百六十五段 吾妻の人、都の人、

【徒然草 百六十五段 原文】


 吾妻あづまの人の、みやこの人にまじはり、都の人の、吾妻に行きて身を立て、また、本寺・本山を離れぬる、顕密けんみつの僧、すべて、我が俗にあらずして人に交はれる、見ぐるし。




【本文】


 頑張るも頑張らないも、その人の自由だ。

 勿論、歯をくいしばって頑張れるのなら頑張って欲しい。でも、本当に辛いのなら逃げるのも否定しない。


 頑張れ。と、頑張るな。


 生徒が挫折して思い悩んでいる場合、どちらの言葉を掛けるのが正解なのだろう。

 教師にとって生徒達一人一人が特別な様に、彼らにとっての俺も特別な存在ものだろう。俺の言葉には責任が伴う。生徒を縛りつける鎖になってしまうかもしれない。

 滅多な事は言えない。

 それでも、教師は道を示してあげなければならない。

 生徒達が傷つき悩んだ時、俺はどんな言葉をかけてあげられるのだろう。



『徒然ww 百六十五段 吾妻の人、都の人、』



 ある日の放課後、部室に向かおうとしたら教頭先生から内線の電話。

 二年四組うちのクラスの持田の母親から俺への外線の取り次ぎのしらせだった。内線を外線に切り替え、咳払いを一つして声色を正す。


「お電話代わりました、担任の卜部です。お世話になっております」


 持田直樹もちだなおきはサッカーJリーグのユースチームの選抜選手だ。毎日放課後には練習の為、母親が迎えに来て隣のT市へと通っている。今までも数回、お母さんの都合が悪くなって迎えに来られなくなったという連絡が来て持田に伝えることがあったのだが、今回はそうじゃなかった。


「チームを辞めた?」


 なんでも、新しくチームに加入した選手に今までのポジションを取られ、それでふて腐れてしまったようだ。本人はもうやる気がなく辞めると言っているそうだが、とりあえずチームの方にはしばらく休むと伝えてあるらしい。


「わかりました。本人やサッカー部の先生と今後どうするか相談します。いえ、元々うちの部員ですから」


 うちの学校は全員何らかの部活に入らなければならない。しかし持田の様に事情がある生徒は名前だけ筋トレ部兼ダイエット部かコンピューター部に籍を置いている。運動が出来る子は俺の部に入る事が多い。

 電話を切り、教頭先生に報告だけして部室へと向かう。

 部室では持田が奥田にマシンの使い方を教えて貰っていた。


「持田」


「あ、トベ先生。これからよろしく」


 これからよろしくじゃねえよ。つまづいて、自信を失って練習に行きたくないのはわかる。でもそれを親から言わせるんじゃない。今日一日いつでも俺に相談する時間はあったはずだ。


「ちょっと来い持田。奥田、少し離れるから適当にやっておいてくれ。いつも通り、無理はしないでな」


 奥田に部活を任せ、持田と共に部室の外へ出る。

 

「持田、社会人になったら一番必要なのは連絡する事だ」


 兄が働いている自動車メーカーでは、事情の無い無断欠勤をしてしまうと即クビだ。事故や病気等の際は仕方ないと思うが、やる気が起きなくてサボるにしても、理由は仮病でもいいから連絡は絶対にしなければならない。


「今はお母さんに連絡を頼んでおけばそれでいいかもしれないけど、社会に出たらそれじゃ通用しないからな」


 まだ中学生だけど、俺はこういう機会には社会に出た時の事を想定して教育する様にしている。

 早めにそういう意識を持つ事が社会に出てから大きなアドバンテージになると俺は考えている。


「う……ごめんなさい。かっこ悪くて言いづらくて」


「それに俺はエスパーじゃない。チームの練習に行かないのはわかったけど、持田自身がこれからどうしたいのか、直接話してくれなければわからないからな」


 自分の気持ちを伝えないのは損だ。やりたくもない事を我慢してやる必要はない。だから代弁して貰うより自分で連絡するべきだ。


「で、持田は筋トレ部でいいのか?」


 持田には才能がある。腐らずにチームに戻ってポジションを取り返してやれ、と言いたい気持ちもあるが、無理に追い込む事もない。少し休憩する時間も必要だろう。


「サ、サッカー部に入れてくれるなら入りたい……けど」


 チームに戻る事を考えるなら、俺の所で筋トレするよりサッカー部でボールに触れていた方がいいだろう。サッカー部にとってもいい刺激になる。

 

「けど?」


 持田は俯いて力の無い声で答えた。


「チームに入る事が決まってサッカー部を辞める時にさ、皆に酷い事を言っちゃったんだ」


 持田は最初サッカー部だった。一年生の冬にクラブチームの目に留まりサッカー部を辞めて筋トレ部に入ったのだ。

 その時に「俺はお前らとは格が違う」とか、「中学の部活なんて遊び」だなんて暴言を吐いてしまったらしい。


「プロの人に誉められて俺、調子に乗ってたんだ。本当に馬鹿だったと思ってる」


 それでも、サッカー部の近藤とはいつも一緒にいる程に仲が良い。


「実は明憲あきのりにもあの時の事謝ってないんだ。なのにアイツ二年で一緒のクラスになったら話し掛けてくれて、嬉しかった。だから、この機会にサッカー部の皆にも謝りたいんだ」


 俺にも経験があるが、かの日の傲慢は後悔となって抜けないトゲの様に胸をチクチクと刺す。精算するには真摯に頭を下げるしかない。


「わかった。今からグラウンドに行こう。俺もついていくから」






「あの時は本当にごめん! 俺が悪かった。許してくれとは言わないけど、雑用からでいいからもう一度サッカー部に入れて欲しい」


 グラウンドの真ん中で持田は土下座をした。サッカー部員達を前に額を土に押し付けて声を張り上げた。


「という訳で、直樹がサッカー部に戻ってくる事になった。皆も色々思う所はあるかもしれないけど、本人もこうして謝っているし仲間として迎えようと思う」


 キャプテンの林が持田を受け入れると他の部員に向けて話した。頭を地面につけたまま持田は謝罪の言葉を口にする。

 

「三年生の先輩達にも、今日全員に謝ってきた。悪いのは俺なのに先輩達は頑張れって言ってくれて、本当に俺は最低な事をした。ごめんなさい」


 朝から三年生の教室を回っていて俺に相談する時間がなかったようだ。これからの話をするには過去のけじめをつけてから、そう持田は考えて、俺への連絡を後回しにした。なんだよ、そんな事全然知らなくて偉そうに持田を叱ってしまった。俺も後で持田に頭を下げよう。


「直樹は雑用からとか言ってるけど、そんな勿体無い事をするつもりない。一年生も持田に色々教えて貰ってくれ」


 林が手を差し伸べて持田を起き上がらせる。無事にサッカー部に受け入れられると思ったが、一番の親友がそれを認めなかった。


「直樹が入るなら俺はサッカー部をやめるぜ。今更謝られても俺は許せない。こいつとは一緒にプレー出来ない」


 意外だった。持田と近藤は俺から見ても羨ましくなるくらい仲が良かったから、近藤は両手もろてを挙げて持田の復帰に賛成すると思っていた。


「明憲ごめん。もうあんな事は言わないし、サッカー部の為に頑張るから」


「明憲、直樹が入ってくれたらうちのチームだって強くなるよ。県大会だって夢じゃない」


 持田はもう一度頭を下げ、林も彼を擁護する。

 しかし、近藤はかたくなだった。


「宗一郎、キャプテンならこいつ抜きでも県大会に行くんだって言ってくれよ。とにかく、俺は認めない。こいつには筋トレ部がお似合いだよ。だってクラブチームから逃げ出して来たんだぜ。そんな根性の無い奴とやれる訳ねーだろ」


「……に、逃げてなんかいない」


 持田はそう反論するが、実際逃げてきたようなものだ。その言葉も弱々しい。悔しそうに唇を噛んだ。


「いーや、お前は弱虫だ。ちょっと上手くいかなかったぐらいで尻尾まいて逃げ出すチキン野郎だよ」


 更に罵声を浴びせる。仲が良いと思っていたが、一年前の暴言を根に持っていたのだろうか。


「何だって? 俺より下手な癖に」


「止めろ二人とも。直樹も前と同じ事を繰り返すんじゃない」


 林が間に入って諫めるが、険悪な雰囲気が漂う。しょうがない、俺が仲裁するしかないようだ。

 パンッ! と手を叩いて俺に注目させる。


「よし、じゃあこうしよう。サッカー部員らしくサッカーで勝負をつけようじゃないか。林と近藤の二人を相手にして、ボールを取られたら持田の負け、その場合は筋トレ部のままだ。逆にボールを取られなかったら持田の好きにしていい。どうだ?」


「いいよそれで。直樹もいいだろ?」


 近藤は即答する。


「上等じゃんか。俺に敵うと思ってんのかよ」


「はあ、やれやれ。それで二人の気がすむなら付き合うけどさ」


 俺は網の籠からサッカーボールを一つ掴んで持田に投げてやった。胸でトラップしてそのままリフティングする。

 上手いものだ。ボールを見もしないで足の甲や膝でポンポンと地面に落とすことなく蹴り続けていく。一年生からは歓声があがった。


「ボーッとしてないでかかってこいよ」


 その言葉を合図に林と近藤、二人きりでボールを取りに行くが、林の股の間にボールを通してあっさりと抜いた。


「クソッ、もう一回だ!」


「何回でも気がすむまでやってやるよ」


 再び二人掛かりで向かっていくが、突然フッとボールが消えた。どうやら踵にボールを乗せて背中越しに蹴り上げたようだ。ボールを見失い狼狽うろたえる二人の間をスッと縫って、通りすぎた後に頭上を飛び越したボールが持田の足元に落ちてきた。


 レベルが違いすぎる。本当に持田はプロの卵なんだ。

 それから何回も林と近藤はボールを取りにぶつかっていくが、その度に持田に軽くあしらわれ、やがて息を切らし肩を上下させた。


「ハアハア……クソッ。俺の負けだ」


 近藤は座り込み、自らの負けを認める。それでも、親友の復帰を認めなかった。


「なあ直樹、わかっただろ? 俺達とお前じゃ格が違うんだよ。お前のプレーと比べたら部活なんてお遊びなんだ。直樹は俺の誇りなんだよ。腐ってなんか欲しくないんだ」


「あ、明憲?」


「お前は天才だ。だから戻れよ。クラブチームに戻ってポジションだって取り返してみせろよ! お前のファン第一号を失望させないでくれ!」


 サッカー部への復帰を認めないのは全て持田を思っての事。さっきの暴言も持田に夢を諦めて欲しくない一心から。


「明憲の言う通りかもね。僕もそう思うよ。確かに直樹はこんなとこにいるべきじゃない」


 林の言葉に他の部員達もそうだそうだと口を揃える。


「だってさ。どうする持田?」


「お、俺は、皆の事を信じたい。明憲が天才だと言ってくれるなら、その言葉を本当にするために頑張りたい」


 決まりだ。スマホを取り出して持田の家に電話を掛ける。母親に迎えに来て貰うように頼んだ。


「お母さん、すぐに迎えに来るってさ」


「いいの先生? 俺、勝負に勝ったのに筋トレ部のままで」


「何言ってんだお前。持田が負けたら筋トレ部のまま。持田が勝ったら好きにしていい・・・・・・・って言ったんだぜ俺は」


 教師卜部をなめるんじゃないぞ。生徒の本当の気持ちだってお見通しなのだ。


「プッ、敵わないなあ先生には。みんなありがと。俺、もう一度頑張ってくるよ」


 持田の決意に、近藤は無言で手を挙げた。パンッと小気味良い音を立ててハイタッチする。この二人は相変わらず仲が良い。


 時には頑張らない事も重要だ。社会人でも学生でも、辛いときは逃げるべきだ。だけど、やっぱり、諦めずに立ち向かう姿はかっこいい。


 しばらくして持田の母親から正門に着いたとの電話。


「持田、お母さん着いたって」


「はい。じゃあ行ってきます」


 晴れ晴れとした顔でグラウンドを後にする持田に目一杯のエールを贈る。


「持田! 頑張れ!」


 ビッと親指を立てて応えるその背中に、俺には未来の日本代表選手のユニフォームが見えた。




【徒然草 百六十五段 現代訳】


 鎌倉や江戸の田舎者が京都の人の中に入っていったり、京都の人間が鎌倉や江戸に行って出世したり、はたまた僧が自分の寺や山を飛び出して信仰を見失い俗世にまみれているのは実にみっともない事だ。


※吾妻=あづま




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