第9話 土方歳三、暗躍する
土方歳三は、そう心に決めていた。誓ったと言ってもよい。
幼い頃から、この見てくれの所為で、強い者に踏まれてきた。
踏まれたら、千倍で踏み返す──それが歳三の覚悟であった。
その為ならば、時と手間は厭わない。
隣村の餓鬼大将であれば、じっくり苦手を探り、夜討ちをかけた。
しかし何如せん、今度の相手はあやかしである。化け物相手の立ち回りなど、まるで心得がない。
(ならば、どうする)
喧嘩の定石は、まず相手を知ることだ。
それには、おのれより知る者。素養があり、博識な人物。つまり、
──
「妖狐についてですか?」
山南敬介は、手にした本を閉じた。頼山陽の『日本外史』だ。近藤勇を相手に、よく新田義貞がどうの、南公がどうのと講釈垂れていた。
試衛館の西陽が差す納戸である。静かだからと、よく籠もっている場所だ。
山南は、仙台伊達藩脱藩と称する浪人者である。剣は小野派一刀流を遣い、さらにお玉ヶ池の千葉道場で北辰一刀流を修めた。
その手練れが、なぜか垢抜けない天然理心流の試衛館に寄食していた。
道場破りに訪れ、道場主の近藤周助や勇の人物に感じ入ったから、とは聞いているが、歳三は、他にも
学者肌で目立つこともなく、試衛館にもすぐに溶け込んだ。
しかし、歳三に言わせると、
「欠点のない奴は、信用ならねえ」
つまり、馬が合わない二人であったのだが、背に腹は変えられない。宗次郎に憑いた〈狐〉を探るべく、それこそ山南の蘊蓄を求めて声をかけたのだ。
「妖狐とは何か、教えてくれ」
山南は、明らかに面食らっていた。
そうだろう、と歳三も思う。
(俺だったら、気が触れたとでも思うだろうよ)
しかも、自他共に認める水と油。犬猿の仲とまでは言わないが、親しいとは言い難い。
「妖狐、ですか」
「そうだ。ついでに退治の仕方もわかると、なお助かる」
歳三は、愛想よく言った。山南は案の定、目を白黒させている。
「頼ってくれるのは嬉しいのですが、妖怪退治とは……」
「なんでもいいから、知っていることを教えてくれ」
穏便にいきたいとは思うが、馬鹿馬鹿しさと腹立たしさに、畳み込むような口調になった。
それをどう取ったのか、山南は「わかりました」と、深く頷いた。
「妖狐とは」
と、歳三が身を乗り出す。
「漢籍における
山南は、どこか嬉しそうだ。
「しかし一方では、
「退治、したのか」
「ええ。『殺生石』の一番はご存知ですか?」
「
山南は頷く。
「今でも那須野にある殺生石は、この妖狐が化身したものと伝わっています。『御伽草子』では、この妖狐は九尾ではなく、二尾となっていますが」
「九尾と二尾と、なにが違う」
「さあ。尾が多い方が、妖力が高いのではないでしょうか」
あの〈狐〉は、確か尾が四股に分かれていた。
「さらに、稲荷信仰では天狐、空狐、気狐、
「稲荷神社のお狐様とは別なのか?」
「狐は神使い、もしくは眷属と考えられています。稲荷社には、よく
「つまり」
「つまり?」
山南はまとめようと、眉を寄せる。
「妖狐は神の使いであり、一方で害を為すもの。また未来を読み、人の死を告げるとも言われています。憑かれた者が不穏な行いをするようであれば、修験道の僧、もしくは稲荷社の神職に相談するとよいのではないかと思います」
「……不穏な行い」
歳三は呟いたまま、無言になった。
「どうしましたか。どなたか身近な方でも困ったことに」
言って、山南は息を飲んだ。
歳三の目元が潤んでいた。軽く口唇を噛み、長い睫毛が影を落とす。
これまで見たこともない様子に、なぜか慌てた。
「どうしたのです。話してください。私でよかったら相談に乗ります」
「いや、あんたは信じない」
断言されると、
「信じます。土方さんは余程のことがなければ、私に相談などしないでしょう」
歳三は、何度か言いかけて躊躇い、その度に山南は身を乗り出した。
「何を言っても、信じてくれるか?」
山南は大きく頷いた。
「信じます。武士に二言はない」
それを待っていたかのように、歳三は一呼吸おき、少し微笑んで言う。
「宗次郎だ」
「……宗次郎」
大きく頷く。
「そうだ。あいつが狐に憑かれた」
「沖田君が⁉︎」
“冗談だろう”と書いてあるような顔へ、歳三は畳み込む。
「武士に二言はない。そうだな、山南さん」
山南の手から、『日本外史巻八』が床へと落ちていった。
(つづく)
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