第6話 近藤勇、大いに勘違いする
歳三がおかしい。
近藤
最近、道場に寝泊りしている、石田村のお大尽、土方家の末っ子が挙動不審だ。
もともと腰の定まらない奴ではあったが、最近、とみにおかしい。
勇は、廊下の角で足を止めた。その奥に沖田宗次郎の部屋がある。
朝っぱらから歳三がその前に立ち、先ほどから入るか入るまいかと迷っているようなのだ。
昨日などは、道場で稽古中、羽目板に正座したまま、稽古をつける宗次郎を穴が開くほど睨みつけていた。
そして立ち合いが終わり、通い弟子の近所の町人と、楽しげに言葉を交わしているその間に無理矢理入って、「おのれと立ち合え」とばかりに引き離して試合った。
しかも、いつものように攻めていくのではなく、正眼に構えたまま、ひたすら宗次郎を穴の開くほど凝視しているのだ。
「歳三は、なにやっているんだ」
と、思わず呟くと、
「あいつ、宗次郎が気になって仕方がないようだな」
隣に座る養父であり、道場主でもある近藤周助は、含み笑いながら言った。
「一体、なにをやっているのでしょうか」
「さあな。宗次郎に、懸想でもしたか」
「まさか」
まさか、と笑いながら、まさか、と思う。
歳三自身、子供の頃から大層な器量よしで、一緒に遊ぶうちになんとなくときめいたこともあった。しかし、あの性分である。浮かんだときめきは、ときめきのまま瞬時に消え失せた。
十代になると、大店に奉公に出たと聞いた。そこでは番頭に尻を追いかけられたとか、逆に女で問題起こしたとか。色恋のネタは尽きない男でもある。
しかし、まさか、
(宗次郎に、懸想した……?)
あり得ない、と心中首を振る。
確かに、宗次郎もなかなかに優しい顔立ちをしている。気立てもいい。なによりも腕が立つこと、おのれでも敵わぬところがある。が、それを少しも誇らない。
(できた子だ)
明けて十六になるから、そろそろ元服もせねばならぬ。早いと十二、三で
勇は、歳三に声をかけることにした。
「歳、どうした。宗次郎は使いに出ているぞ」
「勇さん」
振り返った歳三は、無防備に驚いた顔をした。猫のような男なのに、おのれが見られていたことに気付いていなかったようなのだ。うろうろと隙だらけで、宗次郎の部屋の前に立っていた、らしい。
(まさか)
勇は、否定する。
(まさか)
まさか、歳三に限って。
「若先生、それはないと思いますよ」
味噌汁をかき回しながら、試衛館の賄いを一手に引き受けるおよしが言った。
すでに三人の子を育て上げ、ロクデナシと罵る大工の亭主とふたり暮らしだ。
お節介が好きだからと、二年前から賄いに入り、掃除、洗濯、小さな野菜畑の世話と、気づけば、試衛館の奥向き一切を取り仕切っていた。
「歳三さんは、めっぽう宗次郎さんを可愛いがってますけど、あれは弟みたいな感じで、惚れたとか、腫れたとかじゃないですよ」
ありえません、と呵呵と笑い、ふくよかな手で手際よく豆腐とネギを刻んだ。
「そんなにご心配なら、若先生。ご自分で確かめてみればよろしいんじゃござんせんか?」
そう言われると、おのれはなにを案じているのかと我にかえる。
そうだ。もし、だ。もし、歳三が宗次郎に懸想していたとしても、何も困ることはない。
沖田家から預かる宗次郎とて、すでに十六になろうとする年。子どもではない。もし、宗次郎もその気ならば──。
勇は具体的に思い描きそうになって、慌てて打ち消した。
「おんや、若先生。なに赤くなっておいでてすかい?」
およしは、お見通しとばかりにからかうように言うと、
「すぐにご用意できますから」
と、言外に邪魔だと忙しく動き始めた。
その日の午后である。
「勇さん、ちょっと相談がある」
神妙な顔で言い出したのは、歳三からだった。丁度、稽古の終わった道場である。
勇は汗を拭きながら「おう」と応じ、普段は「なんだ」とその場で訊くのを、おのれの部屋へと誘った。
歳三が、心なしかほっとしたように見えたのは、気のつかい過ぎだろう。
「実は、勝太さん」
部屋に入るなり、切り出した。
勇は、近藤周助の養子になるまで、宮川勝太と言った。生家は、多摩郡上石原村の百姓である。数え十五の年に天然理心流へ入門し、翌年には養子となっていた。
歳三とは、数年前に再会したのだが、鼻っ柱の強さは成人しても変っていなかった。
「実は、宗次郎のことなんだが」
「おう。宗次郎がどうした」
妙に堅くなっているおのれを意識する。
「近頃、あいつ、……妙じゃねえか?」
言って、照れたように目を伏せる。
「妙、とはなんだ」
「懐にいつも仔……犬を入れて、片時も離さない。それに」
と、歳三は言葉を切った。珍しく迷うように言い淀む。
「俺ァ、あいつが心配なんだ。このまま妖しい獣にでも取り憑かれたらと思うと」
(怪しいけもの⁉︎)
「なあ、俺はどうしてらいい。勇さん!」
「歳、けものとは何だ」
歳三は、ほっとしたように顔を上げる。
「奇妙な格好をした男だ」
(男、か⁉︎)
「そいつが狐の姿で、宗次郎に取り憑いているようなんだ」
勇は、腕を組んだ。組みたかったのではなく、間が欲しかった。
「実は、家の兄さんにも相談したんだが、やっぱり宗次郎を見ていると心配でならねえ」
「た、為次郎さんはなんと?」
「宗次郎は世間知らずだから、俺が側にいろというが、当の宗次郎がちいとも案じてねえんだ」
どうしたらいいと、歳三は落ち着かなげに繰り返す。
勇は覚悟した。なにが覚悟かわからぬが、おのれがしっかりせねばならない。
「歳、わかった。俺が宗次郎と話す。その、怪しい男と別れるように言えばいいんだな」
まさか、と思う。あの宗次郎に男がいるなんて。
しかし、色恋にかけては歳三の方が百戦錬磨、経験も豊富である。
その歳三が、話すと言っただけで見るからに安堵しているのだ。
「やっぱり、勝太さんに相談してよかった」
これで安心だと、信頼に満ちた目で、おのれを見ている。──たぶん。
勇はごくりと喉を鳴らした。
とんでもないことを引き受けてしまったと、今さら胃の腑が縮まる思いだった。
(つづく)
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