第2話 沖田宗次郎、身の上話を聞く
狐である。巨大な狐。
その狐がおのれへ牙を剥き、金色の眼を細めて、飛び掛からんばかりに身構えていた。
宗次郎は悲鳴を上げる口を押さえながら、両足で地団駄を踏んだ。泣きたくないのに、涙が溢れてきた。正直、漏らさなかったことが不思議なくらいだ。
「おまえ。叫びたいのか、泣きたいのか!」
──狐が、しゃべった⁉︎
宗次郎の心の声を察したか、その狐らしき獣は目を細め、舌打ちするように幾度か身震いした。
すると、まるで講談の妖しのように、その姿が徐々に変わっていくではないか。
本当に不思議な光景だった。狐と人の姿が両方で歩み寄り、混じったかと思うと、ふわふわと蛍のような光の中で、人の姿へと変じていくのだ。
宗次郎は夢ではないかと、自分の頬を抓った。
「痛い」
そうして狐は、握り飯を置いてけと命じた、あの貴人へと変じていた。
「まさか……」
「おまえに話がある」
どうして、そこで妖しの言葉に耳を傾けたのか。後々になっても、宗次郎にはわからなかった。騙されて怖い目に遭うかもしれないし、下手をすれば魂を盗られてしまうかもしれない。
しかし、気になったのだ。狐が毛を逆立てている様が。張り詰めた目の色が。追い詰められた様子で、おのれを見下ろす
「なんの、はなしですか?」
背中を納屋の壁につけながら、宗次郎は震えそうになる声を必死に押さえた。
「私の話だ。聞いて納得したら、手を貸せ」
「いま、ですか」
「時がない」
宗次郎は深く息をして、
「わかりました。手短にお願いします。私もこの後、用事がありますから」
狐の話は、このようなものであった。
名前は、安藤
「ちょっと待ってください。それって何年前ですか?」
狐は、行儀悪く舌打ちした。
「四百年だ」
「四百年⁉︎」
時は応仁の乱ののち、戦国の世である。足利将軍家の支配が緩み、諸国の守護大名やら、国人領主の台頭やらと、群雄割拠の様相を呈してきた時代であった。
そして狐は四百年前に犯したという、おのれの罪業を淡々と語り始めた。
要は御家騒動であった。先祖を同じくするふたつの家が抗争するなかで、一方の家で妾腹長男と、正室の子である次男が、一族家臣団を割っての争いとなった。
「私は一族の末端に連なっていたが、主家筋の御方をこの手にかけた。その報いを受けて、いまここにある」
戦国の世では、めずらしいことではない。
「私は、主君も、家臣も、親兄弟も、すべてを裏切って目先の利のために非道をした。さらに私のささやかな所領の民も報いを受けた。しかも」
と、狐は能面のような顔になった。
「私が手にかけたのは、数え七つの幼子だったのだ」
気がつけば、狐になって野を走っていた。
死のうとしても死ねず、その目で戦国の興亡を、親兄弟、親族係累の
宗次郎は、にわかに信じ難かった。そこで尋ねた。
「手を貸せ、とはどう言うことですか」
話の核心だったのか、狐はますます表情が消えて妖しめいてきた。
「償いだ。私は人を救けねばならない。期限までに二十五人。そうすれば、おそらく」
「おそらく?」
「ひとに戻れる」
と、そこで不思議なことに、狐の
「どうしたんですか⁉︎」
「ひとり救えば半
ふたつの輪郭が現れ、次第に混じろうとする。
「私は、その時間だけひとに戻れる」
宗次郎は、転変していく姿に見入ってしまう。
「それで二十五?」
「一日は十二の
狐は獣に戻り、大きく伸びをした。
(二十五は、私の裏切りの数だ)
宗次郎の心の中に、言葉が響く。
「では、今、どのくらい償ったのですか?」
(ふたり。それで一刻、その時間はひとに戻れる。だが、償いに残された時間は、あまり多くない)
宗次郎は、懸命に要点を掴もうとするが、理解の範疇を超える事態に、頭が働かない。
「それで、私はどうやって貴方に手を貸せばよいのですか」
(私がひとになれるのは一刻だけだ。だから、私の代りにやって欲しいことがある。おまえが引き受け、大願成就となった暁には、私は善狐と成り上がり、おまえの望みを叶えよう)
狐の話はまどろっこしい。
「つまり、その一刻以外じゃないとできないこと、なのですか?」
(そうだ)
「なんですか、それは」
訊ねなければよかったのだ。後悔先に立たず。
「仇討の、介添人だ」
狐は声に出して伝えてきた。
「あだうちの、かいぞえにん……?」
「おまえ、武士のくせに知らんのか?」
「知っています!」
「そうか。ならば私の代りに、それを頼みたい」
「なんで、私が⁉︎」
なんでおのれが狐の償いを引き受けねばならないのだ。しかも仇討ちの介添人などという、命と名誉を賭けねばならないことを。しかも、おのれはまだ。
「ご存知かわかりませんが、まだ、私は元服前です」
狐は、不意を突かれたように、微かな鳴き声とともに息を呑んだ。
仇討ち当人ならともかく、元服前の介添人など聞いたこともない。
「いや、おまえだ。おまえなんだが……」
訳の分からないことを言って、狐は困ったようにケンと鳴いた。
(つづく)
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