十三段 文をひろげて

【徒然草 十三段 原文】


 ひとり、ともしびのもとにふみをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。


 文は、文選もんぜんのあはれなる巻々、白氏文集はくしもんじゆう、老子のことば、南華なんくわの篇。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。




【本文】


 夏休み真っ只中、部屋のクーラーがぶっ壊れた。

 慌てて電気屋に駆け込んだが早くても五日はかかるそうだ。今日の最高気温は三十九度らしい、このままでは死ぬ。

 命の危険を感じて涼をとるため、そして野暮用を済ませようと図書館へ向かう。

 我が家のアパートから徒歩二分に町立の図書館がある。町立というと小さく思えるかも知れないが、人口四万人と町にしては大きく、それに大手企業の製作所がいくつかあり財政は潤っている。五年前に完成した図書館もかなり立派なものだった。


 図書館の隣、アパートの真向かいには公園がある。遊具やビオトープなんかもあり図書館に負けじと立派なのだが、流石にこの暑さで遊んでいる子供はいないだろう。サッと通り抜ける。

 誰もいないと思ったが、公園のベンチに腰を下ろした若い女性の姿が目に入った。

 帽子も被らず、太陽の下ずっとスマホの画面を見ている。

 ん? あの女の子、高坂じゃないか?

 高坂憂里こうさかゆうり。吉田中学校の三年生だ。確か今は三組だったか。

 二年前、まだ経験が浅く担任を持てなかった俺は、高坂の一年生の時の副担任を務めていた。特に問題もない優秀な生徒という印象だ。眼鏡に長い黒髪で、いかにも文系少女って感じ。国語の成績も良かったと思う。

 暑くないのだろうか? こんな日除けも無いところじゃ熱中症になるぞ。軽く注意しておこう、そう思い近付いて声をかけようとした。


「高坂、長時間外にいると危ないぞ」


「……」


 俺の声に顔を上げるが、フラッと頭が揺れたかと思うとベンチに仰向けに倒れ込んだ。慌てて駆け寄る。


「おい! 高坂!」


「暑い……でも……続き読まなくちゃ……」


 うわ言のようにブツブツと何かを呟いている。きっと熱中症だろう、救急車を呼ぶべきか?


「おい高坂! 意識はあるか?」


「はい。ありますよ。太陽が反射してスマホの画面が見えなくて」


「え?」


 意外にもハッキリとした返事が返ってきた。

 どうやらスマホの画面が見辛くて仰向けになっただけらしい。高坂は読んでいたウェブ小説に熱中していたようである。

 まったく紛らわしい、ぶっ倒れたかと思った。



『徒然ww 十三段 文をひろげて』



「くーっ! 頭キンッキンするっ!」


 コンビニの一角、イートインコーナーで高坂はフローズンパフェの冷たさに頭を押さえた。

 水筒も持ってなく、せめて水分を取らせなければ危険だろうと連れてきたのだ。流石に俺の部屋に入れる訳にはいかないし(そもそもクーラー壊れてるから無理だが)、図書館は飲食禁止だからな、近くのコンビニにやって来た。

 なんか奢ってやると言ったらこいつは遠慮なく五百円のパフェを頼みやがった。対して、俺は百円のアイスコーヒーを飲みながら向かい合う。


「しっかしお前、何でこんなクソ暑いのにあんな所でスマホいじってたんだ?」


「最初は図書館に居たんですけど、ずっとスマホ見てたら図書館の人に怒られちゃって。あのオバサン超怖かった」


「ああ、司書のオバサン超怖いよな。俺も何回も怒られて……っと、それは置いといて。それで公園にいたのか。家じゃダメなのか?」


 クーラーがあるんだったら自分の部屋でダラダラとスマホを弄るのが一番だろう。


「うちでラノベ読んでると母が五月蝿いんです。そんな下品なモノ読まずに純文学を読みなさい! って」


 ラノベが下品か。まあ、読まない人から見たらそう思うのも仕方ない。確かに最近のラノベの表紙やタイトルは段々と過激になっている。これはラノベに限らず、漫画にも言える事だが。


「なるほどな。ラノベはエロ本予備軍、そう思ってる人もいるだろうな」


 でも純文学と言われる物にだって性描写の物凄いやつはいっぱいあるけどな。


「うちの母もそう思ってるんです! 中身をちゃんと読んだ事ない癖に、パッと見で批判しないで欲しいの! 純文学なんてナルシストで自虐的でつまんない! 先生だって国語教師だから母みたいな考えかもしれないけど……」


「そんな事ないぞ、俺だってラノベはよく読む」


 一番好きなのは歴史小説だが、国語の先生になるくらいだから、俺だって本の虫だ。純文学も大衆文学もラノベも詩集も何でも読む。


「本当っ?」


 高坂は目を輝かせた。同じ趣味を話せる仲間が身近にいないんだろうな。俺も文芸論を語れる人間なんて周りにいないからちょっと嬉しい。


「ああ。大体な、俺は純文学の自分達が最高だと思ってるところが許せない。文芸の高みが純文学とか笑わせるなって思うよ。サッカーのスーパープレーってさ、誰が見てもすごいじゃん。ダ・ヴィンチとかミケランジェロの絵とか彫刻だって、一般人が見ても感動するだろ? それに比べて純文学はどうだ? わかりにくい事この上ない! 素人が見てもさっぱりわからん! そんなものが頂点として君臨している事に吐き気さえ俺は感じるよ!」


 勘違いしないで欲しいが、俺は太宰治も小林多喜二も芥川龍之介も大好きだ。夏目漱石も井伏鱒二も樋口一葉も、特に宮沢賢治の銀河鉄道の夜なんて俺のバイブルだ。好きすぎてそらんじられるほどだ。 

 

「後の世代の奴等が先人達をあまりに敬うばかりに純文学なんて大層な名前をつけて一段上に上げてしまったんだ! 純文学を若者から遠ざけたのは他でもない純文学信者どもだ! それなのに若者の文学離れを嘆くとかどうかしてるよ! ああ、ほんたうのさひはいとは……」


「先生っ! わかりましたから!」


 おっといけない、ヒートアップしてしまった。

 とにかく、俺は文芸作品をジャンル分けする事自体にも抵抗がある。面白いか面白くないか、それだけでいい。フィクション小説、ノンフィクション小説、エッセイ、詩集ぐらいのざっくりとした分けかたでじゅうぶんだと思う。


「すまん、熱くなってしまった。で、高坂は純文学の何を読んだんだ?」


 ナルシストで自虐的と言っていた。確かに純文学は内面と向かい合うものが多いからそう思うのも無理はない。しかし、純文学の面白さとはその著者の心の内を覗く事にこそある。文字を通して著者と会話をするのだ。問いかければ次の文で答えてくれる。そして著者とのやり取りの中で、自分自身の内面とも向き合う事が出来る。


「え? いえ、ちゃんと読んだことは……国語の授業で触ったぐらいで……」


 は? ちゃんと読んだことないのに批判だけはするって?


「お前、それじゃラノベを先入観だけで駄目だって言うお母さんと同じじゃないか」


「う……、だって、わかりにくいし……」


 俺の指摘に、高坂は下を向いて黙ってしまった。


「ちゃんと批判するのってな、オススメするより難しいんだよ。じっくり読まなきゃわからないからな。そうか、読んだ事ないなら尚更読んだ方がいいな。高坂、今そのスマホで読んでるやつ、どういう話だ?」


 ウェブ小説なら恋愛かファンタジーか? 同じ系統の純文学と呼ばれる作品なら読みやすいかもしれない。


「えっと、現代を舞台にしたローファンタジーです。女子高生が醜いモンスターの姿になるの。はじめは家族にも彼氏にも拒否されるんだけど、段々と受け入れられて元に戻る方法を探すっていう」


「それ、カフカの『変身』のオマージュじゃないか」


「カフカ?」


「ああ。オーストリア? ドイツだったかな? ヨーロッパの作家の代表作。ある朝いきなり主人公の青年が毒虫になって、家族との軋轢や自身の葛藤を描いた作品だ。気持ち悪さはあるが、いい作品だよ」


 そういうとあれだな、今流行りのTSものは全部カフカのオマージュって事か。


「グロいのは苦手かなあ……」

 

 グロは嫌か。じゃあ『たけくらべ』とかかなあ。


「樋口一葉もオススメだけどな。なぜか心に染み入る」


「んー、昔の人は文体がなあ、目が滑るっていうか」


「そりゃあ昔だからな。今の文章より堅くて当たり前だ。実際古いんだから仕方ないさ。でも、その感性はむしろ今でも最先端だ。宮沢賢治なんて今読んでも頭がおかしい」


 だって笑いかたがかぷかぷなんだぞ? なんだよかぷかぷって。


「頭がおかしいって、それ誉めてるんですか?」


「ああ、最上級に誉めてる」


「ぷっ、わかりました。私の敗けです。何か一つ、有名なのを読んでみます」


「ああ、純文学に触れてみて合わなければもう読まないでいい。だけど、一度は読んでほしいよ。あ、でも来年は受験だろ? 勉強もしっかりな」


「私、夏休みに入ってから毎日七時から十二時までと夕方五時から八時まで勉強してるんですけど、足りませんか?」


 毎日八時間、ちゃんと計画をたてて。素晴らしいな。


「いや、じゅうぶんだ。読書が息抜きになれば嬉しいよ。有名どころなら図書館にあるだろう。そうそう、図書館にはラノベだって置いてあるぞ」

 

 「えっ! そうなんですか? ラノベなんて置いてないかと思った。なんだ、そうなら図書館にいればよかったなあ。御馳走様でした先生。お話もとても為になりました」


 椅子から立ち上がってゴミを片付ける。俺の分のゴミまで捨ててくれた。

 やっぱり三年生にもなると大人っぽいな。しっかり礼も言えるし言葉も丁寧だ。それでいてパフェ食べるとか子供らしいところもちゃんとある。うん、いい子だ。


「ああ、もう暑い中で無理するんじゃないぞ。それと、図書館にこもるなら家から水筒を持ってくるか、飲み物買えるようにお金を持ってこい」


「あはっ、忠告ありがとうございます。失礼します」


 深く頭を下げると、高坂はコンビニを出ていった。





 翌日。

 今日も俺は図書館に来た。ああ涼しい。

 長椅子には高坂が座っていた。横には何冊か本が積まれている。ライトノベル数冊と、宮沢賢治の銀河鉄道の夜、そして彼女の手には恋愛小説。


「高坂」


「あ、卜部先生こんにちは。早速読みましたよ宮沢賢治。やっぱり変態でした」


「だろう? 今読んでるのはどうだ?」


「これ? ああ、なんか、著者の名前が来夢☆みんととかふざけてたから内容が気になって。すごい乙女チックでいいですよ。私恋愛系興味なかったけどハマるかも。きっとこの著者は恋愛経験豊富な女性でしょうね」


「そうか、いいか。俺も読んでみようかな」


 白々しく嘘をつくが、俺は不意に自分の作品を誉められて浮き足立っていた。でも、それ俺が書いたんだぜなんて言えない。


 ――ゾクッ。


 不意に背筋が凍りついた。背後に感じる殺気。

 恐る恐る振り返る。


 鬼婆がいた。司書のおばちゃんが般若のような顔で立っていた。


「卜部先生! 貴方また勝手に自分の本を棚に並べたでしょう! 管理できないから止めてくださいって何回言ったらわかるんですか!」


 そう、野暮用とは売れ残った自主出版の可哀想な本をせめて読んでもらいたくて、こっそり図書館の本棚に並べる事である。

 見つかって返却、懲りずにまた置いて見つかって、と繰り返している。


「出たな鬼婆! じゃあな高坂、またな! その本、お前にやるよ」


「え? 先生?」


 脱兎の如く駆け出しその場を脱出する。


「コラー! 図書館では走らない!」


 涼みに来たのに逆に汗をかいてしまったがしょうがない。布教活動の道は長く、辛く、険しいのだ。




【徒然草 十三段 現代訳】


 一人、スタンドの灯りの下、本を広げて昔の文豪達と心を通わせるのは実に楽しく、癒される事だ。

 オススメは文選や白氏文集などの中国の詩集や、老子や荘子などが書いた文献。

 それに日本の有名な先生方の書いた物もいい。特に古いものに外れはない。


 ※注 老子、荘子=中国の古い思想家









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