三十五段 手のわろき人
【徒然草 三十五段 原文】
手のわろき人の、はゞからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。
【本文】
飲みニケーションが苦手。最近ではそんな人も多いだろう。
かくいう俺も、飲み会はそんなに得意ではない。あまり酒に強くないのも理由の一つではあるが、吉田中学校の飲み会には交代で余興をやらなければならないというルールがある。俺はこれが苦手なのだ。
元々ぼっち気質ってのもある。スポーツも大人数でやるような野球とかサッカーよりも、一人でもくもくとやるようなロードバイクやボルダリングの方が好きだ。みんなで「ウェーイ!」ってやる雰囲気に馴染む事が出来ない。
パリピなんて爆発してしまえばいいのだ。
『徒然ww 第三十五段 手のわろき人』
「卜部先生、今度の飲み会の余興何やるか決まりました?」
職員室で朝の準備をしていた俺に、北条先生が熱いコーヒーの入ったカップを差し出しながら聞いてきた。
「ありがとうございます。いやあ、まだ何も。こういう時は教頭先生のようにいつもの芸があると楽ですよね」
教頭先生は落語が趣味で、毎回飲み会では余興で落語を一席披露してくれるのだ。
しかし、これがつまらない。全く上手くないのである。
「また今回も下手な落語聞かされるんでしょうね。何回やってもあそこまで下手だと逆に才能ですよ」
酷い言い種だ。だが無理もない、北条先生は教頭先生に仕事をよく押し付けられていてる。最近髪が薄くなってきたのは教頭先生のせいだとよく愚痴っているぐらいだ。
「まあまあ、教頭先生の数少ないご趣味ですから。ああ、うまい。やっぱり北条先生の入れてくれたコーヒーが一番です」
批判に追随しても何の益体もない、北条先生のご機嫌をとってうやむやにしてしまおう。
そんな俺に助け船。
「おっはよーございまーす! 失礼しまーす!」
勢いよく開けられたドアと元気な挨拶。
ポニーテールと八重歯がトレードマーク、2年5組の
「トベセンセー、これ作ってきたんです。毒味お願いします!」
「毒かもしれない物を恩師に食べさせようとするんじゃない!」
と言いつつ、変な色をしたクッキーの包みを受け取る。あれ、本当に変な色してるな。マジで毒かもしれない。
「何だかんだ言っても食べてくれるトベセンセー大好き。ナンプラーとコチュジャン入れてみたの。感想お願いしますね」
食べなくてもわかる不味いやつやん!
ええい、こんなん持って帰れるか!リボンをほどいて真っ赤な色のクッキーを差し出す。
「どうぞ北条先生。教え子の手作りクッキーですよ」
「ええ? 私? そ、その、教頭先生に呼ばれていたんです。早く行かないと」
と、逃げる様に教室を出ていった。というか逃げた。
しょうがない。クッキーを何個か掴んでまとめて頬張った。
辛っ、臭っ、辛っ!
「不味い。不合格。お菓子作りはレシピ通りにって何回言えばわかるんだ」
「焼肉のタレにコチュジャン入れるとご飯が進むでしょ?クッキーだって手が止まらなくなるかなって。ナンプラーは家にあったから」
なんとなくでナンプラーを使うな!
奥田は料理がド下手なくせに、こうしてよくお菓子を作って持ってくる。その度にボロクソに言ってやるのだが、こいつは懲りることがないのだ。自信満々にクソ不味い菓子を持ってくる姿はいっそ清々しい。
「いいか、料理に大切な事を二つ言うぞ。一つ、余計な事をするな。もう一つ、余計な事をするなだ」
要するに余計な事をせずにレシピ通りに作れば失敗などしない、という事だ。料理の下手な人は決まって、待てない、守らない、味見をしないの三本の矢を持っている。そんなものへし折ってしまえ。
「わかりましたわかりました。次は頑張りますから。じゃ、部活で」
首だけで礼をして職員室を出ていった。次なんてなくていいよ本当。
「奥田さんは卜部先生に本当に懐いてますね。担任は私なのに、羨ましいです」
隣のデスクに着いた抄子先生のシャンプーのいい匂いがクソ不味いクッキーの匂いを上書きしてくれる。
「まあ、色々ありましたからね。奥田とは」
以下、回想である。
初めて担任を持った去年、夏休み明けに奥田陽菜が不登校になった。
何度も自宅に足を運んでいると信用してくれたのか、理由を話してくれた。
なんでも、好きな男の子が「太った女は女性として見れない」と話していたのをきいてしまったそうだ。
それ以来恥ずかしくて、学校に行けなくなってしまったと言う。
確かに当時奥田は太っていた。65キロぐらい。まあ太っていた。
だから俺は自分の高校の時の写真を見せた。178㎝で48㎏のガリガリの写真を。
成人してからひょんな切っ掛けで筋トレに目覚めて、今では73㎏だが、子供の頃はヒョロヒョロでよく馬鹿にされた。だから奥田の気持ちはわかる。そして人は変わる事が出来るのだと俺は身をもって知っている。
痩せるぞ奥田、とご両親にも協力してもらって半年後、見事奥田は50㎏まで減量した。可愛くなった。
「それでも高校生の時の先生より重いけどね」
って笑ってくれた。その笑顔を見て、もう大丈夫だなと思った。
学校にも来るようになって、俺は校長にどうやったのか聞かれたのだ。
「ダイエットさせました」
そう答えたら、何故か俺はダイエット部兼筋トレ部の顧問にさせられていたのだ。
以上、回想。
今では、部活動から溢れてしまった子供達の受け皿としてダイエット部兼筋トレ部は存在している。
奥田なんかはもう普通の部活動でもやっていけると思うんだけどな、好きな男の子が今度は「料理の上手な女性が好み」と言っていたらしい。今は料理に精を出している。全く上達していないけど。
そのような事があって、俺も奥田には思い入れが強いし、彼女も俺に懐いてくれているのだ。
放課後、そんな頑張り屋の奥田が俺に助けを求めてきた。場所はクラブハウス棟の一階、我が部のトレーニング室だ。
「何回やっても綺麗に出来ないの。助けて先生」
男子の制服のズボンを手に泣きそうな顔の奥田。
好きな男の子のズボンが破れていて、奥田が「部活終わるまでに縫っといてあげる」とズボンを預かった。が、不器用な奥田は綺麗に縫えず、その部分だけ不自然になってしまっていた。継ぎ当てもしてないようだ、それでは綺麗になんて出来ないだろう。家庭科室に行って適当な切れ端を持ってきてやった。
奥田の手からズボンを奪うと、糸を抜いて破れた状態に戻して返す。
「ほら、見ててやるから。もう一回やってごらん」
「何回もやってるの。でも出来ないから頼んでるの」
何で男の国語教師に裁縫を頼むんだこいつは。もっと他にいるだろう、家庭科の先生とか。
「駄目だ。それはお前がやらなくちゃ意味がない。やれ」
大丈夫。俺はお前がちゃんと頑張れるって事知ってるから。
さて、飲み会である。
奥田だって苦手な事を頑張ったのだ、教師の俺が嫌な事から目を背けてはいけない。余興だって精一杯やろう。
そうして披露した太宰、芥川、宮沢賢治というラインナップの日本の文豪の想像モノマネは滑りに滑り、教頭の落語よりも酷い評価を受ける事となった。合掌。
【徒然草 三十五段 現代訳】
字の汚い人が、気にせずに手紙を書き散らしている様子はむしろ清々しい。
逆に恥ずかしがって、人に代筆させるなんて事はいやらしいことだ。
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