第1話 沖田宗次郎、あやかしを拾う

 沖田宗次郎そうじろうが初めて人を斬ったのは、江戸小石川小日向こびなたにある、撃剣道場試衛館しえいかんの師範代を務めていた時分である。

 十六になった年、松も明けた睦月むつき末、小雪のちらつく冬の日のことであった。



 沖田家はかつて奥州白川藩の士分であったが、父の代より長く浪々の身となっていた。


 宗次郎はその沖田家の長男ではあったものの、家督は長姉の光女が婿養子をとって継ぎ、おのれは剣才を見込まれて、九才で試衛館の内弟子に入っていた。


 実のところ体の良い口減らしであったが、この境遇を宗次郎はいたく気に入ってもいた。

 剣術の修行は嫌いではなかったし、第一、幼い頃から面白いように大人を倒せた。おのれの生き方で、剣術以上に面白いものはないだろうと、早くから決めていたのだ。


 試衛館の流儀天然理心流てんねんりしんりゅうは、袋竹刀を使うお玉ヶ池の北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうなどと違い、三多摩を拠点とする泥臭い実戦剣法である。


 とは云っても、真剣を斬る目的で振るうことなどなく、そもそも宗次郎にとって剣術とは、第一におのれの修身のためであり、それ以上に、必ず勝てる勝負事となっていた。


 勝負は、生き死にではありえない。勝たなければ意味がない。勝つまで粘る必要があった。

 つまり、沖田宗次郎にとって剣術とは、おのれの人生を賭けるものではなく、愉しむ道具なのだ。だから、真剣で人を殺めることになるなど、思うだに晴天の霹靂へきれきであった。



 ことは単純な出会いから始まった。

 単純といえば単純ではあるが、見方によっては、異様な出会いである。


 その日、年の暮れも押し詰まった師走のある日、宗次郎は年内最後の出稽古に、多摩へと向かった。


 試衛館は、江戸小石川に道場を構えてはいたが、多くの身入りは三多摩地方の豪農家で行われる出稽古に頼っていた。


 多摩地方は甲州武田家家臣の末裔も多く、その血を引く豪農らは武張った気風を好んだ。自ら文武を奨励し、敷地内に撃剣道場を設け、その日だけは近隣の若い百姓らが木剣を持ち寄って屋敷内の庭先に集まり、汗を流したのである。を越えてはいるものの、特に咎め立てられることもない、そんな土地柄だった。


 その日、宗次郎はいつものように、早朝より握り飯を懐に、内藤新宿から甲州街道を日野へと向かった。


 曇天の雪のちらつく寒い朝で、下布田宿を過ぎた頃、ようやく路傍の足に座り、握り飯を頬張った。

 塩と味噌に、沢庵が数切れ。

 懐に入れていたので、ほんのり温い。冷たい水で流し込みながら、最後の一つを手にした時だった。


「その握り飯、食ってはならぬ」


 いつの間にか、目の前に男が立っていた。足元は草履ぞうりに真白い足袋たび裾縁すそべりを施した野袴のばかまは絹地のよう。長い袖無しの皮羽織に総髪と、得体の知れぬ出で立ちである。


 それよりも、宗次郎は何の気配も察せられなかったことが、おのれの未熟さと恥じていた。握り飯に気を取られて、隙だらけになっていた、とのである。


「あの……」

「食うてはならぬ。置いて行け」

「あの、置いて行けとは」


 見上げた時だった。突然、目の前の男が倒れ込んできた。


「うわっ!」


 宗次郎はまだ伸び盛り。到底受け止めきれる重さではない。そのまま二人で地面にころがった。


 ふわりと、姉のようなよい薫りが立ったが、重石に潰されるような痛さに悲鳴を上げる。

 どうにか這い出て、よいしょと男の身体を転がした。


 完全に気を失っていた。

 蒼白な、品のよさそうな顔立ちは役者絵のようで、


(なんだか、歳三さんに似てる)


 知るに似ていると、つい、親近感を持ってしまったことが、元凶だったかも知れない。

 年齢不詳。着物は絹地。顔や手足も汚れていない。旅人とも思えぬし、身なりに応じた供も見当たらない。


「迷子かな」


 どうにか捻り出した結論は、それだった。

 どこかの大身のお殿様が、お供の方々とはぐれてしまったに違いない。

 それでおなかが空いて、

「食べたかったんだ、きっと」


 宗次郎はひとり頷いた。最後の握り飯は、泥の中で崩れかけていた。

 ため息をついて、諦める。


「ならば、私が案内して差し上げよう」

 沖田宗次郎とは、そういう少年でもあった。


 さて、案内とは言っても、まずこのままでは凍えそうだ。

 幸い、少し離れた先に百姓家と納屋らしきものが見えた。


 宗次郎は、寒さ避けの広袖を脱いで男へ掛けると、助けを呼びに駆けた。

 だが、家は無人であった。年の瀬で親戚の家にでも行っているのだろう。待っていてもよいが、勝手に上がるわけにもいかない。


 宗次郎は急いで戻ると、どうにかして男の肩を背負うように、休み休み納屋なやまで運んで行った。

 運びながら何度か落としても、引きずっても、男は全く目を覚さない。


(よほど疲れているんだな)


 納屋にはわらが積んであった。

 そこへ男を押し込むと、なんとか自分も潜り込んだ。

 身体をくっつけていれば、寒さをしのげそうだったし、じきに目を覚ますだろう。しばらく我慢していたが、寒さと力仕事と握り飯のおかげで、温まってくると目蓋が次第に下がってきた。


(少しだけ)

 二人なら、凍えることもないだろう。

(うん。少しだけ)

 宗次郎はいつのまにか寝入っていた。



 皮衣かわごろもの、ふかふかとした半纏はんてんを着た夢を見た。ぽかぽかと暖かくて、思い切りそれを抱きしめる、夢の中で。


「う、うわっ」


 藁のなかで、おのれが抱きしめているに気づいて飛び起きた。


「き、き、き、きつねっ⁉︎」

 たぶん、狐。きつねだと思う。

 とにかく大きい。牛とは言わないが、ふつうの狐の大きさではない。脚先が白く、艶艶つやつやと金茶の美しい毛並みで、尻尾は先が分かれていて。


(ひい、ふう、みぃ……?)

 数えていると、が目を覚ました。身動みじろぎ、眼を閉じたまま大きな伸びをする。犬のように。


 そこで凍りついた。


 瞬間、甲高い鳴き声を上げて、納屋の隅へ跳躍した。低い唸り声と警戒する不遜な金色の眼差しが、矢のように宗次郎を射抜く。


(うそ……)


 次の瞬間、沖田宗次郎は不覚にも、思い切り女子おなごのような悲鳴を上げていた。




つづく




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