二百三十一段 百日の鯉
~つれづれww(下)~
【徒然草 二百三十一段 原文】
【本文】
恋人の親とどう接したらいいかわからない。そんな人も多いと思う。ましてそれが彼女の父親だったりしたら余計にだろう。「よくもうちの大事な娘を奪いやがって」と悪く思われてるんじゃないかとか、特に根拠も実害もないのにおっかなく感じてしまうものだ。
俺の場合はというと、とりあえずは気に入られているようだ。多分第一印象が良かったんだろうな。ご家族に研究授業を見てもらおうと彼女の実家に電話した時、お父さんが出たのだ。言葉には最大限気を使ったし、とにかく誠意ある態度を心掛けた。そうした末に「彼女思いの礼儀正しい青年」という評価をしてくれているらしい。それ自体は喜ばしい事だ。
しかし、あまり気に入られるのも善し悪しかもしれない。というのも、お父さんから新春のマラソン大会に誘われてしまったのだ。何でもお父さんは市民ランナーだそうで、年に一回フルマラソンも走るようなガチ勢だそうだが、俺が体を鍛えてるという情報を抄子ちゃんから聞いたらしく、一緒に走ろうかと抄子ちゃん経由で連絡があったのだ。
勿論、彼女の家族とは仲良くしたいと思っている。気が重いのも事実だが、せっかくの機会だ。稼げるだけポイントを稼いで抄子ちゃんとのゴールインへの障害を減らしておく事にしよう。
『徒然ww 二百三十一段 百日の鯉』
一月二日。吉田中学近くの町の総合公園。抄子ちゃんのお父さんと準備運動をしていた。抄子ちゃんは留守番というか、まだお母さんが入院しているから妹さんとそっちに行っている。そうそう、お母さんの手術は無事に成功したそうだ。
「いい天気になって良かったですね卜部さん」
ランニングシャツと短パンの上にウインドブレーカーというガチランナーの格好のお父さんが、不機嫌そうな表情で他愛もない話題を俺に振ってくる。と言っても実際に不機嫌な訳ではなさそうだ。抄子ちゃん曰く、お父さんはいつもムスッとした顔をしてるけどああいう顔なだけだから気にしないでとの事。確かにその声は優しく落ち着いており、穏やかに感じる。しかしきっちり揃えられた角刈りも相まって一見、というか何見しても恐そうな人に見える。
「そうですね。風はありますがそれほど寒くないし、マラソン日和ですね」
当たり障りのない受け答えをしておく。正直なところ距離感がわからない。婚約したならともかく、まだただ付き合ってるだけだ。馴れ馴れしいのもどうかと思うし、やっぱりおっかない。口数も少なくなってしまう。
「明けましておめでとう先生」
「明けましておめでとうございます」
奥田、笹原といった
嘘です。お父さんと二人きりが気まずいから助けを頼んだのだ。ビビりですいません。
「明けましておめでとう皆。今年もよろしくな。こちらは蔵野先生のお父さんだ」
「蔵野
生徒達はその恐そうな顔に一瞬怯むが、深く頭を下げるお父さんにつられて同じように頭を下げた。
実は生徒達にはもう一つ頼み事をしてある。早速奥田がお父さんに近づいていく。
「おじさん、抄子先生の彼氏がいい人で良かったね」
ステマだ。
「卜部先生はいい人なの?」
「うん、私ね。一年生の時は不登校だったの。その時すごい太ってて、恥ずかしくて学校行けなかったの。でもトベ先生が一緒にダイエットしてくれて、学校来れる様になったんだ」
ステマとはステルスマーケティングの略で、
「へえ、そうなんだ。先生の事好きなんだね」
よしいいぞ、その調子だ。もっと俺の株を上げるのだ。
「大好きな先生なの! だからね、来年はトベ先生のクラスだったらいいなって。今年はしょうがないから五組で我慢してるけど」
「そんなに抄子が担任なのが嫌かい……?」
「ち、違うの。確かにうちの担任は頭固くて融通きかないけど、じゃなくて!」
下手くそか。仕方ない、選手交替だ。笹原の背中を叩いて合図をすると、一歩前へ出て口を開いた。
「僕も卜部先生に助けて貰いました。僕は元々野球部だったんですが大事な場面でミスをしてしまい、それ以来野球ができなくなってしまいました。先生に筋トレ部を勧められて入ったんです」
「それは大変だったね」
「いえ、今は自信もつきました。毎日先生に虐められていますから」
おい言い方。
「えっ? 毎日虐められているの?」
「はい! (筋肉を)こっぴどく虐められています!」
あかん。ただの虐待教師じゃねえか。そして笹原はそれを嬉しそうに話すドM生徒だ。
もういい二人とも。帰還せよ。こうなったら新人を投入するしかあるまい。
「わ、私も卜部先生の事を尊敬しています!」
一年二組の久保田ひなだ。夏休み明けにダイエット部に入った期待の新鋭である。
「君も卜部先生の部活の生徒さんかい?」
「はい、一年の久保田ひなです。痩せるのなんてもう無理、って私が何度諦めても、卜部先生は見放さないでずっと一緒に頑張ってくれます」
久保田はかなり太っている。入学当初から横に大きかったが、夏に八十キロを超え、医者からも警告を受けて園芸部と掛け持ちで我が部に入る事になった。俺と二人三脚でダイエット中だ。
「そう、親身になってくれてるんだね」
「食事制限だって、先生は必要ないのに、生徒だけに辛い思いはさせられないって私につきあって自分も食べなかったりしてくれる、本当に優しい先生なんです」
「食事制限を一緒に? それはすごいね」
ダイエットというのは本来孤独なものだ。そして孤独というのは辛い。一番キツい食事制限を俺も一緒にやる事で、久保田には決して独りではないと思って貰いたいのである。
久保田のアピールはお父さんの心を揺すぶったようだ。相変わらずムスッとした顔だが、若干目元が緩んだように見える。ナイスだ久保田。
そんな小細工をお父さんにしている内に出走の時間だ。奥田達女子部員がスタート位置へと移動する。
この新春マラソン大会、女子は五キロ、男子は七キロと走る距離が違う。女子が先にスタートし、五分遅れて男子がスタートする。
「久保田、無理するなよ。駄目だと思ったらリタイアしていいんだからな。奥田、頼むな」
久保田の体重では五キロも走るのはキツいだろう。くれぐれも無理しないように念を押しておく。
「大丈夫です先生。完走して自信をつけたいんです」
そう言われては俺には止める事は出来ない。もう一度無理するなと声を掛けてその背中を見送る。やがてピストルの音が鳴り女子が一斉にスタートしていく。
五分後、男子の部がスタートする。新年一発目の走り初めだ。久保田ではないが俺も無理のないスピードで走り出した。笹原や抄子ちゃんのお父さんも俺に並走して走る。
「蔵野さん、私達のペースでは物足りないでしょう。どうぞ、先に行ってください」
フルマラソンを走る様な人だからな。俺と同じペースではウォーミングアップにもならないだろう。距離だって短い。
「いいえ卜部さん、大丈夫です。実は、今日は貴方と話がしたくて誘ったんです」
「は? 僕と、話を?」
「私は不器用な男です。先日のお礼をしたかっただけなのに、照れ臭くて、父親としての威厳なんかを気にして、こんな口実にかこつけないと娘の恋人に会う事も出来ないんです」
距離感がわからなくておっかなかったのは俺だけじゃなかった。お父さんも同じように娘の彼氏とどう接していいか困惑していたようだ。
「素直にお礼を言いたいから会いたい。それで良かったのに、下手な小細工をしてしまいました。恥ずかしい限りです」
相変わらずムスッとした表情のまま。でも、その心情は手に取るようにわかる。だって俺と同じ事を思っているのだから。
考えてみれば、俺もお父さんも抄子ちゃんの事を愛している。同じ人を想っている人間同士がわかり合えないはずがないのだ。
「僕も同じです。彼女の父親という、何でもないただのポジションにビビってかしこまっていい格好をしようとして。その、抄子さんとお付き合いさせて貰っている卜部兼好です。よろしくお願いします」
「抄子の父の元輔です。こちらこそ、よろしくお願いします」
改めて自己紹介をして、少しずつお互いの事を話しながら走った。
順調に走り、ゴールまで残り一キロという所で久保田がキツそうに歩いていた。奥田が頑張れと声を掛けていたがやがて久保田の足は止まり座り込んでしまう。
「どうした?」
「膝が痛いんだって。ひな、歩いていいから、頑張ってゴールしよ?」
「無理です。こんなに太っている私には無理なんです
泣きそうな顔で弱音を吐いた。久保田のメンタルはそこまで強くない。いつも泣き言ばかりを口にしている。
「何で謝るの。私だって痩せられたんだから、同じ名前のひなが痩せられない訳ないじゃん!」
意外に奥田は面倒見がいい。すぐに諦めようとする久保田を毎回奥田の言葉で励ましてくれる。
「そうだぞ久保田。奥田とお前は変わんないぞ。大体お前、既にスゲー痩せてるんだぞ」
「で、でもまだ七十キロもあるし!」
そう、今久保田の体重は七十二キロだ。つまり九月からたった三ヶ月で八キロも痩せたのだ。弱音を吐きながらも、久保田は必死に頑張ってきたのだ。このペースでいけば卒業までに目標の五十キロ台には余裕で到達出来るはずだ。
「間違いなく、久保田は俺の自慢の生徒だ。勿論、奥田も笹原もだ。お前達の事を誇りに思っているよ」
教師になって良かった、そう思わせてくれる程に。
「痛いのはどっち?」
抄子ちゃんのお父さんが久保田の前に膝をついて聞いた。二の腕に装着したポーチからテーピングを取り出す。
「ひ、左です」
久保田の答えを受けて、ジャージを捲るとテーピングをキツく巻いていった。最後にポンと優しく叩くと、立ち上がり軽く足踏みするように促す。
「どう?」
「すごい、痛くないです! ありがとうございます!」
本当に痛みを感じなくなったようで、奥田と一緒に再び走り出した。
「ありがとうございます蔵野さん」
「いえ、娘の彼氏の前で格好つけたかっただけですよ」
そう言って、口をへの字に閉じたまま眉毛だけを大きく下げてぶきっちょに微笑んだ。
無事に全員ゴールする事が出来た。久保田も満足そうだ。みんなで公園の隅に座り一息つく。
「そうだ、婦人会の人達がおしるこを振る舞ってくれるらしいぞ。みんな食べに行ってこい。久保田は俺とプロテインな」
久保田にもそこまで無茶な食事制限はしていないが、間食は禁止してある。可哀想だがおしるこもお預けだ。
「ん? 笹原、行かないのか?」
笹原も奥田も腰を下ろしたまま立ち上がらない。
「家でお餅食べ過ぎちゃったんです。おしるこよりも、僕も久保田と一緒にプロテインの方がいいな」
「私もさ、実は甘いの苦手なんだよね。だから、ひなとプロテインでいいよ」
奥田が甘いもの嫌いなんて初めて聞いた。本当、みんなカッコつけやがって。
「いい生徒さん逹ですね」
「僕には勿体無いくらいの生徒達です。ありがたい事です」
「先生の人柄が生徒さんにも伝わっているからでしょう」
自慢の生徒達のおかげで、お父さんへのアピールは思いの
【徒然草 二百三十一段 現代訳】
園の別当入道と言えば並ぶ者のない料理人である。
とある人のパーティーで見事な鯉が出てきた。居合わせた誰もが、別当入道の包丁捌きを見たいと思ったが、天下の料理人に軽々しく頼むのもどうかと躊躇っていた。そんな場の空気を読んだのか、別当入道は「私は百日連続鯉捌きチャレンジに挑戦しております。今日だってサボる訳にはいきません。宜しければこの見事な鯉を私に捌かせては頂けませんか?」と言ってその包丁捌きを披露したという。
機転の利く人物だと感心したある人がこのエピソードを北山太政入道に話した。しかし北山太政入道は「しゃらくさい。こんなのは、誰も切る人がいないなら私が切ります、だけでいいのだ。何が百日連続鯉捌きチャレンジだ、アホか」と一蹴したそうだ。
わざとらしいパフォーマンスなんかに頼るより、そのままの想いを伝える方がずっと良い。場を設け大袈裟に摂待されるのもいいが、何気なしにご飯を奢ってもらうのだってとても嬉しい。プレゼントを贈るのに理由なんていらない。記念日じゃなくても、「貴方が好きだから贈りたい」、それが本物の好意ではないだろうか。勿体つけて焦らしたり、勝負事の景品にするなんてのは論外である。
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