第七部 再構築へ
砂漠の街で営まれる市場は、いつになく賑わっていて明るかった。
おそらく最後と思われる『英雄狩り』が実行されたのは、もう半年前のことだ。そう回顧しながら、幼馴染が好きだった砂漠の町を蒼龍瑞吏は高台から見下ろした。
ここでは多くが死に、大量の血が流れた。
あの事件を一般市民は知っているのだろうか。いや、知らないはずがない。あの爆音が聞こえなかった訳がないし、ここに点在する病院だって、隈なく大量の怪我人を送り込んだのだ。それで知らないなんて言ったら、よほど周囲に無関心か「都合のいいやつ」だと思わざるを得ない。
東部と西部の両提督の座が空席になり、指揮を執る者がいなくなったことで内戦は停止した。東にザンジを、西にキユラを新たな提督に迎えようという動きもあったが、二人とも頑として首を縦に振らなかった。もうこの国に軍隊は必要ない。それが、二人の出した答だった。
東西の壁も有刺鉄線も取り壊されて、自由に行き来できるようになっている。行き交う人はみんな笑顔で、東西の諍いなど始めからなかったかのように友好的だった。
このすさまじい再生力と前向思考に感心すると同時に、は言い知れぬ違和感もミズリは覚えていた。
少し前までは意味もわからないまま殺しあうほど、『東』と『西』に囚われ憎み合っていたはずだ。それなのに今、東西の人々は手を取り合い笑い合っている。それは良いことなのかも知れないが、なんだか腑に落ちないのだ。苦しいのは時勢のせいだと嘆くばかりで自らは動かず、誰かが作った、誰かに支配された社会に従い生きる。自分たちは被害者であると言わんばかりの態度で、人生の責任を他人に押しつけて。
英雄たちの子孫だからという理由で「醒士」と呼ばれて区別され、意味もなく不特定多数に虐げられてきた身からすれば、お前たちは加害者でもあるんだぞと声を大にして言いたかった。経験がなく憶測でしか言えないが、流行に乗り、過半数の意見に合わせながら生きるというのは利口だし楽な生き方なのだろう。理解はできる。だが納得はしていない。「ただなんとなく」であんな目に遭わされていたというなんて、そんな馬鹿な。
常に黒猫と共に行動してきたミズリは、少し歪であるものの強く生きる彼らの生涯を間近で見ている。どんな苦難があろうが進み続ける姿は格好よくて、それが絶対的な「正しいこと」だと思っていた。だからだろうか。漫然と生きる人間全てが、意志を持っていないように思えてくる――。
(もう止めよう、こんなことを考えるのは……)
こんなのきっと、ヒエラは嫌がる。せっかく彼のお陰で戦争が落ち着いたのだ、この平穏を喜ばなければ全てが無駄になってしまう。ミズリは邪念を払うように首を振り、大きく息を吐いて胸中に渦巻く真っ黒な感情を絞り出した。
かつてはどこへ行っても殺伐とした雰囲気が漂っていたが、徐々にそれが解消されつつあるのは明らかだった。心なしか暖かく、穏やかな空気さえ最近では感じられるようになった。今後しばらくは、醒士たちが殺し殺されの逃亡生活を送ることもないだろう。
自分たちが虐げられてきたのも、噂話や脅しの材料にされてきたのも、ただ単に心身共に疲れきった人々の捌け口なのだとヒエラは言っていた。環境崩壊による産業の停滞、治安の混乱による交通や流通の規制。それに伴う物資不足と思想・行動の規制が極東民を苦しめる。解消の方法も特になく積もる一方だ。そんな中で唯一標的にできそうなものが、浮世離れした醒士だったのだ。
過激派のような掟破りをする度胸もなく、かといって不満をぶつけなければ心が死んでしまう。そんな心の葛藤の末に少しでも楽になれる後者を選んだことが、近年の『英雄狩り』の理由だということをミズリは知っている。これは他の醒士たちとは異なる存在である白鼬だからこそ得られた情報だ。伊達に英雄の影武者として、全国各地を駆けまわっていない。
このことは、他の醒士たちには言わないつもりだ。これから先もずっと、自分の胸中に納めておくつもりでいる。長いあいだ何代にも渡り苦行を強いられ続けた彼らに、『貴方たちはただのスケープゴートですよ』なんて口が裂けても言えなかった。
あの後、ヒエラが戻ってきたときは大変だった。血塗れなのはまあいいとして、右腕は無い、左手で生首を引っ掴んでいるという特殊な状況が幾つも揃っており、卒倒させられるには十分だった。けれど当の本人は平然としている。あれだけ心配させたくせにそんな態度だったから、つい苛立って「なにを何事もなかったかのようにしてるんだ! ふらふらするな!」と怒鳴ってしまった。彼に怒鳴るのは、これが初めてだった。
ヒエラと再開した醒士たちの反応は各々で、キユラとアキナは喜びのあまり彼に飛びつき、ツカサは無くなった右腕を見て嘆き、ザンジに至っては、ヒエラの左手にあったヒサシの首を見て大絶賛していた。まあとにかく、大惨事の後とは思えないほど賑やかだった。
『今度こそ、任務完了だ』
醒士全員が欠けることなく揃っていたことが嬉しかったのだろう。滅多に見せない満面の笑みを浮かべたヒエラは、あれ以来姿を消した。刈り取ったヒサシの首を情け容赦なく兵士たちに晒し、内戦終結を勝手に宣言したあと、少し目を離した隙にふらっと消えてしまったのだ。あの大きな傷の手当てもせずにだ。もう傷は塞がっているだろうが、膿んで壊死していないかが心配だった。ミズリはヒエラの身を案じて親書を持たせた鳩を飛ばしたことが何度かあるが、一向に返事はない。
西と東の対立は解決した。あとに残るのは一般市民と醒士の関係だ。一八五年の溝は埋まらないかもしれないが、埋める必要だってない。これから更に深めさえしなければそれでいいし、また別のものを築いていけばいいのだ。
血統は抜きにしても身体能力が桁外れだから、どうしても世間から浮いてしまうことも多々あるだろう。完全に溶け込むことは難しいかも知れないが、譲歩や棲み分けさえできれば何とか共生できるのではないかと考えていた。その実、醒士と触れ合う機会が多かった軍内部では彼らへの嫌悪感は市井と比べると段違いで少ない。
――まずはこちらが許すこと。許さなければ、馴染むことも助けあうこともできない――。
幼い頃から、ミズリには時折こんな声が聞こえてくるのだ。ヒエラのように対話することはできないし、他の醒士たちと違って頻繁に聞こえないけれど、これはきっと初代の声だ。ミズリはそう確信している。勿論、根拠などない。ただの直感だ。
ミズリはこの言葉を大事にしてきた。決して強くない自分が卑屈になり、他者を憎みはじめたときに思い出すようにしてきた呪いのようなものだった。己を戒め、律する呪い。耐え忍ぶのはつらく苦しいけれど、負の感情に従うよりはずっとマシだと信じて。
あれこれ回想しているうちに、背後に懐かしい気配と雰囲気を感じた。何も無いようで有る。かつて毎日感じ取っていた、この独特の雰囲気を忘れることなんかない。こんな時までひっそりするなよ。
言いたいことは山ほどあるが、生きていてくれたことが嬉しくて胸の奥が熱くなった。じわりと視界が滲んだが、それはすぐに拭い取った。本当は今すぐにでも駆け寄りたいがそれも癪だ。ミズリは大きく息を吐いて、何事もなかったように背後の男に問うた。
「どう思う? 今のこの状態」
男は何も言わなかった。無言で砂漠の町を眺めた後、彼は静かに目を伏せた。その目元にはうっすらと笑みがあり、口角も心なしか上がっている。
その自覚は彼にもあった。訳も分からず、ただ本能のままに探し求めた仲間との再会を果たし、そしてずっと望んでいた平穏も暖かさも手に入った。「彼」も「彼女」も満足したのか、半年前から声は聞いていない。相変わらず映像は入り乱れているが、これもまあ何とかなる。未だにどれが現在なのかは解らないけれど、『現在』の俺はひとりきりではない。
男は現状に満足していた。年中冷え切り、砂漠のような熱帯地域しか落ち着いて滞在できなかった体にも熱が戻り、何もかもが満たされた状態だった。これが何かはわからなかったけれど――ここに戻ってなんとなくわかった。そうか、これが『幸福』の感覚か。
「どうしようか。彼ら、迎えに行く?」
雲ひとつない青空を見上げ、囀りながら傍に飛ぶ鳥とじゃれ合いながらミズリは言った。振り袖のような大きな袖と、右耳の三連ピアスが揺れる。花のような蝶のような鳥のような、とにかく成人男性とは思えない華やかさと愛らしさを持ったミズリを眺めて、男は――龍驤ヒエラはゆっくりと立ち上がった。
「行くんだね」
「……ああ、回収するぞ」
先祖譲りの端正な顔立ちに、穏やかな笑みを浮かべた彼は綺麗だった。物心ついた時からの長い付き合いになるが、こんな表情ははじめて見る。常に表情を崩さなかった彼にもようやく落ちつける瞬間が訪れたか。なんだか嬉しくなったミズリは、そんな彼を見て少女のように微笑んだ。
「あ、ちょっと……待ってよ」
こちらのことなど一切構わず、さくさくと進む彼にミズリは苦笑を浮かべた。変わったかと思っていたけれど、こういう変わってほしい部分は全く変わっていないし、彼らを物のように『回収する』というのはどうかと思う。
けれどまあ、それが彼の良いところか。一人で気儘に何処かへ行ってしまうのはいい加減控えて欲しいところだが、要求したってどうせ改善されないだろう。そうでなければ、半年も行方をくらませることもなかったのだ。
呆れと諦めの目でミズリが見ているのには気づいていたが、ヒエラは意に介さず歩き続けた。これからのことを考えているから、今の彼の相手をしている暇などないのだ。
まだ始まったばかりだ。まだ会ったばかりで、共有していた時間を合計すると五日にも満たない。だからまずは、あの時のような束の間の再会などではなく生涯離れないしっかりとした繋がりを構築しなければ。例え再び『英雄狩り』が起ころうと、この六人が、六族が揃っていれば、無事に乗り切れるとヒエラは信じていた。
遠い昔に共に戦った仲間、そして今、最高の友と呼べる人たちを探しに行こう。どこにいるのか当てはないけれど、なんとかなるという自信だけは無駄にあった。醒士同士は、意識などしなくても自然と引き合う。半年前の出来事で、それは既に実証済みだ。
ミズリは黒髪に赤い瞳をした、右腕のない幼馴染の後ろにつく。彼だけに見える、有るか無いかも不明確な未来ではなく、自分たちの手で作り上げる明確な未来を探しに行くのだと思うと胸が弾んだ。
解れた絆の再構築。
数百年に渡る積年の夢を果たすまで、あと――
【完】
獣醒-ジュウセイ-銃声 志槻 黎 @kuro_shiduki
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