死体袋と猫

日由 了

第1話 死体袋と猫


 死人に口無し、という言葉を今日ほど実感したことはない。



 目の前の男はぽんぽんと地面を慣らし、シャベルを傍の木の幹に立てかける。

 冬だというのに私も男も、じんわりと汗ばんでいた。


「思ったより早く終わったねー」


 にこにこと人のいい笑顔を浮かべて、北斗行緒ほくとゆきおと名乗った男は土のついた軍手を外した。洗いざらしたジーンズのポケットから煙草のソフトパッケージをとりだし、メッキの擦れたジッポーライターで火を灯す。

 一本勧められたが、断った。とてもそんな気にはなれなかった。


 線の細い男だが、無骨な手をしていた。一本に束ていた髪をほどくと、背の半ばまである黒髪が絹のように流れる。長身で痩せており、見ようによっては女と間違えるほど整った顔立ちをしているこの男は、先ほどまでの出来事などもう忘れてしまったのか悠々と煙草をふかしていた。男は三十路手前の風貌だが、妙に場慣れしているようだった。


 私はまだ震えが止まらず、泥だらけの軍手で、今しがた土を被せたばかりのシャベルに縋るようにして立っているのがやっとだった。


 ……何を埋めたのか、なんとなしにはわかる。割のいい仕事だと思った。指定された場所に指定されたものを埋めるだけ。そう聞いていた。いや、その時点で怪しさ満点だと疑ってかかるべきだったのだが。


 プロでもその筋の人間でもない探偵助手をやっている男がひとり、依頼を受けて来る、と聞いてはいたけれど。……その言葉をどこまで信じていいのかも分からない。


 私は目隠しをされて、見知らぬ山にこの男の運転で連れてこられた。ここが現代日本といえど、自分が今どこにいるのかまるでわからない恐怖は、冬の夜気以上に私の骨を冷やしていた。


「……あんた、何を埋めたかわかってるんだよな……?」

 意を決して、男の煙草が短くなったタイミングで、私は尋ねた。

 話しかけられると思っていなかったのか、きょと、と男は切れ長の目を数回瞬く。

「何、って。おっきな重たい袋でしょ?」

 不思議そうに尋ね返されるので、出鼻を挫かれてしまう。

「いや……そうだけど、そうじゃなく……」

 随分と歯切れの悪い物言いになった私に、男はさらに首をかしげた。

「袋はただの袋でしょ?」

「違いない。だが、その、こんなことになるとは」

「思ってなかった?」

「あ……ああ」

「んー? そーお? おれは聞いてた話の通りだったけどなあ」


 携帯灰皿に煙草を押し込んで、男は踏み固めた土の上にしゃがみ込む。あっ、と思わず声が出そうになったのを、私は押し留めた。


「おれは何が入ってたのか知らない、きみも知らない。それ以上に何か意味ある?」

「しかし」

 なお食い下がった私に、北斗は唇をへの字に曲げた。

「じゃあ、掘り返して今から中身、確かめる?」

「……断る」

 考えるだけでゾッとする。

 見たところで、通報できる勇気もない。もう、私は十分共犯者だ。


 私たちが運んだのは、大きさ2メートルほどの黒い袋だ。重量は70キロほど。2人で抱えて持つのがやっとだった。正面にチャックがついており、気密性抜群、防水加工が施されており内容物の一切は漏れ出てこない造りになっている。内容物は上部に芯が通っているが半ばあたりでどれもぐんにゃりと二つ折りできそうで、押すと弾力があった。

 ……これだけで説明は十分だと思う。


 しかし、男の方は袋の中身が全くわかっていないようだった。気づいていない素振りですらない。察しが悪いのを通り越していた。


「お宝じゃあないことくらいはわかるけどさあ。おじさんだって、割のいい仕事だなーって飛びついたんでしょ? お金、欲しいもんねー。わかるよ」


 へらへらと男は笑う。

 袋が6つ入った大穴の上で、笑う。


「……聞きたいんだが、これは、誰が用意したものなんだ?」

「それ、知る必要あるかなあ?」


 私の問いに、間髪入れず男は続けた。言葉の内容とは裏腹に、語気は軽薄だった。


「あんたは知ってるのか?」

「さあ? きみにそんなことを教える義務はないしおれの仕事内容じゃあない」


 わっかんないかなあ、と男は鷹揚に首を振った。滑らかな黒髪が、しゃらしゃら揺れた。


「知らなくても生きていけることを、わざわざ知ろうとしなくてもよくない? スマホの仕組みなんか知らなくても、スマホは使えるでしょ? さっき埋めた袋もそんなもんだよ」

「……興味が湧いたりしないのか?」

「別に? 楽しそうならそれでいいだけだし。それで今月の給料に色がつくならラッキー!ってくらいだよ」


 快楽主義的な発言に思わず閉口した。そんな理由で危険な仕事をする馬鹿がいると思っていなかったし、こちらはこちらで必死なのだ。

 有り体に言うと、男の態度が癪に障った。


「あんたのそれは、思考停止だよ」


 吐き捨てた私の言葉も響かない。北斗は暢気に「そーかなあ」と星空を見上げた。


「どっちかと言うと思考放棄だよ。楽しいことはしたいけど自分の身が第一だからねえ。だから、最初から考えないようにする。好奇心を持った猫が殺されないようにするには、思考を止めることでも好奇心を捨てることでもない。馬鹿になればいい。とめるくらいなら、やめる方が楽でしょ」


 考えを停止するのではなく、

 考えを放棄する。


「そしておれはもとより考えるのはめんどくさくて嫌いだ。でもそんなおれでもなんとかやってこれた。だからこれからもなんとかなる」

「そんな無根拠な行動原理であんたはこの仕事を引き受けたのか」

「うん」

「……私が言うのもなんだが、ロクな男じゃないな」

「ははっ、別れた彼女にもそう言われた」


 細かい傷だらけのジッポーライターを示して、北斗は新しい煙草に火をつける。


「あんた、探偵助手らしいが、……全く似合わないな。第一、こんなところで何かを埋めて隠すよりも、それを暴くのが探偵の仕事なんじゃないのか」

「うちの事務所は半分何でも屋みたいなもんだからね。探偵事務所なんてのは名ばかりもいいとこだけど、どうもおれがテキトーに動いた方が情報が入りやすいらしいから」

「……大丈夫なのか?」

「さあねー。少なくとも、山までドライブしたくらいの付き合いのおじさんが心配するようなことじゃないよ。うちの探偵のやり口も、おれ自身のことも」


 要するに、と北斗は長い指で携帯灰皿に灰を落とす。


「余計なお世話、ってこと。おじさん、好奇心に殺される猫みたいだよ」


 あはは、と男は大きな口で笑った。


 ざわざわと森の木々が風で騒ぐ。

 北斗のふかす煙草の火だけが、やたらに赤く、明るく、浮かんでいる。白く細い煙は、押し流されていく。

 彼の煙草が短くなるのを、私は押し黙って見ていた。



 煙草を消した後、思い出したように男は立ち上がって言った。

「そういや、おれ、もういっこ仕事頼まれてたんだった」


 男はのんびりとした調子だが、途端に、嫌な予感が駆け巡った。今までの人生、散々だったんだ。それくらいの勘は働く。


 星明かり程度の光源の中では、長身の男の姿がのっぺりとした真っ黒い怪物のように見えた。


「……なんの仕事だ」

 思わず身構える。


「おじさんのことを送るまでが、おれの仕事でね」

 男の長い腕が、幹に立てかけたシャベルをとらえた。


「へえ、……最寄り駅まで送ってくれるのか?」

「いいや。そこじゃない」

 北斗はぱし、ぱし、と長い柄を一定のリズムで左右の手の間を往復させ、もてあそんでいる。


「それじゃあ、どこへ」


 北斗は手の動きを止め、


「心配ないよ。かえるだけさ」


 シャベルを、振りかぶった。


 殺される、と思った。

 とっさに、体の支えにしていたシャベルを捨てて飛び退く。


 大きくぶれた先端は、地面を穿った。


「おれ、喧嘩は自信ないんだから下手に避けない方がいいよー」


 それは、一思いに殺せないとか、そういう意味だろうか。いや、そうに違いない。


 逃げなければ。


 私は停めてあるバンとは反対の方向に向かって地面を蹴った。車の鍵は、男が持っている。


 もういい、金なんてどうでもいい。警察。警察を呼んで、洗いざらい吐いて、楽になろう。会社の金の横領なんてするんじゃなかった。好奇心で賭けに出た行動で、結局私は身を滅ぼしたのだから。


 とにかく、逃げ、


 駆け出した私の後頭部を、シャベルの腹が打った。

 目から火花が飛ぶ。

 私の意識は暗転した。





 …………目が覚める。

 覚める?


 すえた臭いに顔をしかめる。

 まさかここは地中では、と思うが、体は自由に動かせた。それに、周囲は明るい。鳥の鳴き声も聞こえる。


 白んだ空の下、私は知らない住宅地のゴミ捨て場で寝かされていた。

 土まみれの軍手は処分され、靴と服の細部に至る所までしっかり土は払われていた。昨晩の全ては夢かと思ったが、打たれた後頭部の鈍い痛みが現実だと物語っていた。


 作業服の懐には札束が3つ乱雑に詰め込まれていた。北斗の残したメモの類でもないかとまさぐったが、山に入った痕跡の一切がなくなっているのだ、証拠の類を残す男でもないだろう。


 ……殺されると思ったのは、私の早とちりだったのか。

 ……生きて帰れると思っていなかった。


 通報しようにも、私はあれがどこの山なのかわからない。提示できる証拠も、この300万円と後頭部のたんこぶが関の山だ。


 それなら、『知らなかったこと』にしておいた方がいい。


 山に埋めた袋のことも、北斗行緒という男のことも。


 あれはただの袋で、私が出会ったのはただの普通の青年だったのだ。

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