4 恋する乙女は要件定義したい

さて。

そういうわけで、今私と先輩の間には、3パックのいちご牛乳が鎮座している。


膝を揃えてしゃがみこんだ先輩は、じっといちご牛乳たちを見つめてから、私を見上げて首を傾げた。だんだんと分かってきたのだが、どうやら先輩は、なにか思うところがあると左側に首を傾げるのが癖らしい。

「どうして3つあるの?」

「あっ気づかれちゃった、恥ずかしいなぁー。いえ、最初、先輩用と私用って思って2つだけ昼休みに買ったんですけど、放課後まで数時間あるって忘れてて、すっかり常温でぬるくなっちゃって。流石に先輩にぬるいいちご牛乳渡すのどうかなぁーと思って、さっきもう1個追加で買ったんですよ。でもよくよく考えたら、先輩が常温派じゃない保証なくない?って気づいちゃって、めっちゃ悩んで、こう」

「……つまり?」

「先輩が、ぬるいいちご牛乳とぬるいいちご牛乳と冷たいいちご牛乳、どれが好きかわからなかったので、3つ全部並べておきました!」

「ぬるいいちご牛乳2つの間に違いがないなら、ぬるいのと冷たいの2つ並べとくだけでいいんじゃないかな?」

「いえ! 実は手前のぬるいいちご牛乳の方、さっきまで私が握りしめてたので若干人肌であったまってるんです。なので、ぬるさにも違いが」

先輩は私が言い終わる前に、無言で冷たいいちご牛乳を取った。

なるほど、先輩は冷たいいちご牛乳派か。覚えておこう。

「あっ、一応言っておくと、衛生的にはどっちも大丈夫ですよ先輩! ◯治のいちご牛乳は常温保存可能商品です!!」

「うん……。まあ、気分の問題だから……」

「なるほど! ……なるほど?」

「それで、ご用件は?」

いちご牛乳のパックにストローを刺しながら、先輩はこちらを見上げる。淡い色の髪に、いちご牛乳のピンクが映える。

「まさか、いちご牛乳を渡すために呼び出したわけではないでしょう?」

先輩の言葉を受けて、私もいそいそとしゃがみこんだ。顔を合わせる。

よし、会話の助走開始だ。


「昨日の件なんですけどー……」

先輩は「昨日の」という単語を聞いた時点で、ちょっと眉尻を下げた。

「……。僕の返答は、昨日と変わらないよ」

「あっ、よかった」

「よかった?」

「気が変わってたらどうしようかって、ちょっと心配だったんです」

昨日の今日で先輩の気が変わって、「どんな理由があろうがお前とはもう二度と話したくないんだー!」などと言われてしまったらどうしようもないのだ。色々準備してきたものを披露する場もなく雑に処刑されるのは、ちょっとメンタルによろしくない。だったら昨日フラれてたほうがよかったのに、って話になるじゃない?

「…………」

先輩は、眉尻を下げたまま、じーっとこちらを眺めている。何かを探られている感じがするが、残念ながら、私には探られるような腹はない。昨日好きだって言っちゃったし、もう下心もクソもないのである。

間近で見る先輩の顔にちょっとドキドキしながら、私は、内緒話をするように口もとに両手を添える。

「あのですね。自分で、昨日の答えを整理してきたんです」

「整理?」

「私が好きな『貴方」はどれなのか、先輩を私の好きな『先輩』たらしめているものはなにかって」

先輩は、それを聞いて、またちょっと首を傾げた。

沈黙。


それから数秒経ってから、私の方を向いたまま、先輩は急に立ち上がった。目を大きく見開いて、なんだか、凄く驚いているように見える。

私の方も、それを見て驚いた。思わず自分も立ち上がって自分の背後を確認したが、特に変わった様子のものは見当たらない。

「ど、どうしたんですか。何かありました?」

「…………いや」

先輩は、どこかぼうっとした風に遠くを見ながら呟いて、ゆるゆると首を振った。

どこを見ているんだろう、と瞳をちらりと覗き込んでみても、そこには、私の背後のフェンスと青空しか映っていない。

先輩は首を振り終わった後、一瞬沈黙してから、口を開く。

「僕が言ったこと、ちゃんと考えてくれたんだ、って思って」

「えっ、考えろってことじゃなかったんですか」

一般的に考えて、『答えが出たらもう一度教えて』というのは『答えを考えてきて』ということではないのだろうか。

「ふふ、……いや。うん、うん」

先輩はまだぼうっとしたような表情をしながら、少しだけ口を綻ばせて、

「ごめん、続けて」

と、そのままの表情で、囁くように言った。


それが、なんとなく今まで見たことがない表情のように思えて、私はきょとんと眺めてしまう。

先輩はそれに気づいてか気づかないでか、少し目をそらして、「続けて」と再度繰り返した。

「君の話をもう少し聞きたい」


その声に、私の胸はどくんと跳ね上がる。

この時点で、私の胸は、授業での課題発表の直前のように、最高潮のドキドキを始めた。恋のドキドキと言うより、もはやそっちのドキドキである。

言わばここが恋路の関ヶ原であり、私の心はいざ伏見に攻め込まんとする西軍の......いや、緊張しすぎて、だんだん自分が何言ってるかよくわからなくなってきたな。

ふう、と息を吐く。先輩は、それを真顔でじっと眺めている。私は眺められている。

見上げた、フェンス越しの空が、相変わらず青い。

……深呼吸。うん、とにかく始めよう。


先輩の足元にまっさらなノートを広げて、線を引く。一画一画刻み付けるように、紙面いっぱいにはみ出さんばかりに書く。

先輩は首を傾げながら、ノートを覗き込んだ。

「これは?」

「ノートです。……えっと、今日は書きながら話そうと思って、図解用に新しいノート買ってきたんです。準備バッチリですよ」

「そっか、図解か。その方がわかりやすいから?」

「それもあるんですけどー.......」

私はいったん手を止めて、先輩を見つめながら、あえてちょっとドヤ顔をしてみせた。

「図とかあった方が盛り上がるじゃないですか、こういうの」

「.............そう?」

「そうですよ。盛り上がりますし、こういう盛り上がりって大事ですって」

気分というものを馬鹿にしてはいけない。

時折、物理的合理性を盾にして、人の気分やら感情やらを無視する行動を合理的だと嘯く輩も存在するが、気分や感情という「確実にそこに存在するし、人の行動の結果に影響を与えうるもの」を無視して行う短絡的な行動は、本当の意味では合理的たりえない。本当の意味で合理的な行動をとりたいのであれば、関わる人間の気分も感情も計算に入れて勘定するべきである.......と、私は常々思っている。

というわけで、私は今にも緊張でへこたれそうな自分のモチベーションをアップすべく、視覚的な盛り上がりに頼ることにしたのである。

先輩にはそこまで説明しないけれど。恥ずかしいから。

「.......ふーん?」

先輩は納得したのかしなかったのか、語尾に疑問符を浮かべつつも、きっちりと頷いた。

「で、これは?」

「今回我々が語り合うべき、大前提の事実です」

私はノートを拾い上げて、先輩の目の前にででんと広げて見せた。


目の前のノートの見開きには、「私は先輩が好き」と大書してある。

我ながら堂々とした良い字だ。


先輩は、ふむ、と小さく首を傾げた。

ちらり、と先輩の顔を伺う私の様子など歯牙にもかけず、それ以外は特にノーコメントである。

……私は落ち込んだ。ほんのちょっぴり、猫の毛先ほどちょっぴり、先輩がこの大書を見てはにかんだり照れたりしてくれないかなーと期待していたので、若干、ほんとに若干、落ち込んだ。

直接告白しての反応があれだったので、想像はしていたが、全く照れる様子なく真顔で返されるのはちょっと堪える。

とはいえ、ある意味想定内なので。私はこほんと咳払いをして、気を取り直した。

これから、これからだ。


広げたノートの文章をペンで指し、しゃっしゃっと二重線を引く。

「今日はこの、『私は先輩が好き』を証明するために」

話しながら、文字列の中の『先輩』という単語を水色のペンでぐるぐる囲う。

「この『先輩』という部分を、私なりに解釈して、定義します」

「うん」

「つまり、私が思ってる先輩ってこういうのだよーっていうのを、きっちり固めて、文章化して、伝えます。なぜかと言うと、それが昨日先輩から出された私の宿題だからです」

「……うん」

先輩は、確認するように小さく頷く。私も、それを確認する。


私はそこで、パタンとノートを閉じた。

勢いをつけすぎたのか、風圧で、ふわっと前髪が跳ね上がる。

先輩はぱちぱちと瞬きをして、首をかしげた。

「どうして閉じたの?」

「実際にこの定義に入る前に、ちょっと合意をとっておきたいことがありまして」

「合意?」

「とーっても大事な合意です」

私は、置いてあったいちご牛乳を拾い上げて、一口飲む。

甘さで口を潤してから、息とともに言葉を吐き出した。

「……先輩、私達がなんでここにいるのか覚えてます?」

「……。君が言う『先輩』というものを定義するため?」

「惜しい。惜しいけど、それは手段です」

正確には、それは大目標を達成するための小目標である。私はもっと重大な目標のためにここにいる。

「じゃあ、君が、『私は先輩が好き』を証明するため?」

「あー、うーん、惜しいです。ものすごい近づいたんですけど、そのものずばりじゃないです」

それは大目標を達成するための中目標である。近づいてるが、それを目的だと混同されると私は困る。


私はもう一度息を吐いた。今度は無言で。

そして、このタイミングで合意を取るのは正しかったな、と自分の慧眼に1人で感服した。若干様子が怪しいとは思っていたが、確認しておいて本当に良かった。

どうやら先輩にとっては、恋する乙女的には常識なことも、常識だと認識していないらしい。

私は先輩をまっすぐに見て、注意をひくためにぴっと人差し指を立てる。

アテンションプリーズ。


「……少なくとも、私がここにいるのは、先輩に告白の返事をもらうためですよ!!」

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