7 恋する乙女は分類する part2

「3つ、です。……どうです先輩、何か思いつきます?」


3本の指を突き立てて、私は先輩に問いかける。

先輩はまたぱちぱちと瞬いてから、にやっと口角を吊り上げた。


「その質問は何? 僕のこと、試してる?」

「いえ、別に深い意味はないんですけどね。というか試すも何も、一般論としての正解があるわけじゃなく、私がどう考えたか当てられますかって話だけですし。……ただ、一人でずーっと喋ってると、ちょっと寂しくなってくるんです。そろそろ先輩の声も聞かせてください」


ふぅん、と喉を鳴らして、先輩はストローに口をつける。

仰ぎ見れば、少し日が傾きかけて、空は夕焼け色に色づきかけていた。

今日の夕焼けはちょっぴりピンク色が強くて、先輩が咥えたいちご牛乳のパックと色がお揃いだ。

先輩はしばらくいちご牛乳を啜ってから、くいっと顎を上げて背を伸ばす。

「うーん……2つまでならぱっと思いつくんだけどね」

「その心は?」

先輩は、ぽんぽん、と自分の胸と、自分の頭を叩いて見せる。

「人が人を好きになるときの傾向っていうと……いわゆる恋愛話あるあるの、『外見』と『内面』の話かなって。言いかえると、『体』と『心』の分類」

「!」


それを聞いて、瞬時に、自分の目が輝いたのを感じた。

喉の奥から溢れてくる笑みが抑えきれなくて、頬を押さえつつ、くるくるとその場で回ってみる。

「……えへへへへへへ、ふふふふふ」

「…………どうしたの?」

「いや、好きな人と発想が被ってると、ちょっと嬉しいなーって。喜びの舞です。えへへへ」

自分でぺちぺちと両頬をたたいて心を落ち着かせつつ、私はおもむろにノートを捲った。


真っ白な紙の上に、昨晩考えに考えた頭の中身を、ひとつひとつ、文字として書き付けていく。


---------

【『私が好きな先輩』を考えるための3つの概念カテゴリ】


①からだ

=先輩の物理的な身体に紐付いた『先輩』概念。

例)顔、髪、指など


②こころ

=先輩の精神などに紐付いた『先輩』概念。

例)性格、精神、思考回路など


---------


「とりあえずおっしゃる通り、外見と内面……つまり『からだ』と『こころ』の概念を考えました! 3つのうち、2つはこれです!」

ばばん、とノートを開いて、勢いのまま、ぐるぐるーっと『からだ』と『こころ』の文字をピンクのペンで囲う。

「ここはまあ、王道ですよね!」

「うん。恋愛における外見と内面の話は、プラトンの時代から語られてきてる命題だからね」

「ぷらとん?」

先輩の口から、妙に愛らしい語感の単語が出てきた。響きが可愛い。

ただ、文脈的に、別にゆるキャラとか愛玩マスコットの類じゃないことは私でもわかる。


微妙に通じていない、ということが私の表情でわかったのか、先輩は僅かに小首をかしげた。

「……プラトン。倫理の授業とかで、最初の方に出てくる哲学者。知らない?」

「私理系選択なんで、倫理取ってないんですよねー……」


うちの学校は二年生の段階で理系と文系が分かれるが、倫理の授業があるのは文系クラスだけなのだ。

一応理系でも、大学受験で倫理の科目を使用することもできるらしいが、理系クラスで倫理が勉強したい場合は独学自習でなんとかするしかないため、基本的に誰も選ばない。

おかげで私は、倫理のりの字も知らない。


そっか、とつぶやいた先輩は、ごそごそと鞄を漁ってスマホを取り出した。

(一応、うちの学校は、授業中以外は携帯もスマホも普通に使ってよい)

検索フォームで「プラトン」と入力すると、すぐに百科事典サイトの記事が出てきた。


https://ja.wikipedia.org/wiki/プラトン


……目次からして、文字がいっぱいある。

「なんかいっぱい書いてありますね。……あの、なんか、レスリングとかレスラーとか書いてありますけど。プロレスラー?」

「まあ、レスラー云々は若いころの逸話として置いておいて」

先輩は概要の部分だけを簡単にスライドして見せて、途中で記事を閉じてしまった。

「今全部読む必要は、正直、ないと思う。プラトンに関しては、古代ギリシアの……つまりかなり昔の哲学者で、師弟であるソクラテス、アリストテレスと並んで西洋哲学の源流と呼ばれてる人だ、ってことだけ知ってれば、いいんじゃないかな。それ以上は、特別興味が出た時に改めて探りにいけばいいよ。情報が多すぎても混乱しちゃうから」

「なるほど。とりあえずなんか偉い人なんですねー……。あっ。じゃあとにかく私、『からだ』と『こころ』の部分に関しては、大昔のえらーい哲学者さんと同じ発想しちゃったってことですか!? 超かしこくないですか!?」

うきうき気分のままアピールすると、先輩は一瞬考え込むように首をかしげる。

次に先輩が口を開いたとき、少しだけ、いつもより表情が柔らかかった。


「まあ正確に言うと……現代の恋愛における言説は、意識的にか無意識的にかは別として、大体プラトンの著作に出てくる『恋愛において、外見と内面を分けて考える』思考をベースにしてるからね。いろいろ恋愛物語を読んできた君には、すでに、無意識のうちにそういうプラトンの発想が染みついているんじゃないかな。だとすると、君はプラトンと同じ発想をしたというよりは、プラトンの影響を受けて同じ発想を誘導されたといった方が正しいかもしれない」


……話している先輩は、どことなく、目がきらきらしている気がする。

これは先輩、話してて嬉しい、のかな?


それ自体は非常に喜ばしいことだが、問題が一つ。

高速に情報が行きかったせいで、私の頭の中はぷすぷすと煙を上げている。


「えっ……よくわからないけど、じゃあ私、別にかしこくないってことですか……?」

「いや、賢いよ」

一瞬また落ち込みかけた私に、先輩はくしゃっと破顔した。

「無意識的に事前に知識を得ていたとしても、それを傾向として認識して、言語化してるのは賢いことだと思う。頭の中でぼんやりと感じているのと、実際に他人に伝えられるように言葉にするのは全然違うから」

「……もう少し端的に言うと?」

「ん? ああ。賢いか賢くないかでいったら、君は賢いと思うよ、ってこと」


「……!! ほっ…………」

褒められた!!!……と口に出しそうになって、慌てて口を覆った。

それをこの場で誇示するのは、さすがにちょっと恥ずかしい気がする。

けど。

けど、けど……


褒められた褒められた褒められた褒められた!!!

頭の中、辺り一面にぶわっとピンク色の花びらが舞い散って、ついでに特大の花火が打ち上がった。

全部脳内の出来事だが、心象風景としては非常に正しい。

「……褒められました!! 私、先輩に褒められましたよ!!」

ああ、声に出てしまった。

いや、褒められてめっちゃうれしかったら、思わず自慢しちゃうよね。

たとえ脳みそお花畑と言われたって、これは自然な心理だと思う。

恥ずかしさより「この喜びを誰かと分かち合いたい」的な衝動が上回っただけである。


私は抑えきれない衝動を体から発散させながら、大きく両手を上げて飛び跳ねた。

さらに、それだけじゃ微妙に足りなくて、両手をぶんぶんと縦に振ってアピールもする。

「先輩! 聞いてください! 私、先輩に褒められたんですよー!!」

「……そうだね、褒めたね」

先輩は目をしぱしぱと瞬かせて、上半身ごと左に傾いた。

「そんなに嬉しい?」

「えー、もう、嬉しいに決まってるじゃないですか! 好きな人に褒められて、嬉しくない人間いませんよ! ふふ、うふふふふふ」

「そうなのか……」

私が抑えきれない笑み(本日二回目)にくるくる舞っている間、先輩は、左に傾いたまましばらく静止していたようだった。

先輩が何か真剣に考えているらしいと気が付いて、私は慌てて足を止める。

その瞬間、先輩の瞳が、まっすぐにこっちを向いた。瞳に夕焼け色が反射して、綺麗な桃色だ。

「……じゃあ、試しにちょっと褒めてみて?」


「へ?」

予想外の言葉に、今度は私が、ぱちぱちと目を瞬かせた。

先輩は一瞬わずかに首をかしげて、ああ、ともう一度言い直す。

「僕のこと、ちょっと褒めてみて」

いや、別に、聞き取れなかったとかではないのだけど。

でもまぁ、先輩の頼みを断る理由もないし、先輩を褒めるポイントなら大量にあるから、別に困りもしないのだけど。

なので、頷きながら、

「えっ、いいですけ……」

……と言いかけて、とあることに思い至った。

「あー………やっぱりだめです」

「え」

先輩の瞳孔がすっと開いて、みるみると眉尻も下がっていく。

極めて理不尽な出来事に行きあった、というような印象の顔である。


少し心が痛んだが、別に意地悪をしているわけではない。

これにはちゃんと理由がある。

「だってこう……私、これから『どんな先輩が好きか』を語ってくわけじゃないですか? でも、それって、結構褒めるポイントと被ると思うんですよね。だって、褒めるポイントって、好ましいと思ってるポイントとほぼ同じじゃないです? だとすると、今褒めちゃうと、先の話と被ってほぼネタバレになっちゃうじゃないですか? それはちょっと、考えを発表する側としてはいただけないって言うか.......」


先輩はしばらく無言になった。

無言になって、真顔になって、ぐーっと空を見上げて、

.......ぽつっと一言だけ呟いた。

「まあ、正論だ」

「そうですよね?」

「しかし、正論が人を不幸にすることもある」

「え?」

「いや、ただの独り言」

先輩は、ふいっと背を向けた。

その背中に何かを感じて、私の心の中がざわっと慌て始める。

「せ、先輩、もしかして今、不幸になったってことですか? さっきの私の正論で?」

「..................」

先輩は無言のままだが、無言の後頭部から、なにかオーラが出ている気がする。

そよそよと春風にそよぐ柔らかい髪の奥から、こう、もやもやとした何かがあふれている気がする。

背景の、夕焼けを通り越して暮れ始めた空のように、底の方から、暗紫色のオーラが立ち上っている。

「先輩、あの、もしかして怒ってます?」

「怒ってない」

「怒ってなくても、こう、どことなーく急に不機嫌に……」

「怒ってない」

先輩は、不意にこちらを向いた。

しらっとした顔はいつも通りに見えるが、なんとなく、眉間のあたりが険しい気がする。

「そ……そこまで怒るなら、やっぱり今褒めようかなーっと」

内心あわあわと動揺しながら、慌てている様子を見せるともっと怒らせるような気がして、私は努めて明るく声を上げた。

が、先輩はぷいっと目を背けると、そのまますとんとフェンス際に腰を下ろした。

私が握ったままだったノートを極めて自然に受け取ると、『からだ』『こころ』と書かれた文字を、とんとんと指で打つ。

「別に、だから、怒ってない。褒めなくていいよ。話続けて」

「いや、褒めますって」

「褒めなくていい。話、続けて」

「ほわー……」


あの。ぜーったい、怒ってる。


これはあくまで持論だが、好きな人に褒められてうれしくないのと同じように、好きな人が怒っていて慌てない人間もいないのだ。特に、片思いの時は。

うぐう、と打ちのめされそうになる心を堪えつつ、私は自分を奮い立たせ、しっかりと拳を握って。


──ちょっとあふれ出てくる笑みが抑えられなくて、思わず声に出してしまった。

「えへへへへへへ、うふふふ」

「………今の、笑うところあった?」

先輩は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔して、少し首をかしげる。

「ありましたよぅ」

だっていずれにせよ、内心若干慌ててはいても、私はちょっと嬉しいのだ。

「だって、さっきの先輩の言い方だと、たとえちょっぴり怒ってても、私との話は切り上げたくないってことじゃないですか」


……一瞬目を見開きつつ。

ぷすっといちご牛乳のパックを握りつぶして、先輩は唇を少しとがらせた。

「……だから、怒ってないって」

「はーい」

ゆるんだ頬に笑みを押し込めつつ、私は先輩から、改めてノートを預かった。

「ではリクエスト通り、再度の閑話休題、本題再開といたしましょう!」

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