第3話 沖田宗次郎、誓約してしまう
「ただ今戻りました!」
沖田宗次郎が江戸小石川の試衛館道場へ戻ったのは、翌日の午過ぎだった。
昨日は日野宿の名主、佐藤家の道場で稽古をつけ、そのまま一泊した。明けて翌日、朝早く発ち帰路を急いだ。
ちなみに佐藤家当主彦五郎の妻ノブは、試衛館に居候している土方歳三の実姉にあたる。
「おお、宗次郎。ご苦労さま」
にこにこと声をかけてきたのは、玄関先を掃いていた、井上源三郎だ。
井上は八王子千人同心の家の出で、宗次郎よりひと回りほど年長だ。月の半分を試衛館に住み込み、みっちり稽古をして帰るのが常だった。
好人物とは、斯くを言うのだろう。落ち着かぬ世情の昨今だからこそ、年経た好々爺のごとき力の抜けた様は、それこそ貴重であった。
「おや、仔犬か?」
宗次郎の懐から、真っ白な獣が顔を覗かせている。
「はい。道で拾ったのですが、飼っても大丈夫でしょうか」
仔犬は寝ているのか、半目になっている。
「たぶん、大丈夫だろうが、先生に聞いてみてくれ」
「はい!」
宗次郎は手早く旅装を解くと、先生こと、道場主である、近藤周助の姿を探した。
近藤周助邦武は、天然理心流三代目宗家である。旧姓は嶋崎といい、武州多摩郡の名主の家に生まれた。
四代目として、やはり多摩郡の百姓であった宮川勝太を養子としており、現在は勇と名乗って、道場の若先生として同居している。
さて、今日は昨日と打って変わって、小春日和の暖かな一日だった。
近藤周助は、中庭に面した広縁に座布団を敷き、膝の上においた三毛猫を撫でていた。
「おお、宗次郎。おかえり。彦五郎殿に変わりはないか?」
「先生、ただいま戻りました」
宗次郎は稽古の様子を伝え、佐藤彦五郎から預かった、礼金と書状を手渡した。
「あの、先生。もう一匹、これを飼ってもよいでしょうか」
これとは、無論、懐に入れた白い獣だ。
相性が悪いのか、先ほどから十になる老猫が、新入りに向かって威嚇し始めている。
一方、宗次郎の懐の仔犬は、半目になってぬくぬくと寛いでいる様子だ。
「構わんよ。あとで飯炊きのおよしさんから餌をお貰い」
「はい!」
試衛館は男所帯である。
道場主である近藤家のこだわらない家風のせいか、食客やら居候やらの姿が常にあった。しばらく居ついては去り、去ってはまた居つく。そんな撃剣道場であった。
宗次郎が獣を懐に台所へ行くと、背中を見せて湯漬けをかきこむ男がいた。
「歳三さん!」
じろりと目だけ振り返った若い男は、構わず最後まで飯を終え、箸を置いて手を合わせた。
“歳三さん”こと土方歳三は、試衛館の居候、のようなものである。
同じく多摩郡の豪農の末子であり、十代の頃から大店に奉公に出ていたが、近頃は生家の家伝薬を売り歩きながら、もっぱら剣術の腕を磨いていた。
日野宿の名主、佐藤彦五郎は従兄弟にあたる。
「宗次、土産だ」
歳三は、役者のようだと騒がられるらしい、切れ長の一重の目を細め、なにか放った。
「うわあ」
ひねった包みを開けると、色のついた金平糖である。
「ありがとうございます」
宗次郎はひとつ、口に入れた。柔らかな甘さに笑顔になる。
と、歳三は懐の獣に気づき、眉を寄せた。
「なんだ、そいつは。狐の仔か?」
「え?」
──なんだと⁉︎
宗次郎は懐のそれを見た。おのれの目には、仔犬にしか見えない。
仔犬も、目を丸くしておのれを見あげている。
「どこで拾った。仔のうちはかわいいが、すぐに噛むぞ」
歳三は案外優しいところがある。宗次郎の懐から仔ぎつねを抱きとろうとした。
「うぁ……って───ぅ‼︎‼︎」
仔ぎつねは、思いっきり歳三の指を噛んでいた。
真夜中の道場──。
松板張の床の上に、綿入れ半纏を着た宗次郎と、白い仔犬、
正月も近い師走である。朝晩は霜柱が立つほどの寒さであった。
「なんだ、あの男は」
「歳三さんには、あなたが狐に見えているみたいだ」
指に噛み付かれた歳三は、狐の仔の首ねっこをつかみ上げ、連れて行けと戻してよこした。
「あの男も、まさか
「え、……まさか」
「いいや。あの身のこなしといい、目つきといい。何よりもおまえの身近にいることが
「ありえません!」
闇に響いた声に、宗次郎は口を押さえた。
「まあ、いい。いずれわかる」
その時、近くの寺の鐘が鳴り始めた。
日付が進んだのだ。
途端、安藤
足元は真白の足袋。裾縁を施した絹地の野袴。長い袖無しの皮羽織に総髪と、素性も身分もわからぬ異装の男。
(うん、確かに歳三さんと似てるかも)
しかも、おのれは狐が変態したことに、まったく驚いていない、と気づく。
「それで、どうするのだ。私に手を貸すのか、貸さぬのか」
「貸せば、望みをかなえてくれるのですね」
〈狐〉は、横柄に小さな顎を引いた。
宗次郎は考える。
おのれの望みは何だろう。
おのれは、いま、何を望んでいるのか。
「おまえに望みはないのか?」
いらいらと催促する。
「ええと。あるような、ないような」
「言ってみろ」
「そうですねぇ。日の本一の剣士になりたいとか、うちの道場がもっと流行ればいいとか」
宗次郎は必死に考える。
「
宗次郎が、ぱっと顔を上げる。
「空を飛んでみたい!……な」
〈狐〉のひと睨みに、宗次郎の声が小さくなる。
「あの……、いま、じゃなくてもいいですか?」
「どういうことだ」
〈狐〉は眉をしかめた。
「おのれの望みがわかった時に、それをかなえてくださる、という約束でも構いませんか?」
〈狐〉は、宗次郎を凝視した。穴があきそうな強い眼差しに、宗次郎は負けじと睨み返す。
「──いいだろう。おまえが私に手を貸し、大願成就の暁には、必ずおまえの望みをかなえよう」
宗次郎は頷いた。
ほぼ、成り行きの勢いだった。
途端、闇の中で目に見えぬ何かが動いた、ような気がした。音をたてて、古い錠前が開いたような感じだ。
それは小さなつむじ風のように宗次郎の足元を吹き去り、そうして目の前の男は、また仔犬に戻っていた。
こうして、安藤
(つづく)
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