第7話 沖田宗次郎、あやかしと通じ合う
「これでいいって、どういうことなんですか?」
宗次郎は、懐の仔犬へ言った。なめくじ長屋から小石川への帰途である。無論、周囲に人がいないことを見計らっての問いかけだった。
──布石が打てた。
「布石ってなんです⁉︎」
──しつこいな。
「なにか、隠してませんか?」
押し黙る。
その時だ。
宗次郎の頭に、絵の切れ端のようなものが浮かんだ。
(え……?)
先程会った八重という少女。自分。曇天に雪が舞っている。投げ出された刀。血、血、血。色のない荒涼とした色のない景色に、びょうびょうと遠吠えのような風が吹く。
(あれは、誰……?)
小さな子供が立っていた。首のあたりから血を流して。あれは、たぶん、きっと──。
宗次郎は、はたりと足を止めた。
──どうした。
「いま」
(いま、なにかが)
思い返そうとすると、指の間を流れる水のように消えていく。
「あの、いま。変なものを……」
──変なもの、とは何だ。
「八重さんと私が雪の中にいて、あと、誰かが斬られている……?」
──なんだと。
ぶつりと、〈狐〉の声が途切れた。懐には確かにいきものの温もりがあるのに、急にいなくなったような、取り上げられたような。
宗次郎は、〈狐〉に問いかける。
「あの、どうしました?」
道ですれ違ったどこかのお内儀が、怪訝そうに振り返る。
「あの……」
仔犬は無視するように目を閉じ、眠ったふりをしていた。
宗次郎が小石川小日向の試衛館へ戻ると、玄関の式台に、歳三が腰掛けていた。
陽もだいぶ傾きかけ、柿の木の陰がその足元まで伸びている。
「歳三さん、寒い中どうしたのですか?」
「宗次」
どこか、ほっとした様子で手招き、
「どこへ行ってたんだ」
と、今度は少し怒ったように問い質す。
「申し訳ありません。日比谷まで行っていたので、すっかり遅くなりました」
「どうした、そんなところまで」
「え、っ……と」
思わず口ごもる。
「ちょっと話がある」
途端、宗次郎の懐から、仔狐が顔を出した。
歳三は、仔狐と睨み合いながら、
「奥へ来い」
「は……い?」
足を濯ぐ間も無く、そのまま近藤勇の自室へ連れて行かれた。
「勇さん、宗次郎を連れてきたぞ」
「おう」
六畳間で、勇と歳三に挟まれるように座る。
「あの、なにか、あったのですか?」
二人の様子は尋常ではなかった。実家の姉光に、変事でもあったのだろうかと身構える。
「宗次郎」
「はい」
「……。あー」
「若先生?」
「勇さん!」
歳三が、苛々したように肘で小突いた。
「歳、急かすな」
勇は、大きく息を吸った。
「宗次郎」
「はい」
勇の喉がごくりと鳴る。
「実は、歳から聞いたのだが、獣のような妙な男につきまとわれているそえだが、おまえが好いているならよいが、もし困っているならば今ここで言ってくれ。おまえの兄代りの俺たちがどうにかする!」
一息に言って、勇はほっと肩から力を抜いた。
宗次郎は、鳩が豆鉄砲を喰らったように、目をぱちくりしている。
仔狐が、宗次郎の懐から前脚を出して、馬鹿にするようにぺろぺろ舐めては、念入りに毛繕いを始めた。
「おう。この仔犬は猫みたいだな」
勇か相好を崩す。
──こいつらは、阿呆か?
心に響いた声に、宗次郎と歳三が同時に仔狐を見る。それに驚き、二人で顔を見合わせた。
「もしかして、歳三さ……」
不意に、宗次郎の動きが止まった。
「宗次?」
「聞け」
代りに出たのは、静かな、命じること慣れた声だった。
全身総毛立つ。
確かに宗次郎の声だったが、宗次郎のものではない。あの仔狐が、射抜くような金の目でおのれを見上げていた。
当の宗次郎はというと、魂を抜かれたように動きを止め、口だけが他のいきもののように動いている。隣にいる近藤勇も、人のよい笑顔を浮かべたまま、やはり凍りついたかのように動かない。
気がつけば音がしなかった。
歳三は、眩しい真夏の午后のような光の中にいた。
──聞け。
目の前に、異装の男が立つ。立っているのか、浮いているのか、天地もわからぬ光の中だ。
草履に真白い足袋。芝居の衣装のような派手な裾縁を施した野袴に、袖無しの皮羽織。総髪に精悍な面立ちと、そうして獣のような金色の眼。
──何ゆえか、おまえには術が効かぬようだ。だから申し渡しておく。
歳三は張り裂けそうなほど、目を見開いた。驚愕に叫びそうになるが、声にならない。
──この者の身に危害が及ぶことはない。それゆえ、今後一切邪魔をするな。
(だ、誰だ、おまえは!)
心の叫びに、男はにっと目を細めて笑った。
──吾はひとならぬもの。永き世をうつろう異形なり。
その姿が、次第に別のものに変じていく。
金の眼の巨大な狐だ。なんと艶やかな豪奢な毛並みだろう。ふっさりとした尾は四叉に分かれ、流れるように宙を舞う。
獣は地を蹴り、
「歳三さん!」
「どうした、歳!」
揺さぶられ、気がついた。
宗次郎と勇が、心配そうに覗き込んでいた。
「よかった。どうされたのかと思いました」
「歳、急に黙り込んでどうした」
「いや、さっき」
さっきと言いかけ、座敷の隅の仔狐に目を止める。寝そべって小さな欠伸をしながら、ぶらぶらと尾を揺らしていた。
──馬鹿め。
一歩踏み込んだ歳三に、宗次郎が回り込む。
「歳三さん、まさか、あれが聞こえるんですか?」
「知らん!」
歳三は席を蹴った。
何が何だかわからないが、ひたすら腹が立つ。
廊下を音を立てて歩きながら、ひたすら危機感を募らせていった。
つづく
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