたり、お姉さんもまだまだ子供だと思いますけれどね。」
なによぅ。と口をすぼめる彼女をなだめて話を続ける。お姉さんの表情は水彩絵の具を広げたパレットのように豊かだ。
「だから周りの歳をとった大人も、どこかまだ子供っぽいところを残しているんだと思えば、案外腑に落ちるものがあったりしますよ。」
「そうなのかね。」
「そういうもんです。だからまぁ、僕らの親くらいの歳をとった人たちでも、完璧な大人ってわけじゃないんです。矛盾だってすれば、融通が効かない時だってあるでしょう。そしてそれは仕方ないことなのだと思います。いい年したおじさんにだって、子供みたいになりたい時もある。お姉さんだって今、年甲斐もなく年下の男子に愚痴垂れてるじゃないですか。」
「たしかにそれを言われるとなんとも…」
むむむ…と唸るお姉さん。
「そうやって、相手が子供になっている時くらいは、自分が大人の対応をしてあげると、人生上手く回るんじゃないかと思いますよ。今の僕みたいに。」
「悟ってるねぇ…少年…」
言いくるめられようとしているのが納得いかないのか、友達いないぼっちのくせにー。と悪態をついてくる。今日のお姉さんはほとほと子供のようであった。
「ま、なんにせよ。こんなとこでぶーたれてないで、よく話し合ってください。」
「はーい。先生。」
茶化す生徒が、そういう子供らしくない達観した思考は一体どこから生まれるの?なんて聞いてきたので。本からですね。と答えておく。するとお姉さんは文句を言いつつも、「おすすめの本教えてよ。」なんて言ってきたりして、僕は随分と久しぶりに、物語の話を誰かにしたような気がした。
まぁ、時にそんな真面目な話もしたりして。
焦ることなく、ページをめくる傍で、返す言葉を思いついたら会話のボールを投げ返す。
穏やかな夏空を流れる綿雲のようにゆったりと気ままなやりとりが、妙に心地よかった。
さらにしばらくして、夏の悪あがきも消え去って、寒風が目立ち始めた季節。夕焼けに切り取られた影法師が、自分の背丈の3倍ほどに見えるようになったころ。
「君の影ものっぺすとになってきたねぇ…」
と言う彼女の言についていけず、頭をひねっていた僕に。
「のっぽ、のっぱー、のっぺすと。」
なんて言う活用を笑いながら解説してくれたお姉さんがふと尋ねてきたことがある。
「少年ってほんと、会話のテンポが遅いよねぇ。」
その言葉に、僕は珍しく読んでいた本を閉じて、彼女の方に向き合うといつもより真剣にゆっくりと言の葉を紡ぎ始めた。
考えるのが人に比べて遅いこと。トントン拍子に進むテンポの速い会話が苦手なこと。そのせいで同級生とあまり話が合わないこと。それをからかわれて亀、なんて呼ばれていたこと。
振り始めの雨のように、ポツポツと弾かれる僕の言葉を、お姉さんは読んでいた雑誌を閉じて、真摯に聞いていてくれていた。
そして、僕から降り出す声遣の雨が止んだ後に、お姉さんはふと口を開いてこう言った。
「そういえば君の名前、聞いてなかったよね。教えてよ。」
話した内容とかけ離れた返答に少しもやっとしながらも、僕につけられた名を告げると
「とても速そうな名前なのに、亀なんてあだ名つけられるなんて。変なの。」
ところころと笑った。その笑い方はおじいちゃんとはあまりにていないのに、悪気がないことだけは同じようにしっかりと伝わってきて、僕は少し気恥ずかしくなって。
「足は速いんですよ。足は。」
と、的外れな言い訳をしておく。
その言い訳に、お姉さんはさらに笑い声を大きくする。しばらく経って
「ふう。久しぶりに気持ちよく笑ったわ。」と零すと。こほんと1つ咳払い。礼儀正しく居直ると
「人に名乗らせておいて、自分が名乗らないのはマナー違反ね。私は美先。美しく先んじると書いてみさきよ。みんなはサキって呼ぶわ。よろしくね。」
と片手を差し出して握手を求めてきた。この瞬間から、お姉さんはサキさんになった。
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