第四章10『勝つんだと、諦めず』


 ● ● ●


 少女が剣を抜き放つ。

 対する少年は、それを避ける。

 だから少女は再び振り抜いて、だけど今度はそれを少年が砕く。

 それでもなお、少女は一歩も引かない。

 一刀、二刀、三刀、砕かれる度に作り直しながら、少女は少年へ何度となく剣を振る。

 少年はただ避けて、砕いて、不意に、

「――!」

 少女に向けて、一撃を振り抜いた。

 真っ直ぐに突き立てられた拳は、だけど当たらず避けられる。

 再び自らに迫る一刀を、少年は避けて、砕いて、隙あらばまた直撃を見舞いに行く。

 だが、当たらない。

 両者どちらも、当たらない。当てられない。

「――――」

 こと接近戦においては、少年の方が明らかに上なのだと少女は改めて理解していた。

 身体を動かす技量は彼にまだまだ及ばぬと、躊躇いなく納得できる。

「…………」

 だがそれでも、と少女は不意に思わずにいられなかった。

 もしも全力を出したならば、きっと自分が勝ってしまう。

 それは変わらぬ真実なのだと、そう思わずにいられない。

 たとえどれだけ技術が優れていても、それを上から叩き潰せる力が少女にはあった。

 大河の前には、どれだけ上手く泳げても小魚では容易く呑まれるように。

 大山を前に、人一人がそれを崩せる術などないように。

 だからこそ、少女は今も加減して、戦いを“演じて”いる。

 そうしなければ、誰もがすぐに屈してしまうから。

 膝を折り、兜を脱いで、自分のこれまでを投げ出してしまうから。

「――!」

 一刀を振り抜きながら、少女はなおも浮かぶ思いを止められない。

 そうだ。誰も彼も己に届かぬと、諦めていた自分はいた。

 足掻くこともせず、求めることもせず、ただ目を閉じ耳を塞いで全てを向こうへ追いやりながら、誰も彼もに向き合わなかった自分は確かにいたのだ。

 だからこそを、少女は思う。

 今は違う。これからは違う。

 信じることを、諦めないことを見せつけられたから、自分もまたそうしたいのだと。

 挑み続けたいのだと、思って止まない。

 だから、

「…………ッ!」

 目の前の少年に、ただ少女は焦がれ、手を伸ばす。

 これまで感じたことのない喜びを胸に抱きながら、少女はひたすら手を伸ばす。

 遠い遠いその背に、追い付きたいのだと願い求めて進み続ける。

「まだま、だァ――――!!!!」

 少女は決して、止まらない。

 本当に追い掛けたがっていたのは、果たして一体誰だったのだろうか?


 ● ● ●


 アンヌ=アウレカムは、更に力を引き出していく。

 全力ではない。全開ではない。

 だけど着実にそれに近付いていることを嬉しく思いながら、自らの力を発揮していく。

「――ッ!」

 何度目とも知れない一刀を振り下ろす。

 強く、確かに、振り下ろす。

 それが目の前で砕け散るのを見つめながら、だけど彼が下がっていくのも真っ直ぐ見ている。

 だから、

「いくよ!」

 アンヌは次の一刀を――否、次なる十刀を背後に生み出す。

「――――」

 瞬間にして苛烈。無理でも何でもないただの当たり前を、行使する。

 整然と並び、宙を漂う十の剣は、ただ主の命を待つかのように、悠然と構えて止まる。

 それをアンヌは自らの魔力で握り締め、引き抜いた。

「!?」

 目の前、彼の驚く顔がそこにある。

 そのことを嬉しく思いながら、だけどアンヌは一刀を射出した。

 高速で、文字通り一閃が駆け抜ける。

 真っ直ぐに突き放たれた剣を、しかしツトムは避け切っていた。

 驚きも束の間に、身を捻り、ステップを踏んで容易く躱していく。

 そうして一刀は空を切り、彼の後ろに無意味に突き刺さる。

 だから、二刀目、三刀目を射出した。

「……!」

 今度は迎撃が来た。直撃コースの一本は割られ、後詰めの一本は無視しながら彼が前に出る。

 ならば、とアンヌは四刀、五刀、そして地に刺さっていた一刀目を魔力で抜いて反転させながら、差し向ける。

「ッ!」

 即座の判断で、ツトムが宙に逃げる。

 こちらから距離を取るように、三刀の軌跡上から抜け出すように跳び上がる。

 そんな彼へ向けて、なおもアンヌは攻撃を加えていく。

 残りの剣すべてを多方向から射出した。

 さらに、

「ハァッ!!」

 アンヌは追い打ちを掛けるように魔力弾を放つ。

 特大の、ツトムを丸ごと呑み込むほど大きな魔力弾を一つ、撃ち放った。

 視線の先で、五本の剣と魔力弾が彼へと迫る。

 彼の方はまだ、宙に飛び上がったまま何もしていない。

 回避行動は一切見られず、そんな彼へと五刀が一足先に辿り着く。

「――!」

 同時、ようやく彼が動き出す。

 身を捻り、その場で回ったかと思えば、最も早く到達した一本の、その切っ先を当然のように掴み取って、彼は更に高速で回転していく。

「――――」

 金属音が鳴り響く。甲高い音は、都合四つ。

 こちらが放った剣の、内一本を瞬時に奪い取り、彼はそれを盾に他の剣を弾いて除ける。

 とんだ曲芸だった。だけどそうして確かに、彼は迫る剣の全てを捌き切る。

 だが、続く魔力弾まではどうにもできまい。

 当たれば致命。確実に仕留められる一撃だ。

 ならばこれで終わりか?

 思いながら、だけどアンヌは期待せずにいられなかった。

 まだ乗り越えてくれるのだろうか、と。

 目の前、もはやアンヌの方からツトムの姿は見えない。

 大きな魔力弾の向こうに消えた彼は、果たして一体何をしてくれるだろうか?

 ……楽しいなぁ!

 それを前に、アンヌはただそう思う心を止められなかった。


 ● ● ●


 ツトム=ハルカはなおも身を回しながら、掴んだ剣の切っ先を、あえて一度手放した。

 宙を流れていく剣の刀身を素通りさせ、目の前にやって来た本当の柄を改めて握る。

 回る身を姿勢制御で難なく止めて、刹那の滞空の中で、ツトムは掴み取ったその剣を高らかに振り翳す。

 盾に使った“そいつ”を、本来の用途で使うために。

 正面、迫る魔力弾は至近で長大。

 回避は不可能。直撃すればもう立ち上がれはしないだろう。

 だけど――

 ……そんなの今に始まったことじゃないさ!

 思いながらツトムは、これまで通りに目の前の脅威へ対処していく。

 翳した一刀、アンヌの手で産み落とされたその長剣に、魔力を込める。

 今まさに行っている身体強化と同じように、身体の延長として力を込める。

 反発はない。拒絶はない。なぜならこれは、ここにある“物体”だから。

 ……魔法じゃないなら、こっちだって使える!

 咄嗟の気付きが、考えるより早く身体を動かす。

「セイヤアアアアアアアアッ!!!!」

 振り下ろした。

 眩く光る大玉目掛け、叩き割るように一気に振り下ろす。

 結果、

「――――」

 その通りになった。

 爆ぜる様に二つに割れて消える光の向こう、彼女の姿が見えている。

 笑う彼女が、そこにはいる。

 ……まだまだ期待に応えられてるみたいだねッ!

 だからツトムは動き続ける。更なる動きを見せ続ける。

 スタリと着地するや否や、一歩を前に踏み、剣持つ腕を引き絞る。

 ギチギチと力を込めて、絞りながら、そして、

「いっけェ――――ッ!!!!」

 掴んだ剣を、その持ち主へと一気に投げ返す。

 一直線に、高速に、剣の弾丸が飛翔する。

 こちらのすぐの反撃を前に、だけど彼女はそれを避ける。

 身を傾けて、自分のすぐ横を素通りさせる。

 だから、

「――ッ!」

 投げた軌跡を追い掛ける様に、ツトムは自身を発射した。

 真っ直ぐに、突っ走る。

 正面、彼女が姿勢を直しながらそこに立つ。

 迫るこちらに、再び構える彼女がいる。

 そんな彼女に向けて、大地を一歩一歩強く踏み出しながら、ツトムは一つの決意を胸に抱く。

 ……そろそろ決着を付けよう!

 この戦いに終止符を打つ。そのための、最後の接近。

 彼女に勝てる見込みが立った? ――違う。

 彼女もさすがにもう限界のはず? ――ありえない。

 限界なのは、自分の方。

 握る拳、駆動させる身体、疲弊は大きく、だけどそれ以上に見えて来た“底”がある。

 “これまで”を越えた“これから”の自分。それも最早、限界に近い。

 ならば諦めるか? ――否。

 ……残る力が僅かだというのなら、振り絞ってでも勝利を掴め!

 もはや時間は掛けられない。

 ……ありったけを、この一合いにッ!

 だから、

「――――!」

 ツトムは走る。走る。走り抜けていく。

 決着を付けんがため、終わりをもたらさんがため、ただ加速する。

 そんなこちらを近付かせんと、剣が射出される。

 目指す先から、側面から、背後から、迫る幾本もの剣の弾丸。

 それら全てを、躱して、砕いて、なおツトムは止まらず突き進む。

 進んで進んで一気に肉薄。

「……っ!」

 目の前、彼女がいる。拳が届く、自分の距離。

 だから彼女は、そこから逃げるように下がって剣を取る。

 魔力ではない。自らの手で、剣を取る。

 そして、

「――――ッ!!」

 振り抜いた。

 迫る剣の切っ先。振り抜く拳の先端。

 それらはさながら吸い込まれるように引かれ合い、

「――――」

 ほんの少し前と同じように、砕きと弾きが発生する。

 そこから先も、全く同じだ。

 アンヌが振り抜く。ツトムが砕く。

 新たに作り、振り払い、なおも砕いて、離れない。

 唯一違っているのは、ツトムがもはや避けないということ。

 避けず、離れず、振り抜かれる全ての剣を砕き続けているということ。

「ッ!!!!」

 ツトムがまた砕く。

 だが止まることなく次が来る。

 割って、砕いて、砕いて砕いて砕いて砕いて――

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――!!!!」

「はあああああああああああああああああああああああああ――――――!!!!」

 剣と拳が、互いを弾き、互いを討ちに、何度となくぶつかり合う。

 激音を響かせながら、破片を撒き散らしながら、意地を張るようにぶつかり合う。

 ……勝ちたいんだッ!

 それはきっと、彼女も同じ。

 本気で向き合っているからこそ、その想いだけは互い譲らない。

 だから止まらない。止まらない。止まらない止まらない――――

「――――ッ!」

 何十本と砕いて、何十回と弾かれて、それでもツトムは前へと行く。

 前へ前へと、無理矢理にでも進んでいく。

 自分の限界を知っているから。

 彼女の無限を知っているから。

 ここで決めてみせると、心の中で吠え立てながら、そして、

「――!?」

 ツトムは直感的に、一歩を下がった。


 ● ● ●


 ……え?

 避けることなく、砕き続けに来ていた彼が、不意に下がるのをアンヌ=アウレカムは見た。

 そして自分の腕が、無様に空を切るのもまた、同時に見ていた。

 視線の先、彼はたった一歩、剣の間合いから離れるためだけの一歩を離れ、そして、

「――!」

 即座にまた、こちらへ突っ込む。

 振り抜いたばかりの剣は、引き戻すにも振り上げるにも一瞬及ばない。

 それぐらい力を込めねば、到底弾ける気迫ではなかったから。

「っ!」

 目の前、彼が迫る。

 回避は不可能。迎撃も無理。

 故にアンヌは防御を思った。

 全身を鎧と変えて、拳を耐える。耐えてみせる。

 そうすれば、まだまだきっと戦える。

 この楽しい試合を、続けていられる。

 ……また痛いかもだけど――

 仕方ない、とどこか嬉しく思いながら、アンヌは迫る彼を真っ直ぐに見据えた。

 正面、引き絞られる彼の腕がある。

 滾る瞳は苛烈にこちらを見つめ、振り抜かれようとするその腕の先には、いつも通りの硬く握られた拳が――

「?」

 なかった。

 その一瞬の空白が、思考を奪う。

 目の前にある不可思議に、アンヌは身を動かすのを忘れてしまう。

 ……だって大きく開いた手が、そこにあるから――

 何を、と思う間もなく、答えが来た。

「――――」

 痛みはない。

 衝撃はない。

 吹き飛ぶような感覚もなく、何故か“向こう”の観客席だけが急によく見えるようになる。

 少し遅れて、ブワリと自分の髪が後ろへたなびくのを感じた。

 耳に届くのは、荒れた風が一気に解放されていく大きな音だけ。

「……………………」

 それを最後に、先程まで届いていた筈の激音の連鎖が、嘘のように掻き消えている。

 乱れ散っていた空気も、ゆっくりと落ち着きを取り戻しながら止まっていく。

 舞い飛ぶ石も、抉られ削れる地面もなく、魔力すらも静まり収まって、

「――――」

 いつ振りかも分からぬ静寂が、ここにはあった。

「?」

 そんな思わぬ現実を前に、アンヌは呆けずにいられない。

 何がどうなっているのか、まるで分からなかった。

 ただ強く感じるのは、全身に触れる熱の感触だけ。

「――――」

 何だそれは、と思った矢先、アンヌは小さな声が耳を打っているのにようやく気が付く。

 それは息遣い。とても近くから聞こえて来る、自らを整える息遣い。

 ……どうしてそんな物が聞こえるの?

 思い、振り向こうとして、不意にアンヌは頬に刺さる“何か”を感じた。

 チクチクと刺さってたわむのは、金の髪。

 同時、自分の顔の真横にある物が何なのか、アンヌはようやく理解した。

 ……ハルカ、くん……?

 真横に、彼の顔がある。

 ――いいや、違う。

 真横なんて物じゃない。全身に感じる熱が何なのか、事ここに至って理解する。

「……あ」

 自分自身を優しく包み込む“それ”を、アンヌはハッキリと感じ取った。

 ギュッとこちらを抱き締める彼が、目の前にいる。

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