二十二段 今様は、無下にいやしく
【徒然草 二十二段 原文】
何事も、古き世のみぞ
【本文】
三学期も残り僅かとなり、二年生の国語の授業も全ての範囲が終わった。
吉中では生徒達に提出して貰った課題の作文や詩、俳句の秀でた物を国語担当教師総出で選出し、年度末にそれを一冊の文集にまとめ「飛翔」というタイトルをつけて配付している。
年度最後の国語の授業では毎年この「飛翔」を皆に配り、落丁乱丁のチェックをして貰う時間としていた。
この日は二年四組の最後の国語の授業。気合いを入れるでもなく、かと言って力を抜きすぎるでもなく、いつも通り、そう、いつも通りの授業をしよう、そう思って教室の扉を開けた。
『徒然ww 二十二段 今様は、無下にいやしく』
飛翔を皆に配り、生徒達はそれぞれページを開いていく。
「一応国語教師全員でチェックして文法の誤りや誤字はこちらで訂正した。でも抜けがあるかもしれない。気が付いたら遠慮なく言ってくれ」
うちのクラスからも望月の生活作文や、稲葉の立志ウォークの感想文を載せさせて貰った。特に稲葉は今年度の国語のテスト全部満点という国語モンスターだ。表現や言い回しが絶妙で小説なんかも書いているらしく、もうすぐ処女作が完成するから読んで欲しいと頼まれている。俺も稲葉の書く作品をとても楽しみにしていた。
「先生、
自由に読む時間を与え、しばらくして学級委員の岩崎が手を挙げた。超がつくほど真面目な岩崎はこういう時も真剣にチェックをして打ち上げてくれる、教師にとっても頼もしい存在である。
「稲葉の? えっと、どこかな?」
稲葉の作品は何回も読んだ上で手直しの必要は無かった。俺だけじゃなく他学年の国語の先生方にも絶賛された程だ。「
「三番目の段落の二行目、『役者不足』とありますが、これは誤用です」
「ああ、それは誤用じゃないと思ったからそのままにした」
その箇所の一文はこう書かれていた。
――社会の舞台に立つにはまだまだ今の僕じゃ役者不足だろう――
「そんな言葉はありません。辞書に役者不足なんて載っていません」
確かに役者不足という言葉は辞書にはない。
「うん、えーと、誰がいいかな……中根。この役者不足って言葉、意味わかるか?」
「私? はい、えっと、前の文脈から判断すると、今の自分ではこの役を演じるのに相応しくない、という意味だと思います」
反対に、自分の能力だともっといい役がやれるのに、という場合には「役不足」という言葉を使う。こちらは辞書にも載っている。
「ありがとう。先生もそう思った。確かに辞書には無いが、造語として十分に意味がわかる言葉だったからそのままにしたんだ。稲葉、書き手としてはそういう意味で良かったか?」
「あ、はい。中根さんの言った通りの意味で使いました。力不足と書くより役不足の対義語であるかのように役者不足ってした方がより人生を舞台に見立てて読んでくれるかなあと思って」
稲葉も真面目な生徒だが、頭は柔軟だ。岩崎は若干硬い。だけど悪い事じゃない。
「これがテストで、例えば○○という熟語を用いて例文を作りなさい、っていう問題の解答にこの文を書いたらバツにするよ。でも、今回の場合は作品の中の表現だ。読者に伝わったら正義だ」
ちなみにこの役者不足、何十年も連載を続けている人気バトル漫画でも見た事がある。世間に浸透しているかはわからないが、感覚的に受け入れやすい言葉なのだと思う。
「それでも、一部の人、特に年配の人には受け入れられないと思います。出来るだけわかりやすい文章を書くべきだと俺は思います」
今ではインターネットの普及で
兄もぼやいていた。兄の勤めている自動車部品メーカーに入社してくる若い人達の傾向として、教えた事は完璧に出来る人が多いがそれをベースにして自分から仕事の幅を広げるのが苦手な人が多く感じると言う。
「勿論そういう見方もある。でもな、乱暴な言い方をするけど、ジジイなんて放っておけばいいんだ」
俺の言葉に岩崎だけじゃない、稲葉さえも目を剥いて驚いた表情をした。
表現を追求した文章ってのは芸術だ。芸術にとって古い感性は邪魔になることが多い。
「岩崎さ、マジとかヤバいとか普通に使うだろ?」
「はい、使います」
「じゃあ問題だ」
カッカッとチョークを滑らせて例文を書く。
――ヤバいビビった~! マジムカつくんですけど~?――
「ヤバいビビった~! マジムカつくんですけど~?」
ギャルの気分になって身体をくねらせて例文を読み上げた。生徒数人から笑い声が漏れて、そこでようやく岩崎の表情も弛んだ。
「問題です。この文の中で若者言葉はどれでしょう?」
生徒達は相談し合ったり思い思いに考えを口にしたり、教室が少しザワザワし出す。でも皆答えは一緒の様だった。ま、こんなの誰もが同じ風に思うだろう。
「正解はな、一つも含まれていない、だ」
「はあ? 全部若者言葉じゃないの?」
近藤が異を唱えるが、残念、不正解だ。
「ビビるは鎌倉時代から、他の三つ、ヤバい、マジ、ムカつくは江戸時代からある言葉だ。語感だけで若者言葉だと思ってるジジイはただ不勉強なだけだ」
昔、鎧同士が接触するとビンビンという音が鳴り、それをビビると言ったそうだ。源平の戦いでは鳥の羽ばたきをこのビビった音と勘違いし大勢の敵が攻めてくると思い戦わずに退却した。その事から今のビビるという意味として使われる様になったという。
「昔からある言葉でもそういう勘違いが多々ある。言葉ってのは時代と共に生まれ、揉まれて、淘汰されていくもんだ。そして新しい言葉を産み出すのはいつだって若い感性だ。ここにいる皆だ」
ちょっと前まではネットの世界でしか使われなかった言葉も普通に市民権を得ている物は沢山ある。
「確かに役者不足なんて言葉はない。正しくない。だけど、決して間違ってはいない。世の中はこういう正しくないけど間違いじゃない事で溢れてる。それを目の前にした時、取捨選択するのは自分の裁量だ。否定するのもいい。だけど、受け入れる余地があるか、少しだけ検討して欲しいなと俺は思う」
こと文学においてやっちゃいけないなんて事は無い。色んな可能性を受け入れて、面白さや美しさを追い掛ける寛容さが何より大事だ。
「ただ、TPOも大切だ。岩崎の言った通り伝わらなくちゃ意味がない。稲葉も勉強になったと思う。指摘してくれてありがとうな岩崎」
「いえ、こちらこそ勉強になりました。ありがとうございました」
岩崎も頭のいい子だ。悪く捉えずに俺の伝えたい事をわかってくれたようで一安心。
「ん? もうこんな時間か。皆に来年の受験の事をさらっと説明したくてな。昨日家のパソコンで資料を作ったんだ。見て欲しい」
来年度になったら改めて受験の説明をするが、春休みに入る前に少しだけでも心の準備をして欲しかった。家から持ってきたパソコンを取りだし、プロジェクタを立ち上げて黒板前に引き出したスクリーンに映し出す。
あ、そう言えば昨日は資料作ってからパソコンのメールアプリで抄子ちゃんとビテオ通話したんだった。昨日通話を終えたままのアプリの画面がそのまま、抄子ちゃんとのメールのやり取りがスクリーンに映し出された。
「え? 何これ?」
「抄子ママにバブみを感じてオギャりんぐ……?」
「もうボクちんねむねむなの。ナデナデして~ナデナデしてよぉ~……?」
「ちゅきぃ♡ ちょこたんママだいちゅきぃ♡ ってトベ先生さあ。プ、ププ……」
スクリーンに映し出される「
「――! ち、違うの! これは新作の小説で……」
慌ててアプリを消して画面を切り替えるが後の祭り。生徒の誰もが同じ風に思った事だろう。
先ず
「「アハハハハハハハ!!!」」
それから終業式まで二年四組では兼ちゃん語が大流行してしまったのである。アーメン。
【徒然草 二十二段 現代訳文】
どんな事でも古き良き時代への憧れという物は積もるばかりだ。古きへの敬意も忘れ、流行りの物をひたすらに追い掛ける姿はみっともない。
稀代の名工が作るお椀でさえ、センシングな物より伝統的なスタイルの物の方がより魅力的に見える。
手紙だって、ただのチラシであっても昔の物なら素晴らしく見える。
話す言葉だって、時代と共に汚くなってしまった。昔は「車を準備せよ」、「かがり火を焚け」と丁寧に言っていたのに今では「はいはい準備準備」とか「火ぃ付けろや」などと品性の欠片もない。宮中での夜の仕事の始まりでも「係の皆様、灯りを点してください」と言うべき所を「照明ー! 仕事ー!」などと言い、
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