九十九段 累代の公物、

【徒然草 九十九段 原文】


 堀川相国ほりかはのしやうこくは、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差くわさこのみ給ひけり。御子おんこ基俊卿もととしのきやう大理だいりになして、庁務ちやうむ行はれけるに、庁屋ちやうや唐櫃からひつ見苦みぐるしとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、この唐櫃は、上古しやうこより伝はりて、その始めを知らず、数百すひやく年を経たり。累代るいだい公物くもつ古弊こへいをもちて規模とす。たやすく改められ難き由、故実こしつの諸官等申しければ、その事止みにけり。




【本文】


 尾張名古屋は城でもつ。

 民謡、伊勢音頭の有名なこの一節は誰もが一度は耳にした事があるのではないか。

 名城めいじょう金鯱城きんこじょうなどと呼ばれる名古屋城は一六〇九年に徳川家康の天下普請によって建てられた。城郭として全国で初めて国宝指定を受けたこの城は、残念ながら第二次世界大戦の名古屋空襲でその大部分を失ってしまった。その後、一九五九年に現在の天守閣が再建されて今に至る。


「くう~! 来たぜ名古屋城!」


 自主研修行事という名前の、いわゆる秋の遠足で名古屋城にやって来た。金のしゃちほこを冠する天守閣を前に大興奮の堀川がピョンピョンと跳ねながら喜びを爆発させている。

 堀川は城マニアなのだ。

 

「落ち着け堀川。他のお客さんの迷惑にならないようにな」


「落ち着いてられるかって! あの天守閣に入る事が出来るのもこれが最後なんだぜ!」


 うっひょー! 名古屋城だあああああ! あばばばばば!


「来週から木造復元工事で観覧出来なくなるからな。気持ちはわかるが落ち着きなさい」


 うわあああああ! 最後なんて嫌だああああ! ボク今日は天守閣に泊まる!


「わかったよ先生。復元も楽しみだけど……この天守閣とお別れなんて寂しいよな」


「そうは言ってもな、もう決まった事だ。この天守閣は壊されて新しい……あたら……うわあああ! 嫌だよおおおお! 木造じゃなくてもいいじゃん! 今のままでいいじゃん!」


 俺の心は決壊した。

 バタバタと駄々っ子の様に手足を振り回す俺を生徒達が冷やかな目で見ている。

 だってしょうがないじゃないか。俺も城マニア、いや、月イチで通っているほどの名古屋城マニアなのだ。



『徒然ww 九十九段 累代の公物、』



「大阪城、熊本城と並び日本三名城に数えられる名古屋城は、関ヶ原の戦い以後も勢力を持ち続ける豊臣秀頼への備え、威嚇の為に建てられたものだ。つまり殿様の居住用や観光用なんかに見られるなんちゃっての城ではないのだ! バリバリの戦闘用! それが名古屋城なのだ!」


 二年四組の生徒達の後に続き大天守の入り口へと向かう。俺はさながら名古屋城のうんちくを垂れ流す名古屋城botと化していた。

 

「はあ。堀川君、何とかしてよ。あれ仲間なんでしょう?」


 堀川と同じ班の中根がうんざりとした表情でため息をつく。あれとは何だあれとは。


「一緒にするなよ! この人は名古屋城の事を親みたいに思ってんだから。先生、お願いだから天守の中では大人しくしていてくれよ」


「それは保証できん。天守に入ったら自分を抑えられる自信がない」


 名古屋城天守は木造復元工事の為に来週から入場を禁止される。今の天守は解体され、新しい木造の天守が建造されるのだ。この鉄骨鉄筋コンクリートの名古屋城に入る事が出来るのもこれが最後なのである。俺は泣いてしまうかもしれない。


「あーもう! 何でこの人が名古屋城の担当なんだよ!」


 何で? そんなの決まっている。


「立候補したからに決まってるだろう」


「だろうね! ほら、先生、中に入るよ」


 大天守の入り口に着いた。俺は立ち止まり腕を広げ、入り口横にそびえ立つ石垣の一つをギュッと抱き締めた。


「待ってくれ、お別れをさせてくれ」


「お別れって、石垣は新しい天守にもそのまま使われるんだろ?」


 実は木造天守の復元計画には色々と問題があり、文化庁の許可が降りていない。

 そもそも巨大すぎる大天守を木造で造る事自体が違法建築であること。

 今の設計ではエレベーターなどの設置計画がなく、バリアフリーの基準を満たしてないこと。

 そして石垣の耐久性だ。恐らく新天守を造るには今の石垣では耐えられないという予想だ。しかし石垣は特別史跡に指定されており、空襲にも耐えた戦国時代からある本物なのだ。コンクリート造りの天守より石垣の方が遥かにその文化価値は高い。耐久性が不足しているからと言ってじゃあ石垣も作り直しましょう、という訳にはいかないのだ。市側は石垣をそのまま使うつもりだと言っているが、どう転ぶか現状ではわからない。


「嘘! 先生知ってるんだから! どうせ石垣も掘り返して修復するんでしょ? そのままなんて無理に決まってるもの! マジ卍!」


「何のキャラだよそれ……はあ、もうほっとこうぜ」


 生徒達は俺を無視してスタスタと中に入っていく。名残惜しいが石垣に別れを告げて俺も後を追う。



 

 天守閣5階。頂上展望室の一つ下のこの階ではあのしゃちほこのレプリカに触れる事が出来る。どころか、なんと乗れるのだ。

 俺は真っ先にしゃちほこに跨がった。


「聞いてよしゃちほこ~。俺さあ、彼女出来たんだよ~」


 名古屋の大学に通っていた事もあり、俺は何かある度にこうして毎回しゃちほこに会いに来て、近況を報告したり愚痴をこぼしてきた。

 親にねだってやっとの思いで買って貰ったサソリのゾイドが開けてみたらヤドカリのゾイドだった時も、初めて出来た彼女に浮気された上にフラれた時も、親友が事故で亡くなった時も、この金のしゃちほこに跨がって自分を慰めてきたのだ。


「せ、先生。大人で乗ってるの先生だけだよ。恥ずかしいし、ほら、小さい子が待ってるから代わってあげてよ」


 中根の言う通り、近くで五歳くらいの子供が俺が降りるのを待っている。しょうがない、もうちょっとだけ乗ったら降りよう。


「わかった、あと一時間だけ!」


「すぐ降りろ!」


 無理矢理引き摺り下ろされてしまった。


「はあ、トベ先生が名古屋城の事になるとこんなにポンコツになるとは思わなかった」


 中根は再度ため息をつくが、もう堀川もフォローしてくれない。皆、一様に呆れていた。


「木造天守を復元して再び名古屋城を国宝に! っていう市の言い分はわかる。けどな、先生にとっては、緑の屋根瓦の、エレベーターが後付けで出っ張ってて不格好の、しゃちほこに乗れるこの天守こそが名古屋城なんだよ」


 名古屋城は全国的にも珍しく、戦国時代に書かれた設計図などが多く残っている。だから当時をそのまま再現するんだ、という色気が出てしまうのもわかる。コンクリート造りの天守も確かにもう古く、大地震には耐えられないかもしれない。安全面からも補修か建て直しが必要だろう。

 でも、それでも。

 子供の頃から見てきた名古屋城が無くなるのは寂しい。


「でもさ、先生。百年後とかの人達が新しい名古屋城を誇りに思ってくれたら嬉しいじゃない。やっぱ木造で良かったなって言ってくれたらそれでいいじゃない。そりゃあ俺達は寂しいけど、今までいっぱい思い出を貰ったんだし、大事なのは俺達の子供の世代に良いものを残してあげる事だと思うんだよね」


 堀川が俺を諭すように話す。

 確かに大地震が起きて今の城が崩れるより、しっかりとした名古屋城に生まれ変わるのならそれでいいのかもしれない。そして俺が今名古屋城を愛しているのと同じ様に孫やさらに孫の時代の人達に新しい名古屋城が愛してもらえるなら、そんなに嬉しい事はない。


「先生には進路、言ってなかったよね。俺、建築学部の大学行ってさ、名古屋市役所に入るのが夢なんだよね」


「建築学部?」


「うん。名古屋城の補修に携わりたいんだ。だからさ、今は不安かも知れないけど、先生の夢、俺に預けてよ。悪い様にはしないから」


 そう言って立てた親指をビシッと俺に向ける。思わずにやけてしまい、また乱暴に頭を撫でてやった。


「本当にお前はいい男だな。惚れてしまいそうだ。期待してるよ」


「任しといて! 自慢のお城にして見せるからさ!」


 堀川の自信満々の声に、心なしかしゃちほこが笑っているように見えた。




【徒然草 九十九段 現代訳】


 久我基具大政大臣はイケメンで生まれもよく、何でも派手な物が好きな男だった。次男の基俊を検非違使庁の長官に任命し仕事に精を出していた。

 ある日庁舎に置いてある中国の家具を指差し、「あの小汚ない家具は何だ。みっともないから新しいのを作らせろ」と申し付けたが、「あれは古くから伝わる物でして、いつの物か誰もわかりません。数百年前のアンティーク品だからこそ非常に価値があります。新しいものでは替えがきかない一品でございます」と歴史やしきたりに詳しい職員が説明すると、大臣は納得なされた。



【作者からお断りとお願い】

 名古屋城の天守閣、本作では秋まで公開されているような書き方がなされていますが、実際には平成三十年の五月をもって入場禁止となっています。

 私も今の名古屋城には愛着があり寂しくもありますが、新しい天守を楽しみに待ちたいと思います。

 


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