三十一段 雪のおもしろう降りたりし朝
【徒然草 三十一段 原文】
雪のおもしろう降りたりし
今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
【本文】
くるりと回って、スカートがふわり。
「どうかな? 変じゃない?」
ボロい団地の狭い玄関で開かれたファッションショー。
もう十何年も前の事だ。
俺、兄貴、オカンの三人の観客を前に、真新しいセーラー服に身を包んだ従姉妹はご機嫌だった。
従姉妹の雪子姉ちゃんはオカンの姉夫婦の一人娘で、俺の二つ年上。姉ちゃんの所は共働きで家を空けている事が多く、よく我が家に遊びに来ていた。その日も中学の入学式を控え、よほど制服が嬉しいのかセーラー服を着て見せびらかしにやって来たのだ。
背が伸びるのを見越してか、制服は少し大きめだったけどよく似合っていた。
「綺麗よ雪ちゃん」
「うん可愛い。ちょっとぶかぶかだけど、すぐにちょうどよくなるよ」
オカンと兄貴は口々に誉めるが、俺はだんまりのまま。
「兼好は? 何か言ってくれないの?」
高校生の兄貴と違ってまだ
それに、セーラー服姿の従姉妹がやけに大人っぽくて、知らない人みたいで、綺麗で、言葉が出てこなかったんだ。
「……似合ってなくても着ていかなきゃいけないんだろ? イテッ!」
ぶっきらぼうに答える俺にオカンが拳骨を落とした。自分の子供が二人とも男だからか、オカンはこの姪っ子にはめっぽう甘い。
「気の利かない子ねっ! いいかい兼好、女の子が新しい服を着てきた時は真っ先に誉める! わかった?」
今思えば俺がキザなのはオカンの教育の賜物だろう。
「……に、似合ってるよ雪子姉ちゃん」
「ほんと? ふふっ、ありがと。」
俺の言葉に姉ちゃんは嬉しそうに表情を崩した。
くるりと回って、スカートがひらり。
「じゃーん! カワイイでしょ? 制服で学校決めたんだ!」
三年後、今度は真新しいブレザーの制服を着て狭い玄関でくるんと一回転した。
中学の頃よりもかなり短くなったチェック柄のスカートは、遠心力で持ち上げられて下着が見えそうでドキドキした。
「可愛いよ。制服だけじゃなくて、姉ちゃんも」
この頃には俺もすんなり女の子を誉められるようになっていたりして。
それに、雪子姉ちゃんに対しては社交辞令とかお世辞じゃなく本心だ。以前にも増して大人びて、名前の通り雪の様に真っ白な肌に濃紺のブレザーがよく映えて本当に可愛いと思った。だからそのまま言えた。だから胸がキュッと締め付けられた。
それはクラスメイトには抱いた事のない想い。青春と呼ぶにはまだ少し早い、青づく前の、淡い水色の感情。
「嬉しい! ありがとう兼好!」
前と同じ様に嬉しそうに笑う。こんな事で雪子姉ちゃんの笑顔が見れるなら安いもんだ。
そう思ったのに。
くるりと回って、かんざしがキラリ。
「ど、どうかな? アイツ喜んでくれるかな?」
更に二年後の夏。
白地に赤の椿が散りばめられた浴衣を着て恥ずかしそうに聞いてきた。
「綺麗よ雪ちゃん」
「うん。その浴衣すっごく可愛いよ」
オカンと兄貴は口々に誉めるが俺はだんまりのまま。
「えへへ。アイツがね、私には赤い花が合うって言ってくれたからこの浴衣にしてみたんだ」
そんなの、俺だって思ってた。真っ白な雪子姉ちゃんには赤が似合うんだ。そんなことずっと前から思ってたさ。
「兼好はどう思う?」
可愛い。普段は下ろした長い髪もアップにして
「あんまりかな。青とかの方が似合うんじゃね?」
嫉妬した。こんなにも雪子姉ちゃんの事を可愛くさせる彼氏に嫉妬したんだ。他の誰でもない、姉ちゃんにだけ抱く想い。青春の只中の、青くさいドロドロとした感情。
「そ、そっか。似合ってないか」
俺の言葉に悲しそうに表情を崩す。ズキリと胸が痛んで、居たたまれなくって自分の部屋に逃げ込んだ。姉ちゃんが出掛けていった後、オカンにしこたま怒られたけど、兄貴はポンポンと肩を優しく叩いてくれた。泣きそうになって、酷い事を言ったと後悔した。
それから気まずくて姉ちゃんの事を避ける様になってしまった。本当は謝りたかったのに、顔を見るのが怖かった。
だから成人式に向かう前に振袖姿を見せに来てくれた時も、俺は部屋に引き込もって姉ちゃんに会わなかった。しばらくして姉ちゃんが出ていって、代わりに部屋に兄貴が入ってきた。滅多に怒らない兄貴が鬼の様な形相で俺を叱った。
「雪子、兼好に祝ってもらえないのかなって寂しそうだったぞ。お前は惚れた女に悲しい想いをさせるようなクズか? 違うだろ? 俺の弟はバカがつくようなお人好しで優しい奴だ、そうだろ?」
「バカは余計だ。けど、ありがと。」
走った。階段を駆け降りて全速で走って、迎えに来た彼氏の車に乗り込もうとする姉ちゃんを呼び止める。
「姉ちゃん!」
従姉妹はくるりと振り返って、ニコリと笑う。
「どうかな? 変じゃない?」
「すげー綺麗だ。無茶苦茶似合ってるよ」
赤い牡丹の振袖は、姉ちゃんに本当によく似合っていた。
『徒然ww 三十一段 雪のおもしろう降りたりし
一月の晴れた日、結婚式場に来ていた。
結婚式を挙げるのに一年で一番人気がないのは一月だそうだ。寒さと忙しさ、それに年末年始の出費もあるから招かれる方も厳しいというのもある。なのに新婦の誕生日に挙式したいと新郎がごねたらしい。何でも新婦は産まれた時に雪が降っていたから雪子という名前になったそうで、誕生日は特別なのだそうだ。「どうせなら雪が降ればいいのに」なんて新郎は言っていたそうだが、雪に慣れていない愛知県では雪が降る度に交通が麻痺して大騒ぎになるから招待客としては勘弁して欲しい。残念ながらというか幸いというか、よく晴れた暖かい日で良かった。
ロビーで兄貴と待っているとオカンが呼びに来た。どうやら新婦の準備が出来たようだ。
新婦の控え室に入ると、雪の様に真っ白なウェディングドレスに身を包んだ雪子姉ちゃんが挙式の開始を待っていた。
俺と兄貴に気付くと、昔みたいにクルッと回ろうとするものだから慌てて止める。裾の長いウェディングドレスで一回転なんかしたら確実に転んでしまう。
恥ずかしそうに、嬉しそうに、幸せそうに聞いてくる。
「どうかな? 綺麗かな?」
「今までで一番綺麗だよ」
遠い日の恋心にさよならを告げて、初恋の人の幸せを願った。
【徒然草 三十一段 現代訳】
気持ちよく雪が降った朝、ある人にお願いしたい事があって手紙を書いた。手短に済まそうと雪については触れず、用件だけ書いて出したらやがて返事がきた。
「雪であなたはどんな事を感じましたか? ぐらい書けないのか。こんな気の利かない人の頼み事など聞く筋合いはありません」
そう書いてあった。ぐうの音も出ず、感激に震えた。
今は亡き、会うことの叶わない人の事だから、こんな事もかけがえのない思い出である。
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