もふもふの猫

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もふもふの猫

 猫は生きている。

 生きているから、いつかは死んでしまう。

 それなのに、なぜか私は、そんな彼らが尊くて仕方がない。


「なぁ、君はもう、外へは行こうとしないのか?」


「……」


 もう彼は、鳴こうともしない。

 あの頃のように、ふてくされた低い声を私に聞かせてくれないのだ。

 まだ声帯は壊れていないはずだ。頑張れば声が出せるはずだ。


 それなのに、そうしてしまうと命が消えてしまうかのように、彼は鳴かない。

 絶対に鳴かない。

 その代わり、ごろごろと喉を鳴らし続ける。ずっとだ。


 そろそろ冬。

 寒くなるから、彼は本能で毛を増やす。

 漆黒で、艶やかで、もふもふの。


 私の家には暖炉があって、ずっと暖かいというのに。

 もう年老いて、外へ出かけて他の雌を誘惑するわけでもないのに。

 どうしてか、もふもふだ。


「私の弟子がな、死んだそうだ」


「……」


 訃報の手紙を、私はもう一度開いた。

 そこには紛れもなく、私の弟子の名が刻まれている。

 何度読んでも、文章は変わっていない。変わらない。

 全ての文を書くのは面倒なようで、名前以外の文字は印刷されたもの。

 ――――仕方のないことだと分かっていても、煮えくり返るような怒りが湧いてくる。


 腹立たしい。

 命を懸けて国を守った敬意を込めて、一字一字丁寧に書いてくれたっていいじゃないか。


「あの子は、とても魔法使いには向いてなかったな」


「……」


 そうだ。あの子には、魔法の才能が一切なかった。


「魔力量も少ない。適正の生命魔法も大したものを使えない。治せるのは擦り傷程度。一番得意なのは、クッキーを焼くことだったか。毒が入っているわけでもなく、魔法が込められているわけでもない、潜入作戦でも使いようのない、くだらない特技」


 栗色の髪の毛を揺らしながら、嬉しそうにクッキーを持ってきたことが、ふと、脳裏に蘇ってきた。

 いつになく真剣な顔をしながら、真面目に勉強をしているのかと思いきや、おやつ作りだったから、呆れたものだ。

 ただ、あの時の味を、今でも覚えている。


「君を助けたのはあの子なんだぞ。あの子が居なきゃ、君はここに居なかった」


 あの子の能力の覚醒は、彼を助けたことだった。

 重症。崖から転げ落ちたのか、全身複雑骨折に打撲、切り傷。

 内臓にもダメージがあったようで、嘔吐、吐血、下痢、失禁。

 襤褸雑巾のようになっていた彼を、私は一度諦めようとした。


 ――――怒られた。弟子に怒られた。

 何のための魔法なんだ、と。

 魔法を使う資格が無い、と。


 そう言って、泣きながら治療していた。

 我武者羅に魔法を放つだけでは駄目だと、教えていてよかったと思う。でなければ、今、彼は可哀想な体になっていただろうから。


 いやしかし、十歳の少女に、よくもまああんなことが出来たものだ。

 痛覚遮断魔法、迅速な切開、骨の欠片を取り除いて並べて整え、内臓が破裂していないかどうかの確認を済ませ、縫合。そして、かなりの強さの回復魔法。

 一つ間違えればその手で殺してしまうというのに。


「……君を助けた後、あの子はしばらく動けなかったんだぞ?」


 爆発的な集中力、限界を超えた魔力の使用……猫を助けるということだけが、それらを可能にした。とんでもない才能だと思った。実際そうだった。

 あの優しさは、白魔導士には欠かせないモノ。


「……君まで死んでしまうのか?」


 暖かい。暖炉の火を眺めていると、不思議な気分になる。


 生きているモノはいつか死ぬ。生きているから死ぬ。それが最も大きな弱点。

 私にはその弱点が無い。とっくの昔に、克服した。

 なのにどうしてだろう。今は死にたくて仕方がない。


 死んで逝った弟子たちに逢いたい、と。

 もう誰かに別れを告げなければならないのは嫌だ、と。

 何度願っても、叶うことはない。


 私は後悔していた。

 不老不死の力というものを、捨てたくてしょうがない。

 何が良いのだ、この能力。

 死なない、死ねないということは、嫌なことを忘れられないということ。


 だから私は、不老不死の魔法について教えなかった。

 誰一人として。


 ――――嗚呼、彼を不老不死にしたい。

 私から離れられないようにして、ずっと、ずっと一緒に居たい。


 あと何日こうしていられる?

 何時間? 何分? 何秒?


「にゃーぁ」


「……ごめんね」


 彼は低く鳴いた。落ち着く声、それでいて消えそうな声。

 分からない。私自身が。


 私の子供たちに、私は何をしてあげられただろう。

 絶対的な力を与えることだろうか。

 魔法の神秘を伝えることだろうか。


 違う。


 もふもふの猫を撫でる喜び……?

 それもアリだな。


 家族の愛、生きる喜び、甘酸っぱい恋……昔は嫌いだった言葉ばかり思い浮かぶな。


 私の愛弟子を、戦争なんかに使って……。

 人間は狂っている。



 ――――あ、死んだ。



 彼が今、私の手の中で力尽きた。

 暖炉の火も、消えていた。

 熱を失っていく灰のように、彼もまた冷たくなっていく。


 何時間、私はここに座っていただろう。

 訃報が届いたのは朝起きたときで……今は日が沈んでいる。


 そうか、そうか。

 君も会いにいったのか。

 天国とやらが本当にあるのかどうかは知らないが、そっちで幸せだと嬉しいぞ。


 ……。


 …………。


「……う……うぁ……」


 自分が情けない声を出していることは分かっていた。

 ただ、熱く燃えるような涙を零すことをやめられなかった。

 もふもふの毛並みを、自分の涙で濡らすことをやめられなかった。

 もふもふの毛並みの中から、消えていくぬくもりを探すのをやめられなかった。


 漆黒で艶やかでもふもふの毛並みを、手離すのをやめられなかった。

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