★★★百二十三段 無益のこと

【徒然草 百二十三段 原文】


 無益むやくのことをなして時を移すを、愚かなる人とも、僻事ひがことする人とも言ふべし。国のため、君のために、止むことを得ずして為すべき事多し。その余りのいとま、幾ばくならず。思ふべし、人の身に止むことを得ずして営む所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三にる所なり。人間の大事、この三つには過ぎず。ゑず、寒からず、風雨に侵をかされずして、しづかに過すを楽たのしびとす。たゞし、人皆病あり。病にをかされぬれば、そのうれひ忍び難し。医療を忘るべからず。薬を加へて、四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ、欠けざるを富めりとす。この四つの外を求め営むをおごりとす。四つの事倹約ならば、誰の人か足らずとせん。




【本文】


 よし、決めた。

 今日はうんこの授業をする。



 『徒然ww 百二十三段 無益のこと』



 俺には教師になったら叶えたい夢があった。


 うんこの授業をしたい。


 待って。石を投げないで。話を最後まで聞いて。


 一度でいい。神聖な学舎まなびやでアホみたいにうんこの話をしてみたいのだ。

 俺は男だ。男は皆うんこが大好きだ。うんこの響きだけで一時間は余裕で笑えるのだ。しかし、大人になるにつれてうんこはタブーな物に変化していく。うんこは不浄なもの、触れてはいけないもの。忌むべき存在もの。話題に出すのも憚られるもの。

 世の女性達はうんこで喜ぶのは小学生低学年までだと思っているだろう。否、断じて否。男はいくつになっても少年のままなのだ。おっさんになってもうんこで笑えるのだ。心が躍るのだ。

 さすがに俺も女子の前でうんこの話なんて出来ない。だが女子達は全員立志ウォークの健康診断で保健室にいる。教室には男子しかいない。チャンスは今しかないのだ。せっかく夢の授業をするのに空席があるのは寂しいから、五組の男子も呼んで席を埋める。三十五人の男子達を前にゴクリと生唾を飲み込む。


 ドキドキする。


 初めての授業の時の様に胸が高鳴る。俺は上手く授業が出来るだろうか? 生徒達は俺を受け入れてくれるだろうか? この授業で心に何かを残してくれるだろうか?


「今からうんこについての授業を始める」


 俺の宣言に教室がざわつく。そりゃそうだ。いい大人が中学生相手にうんこの授業とか頭が沸いているとしか思えない。だがそれでいい。俺は熱血教師だ。俺の煮えたぎる熱い血潮は脳ミソさえも沸騰させるのだ。


「先生、正気ですか?」


「正気だ。俺はうんこの話でみんなと盛り上がりたいんだ」


 俺の真剣な声に、ざわついた教室が一転、シーンと静まり返る。


「教師が何を言ってるんだと思うだろう。でもな、俺は教師だが男でもある。うんこうんこ言ってキャッキャしたいんだ。皆もそうだろう? 中学生にもなったらうんこなんて単語、滅多に口に出せないだろう? しかし今日、この時間だけは我慢しなくていい。一生分のうんこを語り尽くそうじゃないか!」


 少しの沈黙の後、パチパチとまばらな拍手の音が鳴った。それは段々と大きな拍手に変わっていき、やがて壮大な讃美歌となって教室中に響いた。満場の拍手が俺のうんこの授業を歓迎してくれたのだ。


「ありがとう皆。では授業を始める」


 支持を受けて黒板にチョークを勢いよく走らせる。


 ――ハッピーなうんこは人生の幸福度を10%上昇させる――


「先生、それはどういう意味ですか?」


 四組の小西の質問に俺は質問で返す。


「小西。家庭科で習ったと思うが、人間が生活をする上で必要な三つは何だ?」


「えっと、衣食住です」


 正解だ。しかし、それだけでは足りない。


「そして排便だ」


 排便は住に含まれるのでは? と思いそうなものだが、食も衣も密接に関係してくる。衣食住の全てが満たされないと良質な排便は実現不可能なのだ。


「人生の10%は排便だ。気持ちよくうんこが出せればそれだけで人生は一割増しでハッピーになるんだ。今日は皆と気持ちいい排便について勉強していきたい」

 

 まずアンケートを取る事にした。


「一番落ち着くのは自宅のトイレだという人、手を挙げてくれ」


 なんと、全員が手を挙げた。かくいう俺もそうだ。独り暮らしだと掃除する手間があるからつい学校まで我慢したりするが、本当は自分の家でゆっくり脱糞したい。それが心理であり真理だ。


「じゃあ学校や公園、ショッピングモール等のトイレを自宅の様にする事が第一だな。学校のトイレのここが嫌だとか、こうだったらいいのに、なんていう意見はあるか?」


 何人かが挙手してくれた。一人ずつ意見を聞いて黒板にまとめていく。


 一つ目、誰が使ったかわからなくて気持ち悪い。


「気にするな。以上だ」


 その気持ちはわかる。しかし大人になれば大抵の事は汚いと思えなくなる。色んな物に触れていく過程で抵抗もなくなる。いずれわかる時が来る。それが大人になるという事なのだ。よし、次。


 二つ目、トイレットペーパーが硬い。


「これは大問題だ。何で学校の紙って安物の硬いやつなんだろうな。これについては良いものに変更するように陳情しようと思う」


 尻の拭き方については後できちんと指導しようと考えていた。その時に改めて深堀りしようと思う。はい、次。


 三つ目、隣の個室の音が気になる。


 確かに隣からブリブリブリブリ! とか聞こえてくるといい気持ちはしない。


「最近サービスエリアの女子トイレとかだと音が出るボタンあるじゃん? あれ学校のトイレにもつけられないの?」

 

 五組の野球部員、野口俊也の提案に 輝ける聖光XXシャイニングホーリーレイダブルクロスが異を唱える。


「知ってる! 音姫って奴だろ? でもあれって姫っていうぐらいだしさ、女用じゃないの? 鳥のさえずりとか川のせせらぎなんかで俺達の便音ゴスペルが誤魔化せる訳ないだろ」


 便音ゴスペルって何だよ。そんなに綺麗なもんじゃないだろう。例えるなら福音ゴスペルというよりも終末を知らせるラッパだ。

 そう、音姫の音って便音ゴスペルをかき消す程の効果は無いんだよな。周囲に「私は気を使ってますのよオホホ」ってアピールする為の物だろう。女性とは見栄を張る生き物である。


「少し、悲しい話になるが」


 そう前置きして、高校の頃の苦い思い出を生徒達に語り出す。


 小学校の時、クラスメイトからいじられるのが嫌で学校のトイレで大をしなかった。便意が来てもひたすら我慢をした。その結果、便秘体質になってしまったのだ。中学、高校では普通に学校で大をするようになったが、体質は改善されず便秘に悩んでいた。

 事件が起きたのは高校二年生の秋だ。その時は人生の中でも一番便秘がひどくて、五日も便が出ていなかった。お腹が張って張って苦しくて痛くて気持ち悪くて。五時限目の体育のバスケットボールの授業の為に体育館に入った時、急に猛烈な便意が押し寄せてきた。何の前触れもなく突然に、いきなりクライマックスだ。慌ててトイレへ駆け込み、ジャージの下を降ろすのが早いか便器へうんこが落ちるのか早いかといった具合で大便が投下されていった。その勢いたるやまるで滝のようだった。瀑布ばくふだ。うんこ瀑布だった。

 バババババババババババババババ!!!!!!と轟音をあげて便器に堕ちていった。

 同じトイレ内で小をしていたクラスメイトの原くんなんかは、「うわあぁぁっ! 何? 銃撃?」と大層驚いてジャージを自らの小水で汚してしまったほどだ。

 

「それから俺は卒業までマシンガン卜部うらべという不本意なあだ名で呼ばれる事になったんだ」


 あの時のうんこ瀑布の便音ゴスペルは凄まじかった。とてもじゃないがウグイスの鳴き声ホーホケキョなんかで太刀打ち出来る訳がない。


「いっその事、音を被せて誤魔化そうっていう思考から外れて、便音ゴスペルを活かす方向で考えたらどうかな?」


「神谷、どういう事だ?」


 あの下品極まりない便音ゴスペルを活かすなんて、そんな事が出来るだろうか?


「例えばだけど、ドッキリ大成功の音あるじゃん? テッテレ~♪ ってやつ。あれを便音ゴスペルの後に流したらどうかな?」


 こういう事だろうか。


 ブリブリュリュブリブリブリ! テッテレ~♪


 こいつ天才か。

 確かにテッテレ~♪ には全てを和ます力がある。便音ゴスペルが強烈であればあるほど滑稽さも増すだろう。思わず笑ってしまうはずだ。


 よし、トイレットペーパーとテッテレ~♪ については職員会議にかけよう。


 素晴らしいな。


 俺がしたかったのはこういう下らない話だ。女子には決して聞かせられない馬鹿馬鹿しい汚い話を男子生徒達と話したかったのだ。まさかテッテレ~♪ なんて大発明が産まれるとは思わなかった。大満足だ。

 

 さて、残り時間も少ない。俺の心はテッテレ~♪で満たされたが、女子達が戻ってくる前にどうしても生徒達に伝えたい事があった。


「最後に、お尻の拭き方について教育しようと思う」


けつの拭き方?」

「おいおい先生、俺たち保育園児じゃないんだぜ。尻ぐらいちゃんと拭けるって」


 馬鹿にするなと言いたげな生徒達。皆口々にそんなものは必要ないと訴えてくる。


「俺は小三から切れ痔だ」


 俺のカミングアウトに教室は水を打ったように静まり返る。


「とても、悲しい話になるが」


 そう前置きし、自身のトラウマを晒け出す。


 小学三年生の夏の夕方の事だ。

 放課後の小学校で友達とかくれんぼをしていた。三メートル程の木の上に登って息を潜めていたが、やがて見つかり木から降りようとした。その時、体重を掛けた枝が折れて落ちてしまったのだ。しかし、地面に叩きつけられる事はなかった。今思えばそっちの方が良かったが、丁度地面からお尻の高さに枝が一本生えており、俺はそこに浣腸の要領で刺さったのだ。泣いた。超痛かった。出血もした。


「それから今までずっと切れ痔だ」


「なんて悲惨な……」

「待ってよ、先生さっき便秘だって言ってなかった?」

「切れ痔と便秘のコンボとか生き地獄じゃん!」


「切れ痔自体はいいんだ。いや、全然良くはないんだけど、俺の心を破壊したのは三年後の修学旅行だ。切れ痔になってからずっと軟膏ボラ○ノールを風呂上がりに肛門に塗っているんだが、クラスメイトには隠していた。小学生がそんなの知ったら絶対に虐めるだろう? だから切れ痔だって事も誰にも言ってなかったんだが、修学旅行の風呂の後に塗っているのを見られてしまってな。それから卒業するまで俺のあだ名はボラ部(ボラ○ノールうら部、略してボラ部)だった」


 やーいボラ部~! っていくらなんでも酷すぎるだろ。

 更に言うと俺はロードバイク乗りだから、硬いサドルのお陰で肛門はもうボロボロだ。今も毎日軟膏を塗っているし、絶対に手放せない物だ。しかし、軟膏を塗る度にボラ部という単語が脳裏をよぎり、心に闇が忍び寄るのである。


「お前達にそんな思いはして欲しくない。切れ痔になるのは俺だけで十分だ」


「先生……」

「先生……」

「ボラ部先生……」


 おいボラ部って言ったヤツ誰だ。泣くぞ。


「じゃあ痔にならない為のお尻の拭き方をレクチャーする」


 大事な事はいくつかある。

 まずは紙だ。


「トイレットペーパーには表と裏があってな」


 ロールの外側が滑らかな肌触りの表だ。反対の裏面はざらざらしており拭くには適していない。外側で拭いた方がいい。

 ダブルの場合は裏と裏をくっつけて重ねてあるから、ロールの外側も内側も表だ。ダブルはどちらでも気にしなくていい。学校や公園のトイレはシングルが多いから特に注意が必要だ。


「そして紙で最も重要なのはよく揉む事だ」


 念入りにグシャグシャと揉んで欲しい。学校の硬いトイレットペーパーでも揉みしだく事で柔らかくなる。ウォシュレットもあるが、肌が弱い人はかぶれの原因にもなる。粘膜への刺激も強いし、個人的にはウォシュレットはおすすめしない。よく揉んだダブルのトイレットペーパーが至高だ。


「次に拭き方だが、その前にやらなければいけない事がある」


 それは肛門を締める事だ。拭く前にお尻をキュッと閉めて欲しい。排便をすると肛門の内側の粘膜が外へ出てしまう。これを肛門を締める事で中へと戻してやるのである。内側の粘膜はとても弱く、痔になりやすい。意識しなくても勝手に戻る人が大半だが、いくら拭いてもぬめりが取れない様な時は粘膜が出ている可能性が高い。心当たりのある人は気をつけて欲しい。

 そして拭き方。一般的に前から後ろに拭いた方がいいと言われるが、男性の場合はどちらでもいい。決して乱暴にはせず、優しさと慈愛でもって撫でるように拭いて欲しい。自分の尻を守れるのは自分だけだ。どうか気を使ってあげてください。

 今までの内容を黒板にまとめる。


 一つ、紙はよく揉む。

 一つ、排便後は肛門を締める。

 一つ、思いやりの心で優しく拭く。

 以上が正しい尻の拭き方、うんこの作法である。四組うちのの稲葉なんかは真面目だから真剣にノートを取っている。くれぐれも家族に見られないようにして頂きたい。


 ふう。

 素晴らしい授業が出来た。もう人生に悔いはない。あとは抄子ちゃんと結婚して暖かい家庭を築いて子供が独り立ちしたら死んでもいい。


「最後におさらいとしてみんなで復唱しようと思う。ハッピーうんこで人生ハッピー! はい!」


「「ハッピーうんこで人生ハッピー!!」」


「もう一度! ハッピーうんこで人生ハッピー!」


 再度復唱を促すが、ガラガラッと突然勢いよく開かれた扉の音が生徒達の復唱ゴスペルを中断させる。


「「ハッピーうんこ……」」

「おい。何してんだ?」


 努めて柔らかいにこやかな笑顔の抄子ちゃんが立っていた。しかしその言葉は荒々しい。俺も生徒達も固まってしまう。

 抄子ちゃんは黒板に書かれた内容を一瞥すると、口元は笑ったまま眉間に皺を寄せて目を細めた。


「兼好、これ何だ?」


「う、うんこの授業です」


「そうか。廊下に出ろ」


「はい……」


 大人しく指示に従い廊下に出る事にする。目が怖い。


「いいか五組の男子、あれは悪い見本だからな。あんな大人になるなよ」


 二人で廊下に出る。

 既に戻ってきた女子達も呆れ顔だ。「男子って何でこんなにアホなのかしら」と俺を見る目が語っていた。そんな視線を受けて黙ってその場に正座をする。床が冷たい。

 すぅーっと大きく息を吸い込んでから、抄子ちゃんはカミナリを落とした。


「バカじゃないの?! 小学生かよ!」


「いえ、生徒達は中学生です」


「違うよ! お前の事だよ! 小学生かっ! 小学生でもこんな事しねーよ! まずお前が立志しろよ! 大人としての自覚を持てよ!」


 こうして、うんこの授業をした代償として女子達の見つめる中、最愛の恋人からこっぴどく叱られたのであった。テッテレ~♪




【徒然草 百二十三段 現代訳】


 無駄な時間を過ごすのは馬鹿であり、人生を勘違いしている人間だろう。

 会社や家庭の為にやらなければならない事は腐るほどあり、その為に自分の時間なんてほとんど取れやしない。

 しかし、考えてみれば人間が生きていくのに本当に必要なものは多くない。まずは食べ物、そして衣服、あとは住む所があればそれでいい。他の事なんてこの三つ以外にはクソみたいなものだ。ご飯が食べられ、寒い思いをしないで、屋根の下で眠り、静かに時を過ごせたなら幸せである。ただ、人は誰もが病気になる。病気になっては楽しくなど生きられない。だから医療も忘れてはならない。衣食住に薬を加えて、それが満足に用意出来ない事を貧乏といい、その四つが満たされているのなら豊かであると言える。それ以上を求めるのは強欲なのだ。慎ましくても衣食住、そして医療が受けられていれば、他人からも幸福な家庭に見える事だろう。




【追記】


 この話を書いた二週間後、朝の出社時、運転中に便意に襲われ、競歩みたいにお尻をキュッとして我慢して駐車場から職場まで歩いていたんですがトイレの手前で限界。やや出始めてしまいましたがまだパンツにはついていない、大丈夫と五メートル前でベルトを外しトイレの個室に滑り込んでドアも閉めずにズボンとパンツを一辺に下ろしてブバババとぶっぱなしたんですが


 便器のフタが閉まっていました。

 

 死にたい。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る