百十六段 寺院の号、
【徒然草 百十六段 原文】
寺院の
何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、
【本文】
期末テスト最終日の午後、職員室。
午前で全教科の試験が終了し、グラウンドからは再開された部活動の元気な声が聞こえてくる。担当教科である国語のテストも終わり、採点作業に取り掛かっていた。
「あの、
「
数学教師の
「実は今回の数学の試験、卜部先生のクラスの山田なんですが……」
「山田が? 悪かったんですか?」
山田は学年でいつも二十番以内と優秀な生徒だ。わざわざ言ってくるほど点数が悪かったのかと身構える。
「零点です」
「へっ?」
「山田の答案用紙がないんですよ」
「え? でも、そんなはずないですよね?」
まさか。数学のテストの時は俺が四組の試験官をやっていたのだ。山田も真面目に問題を解いていたし、最後に俺が枚数の確認もした。
「あ、卜部先生。社会のテストも山田君は零点です。というか、山田君なんていません」
「ええ? 抄子先生まで何を……。まさか、国語も?」
慌てて四組の国語の解答用紙を確認する。そして山田のものらしき用紙に書いてあるそれに俺は愕然とし、一瞬で頭は沸点に達した。
校内放送の機材がある窓際へとダッシュ。勢い良くスイッチを入れ、マイクに向かって叫んだ。
「二年四組の
そう、解答用紙の名前の欄には「
『徒然ww 百十六段 寺院の
「失礼しまーす」
吹奏楽部を抜け出し、体操服姿の山田が職員室にやってきた。
「よく来たな
隣の抄子先生の椅子を拝借し座らせ、麦茶をだしてやる。キンキンに冷えたやつだ。
「いただきます。あー、うめぇ。キンッキンに冷えてやがる」
「
「あー、はい。怒ってる?」
「怒ってない。放送は、その、悪かったな。他の先生方の手前、つい頭に血がのぼってしまったんだ。今は怒ってない」
「抄子先生の前で恥ずかしかったって事? それはすいませんでした」
うちのクラスの生徒はよく抄子先生との仲を冷やかしてくる。相手にしてないけど。
「違うわ! いや、違わないんだけどさ。それよりもお前の事だ。何であんな名前書いたんだ?」
「ナイトメアとか流行ってるけど、俺やっぱり暗黒面よりもさ、明らかに正義側っていうか、光の使徒みたいな方が好きで」
「なんで輝ける聖光をチョイスしたのか聞いてんじゃねーよ! 何で本名を書かないのか聞いてるんだ、理由があるんだろ? エゴかもしれないが、悩みがあるなら聞いてやりたいんだ」
「自分の名前が嫌いだから」
「だからってお前、
何だよX二つでダブルクロスって。カッコいいじゃないか。
「最近よくからかわれるんだよ。本当にうんざりなんだ」
「からかわれる? 誰に?」
軽いからかいがエスカレートしていじめになる。俺はつい身を乗り出した。
「ん、持田とか、近藤とかが先頭で。でも、みんな笑う」
山田は話してくれた。良かった、俺はそれなりに信頼されているようだ。
詳しく聞いてみると、からかわれるのは四時限目の十二時丁度。
うちの中学は近くに町役場があって、十二時になると音楽が鳴るのだ。それが教室でもはっきりと聞こえる。
「おい山田、役場が呼んでるぞ」とか、「しょーごーしょーごー♪」と音楽に合わせて歌ったりとか。
今では十二時の音楽が鳴るだけで、クラスメイトがクスクスと笑うという。
こいつは由々しき問題だな。早めに何とかしなければならない。
その日は解答用紙の名前を書き直させて、部活動に戻らせた。
そして俺は学校を出る。
特別授業の準備の為だ。
翌々日、四時限目。
うちのクラスの国語の授業である。
期末テスト問題の解説をしていた。
そして、十二時。役場から音楽が聞こえてきた。
――クスクス、クスクス――
何人かが笑った。男子だけじゃない。女子の声もある。
さらに近藤が小声で「しょーごー♪」と歌った。
山田も笑っていた。でも、本当は傷ついている。
「何が可笑しい?」
明らかに怒気のこもった声を出した。
俺の声色に教室はシンと静まり返る。
卜部先生の特別授業を始めようか。
「おい近藤、期末テスト、山田が全教科無記名で出したの知ってるか?」
山田の名誉の為、無記名という事にしておく。
「い、いえ。知らなかったです」
「何でか、言わなくてもわかるよな? みんなもわかるよな?」
「で、でも、正午って変じゃん? 正午だよ?」
言い訳する姿に怒鳴りたくなるが、抑えて、代わりにチョークを黒板に叩きつけて書きなぐった。
――伽沙鈴――
「知り合いの子供の名前だ。なんて読むかわかるか?」
「え? か……?」
「キャサリンだ」
答えを言うと、どっ! と大きな笑い声があがった。
「なんだよ伽沙鈴ってー!」
「キャサリン……あははは」
「お父さんがイギリス人でな。娘はキャサリンにすると昔から決めていたそうだ。でも奥さんの祖国の文字をどうしても使いたいと、苦手な漢字を調べてこの名前をつけたんだ。それでも笑えるか?」
再び教室はシーンとなる。
「上っ面だけ見て笑ったりからかったりするのは、金髪の若者を見てなんだアイツは! って吐き捨てるジジイと同じだ。そんな人間にはなるな」
「でも山田の親は日本人だし……漢字がわからない訳じゃ……」
「これ、何かわかるか?」
教卓の引き出しから封筒と一枚の紙を取り出す。
「一昨日、山田のお母さんにお会いして来たんだ。で、これを預かってきた」
「母さんに? なんで?」
「お前に自分の名前を好きになってもらう為だ。これはな、母子手帳のコピーだ。娩出時間てのは、つまり産まれた時間の事だな。十二時零分、つまり正午だ」
封筒を開け、手紙を読み上げる。
――正午は初めての子供で、難産でした。丸一日以上かかって、本当に死ぬかと思いました。やっとの思いでお腹から出てきれくれたのが、十二時丁度でした。そして正午と名付けました。だから、十二時の放送が聞こえてくる度、この子を幸せにしよう、しっかり育てようって毎日気を引き締めて、愛情を再確認するんです――
しばらくの沈黙の後、近藤が謝った。
「ごめん山田、俺が悪かった」
「俺も、ごめん」
「私も笑ってごめんね山田君」
近藤を皮切りに、みんなが次々に山田へ謝罪する。
「これを聞いても今後、山田の名前を馬鹿に、いや、人の名前を馬鹿にするような奴がいたら俺は許さん! 絶対に許さん! いいな?」
はい! っと、全員で大きな返事。いいクラスで良かった。
――キーンコーンカーンコーン――
「よし、今日はここまで。さあ給食だ給食!」
ガダガタっとそれぞれ席を立ち、給食の準備に取りかかる。
「先生」
職員室へ向かう俺を、山田が引き止めた。
「さっきの手紙、もらってもいい?」
元々山田に渡す予定だった。ほい、と手紙とコピーを手渡しする。
「家帰ったら、両親にありがとうって伝えてみるよ」
そう言って、山田は満面の笑みを浮かべた。
翌日、四組の国語の授業にて。
「じゃあ次、近藤読んでくれ」
「はい」
椅子をガタンと後ろに下げ、近藤は立ち上がり朗読を始める。
――希美は花の世話をしていた。せわしく働く彼女を見ると、胸が締め付けられ、そして同時に暖かくなる。愛シイ、苦シイ、アイクルシイ――
「ぶほっ! お、お前それは!」
近藤が読んでいたのは俺が大学生の頃に自費出版で出した恋愛小説だった。一体どこで見つけやがった?
ペンネームは……恥ずかしくて言えない。
「え? どうかしましたか? 来夢☆みんと先生?」
「え? 何、来夢……?」
「あれトベ先生の書いた小説だって」
「ウソ、来夢☆みんとって名前なの?」
ザワつく教室。しかし笑い声はない。いっそ笑えよ。
「その名前で呼ぶな! っていうか、笑えよ! 可笑しいだろ来夢☆みんとなんて!」
「いや先生。俺達、人の名前を笑ったりしないよ。で、先生。来夢☆みんとってどういう意味なの?」
「か、勘弁してくれー!」
俺の叫びが教室にこだまする。
二年四組は今日も平和だった。
【徒然草 百十六段 現代訳】
寺院にしても、他の何物にしても、昔はわかりやすい名前をつけたものだ。
しかし最近は、いかにも物凄く考えましたと言わんばかりの凝った名前を目にする事があり、嫌らしく感じる。
人の名前も、読めないような漢字を使っても何の意味もない事だ。
何事も、珍しさを求めて、わざわざ一般的な事でないものを善しとするのは、頭の悪い人がする事である。
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