六十二段 ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字
【徒然草 六十二段 原文】
ふたつ文字、牛の
恋しく思ひ参らせ給ふとなり。
【本文】
朝。職員室で準備をしていると珍しい来客があった。
真っ白なブラウスに灰色ベースのチェックのスカート、髪はお洒落なレイヤーショートボブ。東高校の制服に身を包んだ女子生徒だった。
「おはようございます。あの、北条長明はいますでしょうか? 父がお弁当を忘れてしまったので届けに来ました」
見た事ある顔だなあと思ったが、そうだ、北条先生にそっくりなのだ。確か北条先生の所は高校生の娘さんと小学生の息子さんの二人だったはず。長女って父親に似るんだよなあ。
そこへちょうど、顧問をしている剣道部の朝練を終えた北条先生が職員室へと戻ってきた。
「あれ
「どうしたんだじゃないよ! はい、お弁当。ここに入るのすっごい恥ずかしかったんだから」
娘さんはぷくーっと頬を膨らませて、可愛らしいピンクの巾着袋を北条先生に押し付けた。
「ああ、弁当忘れてたな。ありがとう、母さんは?」
「駐車場。車の中で待ってる。じゃあ私も学校行くから」
娘さんは職員室を出ていこうと背を向けたが、何かを思い出したように振り返った。鞄から取り出した栄養ドリンクを照れながら渡す。
「その……お仕事頑張ってね」
かーわーいーいー!
もう何なの? 娘って素晴らしくない?
「ありがとう。明奈も、いってらっしゃい」
手を振る北条先生に行ってきますと返すと、恥ずかしそうにペコリと頭を下げて娘さんは出ていった。
「いい娘さんですね」
「失礼、生意気な娘でお恥ずかしい」
「いえ、暖かいご家庭の様子が見えるようです。羨ましいです」
いいなあ娘。もし抄子先生と家庭を持ったら初めての子供は俺も女の子がいいなあ。抄子先生の子供ならきっと可愛いだろう。あ、でも長女なら俺にそっくりになるのか。そいつはゴメンだ。
「おはようございます。卜部先生お願いします」
抄子先生と築く幸せな家庭を妄想していると、
「卜部先生、今日お弁当だって忘れてました。家に電話をかけたいので電話を貸してください」
今日は二学期が始まって二日目。
うちの中学、というかうちの市の中学は二日目からもう一日授業となる。半日なのは始業式の日だけだ。
それなのに給食が始まるのは三日目からで、今日は皆弁当を持ってくる日なのだ。
「お父さんいるのか? 後で集金するけど、弁当頼んでもいいんだぞ」
望月の家は父子家庭だ。平日は父親も仕事に出掛けているだろう。
「今日はお父さん休みだから大丈夫です。作って持ってきて貰います」
「そっか。やっぱりお父さんの弁当の方がいいよな」
子機を渡してやると望月は自宅に電話をかけた。
『徒然ww 六十二段 ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字』
三時間目。四組の国語の授業。
「じゃあ昨日提出して貰った生活作文を返すから、何人かに読んで貰おうと思う」
夏休みの宿題で生活作文を出した。子供の感性はとても素晴らしくていい作文もいっぱいあったから、せっかくだし読んで貰う事にした。
「じゃあ俺から指名するぞ。まず望月……」
コンコン。
ノックの音に授業を中断する。
「はい。どうぞ」
ガラガラと音をたてて引き戸が開けられる。
「すいません。望月花菜の父親です。弁当を持ってきました」
望月が席を立ち、お父さんの所に駆け寄って弁当を受け取った。
望月から発せられる早く帰れオーラを感じ取ってお父さんはそそくさと帰ろうとするが、それを俺が呼び止める。
「あ、お父さん。今日はお休みなのですよね? 良かったら授業をご覧になって行きませんか?」
「はあ、よろしいのですか?」
「是非。丁度今から望月に作文を読んで貰うところだったんです」
俺が提案すると望月は声を荒げた。
「先生? お父さんの前であの作文を読めって言うの?」
「感謝を伝えるいい機会じゃないか」
望月は今回「家族」をテーマに作文を書いてきてくれた。お父さんに見て貰うにはピッタリである。
「わ、わかりました」
観念して望月は席に戻る。
お父さんも教室の後方に移動し、父兄一人の授業参観が始まった。
コホンと一つ咳払いをして望月は作文を読み上げ始める。
――弁当箱の花畑
私の家は父子家庭です。九才の時に母が亡くなり、私と父で、まあ、何とかやっています。
中学生になって、もう甘えるのは卒業しようと家事のほとんどを引き受けました。
家の掃除も。料理も。洗濯も。
ついでに、父の事をパパからお父さんと呼ぶようにしたら少し寂しそうでした。でも甘えん坊は卒業なのです。自立した女性は父親の事をパパなんて呼んだりしないんです。
よく思春期の女の子は父親と一緒に洗濯されるのが嫌だと言うけど、私の場合そんな事言ってられません。だって、分けたら二回も洗濯機回さなきゃいけないもの。ただでさえ時間がないのにそんなの非効率すぎて笑っちゃいます。
ほぼ私が家事をこなしていますが、ごみ出しともう一つ、父にやって貰っている事があります。
それはお弁当づくりです。
正直、もう私の方が料理も上手です。それに父の料理は脂っこくて塩っ辛くて、ダイエットを気にしている女子中学生にはキツいのです。
だけど、お弁当は別。
母が生きていた頃、母の作ってくれたお弁当はとても華やかで可愛らしかったんです。ニンジンも私の名前と同じに花の形にしてくれて、うずらの卵にも顔を描いたりとか。
でも、母のお弁当はもう食べられなくなってしまって、ものすごく寂しくて悲しくて。だけど、父が初めて作ってくれたお弁当の蓋を開けたら、そこにはお花畑が広がっていました。
どこで調べたのか、ハムで薔薇の花を作ってあったり、ウインナーも蛸さんだったり。勿論料理なんてずっと母任せで包丁も碌に握った事のない父だから、ニンジンなんて花というより手裏剣だったけど、私には嬉しくて嬉しくて。クラスの皆に「これお父さんが作ってくれたんだよ!」って自慢して、皆もすごいねって言ってくれて、母が亡くなってから初めて上機嫌で家に帰りました。
今でもずっと、父のお弁当はお花畑です。私の方が料理が上手でも、これだけはまだまだ父に甘えたいと思います。
そう言えば最近父にちゃんと感謝していなかったかもしれません。今度お弁当の容器を父に返すとき、「パパ大好き」とか言ってみようかな、なんて。本当は、まだまだ甘えたい年頃だから――
読み終えると、望月はクルリと後ろに向き直って、最高の笑顔で言った。
「パパ大好き。いつも、ありがと」
すぐに照れて、正面を向くと顔を真っ赤にして着席した。と同時にクラスメイトから大きな拍手が起こる。
望月のお父さんは目に涙を溜めて、生徒の前だからか泣くのを我慢していた。
こういう時に感極まって涙する人間をからかう子なんてうちのクラスにはいない。だから我慢なんてしないで思いっきり泣いてしまえばいいのだ。
そう、俺みたいにね。
「うおーいおいおいおい。うえーんうえーん……ずびっ」
俺号泣。
「何でおじさんが泣いてないのに先生が泣いてるんだよ!」
「こんなん泣くに決まってんだろ! ずびっ」
近藤のツッコミに俺は鼻をすすりながら答えた。むしろこれで泣かない奴は人間じゃない。
「気持ちはわかるけど!
あーもう鼻水垂れてる! きったないなー!」
しばらく教室には俺の男泣きの声が響いていた。
四時限目の授業が終わり弁当の時間。
皆の興味は当然、望月のお弁当だ。あの子の机の周りには人だかりが出来ている。
蓋を開けると、わあっという歓声。
作文の通り、お父さんの作ってくれたお弁当はお花畑みたいだった。レタスの上にはハムで作られたリングフラワーと花の形に型どられたチーズとニンジン。女の子らしい、可愛らしい弁当だった。
でも一番の花はお弁当箱の上。
望月の笑顔が誇らしげに咲いていた。
【徒然草 六十二段 現代訳】
後嵯峨上皇の皇女、悦子内親王がまだ幼少の可愛らしい頃、父君の住む仙洞御所、二条富小路殿を訪ねに行こうとする人に「
「ふたつ文字 牛の角文字 直ぐな文字 歪み文字とぞ 君は覚ゆる」
父の事を「恋しく」思う、そんな歌である。
※和歌の意訳
なぞなぞだよ。 線が二本の文字と、牛の角みたいな文字、真っ直ぐな文字に歪んだ文字。繋げて読むとなーんだ? 私のお父さんへの気持ちだよ。わかるかな?
漢数字の二みたいな文字=こ 牛の角みたいな文字=ひ 真っ直ぐな文字=し 歪んだ文字=く
こ ひ し く = 恋しく
答え・お父さんの事を恋しく思っています
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