第5話 沖田宗次郎、おのれの使命を知る

 沖田宗次郎はを懐に、日比谷稲荷に近い源助町の裏長屋にいた。

 この辺りは東西を旗本や大名屋敷に挟まれ風通しが悪く、なんとも薄暗く湿気の多い土地柄であった。


 訪ねたのは、通称なめくじ長屋。本当の名前はわからない。

 木戸番の爺さんは居るだけのようで、尋ね人の特徴を告げても聞き返すばかりで、おまけに何を答えているのかもよくわからなかった。

「それ、吉井さまだよね。こっちだよ」

 見かねたらしい長屋の子供が、行き先を教えてくれた。


 まさに、裏長屋であった。

(うわあ)

 溝板は所々踏み抜かれ、もちろん地面はぬかるんでいる。厠の臭気に、魚の腐ったような臭い。戸口の障子は、破れたままになっているところもある。

 赤子の泣き声と、駆け回る子ども達の歓声、怒鳴りつける声やらなにやらと、おのれの住う山の手とは、まったく趣が異なっていた。

 おのれは恵まれていると思う。小石川の道場に住み、好きな剣術に打ち込めている。

──そんなことはいいから、さっさと行け。

 横柄な妖狐は、子犬の顔で命令した。


 水溜りを避けて奥へ行き、教えてもらった戸口の前で、宗次郎は訪った。

「すみません! こちらは但馬豊岡藩のご家中であった、吉井殿のお住まいでしょうか?」


 なかで人の動く気配がして、障子戸が開いた。

「あの……」

 開けてくれたのは、おのれより少し年下の少女だった。

 裏長屋には不似合いな折り目正しい挙措。粗末な着物をきっちり着込み、宗次郎へ丁寧に頭を下げた。

「父はいま、他出しております。失礼ですが、どなた様でしょうか」

「あの、実は」


 宗次郎は、言葉を飲んだ。

 少女の大きな瞳は、宗次郎を見ていなかったのだ。光は感じるのか、首を傾げ、目を細めて警戒している。視線をさまよわせ、おのれの懐辺りにくると、はっとしたように見開かれた。


「入れ!」

 着物をつかまれ、中へ引っ張り込まれた。後ろ手に、ぴたりと戸口を閉じる。

「おまえ、何者だ!」

 少女はその手に、いつの間にか抜いた短剣を構えていた。

「父は小太刀の名手。私も手解きをうけている!」

 目を眇め、正確におのれの方へとにじり寄る。

「ま、待って下さい! 私は……」

「その懐に、何を忍ばせているのだ!」

 仔犬だと言おうとしたが、ひとりでに口が動き始めた。

「夢を見ませんでしたか? 狐の夢です。仇討についての」

(なにするんですか! 勝手に私の口で喋らないでください!)

──黙っていろ。犬が話す方が妙だろう!

 少女は、ますます腰を落として深く構えた。

「なぜそれを知っている」

「私も、その夢を見たからです」

(その夢って何の夢ですかっ⁉︎)

──私が見せた夢だ。

「どんな夢だ!」

 と、少女が詰問してくる。

「私が、あなたの仇討の介添え役をする夢です!」

(ええええっ!!)

 一瞬戸惑うように切っ先が下がったが、少女は構え直し、打ちかかってきた。

「胡乱な奴! 食らえっ!」

「ち、ちょっと、待ってください!」

「逃げるなっ!」

 少女は驚くほど正確に、短刀を繰り出した。だからといって、こちらも刀を抜いて応戦するわけにもいかない。

 狭い長屋をひらり、ひらりとかわしているうちに、足をとられて体勢を崩す。


「そこかっ!」

「ま、まってください‼︎」

「そこまでだ、八重!」


 鋭い声に、目の先三寸(約10センチ)で、切っ先が止まった。


 声の方を見ると、男が戸口に立っていた。三十か四十か、たぶん少女の父親だろう。仇を追って長いのか、二人の様子や住居からは、どこか疲れた様子が見て取れた。

──あれは吉井孫之丞だ。孫之丞の父親を相役が殺害した。それで仇討免状を届け出ている。


 武家の仇討には決まり事がある。まず、幕府が精査、認可した免状がいる。移動には本国や奉行所への届出やらもある。無事本懐を遂げ帰参するまで、数年から数十年かかる場合もあった。


 宗次郎も聞き知ってはいるが、実際に身近にいたことはなかった。

──娘の名は八重。おまえが介添えするのは、この娘の方だ。

(どういうことですか。仇討はお父上がされるのでは)


「八重、何をしている!」

 宗次郎は、その隙に起き上がって身なりを整えた。

「あの、この……」

 吉井孫之丞は、痩身の真面目そうな男だった。仇を追ってもう長いのか、娘よりもさらに着古した身なりをしている。しかし、武家らしく頭をしっかり上げ、娘が答えに窮したのを見て取ると、はるか年下の宗次郎へ頭を下げた。


「娘がご無礼したようです。申し訳ない」

「いえ、」

 と、〈狐〉が乗っ取った。

「いえ、吉井様の小太刀の腕前を聞き、ぜひ今度、私の居ります道場へお越し願えないかと伺いました」

「私の?」

 吉井は、怪訝そうに問い返す。

「中条流の小太刀の技を、ぜひ拝見したいと道場主が申しております」

(言ってません!)

──黙っていろ。

 ちらりと八重を見ると、心なしかぽかんと口を開けていた。


 吉井は暫し思案したが、もう一度丁寧に頭を下げた。

「嬉しい申し出ですが、私は仇を追う身です。道場主の……」

「はい、近藤先生です。小石川にある試衛館という撃剣道場です。私は、師範代の沖田宗次郎と申します」


 吉井は、宗次郎の名乗りに微笑んだ。

「沖田殿、近藤殿にお伝えください。嬉しい申し出ですが、私は仇を追う身です。ご招待、ご辞退申し上げる、と」


 宗次郎は、本当に吉井孫之丞の小太刀の技が見たくなった。真っ直ぐな人柄に、とてもひかれたのだ。

 しかし、本人にその気はないようである。


「わかりました。急にお訪ねして、申し訳ありませんでした。八重どのにも」

 と、丁寧に頭を下げた。

 この親子に、また会いたいと思う。


「頑張って精進しなさい」

 別れ際にかけられた声に、宗次郎は「はい!」と元気よく答えた。


──これでいい。

(え?)

──さあ、帰ろう。


 宗次郎は懐のを撫でた。娘の八重の視線を意識する。少女は見えぬ目で、確かに、懐のを射抜くように凝視していた。




(つづく)



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