六十四段 車の五緒は

【徒然草 六十四段 原文】

 

 「車の五緒いつつおは、必ず人によらず、程につけて、極きはむる官・位に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰せられし。




【本文】


 朝の通勤時間帯。車はいくつも連なり、のろのろとしか進まない。渋滞である。

 あくびを一つ、中空に放つ。閉めきった車内に眠気がふよふよと浮かんで、窓を開けて外へと逃がしてやる。

 ポケットから清涼剤を取り出すと、片手で開けて荒っぽく口に放り込んだ。ボリボリと砕く音が脳内に響く。スッとした頭にラジオから流れるロックンロールが追い討ちをかけて、自分の安全スイッチを入れ直した。



『徒然ww 六十四段 車の五緒は』



 先程から、後続の車両が気になっている。やたらと車間距離を詰めてくるのだ。白く大きい外車特有の幅広い車体がバックミラー一杯に広がる。

 個人的な所感であるが、大きい外車に乗っているドライバーには横柄な運転をする人が多い様に感じる。

 気持ちはわからんでもない。大きくて、高級な車に乗ると自分も大きく、強くなったような錯覚に陥る。自然と気も大きくなるというものだろう。


 俺の左腕には高級な腕時計がついている。王冠がトレードマークの世界的にも有名なやつだ。とてもじゃないが、社会人5年目の若造が持てるような代物ではない。就職祝いに親父がくれたものである。

 腕時計は所詮腕時計だ。たかが腕時計に何十万円も出すのは馬鹿だと思う人もいるだろう。しかし、これが生徒の親と話す時に役に立つ事がある。高級な腕時計をしていると身に付けている人間も立派に見える事もある。現実はそんなではなく、まだまだ社会の事なんて全然わからないガキだ。でも、いつかこの腕時計が本当に見合うような男になれと親父は言ってくれた。その言葉を胸に、俺は今日も生徒達と真摯に向き合うとしよう。 


 車も同じである。高級車も、外車も、お金を出せば買える。いい車に乗っているからと言って、乗っている人間が偉くて立派とは限らない。逆に、高級車が無理な割り込みや傲慢な運転をすると車の品位まで下げてしまう。

 そう思うと、本当に立派なのは、制限速度を守り、十分な車間距離をとって、横断歩道に人がいれば停まって譲るような運転をする。そんなドライバーが一番偉くて立派であると俺は思う。

 

 大切なのは物を使う人間の志だ。左腕の腕時計を見て、それを教えてくれた親父の顔を思い出しながら、少し早目にウインカーを出した。




【徒然草 六十四段 現代訳】


 「飾り付きの高級車は乗る人が決まっている訳ではない。適当に偉くなれば誰だって乗れるのだ」と、ある人がこっそり教えてくれた


 五緒いつつお…鎌倉時代の牛車に施された豪奢な飾りの事



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