二十六段 風も吹きあへずうつろふ、

【徒然草 二十六段 原文】


 風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月を思へば、あはれと聞きしことの葉ごとに忘れぬものから、我が世のほかになりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ。


 されば、白き糸の染まんことを悲しび、路のちまたの分れんことを嘆く人もありけんかし。堀川院ほりかはのゐんの百首の歌の中に、


  昔見し いも墻根かきねは 荒れにけり 茅花つばなまじりの すみれのみして


 さびしきけしき、さる事侍りけん。




【本文】


 放課後。

 クラブハウス棟一階の端、我が筋トレ部兼ダイエット部での部活中の事。笹原がとある報告をしてきた。


「大路が俺の事を?」


「はい。身長体重、好きな食べ物とか、色々聞いてきました」


 あの大路が俺の事を調べているという。三年一組同じクラスの笹原に詳しく聴いてきたというのだ。


「そうか。ひょっとして俺の事が好きとか? いやあ、モテる男は辛いなあ」


 思わずにやけるが、エアロバイクのペダルを回す奥田から辛辣な一言。


「は? 何言ってんの? 大路先輩みたいに綺麗な人が先生を好きになる訳ないじゃん。大体トベ先生を好きだなんてそんな物好き……あっ、うちの担任……」


 抄子先生をゲテモノ好きみたいに言うんじゃない! って誰がゲテモノだ。


「奥田は酷い事を言うね。確かに見た目は釣り合わないかもしれないけど、熱血で優しくて生徒思いで、卜部先生は内面が物凄くかっこいいじゃないか」


 フォローになってないぞ笹原。

 二回言うけど、フォローになってないぞ笹原。


「でも何でだろうね? 大路先輩ならトベ先生に直接聞いてきそうなのに、影でこそこそなんて元生徒会長らしくないっていうか」


 生徒会顧問として大路との付き合いは長い。遠慮し合う仲でもないから、そんな遠回しな事をする理由が思い付かない。


「最近の大路、何だかおかしいんですよ」

 

 文化祭以後、大路はあからさまな王子様キャラをやめた。セーラー服も着るようになったし、段々と言葉遣いも女の子っぽく変わってきた。変わったというよりは本来の大路を取り戻したというべきだろう。

 それが最近、また王子様に逆戻りしているらしい。ジャージ姿に殿下喋りで、以前にも増してわざとらしいぐらいに男っぽい振る舞いをしているという。


「へえ、折角女子らしくなったと思ったのにな」


「いえ、今の大路は今までで一番女子らしいと思いますよ。女子というより、乙女って感じです」


 ん? 男のフリしてるのに乙女? どういうこと?

 何か知ってるのか? そう笹原に聞こうとした時、部室のドアが勢いよく開かれた。

 視線を向けると、そこにはジャージ姿の王子様。


「たのもう! 卜部先生っ、私をムキムキにしてくれ!」


「大路? 体を鍛えたいのか?」


 彼女は背は高いが肉は全く付いてなく痩せすぎなぐらいだ。しかし男ならともかく、女の子なんだから気にするほどじゃない。


「鍛えたいというか、卜部先生みたいになりたいのだ。さあ、私を細マッチョにしてくれ。む、これを挙げればいいのか? よし、やってみせよう」

 

 大路はズカズカと部室の中に入ると、ベンチプレス台に腰をおろしバーベルに手を伸ばした。俺は咄嗟に怒鳴り付ける。


「触るな!」


 バーベルは笹原用に八十キロにセットしてある。大路ではラックから外す事も出来ないとは思うが、落としたりしたら大怪我だ。俺の怒鳴り声に大路は慌てて手を引っ込めた。


「何キロだと思ってる、初心者が見よう見まねでやるな! 一朝一夕で俺や笹原みたいになれる訳ないだろう!」


 筋トレで一番重要なのは無理をしない事だ。見栄を張ろうとして体を壊した人を何人も知っている。正しいフォームで適正な重量を挙げる、それが絶対に守るべきルールだ。


「す、すまない。軽く考えていた」


 しゅんと身を縮こまらせ、しおらしく謝る大路。ジャージを着ているが髪は肩口まで伸びており、見た目はすっかり女の子っぽくなっている。


「どうしたんだ、少し考えれば無茶だってわかるだろう。お前らしくもない」


「む、なんだ、その……」


「ぷっ、あははは!」


 口ごもる大路に笹原が吹き出して笑った。


「恋は盲目って言うけど、あの大路がこんな風になるなんて、あはは」


 恋? 大路が恋してるって?


「さ、笹原、こんな所で暴露するな。下級生もいるんだぞ」


「別にいいじゃん。僕なんて体育祭の時に全校生徒の前で告白したんだし」


 それは笹原がヘタレだったからだろ。そう言えば体育祭ではもう一人、超絶イケメンが全校生徒の前で告白してたな。まあ、その相手は俺なんだけどな。


「卜部先生、大路はね。二年の林が好きなんだってさ。だから先生みたいになりたいんだって。あはは」


 ぶほっ。大路が、林を?

 大路の顔を見ると茹でダコの様に真っ赤になっている。どうやら笹原の言う通りらしい。


「宗ちゃんが好きとか、また難儀な相手ですねえ先輩」


 奥田がそう呟くが、それももっともな事だ。林は俺が好きらしいからな。しかも全校生徒の前で公言するほどにだ。抄子先生にはきっと冗談だよなんて話しているが、どう見ても本気だろう。


「宗ちゃん? 奥田、林とはどういう関係なんだ? ん? 親しいのか? ん?」


 呼び方が気になったのか立ち上がり近付くと、エアロバイクのハンドルを握り奥田に詰め寄る大路。その目はすわっている。


「幼稚園から一緒だってだけですよ。好きとかそんな関係じゃないです」


「む、ただの幼馴染みか。すまない、取り乱してしまった」


「っていうか、本当のライバルがそこにいるじゃないですか」


 誰がライバルだ。俺は林の為に誰かと戦う気なんて更々ないぞ。

 しかし、そういう事か。林が好きだから俺を分析していて俺の様になりたいと。


「くだらんな、帰れ大路。ここは筋トレ部兼ダイエット部だ。部外者立ち入り禁止だ」


 よく他の部活から器具を使わせて欲しいと頼まれる事があるが、我が部ではそのほとんどを断っている。正しい使用方法を知らないと怪我をするからだ。だから基本的に部室も部員以外立ち入り禁止にしている。


「トベ先生、ちょっとぐらい相談に乗ってあげてもいいじゃない。冷たすぎるよ」


 俺の態度を奥田がいさめるが、取りつくしまを与えない。


「いいか大路、お前が俺になっても意味がないんだ。俺の代わりでいいのか? 良くないだろう? そんな暇があるならさっさと林をデートにでも誘ってこい。わかったら出ていけ」


「……そうだな、卜部先生の言う通りかもしれない。私は私で頑張ってみよう。失礼した」


 一つ頷くと大路は部室を出ていった。

 奥田の言うように少し冷たかったかもしれない。だが、これが俺なりのエールだ。あいつ自身が林に好きになってもらわないと後になって辛いだけだ。人の代わりなんてなるもんじゃない。


「やっぱり熱血ですね卜部先生は」


「違うよ、俺より顔のいい奴の恋愛相談なんて聞きたくないだけ」


「え? じゃあ何で僕の時は助けてくれたんですか?」


「……お前は俺を持ち上げたいのかおとしめたいのかどっちなんだよ」


 笹原のヨイショを、そんな照れ隠しで返した。




 トレーニングが終わり、片付けを笹原達に任せてグラウンドに足を運んだ。サッカー部の連中が帰り支度をしている。

 林に声を掛け、帰る準備が出来たら中庭に来てくれと頼んだ。先に中庭に行ってベンチに腰を降ろして林が来るのを待つ。

 五分程で林が来た。隣に座らせる。


「帰る前に悪いな」


「いえ、卜部先生と話せて嬉しいです! 何でしょうか?」


 本当に俺と話すのが嬉しいのだろう。嬉々とした表情で声も弾んでいる。その顔を、今から曇らせなければならない。心が痛むが、仕方ない。


「林は俺の事を好きだって言ってくれたな。今もそうか?」


「は、はい! 僕は先生が好きです!」


 改めて言われると嬉しいものだな。同性愛の気はないし、その前に生徒からの想いに応えるわけにはいかないが、やはり好意を持ってもらえるのは嬉しい。そして応えられないのなら、はっきりとその意思を伝えるべきだ。


「俺には付き合っている女性がいる。林の想いには応えられない」


 林の表情に影が差した。

 付き合ってくださいとか、どう思っているかとか聞かれた訳ではないのだから、結論を伝える必要はないのかもしれない。だけど、これはけじめだ。


「で、でも! 想うのは自由ですよね」

 

「はっきりいうと迷惑だ」


「――っ!」


 これは抄子先生という恋人がいる俺のけじめなのだ。身勝手な事を一方的に言っているのかもしれない。


「恋人とはこのまま交際が順調にいけば結婚してもいいと考えている。だから迷惑だ」


 ここまで言う事はないのかもしれない。でも、脈が全くないと分かれば次の恋だって始めやすいのかもしれない。

 ……別に大路の為じゃない。さっき言った通り林や大路みたいな顔のいい奴等に気を使うほど自分に余裕なんてないんだから。


「ぼ、僕の事は嫌いって事ですか?」


「恋愛対象としては興味がない。別に好きでも嫌いでもなくて興味がないな。勿論林は大好きな生徒の一人だ。だから今後も何でも頼って欲しい。でも、俺が好きだという相談には応える訳にはいかない」


 好きの反対は嫌いではなく無関心だと言う。林にはその言葉通り、一生徒としてしか興味はない。生徒としてしか愛していない。

 

「す、好きでもいちゃいけないと?」


「そうだ。忘れてくれると助かる。じゃあ俺は部室に戻る。時間を取って悪かったな」


 立ち上がり、歩き出した。後ろから鼻をすする音が聞こえたが歩みを止めることなく、中庭を後にした。



『徒然ww 二十六段 移ろふ、人の心の花』





 

 








 響いたなあ。

 ――俺の代わりでいいのか? 良くないだろう?――


 そりゃあ、飾らない私を好きになって欲しい。

 自信がないんだ。私は自分に自信がない。だから王子キャラを求められればそう演じてしまうし、林が卜部先生を好きだと知れば卜部先生の様にならなくちゃと思ってしまう。

 はあ、自分が嫌になるな。

 深い溜め息をつき自習を切り上げ、家路につこうと教室を出た。


「大路」


 クラブハウスの前を通り過ぎた時、足早に歩く私の足を卜部先生の声が止めた。


「卜部先生、先程は悪かった。こんな気持ちは初めてで、私自身も舞い上がってるとは感じてるんだ」


「不安になるのはわかるよ。でも大路はそのままでも魅力的だから、お前のままでぶつかっていけばいいさ。あ、そうそう、たまには後輩の部活動の成果を見てやったらどうだ? 中庭に綺麗な花がいっぱい咲いていたぞ」


「そう言えば最近中庭には行ってないな。そうだな、今から寄ってみよう。ありがとう卜部先生」


「頑張ってな」


 じゃあな、と手を挙げて部室へと入っていった。

 

 そうだ、こんな沈んだ気持ちの時は花を見るに限る。中庭に寄っていこうか。

 私は運動も苦手だし、音楽なんかもからっきしだ。だから部活は園芸部だった。王子キャラがすっかり定着してしまったから皆意外に思うが私は花が好きだ。遥とも同じ園芸部で仲良くなったんだ。

 

 二年校舎と三年校舎の間には中庭がある。中庭は園芸部の領域テリトリーだ。今は葉牡丹が見事に咲いていた。もうそんな季節なんだな。直にクリスマスだ、恋人と過ごせたら最高だろうな。よし、林を誘ってみよう。クリスマスは無理かもしれないけど、冬休みのどこかでデートに誘おう。林が想いを寄せる卜部先生は生物学上は男だが、何、私も王子と呼ばれて久しい。林が私の事を好きになる可能性もゼロじゃない。

 林の事を考えていたから、ベンチに座る彼を見た時に声が出そうになった。深呼吸を一つして彼に近づく。

 ん? 様子がおかしい。泣いてないか?

 

「どうしたんだ? 色男が台無しじゃないか」


 隣に腰掛けハンカチを差し出す。林は受け取ると自分の涙を拭い、やがて私に返した。後で匂いをかぐとしよう。って変態みたいだな。しかし仕方ないのだ。恋する乙女は変態にもなるのだ。


「私でよければ話してみろ。すっきりするかもしれん」


「ふっ、フラれちゃいました……ひぐっ」


 涙を流す男なんてみっともないと思っていたが、やはり美男子というのはすごいな。林は泣き顔さえもかっこいい。


「そうか。林は卜部先生が好きだったな。付き合えないと言われたのか?」


「うっ……興味がないと言われました。好きでいられると迷惑だって」


 酷な言い方だが卜部先生らしい。変に期待を持たせるよりもバッサリふった方が相手の為になることもある。

 というか、中庭に行けと言ったのはこの為か。あれだけ突き放しておいて結局、どこまでもお節介な人だ。


「そうか。失恋はキツいな」


「し、失恋って日本語はおかしいんです! 例えフラれたって僕の恋心はなくなる訳じゃないのに!」


「そうだろうな。今は存分に泣け」


 そうだ。林に他に好きな人がいたって、私のこの好きな気持ちはなくならない。むしろ、卜部先生に恋をする林を好きになったのだとも言える。


「お、大路先輩は失恋した事ないんですか?」


「ん、絶賛失恋中とも言えなくはないな。ま、私はまだ告白していないからスタートラインの上だ」


「なんだ、大路先輩も告白すればいいのに」


「勝手な事を言うな。こちらにだって事情がある」


 流石に傷心中の相手の心の隙間につけいる様な真似は出来ない。


 嘘、怖じ気づいているだけ。


「大路先輩みたいに可愛い人なら上手くいくでしょ、さっさと告白して幸せになってください」


「可愛い? ほ、本当か?」


「皆そう思ってますよ」


 皆じゃなくていい。林一人に可愛いと言って貰えれば私はそれでいいの。


「そうは言っても、告白はまだ時期尚早だろう。しかし、一歩踏み出さなければ何も進まないのも確かだ。なあ林」


「何ですか?」


「映画は好きか? 遊園地でもいい。私は滑れないがスケートもいいな」


「……? どういう事でしょう?」


 気合いを入れろ。頑張れ私。


 王子キャラの仮面を借りて、余裕たっぷりに微笑みながら言葉を返す。

 本当はドキドキして、余裕なんて欠片もないのに。


「私とデートしよう」


 葉牡丹が咲く中庭に、私の声はよく通った。




【徒然草 二十六段 現代訳】


 風が吹き終わらないうちに散ってしまう、移ろいやすい人の心の花。甘い一時を思い出せば、愛しい恋人の言葉、囁きの一つ一つが、まるで抜けないトゲの様に今も心をチクチクと刺す。そんなあの人も今では私のものではなく他人なのだから、人の心変わりはある意味死に別れより悲しいものなのかもしれない。

 

 だから人は白い糸を見ると必ず汚れて黄色くなってしまう事を想像してしまうし、一本道を歩いているのにまだ訪れない分かれ道を恐れたりする。


 堀川院の百首会にて詠まれたものにこんな歌がある。


 昔見し 妹が垣根は 荒れにけり 茅花まじりの 菫のみして


 遠い日の恋人を思いだし、感傷に浸る姿が思い浮かぶ。



【和歌の意訳】

 昔の恋人の家の前を通ったらそこの垣根が荒れていた 垣根の中に菫の花が混じっていた




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