第四章9『読み合い、指し合い、ぶつかり合い』


 ● ● ●


 ツトム=ハルカはただ、前へと倒れる。

 重力に引かれるまま、身を傾け、そして、

「――!」

 行った。

 高速で、疾走する。

 その速度、これまでの比ではない。

 これを初見で捉えられるとすれば、それは速さ自慢の者だけ。

 故に、ツトムは彼女と一切目が合うことなく、場内を縦横無尽に駆け回る。

 時に彼女に近付き、時に彼女から離れ、方向転換と瞬間加速を繰り返しながら、そうしてツトムはどこまでも自らの位置を攪乱していく。

 彼女はそんなこちらを捉えられない。

 動く眼は、しかし虚空に向くばかり。

 そのうち彼女は視線を動かすのを止め、不要とばかりに目を閉じる。

 動きはない。ただこちらを感知しようとするかのように、彼女は自らの感覚に集中していく。

 だから、

「ッ!」

 打撃した。

 高速のままに、打撃した。

 背後、不意の一撃は、しかし弾かれる。

 拳の先が触れたのは彼女の身体――ではない。

 それよりも少し手前、何もない空間が、こちらを拒絶し弾き飛ばす。

 反動で下がったツトムは、しかし即座に位置を変え、彼女の側面を叩く。

「――ッ!?」

 再び弾かれた。

 下がり、加速し、移動して、

「ッ!」

 殴る一撃は、だけどそのどれも弾かれる。

 正面、背後、直上、彼女に捉えられていないにも関わらず、こちらの打撃が“何か”に弾かれる。

 彼女の全周囲を、確実に守るモノがあった。

「…………」

 高速の視界の中で、ツトムはよく目を凝らす。

 打撃を続け、連打を浴びせ、四方八方全てから攻撃を畳み掛けながら、しかしその全てを弾く“それ”を、ツトムは見た。

 淡く光る“薄い膜”。

 打撃を受ける度に発光し、揺らぐ姿は球形だ。

 “魔力の殻”が、彼女を守っていた。

「――――」

 それを前に、ツトムはアンヌが目を閉じた二つの意味を悟った。

 つまり、

 ……索敵と防御に集中するか!

 攻撃を捨て、受けに回ったのだ。

 ここまでの戦いとは逆だな、とツトムは思った。

 試合開始直後から攻勢一色だった彼女が今、一転守勢に回っている。

 それはひとえに変わった己の速度故か、あるいは威力故。

 すなわち、攻防を意識せざるを得ない段階まで、彼女を引き上げられたのだ。

 だったら――

 ……もっと上げていくよ!

 思い、ツトムは次なるへとひた走る。


 ● ● ●


 全周囲から響く打撃音の中で、アンヌ=アウレカムは集中していた。

 防御の殻を展開維持しながら、それとは別に、自らが発する自然魔力を球状に広げていく。

 それは、入ったモノを捕捉する自己空間の拡張。

 膨大な魔力が可能にする、一種の荒技だった。

 アンヌはそうして、自らの認知領域を広げ、ツトムの感知に努めていく。

「…………」

 球形の拡大は、しかし魔力殻の倍ほどで止まる。

 それ以上が無理なのではない。それ以上必要ないと、アンヌは判断したのだ。

 なぜなら、

 ……完全に捕捉したいんじゃない。

 大事なのは、彼が近付いてきた瞬間だけだから。

 展開が完了すると、アンヌの魔力の中にすぐさまツトムが飛び込んできた。

 それを捕捉し、その方向とタイミングを測ろうとして、

「!?」

 得た情報に対し、アンヌは思わず驚きを隠せなかった。

 なにせ、

 ……ほとんど同時はおかしいんじゃないかな?!

 それはあまりに意味不明がすぎたから。

 飛び込んでくる情報は、数秒足らずで優に百を越える。それでもなお感知は止まらない。

 耳に入る音も、接近の情報も何もかも、一切間隔を開けることなく連続していく。

 時に得るのが、同時多発とほとんど変わらない情報だというのがとにかく恐ろしい。

 故に、

「……くっ」

 アンヌはそこで、感知を捨てた。

 攻めの隙を突くだなんて、そんなことを許してくれる相手ではなかった。

 ならば、どうする?

 考えようとした――その直前で、

「え?」

 不意にアンヌは気付く。

 自らが維持する魔法殼の、その僅かな異変に。

 ……まずい!

 思うや否や、

「ハアアアア――ッ!!!!」

 アンヌは魔法殼ごと、全周囲を攻撃した。

 魔力の波動が、爆ぜ上がる。


 ● ● ●


 ……まぁ、そう来るよな!

 思いながら、ツトム=ハルカは待ってましたとばかりに後退する。

 目の前、こちらに届きそうで届かない距離で魔力が散っていくのが見える。

 “それ”は、触れれば全てを吹き飛ばす、魔力殼よりなお攻撃的な全方位爆圧の終端。

 彼女を中心に広がった、こちらを追いやるための攻撃だ。

 何故、彼女はそうしたのか。その答えを、ツトムは既に知っていた。

 ……もう少しだったんだけどな!

 自ら誘い出した結果こそが、“それ”なのだ。

「――――」

 全方位攻撃の少し前、ツトムはアンヌに――アンヌの魔法殼に対し、仕掛けていた。

 気付かれぬよう、徐々に徐々に、仕掛けていった。

 魔法殼に多角連撃を浴びせながら、ツトムはその中に虚と実を織り交ぜた。

 それは直撃か否か、という意味ではない。

 ある目的のため、意味ある数撃とそれを隠す多重撃という虚実を混ぜ込んだのだ。

 目的はただ一つ。

 ――魔力殼の破壊。

 堅牢な防御として、彼女を守る魔力の殼。

 全周囲を守り、こちらを微塵も寄せ付けない拒絶の壁。

 しかしそれも、絶対ではなかった。

 こちらの攻撃が一際強く当たる度、魔力殼が大きく揺らぐ姿をツトムは何度も見ていた。

 大きな揺らぎは直撃点を中心に波打ち、均一であるはずの魔力に偏りを持たせて伝播させる。

 そうして本来一定であるはずの殻全体に対し、密度の濃淡を生み出す。

 だがそんな揺らぎの波も、彼女の魔力補充によってすぐに修正されてしまう。

 ならば、とツトムは思った。

 修復が間に合わぬほど揺らがせ続ければどうなるか?

 揺らぎに揺らぎを重ね当てて、より大きくしていけばどうなるか?

 砕けぬ壁ならば、砕けるようになるまで薄めてしまえばいいのではないか、と。

 考え、実行した結果――しかし寸前のところで気付かれたのが、この今だ。

 自らの防壁が崩れ去ろうとしたのに対し、彼女は全方位攻撃を選択した。

 こちらの位置など一切お構いなしに、どこまでも離れて欲しかったが故に。

 目の前の爆圧こそが、まさに“それ”だ。

 だが、

「――――」

 ツトムはその攻撃すらも予測し、新たに動き出す。

 位置を捉え切れぬ相手に対する即座の対応など、大抵限られているから。

 そうしてツトムは、爆圧に呑まれないギリギリまで後退していた。

「…………」

 視線の先、アンヌの小さな背は少し遠く、爆圧による向かい風が、ツトムを強く撫でる。

 目前で光って散る魔力は、しかしまだ消えぬ。

 分かっているから、ツトムはゆっくりと力を溜めていく。

 脚部に、加速と瞬発の要たるその場所に、力と魔力を集めて溜め込んでいく。

 そしてただ、爆圧が収まるその瞬間を、待ち望んだ。


 ● ● ●


 全方位に魔力の波動を迸らせながら、アンヌ=アウレカムは一つの確信を得ていた。

 ……きっと来る!

 あのツトムが、決してこんな程度で止まる筈がない。

 この爆圧が納まった先、必ず彼はやって来るのだと容易く予想が付いたから、アンヌは決して警戒を止めなかった。

 そうして未だ残る拒絶の爆圧の中で、アンヌはツトムの次なるを考える。

 こちらの防御を突き崩さんとしていた彼は、今、実質それを成し遂げた状態だ。

 咄嗟に行った迎撃も、おそらく彼にとっては予想の範疇。

 ならばこの終わり際こそが、最も重要な攻め時。

 そう理解したから、アンヌもまた動かざるを得ない。

 こちらの数少ない優点は、爆圧の範囲と、それが消えるタイミングを把握していること。

 ……少なくとも、いつ来るかは分かる!

 そして、爆圧の範囲外に彼がいるというのも確定だった。

 だが、どこにいるのか、それが問題だ。

 正面? ありえない。

 背後? 安直だが、否定は出来ない。

 側面や直上? 可能性としては充分あり得る。

 考えても考えても答えが出るはずもない。

 だから、

「――――!」

 アンヌは一度捨てた感知を、ここでもう一度復活させる。

 この今だけは、連撃などあり得ないから。

 ただ一撃を――彼の乾坤一擲を捉えるために、アンヌは自らの魔力を拡散させる。

 それは、爆圧の中で起きる“第二の爆発”だった。

 ブワリと、共に大気を鳴らしながら、“それ”は一気に広がっていく。

 爆圧が消えるまで最早一秒もなく、だけど“それ”は、高速に全てを呑み込み走っていく。

 そうして、

 ……捉えた!

 感知領域が会場全体を覆い尽くしたのと、爆圧が消滅するのは“ほぼ同時”だった。

 背後、そこに彼がいる。

 振り返ろうと、身を回そうとして、だけど、

「ッ!」

 遅かった。

 一直線に、真っ直ぐに、一瞬を以て、彼がこちらに迫る。

 その速度は、今まで把握してきた物よりなお速く、数段上を行っている。

 ならば、どうなるか?

「……ぐっ、……ァ――ッ!」

 鈍く重い痛みが、背中に走る。

 グイッとめり込む拳の感触を、その細い背は確かに感じていた。

 そして、

「――――」

 飛んだ。

 吹き飛んだ。

 一直線に、真っ直ぐに、高速で吹き飛びながら、小さな身体が転がっていく。

 地面を何度も跳ね、体中のあちこちを打ち付けながら、しかし勢いは止まらない。

「――グゥ…………、……ィ、ぁアッ!」

 グルグルと回り続ける視界の中で、だけど、

 ……ま、だァ……!

 アンヌは決して、自らを諦めなかった。

 だから、

「――アアアッ!!!!」

 宙を飛びながらも、地面に向けて拳を突き立てる。

 深く刺さったそこを基点に、態勢を立て直しながら飛ぶ勢いを殺していく。

 土を抉り、石を撒き散らし、自らが飛び行く軌跡を地に描きながら、

「……ッ!」

 だけどアンヌは、確かに止まっていた。

 瞳に宿る炎を猛らせながら、即座に正面へと視線を移す。

 ……来てるよねッ?!

 思う通りの現実が、目の前に広がっている。

「――――」

 ツトムが迫る。高速の勢いはなお衰えず、再び真っ直ぐこちらを追い掛けてきている。

 だから、

「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!!!」 

 アンヌは高々と腕を掲げた。

 天に伸ばすように、手を広げ、そしてそこに、

「――――」

 光を凝縮させる。

 収束は一瞬。生み出される“それ”が出来上がるより早く、アンヌは一気に腕を振り下ろす。

 目の前のツトムへ向けて、落としていく手には強く握れる物がある。

 硬く、無機質で、やたらと煌めく長物。

 創造の“剣”が、そこにある。

「――ッ!」

 正面、振り下ろす剣の軌跡と、振り抜かれる拳の軌跡が、合致した。

 ならばどうなる?

「――――」

 激突と同時、二人の身体が弾かれたように数歩を下がる。

 アンヌは見た。自らが生み出した剣の、その刀身が砕け散っていく様を。

 そして同時に見ていた。彼の拳が、はね除けられたように離れていく姿を。

 だから、

「――――!」

 アンヌは次へと進む。

 下がった足で、だけど前へと地面を蹴る。離れていく彼に追い縋るように。

 握った手の中の残骸を投げ捨てながら、アンヌはツトムへと近付き、

「ハァッ!!!!」

 ただもう一度、振り抜いた。

 砕けたのならまた作ればいいと言わんばかりに、新たに煌めく一刀を握り締めながら、彼に向けて振り抜き払う。

 接近戦を、自ら望みに行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る