三十六段 仕丁やある。ひとり。
【徒然草 三十六段 原文】
「久しくおとづれぬ比、いかばかり恨むらんと、我が怠り思ひ知られて、
【本文】
出会いは奇跡だという。
この広い世界で出会う確率なんてのはとんでもなく低いだろう。
かたや、出会いは運命だなんて言葉もある。
この広い世界で出会うのだから、運命と感じるのも仕方がないと言える。
君との出会いは偶然だろうか。それとも、必然だろうか。
確かに言える事は、出会いは偶然だとしても、君を好きになることは必然だって事。
もし違う出会い方をしたとしても、俺は絶対に抄子ちゃんを好きになる。
そう思うんだ。
『徒然ww 三十六段 仕丁やある。ひとり。』
日曜日のお昼時。抄子ちゃんを誘ってお洒落なカフェにランチに来ていた。一軒家を西海岸風に改修した店は外観も内装も白と青で統一されており、真っ白に塗られたウッドデッキにはテラス席も設けてある。もっとも今は真冬だからテラス席を使っている客はいない。
「オシャレでいい雰囲気だね。兼好くん結構こういう所詳しいよね」
席につき、店内をキョロキョロと見渡しながら抄子ちゃんが俺を誉めるが、俺が見つけたわけではない。安達青年に教えて貰ったのだ。彼とはクリスマスイブの日に電話番号を交換しちょくちょくメールする仲になった。やっぱり流行には若ければ若い方が敏感だろう。大学生といえば時間もあるし、お洒落な場所や遊ぶ場所なんかはタウン情報誌を読むより彼らに聞いた方が早い。
ちなみに富田芽衣子とは無事に付き合う事になったそうだ。土下座のスタンプ付きで「ありがとうございました」とメールが来ていた。
「大学生の青年と友達になってね。そいつに教えて貰ったんだ。マグロのレアカツレツが絶品だってさ。外はサクサク、中は柔らかくて全然生臭くないみたいだから、抄子ちゃんでも食べられるかもしれないよ」
実は抄子ちゃんは生の魚や肉が全般的にダメらしい。どちらも給食で出てくる事は滅多にないので生徒達には面目を保てているが、出来れば食べたくないそうだ。
「うーん、カツレツでもレアは怖いなあ。無難にハンバーグにしておくよ。代わりに兼好くんの一口くれる?」
一口シェア文化が苦手な人もいるだろうが、女の子はちょっとずつ色んな物を食べるのが好きな人が多い。それに恋人同士なら「一口ちょうだい」も「あーん」になるから俺としてはバッチ来いである。俺はマグロのレアカツレツ、抄子ちゃんはアボカドのハンバーグを注文した。他愛ない事を話しながら料理を待っていると隣の席に一人で座る女性が不意に声を掛けてきた。
「抄子? うわっ、抄子じゃん! 超久しぶり!」
「あゆみ! 久しぶりだね、成人式以来?」
どうやら抄子ちゃんの高校の時の同級生のようだ。少し濃い目の化粧で髪は巻いてあり派手な女性だった。綺麗な人だとは思うがイケイケな感じは俺の好みではない。
「彼氏? ひょっとして旦那?」
ご主人ではなく旦那と言う辺り、派手な見た目の通りの性格なんだろうなあと伺える。抄子ちゃんの友人、というよりは違うグループのただの同級生だったのだと思う。
「彼氏、今はね。付き合って四ヶ月ぐらいなんだ」
そう、ただの同僚だったが今は彼氏だ。同僚から彼氏を経て、婚約者、夫、パパ、あなた、おじいさんと順調にステップアップしていくのだ。そして老衰で死ぬ。
「ふーん、顔は好みが分かれそうだけど背も高いしガッシリしてるし、七十点てとこかな。ねえ彼氏さん、何の仕事してるんですか?」
いきなりの点数付けに抄子ちゃんは明らかにムッとなった。でも七十点って悪くないんじゃないか? 見た目は好みもあるし、中より上の評価なら素直に嬉しい。林とか大路とか奥田とか、顔のいい奴が周りにいるから最近の自己評価は下がりっぱなしだった。恋人が七十点では抄子ちゃんとしては不満だろうが、初めて会った同年代の女性からの物と思えばまずまずである。
「吉田中学で国語教師をしています」
「へえ、公務員なんだ。年収は?」
「五百万いかないくら……」
初対面で収入の話なんて失礼極まりないが、あまりに自然な流れで聞いてくるから反射的に答えそうになってしまう。それを抄子ちゃんが遮った。
「言わなくていいよ兼好くん。あゆみは? 結婚してるの?」
「五百? 結構貰ってんだね。私は歯科衛生士なんだけど、医療関係って言っても月二十万ちょっとしか貰えなくてさ。ま、常に人不足の業界だから転職先に困らないのはいいんだけどね」
よく年収を話すと「教師ってそんな貰ってんの?」と言われるが、民間の一流企業に比べれば一段下がる。なんせ残業代がないのだ。残業代が少ないんじゃないぞ。ないのだ。ゼロ。原則として残業してはいけないとなっているのだが、実際は部活もあるしテストの採点とか家に持ち帰ってやっている。それを愚痴ると「基本給高いからいいじゃん」とか言われるのだ。そういう問題ではない。民間企業ではコンプライアンスがどうのと騒ぎ始めているが教師の世界にノー残業が浸透するのはまだまだ先の話だろう。
「あゆみは? 一人?」
無視された抄子ちゃんは更にムッと眉間にシワを寄せて質問を繰り返す。
「あ、うん。せっかく久し振りに会えたんだから怒らないでよ。こんな所に一人で来てるぐらいだから見ての通り彼氏もいないわ。出会いもないし。抄子はどこで彼氏と出会ったの? やっぱり合コン?」
そう言えば社会人になってから合コンなんてやってないな。以前同期の奴等も言ってたけど教師も異性との出会いは本当に少ない。抄子ちゃんがいなければ今頃俺だってこの同級生と同じ様に牛丼屋で一人ランチしていたに違いない。
「私も吉田中学で働いてるの。社会の先生」
「先生? そっか、歴女だったもんね。じゃあ職場恋愛なんだ」
社会科教師が全てそうだとは言わないが、俺が本の虫であるように歴史好きがほとんどだろう。抄子ちゃんも例に漏れず歴史マニアだ。俺も歴史小説、特に幕末の物が好きだからたまに話題にのぼるがガチ勢の抄子ちゃんにはとてもついていけない。というのも、歴史小説には結構フィクションが含まれている。例えば新撰組の沖田総司の
「うん、兼好君とは同期なんだ。あゆみだって歯科衛生士なら患者さんとかお医者さんとかいるんじゃないの?」
「全っ然。今働いてる歯科医院は子供の患者がほとんどでさ。開業してる先生なんて皆既婚者だしね。医者の旦那をゲットするんだって思ってたのになあ」
「高校の頃から結婚相手は年収一千万って言ってたもんね」
「そう! 二十代で、年収一千万で、週休二日で、身長は百八十以上のイケメンじゃないと。あ、勿論長男はダメ。親の面倒なんて見たくないもの」
そんな奴いねーよ。さすがに抄子ちゃんもドン引きだ。
「へ、へえ。理想が高いね」
「一人ね、それに近い人はいるんだ。私、今は隣のT市に住んでるんだけど、市民病院に超イケメンの若い先生がいてね。どうにかして付き合えないかなあ」
ん? 市民病院の若い先生?
「中村尚裕の事?」
「え? 彼氏さん、中村先生の事知ってるの?」
小中と一緒だった。俺より頭が良かったから高校は別になったが、今でも年賀状をやり取りする仲だ。確かに尚裕は背も俺より高く顔もいいし、外科医としてT市の市民病院に勤めている。年収こそまだ一千万には届いてないと思うが三十代になれば大台に乗るだろう。
「小中の同級生だよ。俺は実家がT市なんだ」
「本当? やっぱり七十点より百点だよね。ね、彼氏さん、中村先生の事紹介してよ!」
あゆみ氏は身を乗りだして目を輝かせる。ハイスペックな男だから独り身かわからないが、まあ聞くだけならいいか。
「彼女がいるかもしれないけど、それでいいなら……」
「ダメだよ」
了承の言葉を言いかけたが、抄子ちゃんが遮り拒否をする。その声色は穏やかではない。
「抄子? 何でアンタが断るのよ?」
「何でアンタが? それは私のセリフだよ。何で兼好君の友達をアンタに紹介しないといけないの?」
その声には明らかに怒気が籠っている。彼氏を七十点呼ばわりされた事がかなり頭に来ているようだ。
「大体さ。年収一千万で身長百八十でイケメンの同年代って、一体何人に一人いると思ってんの? 年収一千万の二十代って0.001%、更に身長百八十センチ以上は日本人男性の7%って言われてるからそれだけでも十四万人に一人。そこからイケメンでしょ? 仮に四人に一人がイケメンだとしても、あゆみの条件に当てはまるのは五百万人に一人だよ」
「ご、五百万人に一人でもいるかもしれないじゃない!」
「うん、いるかもしれない。でもさ、あゆみは? 五百万人に一人の価値があるの? 相手にそれを求めるんだもん、勿論あゆみも超ハイスペックなんだよね? そうは見えないけど」
あゆみ氏は美人ではあるが、月収二十万そこそこと言っていたから年収も三百万から四百万といったところだろう。スタイルも悪くなさそうだが抄子ちゃんより胸は小さいし、背も高い訳ではない。カタログスペックだけで見ればとても五百万人に一人とは言えない。
「な、中身で勝負……」
「いきなり人の彼氏に点数付けるような女なんて好きになると思う? そう言うなら相手だって別に普通に収入がある人でいいでしょ? 中身が良ければ、相性が合えばそれでいいじゃない。 違う?」
「ち、違うわ。私は同じ職場の隣の男でなんか妥協したりしないもの!」
「あ? なんつった?」
「こんなどこにでもいるような男で満足してる抄子とは違うって言ってるの!」
「プチン」
聞き間違いではない。確かに抄子ちゃんは自らプチンと言った。恐らく堪忍袋の緒が切れた音だろう。芸が細かい。
「私の彼氏はっ! 兼好君はね!」
バン! っとテーブルを叩き立ち上がる。店内の注目を一身に浴びながら、店中に響く声で叫んだ。
「七十億人に一人なんだからっ!」
惚れてまうやろ。
「まっ、負け惜しみじゃない! もういいわ! じゃあね!」
悔しそうに顔を歪めながら捨て台詞を残し、伝票を乱暴に掴むと会計を済ませてそそくさと店を出ていく。
静まり返った店内にやがてパチパチと拍手の音が聞こえてきた。
「よく言ったわお姉さん!」
「あの女の顔見た? スカッとした!」
周囲の客の賛辞に我に返った恋人は恥ずかしそうに座り直す。
「め、目立っちゃったね。ごめんね、恥ずかしい彼女で」
そんな事ない。抄子ちゃんもまた、俺にとって七十億人に一人だ。かけがえのない人だ。
「ううん。最高の、自慢の彼女だよ」
改めて彼女を大切にしよう、そう誓った。
【徒然草 三十六段 現代訳】
「長い間連絡してなかったから、きっと随分怒っているだろうなあと自分の怠惰を反省し、どう謝ろうかと言葉を探していると、彼女の方から『家政婦を一人探しています。どなたかいらっしゃいませんか?』と聞いてきてくれたものだからありがたくて嬉しくて。こんな心を持った人は本当に最高だよね」とある人が言っていた。
確かに、そんな理想の女性がいたらいいなと自分も思った。
【独り言とお断り】
本文の中で菊一文字則宗が出てきたので少しだけ独り言を。
古文と歴史は密接な関係にあります。
古い言葉や文法だけを知っていても徒然草の原文を正しく訳す事は出来ません。二百一段(大路がジェンダーについて話している段)の様に卒塔婆を歴史的な視点から紐解いて初めて正しく訳す事が出来るものもあります。
また、申し訳ありませんが私の現代訳文が100%正しいという保証は出来ません。沖田総司の刀の様に「その可能性が高い」という事柄を採用しておりますのでご了承ください。
菊一文字則宗は兼好の一世代前、後鳥羽上皇のお抱え鍛冶則宗が打ったものだそうで、なんとなく流れで菊一文字を本文に登場させたのですが兼好が徒然草を書いていたときには既に菊一文字則宗は存在していたんだなあと勝手にしんみりとしてしまい、独り言を書いてしまった次第です。
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