★八段 心惑はす
【徒然草 八段 原文】
世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
【本文】
恥骨にメガヒットする異性の仕草ってあるよね?
俺の場合、髪の長い女の子がポニーテールにしようとして、両手で髪を上げようとする時にヘアゴムを口でキュッとくわえるあの仕草。
あれが最高。
と言っても、そんな状況なんてなかなか出くわすもんじゃない。陸上部の女の子はポニーテールが多いとか言うけど、俺は中学、高校と文化部だったからスポーツ女子とは無縁だった。だから恋い焦がれるだけでお目にかかれるとは思ってなかったんだよ。
それが今、正に今、隣で抄子先生がポニーテールを結おうとしてヘアゴムをくわえているではないか。
しかも髪をかきあげた時にシャンプーの匂いがふんわりと漂ってきて、恥骨どころかその奥にある俺の海援隊にダイレクトアタック。
スポーツ女子っていいよね。ひき締まった二の腕とか、ぷるっぷるのふくらはぎとか、もう芸術品。
俺はヘアゴムになりたい。
『徒然ww 八段 心惑はす』
という訳で夏休みのある日、俺の通っているボルダリングジムに抄子先生とやってきた。抄子先生は今日が初めてだが、ずっとボルダリングに興味があったらしい。じゃあ俺が教えましょうかとなったのである。
ボルダリングとはスポーツクライミングのスタイルの一つで、ロープやハーネスなどの道具を使わずにシューズと滑り止めのチョークのみで登るスポーツだ。ジムの場合、壁に打ち込まれたホールドと呼ばれる突起物を頼りにゴールまで登っていく。勘違いしている人も多いが、屋外で本物の岩を登るのもボルダリングである。要はロープ無しで三から四メートル程の岩、ないし壁を登るのがボルダリングなのだ。
最大の特長として、身軽でなければならない為にかなり薄着になる。
改めて抄子先生の格好を見てみようか。
長い髪は高い位置でポニーテールにまとめられ、ボーダーのタンクトップの外側に白く細い肩を露にしている。Dカップの胸は窮屈そうにスポーツブラに押し込められ、スパッツの上に短パンという最低限の腰装備はその形のいいお尻をくっきりと写し出していた。
控えめに言って最高かよ。
ありがとう、ボルダリングをこの世に広めた人。お陰で素晴らしいものを見る事が出来た。そりゃあオリンピック種目にもなって当然だ。健全なエロスとは実に素晴らしい。
さて、登る前に準備運動をする。
何故かというと、ストレッチの名のもとに合法的に背中に触れる事が出来るからだ。他に理由などない。
彼女の背中の感触を十分に堪能した後、登り方の説明をしようと壁の手前に移動するが、その時入り口がガヤガヤと騒がしくなった。そちらに目をやると、慣れ親しんだ面々が入ってきた。二年四組の生徒たちである。相田、工藤、小西、斎藤、
「あれ? トベ先生に抄子先生じゃん。デート?」
「ああ、そうだ……」
「ちちち、違います!」
違わないのだが、照れからか抄子先生は顔を真っ赤にして全力で否定した。そういうところも可愛い。
「子供達だけか? 保護者は?」
ボルダリングは危険なスポーツだ。子供だけでの入場を断っているジムも多い。
「私の叔父さんがさ、ここのスタッフなの」
なんと、スタッフのSさんが渡辺の叔父らしい。渡辺の家はボルダリング一家なのだそうだ。その事をクラスメイトに話したらみんなもやってみたいと言い出し、やって来たという。
俺もこのジムには通い出して5年程になる。月に一、二回ほどしか来てないからそこまで上手くないがスタッフとも付き合いは長くそれなりに親しい。そうか、Sさんが渡辺の叔父さんだったとは世間は狭い。
「杏? 卜部君の事知ってるのかい?」
「うちの担任の先生」
「教師だとは聞いていたけど、まさか杏の担任の先生だとは。じゃあ卜部君、悪いんだけどこの子達の面倒見て貰えるかな? 本当は僕が見なきゃいけないんだけど、実は他に団体の予約が入っていて首が回らないんだ」
せっかくのデートだったが仕方ない。課外授業に変更だ。
了承するとSさんは頭を下げながら受付に戻っていった。
「じゃあ軽く説明するぞ」
渡辺以外は全員初心者との事で、抄子先生も一緒に教えていく。特に安全については口が酸っぱくなるほど繰り返した。このジムでもたまに怪我人が出る、降りる時の注意事項なんかは特に念を押しておく。
次は自宅でやっておくといい筋トレについて。
ボルダリングは女性でも出来るが、筋肉もあった方がいい。特に前腕と広背筋をよく使う。
「あ、私知ってますよ広背筋を鍛えるトレーニング。ええと、懸垂の手を広い幅でやるやつ。英語で確かチン……」
抄子先生はある程度ボルダリングについて調べてきたらしい。生徒の手前いいところを見せたいのだろう、俺が言う前に割り込んで答えた。
「チンチング!」
チンニングな。
チン(顎)をバーの上に上げる様子から、チンに進行形のINGをつけてチンニングだ。抄子先生の言った通り日本の懸垂より広い手幅で行うことにより広背筋を刺激する。
断じてチンチングではない。仮にチンチングだったら、ワイド懸垂とか、日本ではそういう名前になってたと思うの。チンチンを放置しないと思うの。
「へえ、チンチングかあ」
英語だからと変な風には取らなかったのだろう、生徒たちは納得してしまった。今指摘したら恥ずかしさで抄子先生は死んでしまうだろう。後日修正するとしよう。
一人だけ、正しく意味を理解している渡辺は必死に笑いを堪えていた。肩をプルプルさせている。
「先生、筋肉ないと登れないの? 俺ヒョロヒョロだし運動神経もないし」
「そんな事ないぞ。華奢な女性でも俺よりすいすい登ってく人はいっぱいいる。要は体の使い方だ。ムーブっていう技術を身に付けると一気に力がいらなくなる」
「ムーブ! 私知ってますよ。体をねじったりすると足に体重かけやすくなって腕が楽になるんですよね? ねじるやつ、何て言ったっけ。ええと、ダイ……ダイ……」
先程と同じようにでしゃばる抄子先生。何だろう、嫌な予感がする。
「ダイゴアナル!」
それを言うならダイアゴナルだ。
ダイゴさんのアナルはねじらずにそっとしといてあげてください。もしここに林がいたら超反応をしただろうが、ここにいる生徒たちはベジタリ男ばかりだ。渡辺以外アナルをスルーである。
本来、ダイアゴナルとは対角線という意味の英語で、右手と左足、左手と右足を対角線上に置いて体をねじっていく基本ムーブの一つだ。これが出来ると驚くほど手の力が必要なくなる。なるべく始めの内にダイアゴナルを身に付けると成長も早くなる。肛門は一切関係ない。
「最後はホールドの種類だ。それぞれに適した持ち方ってのがあってな。この出っ張った奴は握らずに指をかけるんだ」
「私そのホールド知ってますよ! クリフハンガーみたいに指だけでぶら下がるやつ。ええと、カ……、カ……」
わかっている。惨事になる事は目に見えている。でも俺には彼女を止められない。
「カッチカチ!」
ブホッ! っと遂に耐えられなくなった渡辺が噴き出した。
正解はカチだ。
窓の枠のような、少ししか持つ所がないクリフハンガーみたいなホールドの事をカチと呼ぶ。確かに固いが、カッチカチなんて名前ではない。逞しい男恨とは関係ない。大体、男のカッチカチにぶら下がろうとするな! 体重かけられたらさすがに折れるわ。
はあ。
まだ登る前なのにすっかり疲れてしまったが、気を取り直して実践に入る。
「じゃあ登っていくか、渡辺。見本見せてくれ。三点支持の説明がしたいから、ダイアゴナル使ってゆっくりな」
「はーい。トベ先生の前だから張りきっちゃお」
手にたっぷりと滑り止めのチョークの粉をつけて、壁のホールドに手をかける。
スタッフのSさんによると渡辺は俺よりも上手いらしい。すいすいと楽そうに登っていく。
「渡辺の手足が一つずつしか離れてないのわかるか? 三点支持って言ってな。四本ある手足のうち、必ず三本はホールドに触れていた方がいい。そうする事で落ちにくくなるし、腕にかかる負担を小さく出来る」
「はいゴール」
ゴールのホールドを両手でタッチする事で課題クリアだ。
ゴールした渡辺は下方に誰もいない事を確認すると手を離し飛び降りた。降りる際には確実に安全確認する事をもう一度説明しておく。
「じゃあ説明は終わりだ。登ってみよう」
長くなったが安全の事だからしょうがない。ようやく説明を終え、初心者向けのルートをそれぞれ順番に登っていく。
やはり若いと覚えが早いな。皆どんどん登れるようになっていった。
抄子先生もうちのクラスの女子達と楽しそうに談笑しながら登っていた。いいなガールズトーク。俺も混ざりたい。
「ねえトベ先生、抄子先生がね、トベ先生が難しいの登ってるとこ見たいって」
不意に女子たちからそんな言葉。
「俺?」
「うん。パワフルなトベ先生の豪快なクライミングを見たいんだって。だから、これ登って」
渡辺が指差したルートは上級者向けのかなり難しいやつだった。今まで挑戦した事はない。
「これを? おい、さすがにこの難易度は……」
「やる前から諦めるの? いつも私たちには難しい事にも恐れずチャレンジしろって言ってるのに」
う……。そう言われると登らない訳にはいかない。
まあ、駄目なら駄目で落ちるだけだし、やってみようか。
スタートの体勢からすでにキツい。難しいのになると、これどうやって掴まるんだ? っていうようなホールドばかりだ。
しかし生徒たち、それにマドンナが見ている。意を決して右腕を伸ばし次のホールドを掴む。少しずつ、何とか登って行く。
「トベ先生~! ゴール出来たら抄子先生がおっぱい触らせてくれるって!」
マ?
本気を出そう。絶対に登ろう。
「ちょ、ちょっと渡辺さん!」
「抄子先生もイヤじゃないんでしょ?」
「そういう問題じゃありません!」
頑張って登って行く。幸せの二つの山にタッチするため、ゴールのタッチを目指して登って行く。しかし七割ほど登ったところで止まってしまった。手を伸ばすが次のホールドを掴む事が出来ない。そんな俺に渡辺が新情報。
「頑張ってトベ先生。さっき話してたんだけどね、抄子先生ちょっと太ったんだって。今だけEカップなんだって」
規格外のEカップ。しかも期間限定だと? 思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
「何言ってるの渡辺さ……ちょっ! どこ触ってんの!」
背中を向けている為見えないが、どうやら渡辺がそのEカップのテイスティングをしているらしい。けしからん。是非実況をお願いします。
「うわっ、すご! 沼じゃん! どこまでも指が沈んでいくの!」
巨乳は沼。
なるほど名言である。やはり両手に収まりきらないんだろうか? あのサイズだ、どう収納してやろう……あ。
ヤバい。
おっきくなっちゃった。
チンチングがカッチカチになってしまった。
やる気を高めようとご褒美を想像していたら想像しすぎてしまったようだ。
鎮めようと海ガメの産卵シーンを思い浮かべるが、渡辺が更に追いうちをかける。
「ふっわふわ! ふっわふわだよ! ビッグサイズのマシュマロおっぱいだよトベ先生!」
ありがたい情報だが、今は勘弁してください。
「渡辺! いい加減にしろ! 女性同士だってセクハラだ! 場所をわきまえろ!」
「ご、ごめんなさい」
しおらしい声で謝罪する渡辺。
場所をわきまえろとは勿論、自分自身に言った言葉だ。公共の場でテントはってんじゃねーぞと。しかも生徒たちの前だ。
く、これ以上登るのは無理だ。しかし降りる事も出来ない。俺も下半身は薄い短パンなのだ。もっこりを生徒たちに見られる訳にはいかない。軽く死ねる。
焦れば焦るほど手に汗が湧いてきて、ホールドから段々と手が滑り落ちていく。やがてツルンッ、と完全にホールドから手が離れた。
駄目だ、落ちる!
?
落ちなかった。
奇跡だ。
俺のカッチカチがカチに引っ掛かったのだ。
手足はホールドから離れてしまったが、カッチカチが見事に一点支持を成功させていた。
「あれ? 先生浮いてない?」
「マジだ! どうなってんのあれ! 神通力?」
いえ、チン通力です。
「すげー! 神通力だ! 仙人だ! 仙人だ!」
どうも。おっぱい仙人です。
ってそんな事言ってる場合じゃない! 痛い痛い! 折れる!
さすがに全体重を長い間支えるなんて無理だ。あまりの痛さにさすがにカッチカチはしぼんでいき、俺はマットの上に落ちた。
「あーあ、残念。登れなかったね先生」
「馬鹿言うな。ゴールしてしまったら抄子先生が困るだろう。わざと失敗したんだ」
何事も無かったように、俺は精一杯カッコつけた。
「じゃあ先生今日はありがとう。さようなら」
夕方、暗くなる前に生徒たちは帰っていった。
俺と抄子先生は夕飯に行こうかと車に乗り込む。
「抄子ちゃん、今日はごめんね。まさかうちのクラスの子達と出くわすとは思わなくて。せっかくの休みなのにゆっくり出来なくてすいません」
「ううん、逆に良かったかな」
「良かった?」
「うん。登っている時もカッコいいけど、やっぱり兼好君は生徒たちに囲まれて笑ってる時が一番素敵だから」
そう言って彼女は微笑んだ。夕陽の光が眩しそうに目を細めると、そのまま優しく笑った。
俺も同じ事を思った。
確かに抄子先生の魅力は数え上げればキリがない。
母性を表しているかのような大きい胸。
幼さの残る顔立ち。
細くて長くて綺麗な指。
締まった二の腕、ぷるっぷるのふくらはぎ。
でも。
やっぱり。
何よりも。
君の笑顔が、一番好き。
【徒然草 八段 現代訳】
人を乱すのは何と言っても性欲が一番だろう。人は簡単に堕ちていってしまうものだ。
匂いなんていい例で、それがシャンプーや香水の香りとはわかっていても、ついその匂いを追って、その人自身にも焦がれてしまう。
飛行の術をマスターした久米の仙人のこんな逸話がある。飛行の修行中に、川で洗濯物を踏んで洗っていた乙女のふくらはぎに目を奪われて神通力を失い地に墜ちてしまったという。
スポーツだったり、日々の仕事などで不意に目にする乙女の無防備な素肌なんかは、彼女達の飾らないそのままの魅力だから、心を奪われたとしても致し方ない事だろう。
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