第四章6『時が来た、本気でぶつかる時が――』


 ● ● ●


「昨日の今日とは……、君も中々馬鹿だねぇ」

 呆れた笑みを浮かべながら告げられた言葉を、ツトム=ハルカは聞いていた。

 声の主はスーツ姿の女性、アマネ=ムトウだ。

 今日もまた、彼女がツトムの試合の審判を務める。

 だからこその台詞だ。

 少し離れた所にいるそんなアマネに向けて、ツトムはただはにかみを返すばかりだ。

 そして、

「まぁ、いずれはすることでしたので」

 特に考えることもなく出た台詞に、アマネがツイっと片眉を上げて反応する。

 つまり、と彼女は続け、

「それが今日でも構わないと?」

 気安い調子で投げられたそんな問い掛けに、はい、とツトムは当然のように答えてみせる。

 その態度に、やれやれ、とアマネが首を振りながら苦笑する。

「こんな彼をどう思うよ? ん?」

 不意に彼女はツトムから目線を外すと、逆方向へ向きながら一人の人物に問い掛ける。

 言葉の飛ぶ先、そこに立っているのは“少女”。

 この場に立つべき三人目、アンヌ=アウレカムだ。

 アマネの不意の質問に、だけどアンヌは微塵も考え込んだ様子もなく、

「素敵だと思います」

 微笑みながらすぐにそう答えてみせた。

「ほぉ?」

 彼女から返ってきた言葉に、アマネが少し驚いたように声を漏らす。 

 そして一度ツトムへ振り返ると、またアンヌへ振り返った。

 ツトムは照れながら苦笑を浮かべ、アンヌはキョトンと可愛らしく小首を傾げている。

 そんな二人を交互に見やってから、不意にアマネはニヤリと笑う。

 ただからかうように、

「どうやら親睦はとうの昔に深めていたようだね」

 そんな言葉を彼女は告げる。

 それになお赤くむず痒そうに照れるツトム。

 だがアンヌの方は、はい、と応えて微笑むばかりだ。

 それぞれの反応を見届け、ハッ、とアマネは快活に笑い飛ばすと、

「結構結構。仲良きことは良きことだよ」

 嬉しそうにそう告げて、何度も頷いた。

 そんな彼女の言葉に、ツトムとアンヌも嬉しそうにただ笑みを返すばかりだ。

 そうして、

「さて」

 アマネは告げる。区切りの言葉を。切り替えの言葉を。

 それはつまり――

「準備はよろしいかな? ご両人」

 言われた台詞に、

「「はい」」

 ツトムとアンヌが、共に頷く。ハッキリと、そんなのとっくに出来ていると言わんばかりに。

 二人はただ、互いに向き合い、

「――――」

 ニッコリと笑う。

 ようやく、ようやくこの時が来た。

 待ち望んでいた、これから先の全てを始める“この瞬間”が、ついに来たのだ。

 見つめる視線の先、そこにある姿を前に、二人はふとかつてを思い出す。

 それは、君に出会った初めての日のこと。

 話した訳でも、近くにいた訳でもないけれど、遠く見つめ合ったあの日。

 まだお互い何も知らなくて、相手がどんな人なのかも全然分かっていなかったけれど、それでも今になって思い返せば分かる。

 きっと“あの時”から、“この今”を待ち望んでいたのだと。

「全力だ」

 ツトムが告げる。

 グッと拳を握り、

「今ある俺の全てを、ぶつけに行くよ」

 ハッキリと、いつだってブれることのない己を告げる。

「来て」

 アンヌが応じる。

「私の所に――」

 笑って、

「来て欲しい」

 願い、祈る言葉を、目の前の相手へ贈る。

 そして、

「――――」

 二人は、構える。

 もはや言葉は不要。後はただ、ぶつかり合うのみ。

 挑み続ける。そばに居続ける。

 その証明を、今こそここに。

「では――」

 だから、

「始め!」

 行った。


● ● ●


「――――」

 自ら光り輝く球体を、ツトム=ハルカは“向こう側”に見た。

 拳大の球体だ。開始の合図と同時、それは一瞬にして現れる。

 生み出したのは、翳す小さな手の平。

 光球とその手の平は、今まさにこちらへと向けられている。

 そんな二つの下へ――相手の下へ、開始と同時に真っ直ぐ突っ込もうとしていたツトムは、だからこそ、なお目の前で展開していくその光景を刹那の中で捉えていた。

 光球が、姿を変える。

 整っていた球形は楕円に変わり、細く鋭く伸び上がり、その先端をこちらへ向ける。

 そして、

「――――!」

 飛んだ。

 一直線に、もはや楕円ではなく一つの光条となって、こちらへと飛翔する。

 視界の中心、真っ正面からではもはや点にしか見えないその光線を前に、

「…………!」

 ツトムは身を傾けて躱す。

 自らのすぐそばをすり抜けていくその行く末を、しかしツトムは見届けてなどいられない。

 視線はなお、翳す手の平に注がれている。

 なぜならそこに、

「――――」

 再び球体が生まれているから。

「――――!」

 来た。

 次の光線が、突っ走っる。

 一発目を不意に避けて崩れた態勢を、しかしツトムは持ち前の体術で即座に整え、

「……!」

 その一撃も、躱す。

 そうして再び態勢を整え、だが――

「っ!」

 来る。

 今度は二発同時。

 それもまた躱していく。最小限の動きで、開始位置からほとんど動かずに。

 そこへ、また来る。

 三発、四発――徐々に間隔は短く、多重の光線が“発射”され続ける。

「……くっ!!」

 故にツトムもなお避けて、だけどその動きは光線の数に比例するように大きく、苦しくなっていく。

 十を超え、数十を優に超えた頃になって、ようやく――

「――――ッ!」

 ツトムは跳んだ。一際高く、一際大きく。

 そうしてツトムが消え去ったその場所を、直後、光線の群れが貪り喰らうように埋め尽くす。

 百を超えてなお衰えることなく増え続けるその群れは、もはや一つの野太い光芒だった。

 その瀑布から逃れ出ていく跳躍の中で、ツトムはその撃ち手を見た。

 視線の先にいるのは、アンヌ=アウレカム。極大魔力の持ち主だ。

 彼女は今も片手を翳し、当然のように大量の光線を放ち続けている。

 開始前も、開始直後も、小さなその手に武器はなく、かつて作って見せたような剣は、まだ握られていなかった。

 それはつまり――

 ……始めは魔法主体で来るってことだろう?!

 だからツトムは、着地までのほんの数瞬の間さえも彼女から目を離さない。

 次にどうしてくるか、それを見極めるために。

 そんな視線に対し、

「――――」

 返る視線があることを、ツトムはその目で理解していた。

 直後、背後で無為に壁に当たり続けていた光芒が、こちらに追従してくるのを気配で感じる。

 視線の先では、彼女の手が再びこちらへ向け直されようと動いていた。

 だから、

「!」

 着地と同時、再びツトムは前へ跳んだ。

 そして、走り出す。

 こちらを追い掛け、呑み込まんとする光芒から――彼女の手から逃れるように、疾走する。

 アンヌの周囲を円形状に駆け回りながら、なおもツトムは彼女を見続ける。

 返る視線は、まだあった。

 後ろ、光の群が追い縋ろうとして、だけど追いつけずに離れていく。

 だからツトムは、走る速度を幾らか落とす。

 かつてこの場所で、速さ自慢の“彼女”にやられたように、追いつけそうで追いつけないよう騙してみせて、ツトムは余裕を持って走りに行った。

 結果、光芒はなおも付いてきて、だけどそれだけだ。

「…………」

 そうして後ろに光芒を引き連れながら走ること数秒、不意にツトムは疑問を持った。

 ……何故こんな程度の攻撃で済ませているんだろう?

 それはアンヌが明らかに手を抜いているだろうことへの疑問だった。

 ツトムは知っている。彼女が一体どういう存在なのか。

 どれほどの規格外か、それを身を以て知る機会こそが今日この日なのだと分かっている。

 だからこそ余計に、ツトムは疑問に思うのだ。

 何故彼女はまだ全力を見せていないのか、と。

「…………」

 迫る光芒。あれを構成する光線一つ一つ。確かにその威力は絶大だろう。

 そう判断したからこそ、ツトムは一発目から回避に徹した。

 そんなモノを滝のように絶やすことなく撃ち続けている時点で、彼女が大概なことは確か。

 だがしかし、

 ……全力にはまだまだ程遠いだろうな。

 そう思わずにいられない。

 それぐらいの規格外をこちらは想定していて、これにはきっと彼女も同意するはずだ。

 そうして彼女の全力を考えた時、この状況のおかしさに気付く。

 なにせ――

 ……全方位に向けてアレを撃ち出せば、この試合はすぐ終わるだろうな。

 悲しいかな、現時点の己では、たとえ両腕の全貯蔵魔力を使ったとしても、そういう結果になってしまうと容易く理解してしまえるのだ。

 彼女が撃った光線の量が既にその分を優に越えている時点で、それは明らかだった。

 ならば一つのことが、ツトムの中で確定する。

 彼女は今、確実に手を抜いている。

 ……どうして?

 その事実を前に、ツトムはただアンヌを見た。

 視線の先、そこで魔法を撃ち続ける彼女の眼差しは、真剣そのもの。

 決して適当にやっている訳でも、ましてこちらを弄んでいる訳でも断じてない。

 ただ真っ直ぐに、戦おうとして“くれている”。

 つまり、

 ……この状況は彼女の情けで、優しさなのか?

 いいや違う、とツトムは即座に否定する。

 なぜなら――

 ……前も彼女は普通に戦っていたじゃないか。

 かつて見た試合を、ツトムは思い返す。

 彼女と約束を交わす、その直前の試合だ。

 あの時も、彼女は決してすぐには終わらせなかった。

 相手としばらく戦って“見せて”、その上で、叩き潰した。

 そこにはきっと、他意などない。

 そうしてやらねば戦いにすらならぬと、彼女自身が理解しているだけ。

 つまり彼女にとって、手を抜くなんて極々当たり前。

 この今も、まさに“それ”だ。

 そう思い至ったからこそ、ツトムは改めて理解した。

 彼女の本気の、その途方も無さを。

 ……彼女は俺に合わせざるを得ないんだ。

 目の前の相手によって、戦う相手の強さによって、彼女は当たり前に力を落とす。そうして一切、全力を出すことはない。

 それはきっと、この世の誰が相手だったとしても。

 常に全力で、一切に本気で挑んできたツトムにとってしてみれば、それはなんて――

 ……つまらないんだろう。

 そう思わずにいられなかった。

 本気を出せぬということは、挑戦できぬということ。

 全力を出せぬということは、その先を夢見ることすらできぬということ。

 彼女はいつだって下しか見れず、決して上を見上げられない。

 そのことに、ツトムは改めてアンヌが自分の“真逆”であることを痛感する。

「――――」

 だからこそ、ここに来て余計に強く思った。

 ……いつか必ず届かせてみせる。

 彼女に告げたその言葉を、決して嘘にしてはいけないのだと。

 挑戦の喜びを、全力の楽しさを、何より知る己だからこそ、それを嘘にはしたくない。

 改めてそう決意したツトムは、故にこの現状を受け入れる。

 手を抜く彼女。それでも戦う彼女。

 それの何がおかしい。それの何が不満だ。

 手を抜かざるを得ないのは自分のせい。

 彼女にまだまだ追いつけぬ自分のせい。

 それを嘆き、憂いたところで何も変わらない。変えられない。

 ならば今すべきことなど、ただ一つ。

 ……戦え、全力で!

 いつか彼女も“全力”でぶつかって来られるように、この今をこそ“糧”にしろ。

 己が未熟なままでも戦ってくれるというのなら、今できる全力で応えよう。

 わざわざこちらに合わせ、少しずつ登らせてくれるというのなら、有り難くそうしよう。

 ただ越えるべき困難として、絶望ではなく希望と共に立ちはだかってくれるというのならば、この拳で何度だって越えて進む。

 いつだって、諦めたりなんかしない。

 差し伸べられる手に、届かせることを諦めない。

 だから――

 ……不満などあるものか!

 いつかと同じだ。

 入学試験のあの時と、同じ。

 自分よりも遥か高みにいる者が、今まさにこちらを試してきている。

 挑んでこいと、貫いてみせろと、“本気”で向き合ってくれている。

 強さじゃない。力じゃない。賭けるその想いの“深さ”にこそ、意味がある。

 戦う彼女は、確かな“本気”を己に向けている。

 ならば何も問題はない。

 ただかつてと同じように、

 ……己の全てを通して示せ!

 それこそが、彼女に“本気”であるということなのだから。

「――――」

 ツトムはただ、笑みが浮かぶのを止められない。

 走り、逃れながら、だけど己の意気だけがひたすらに高まっていく。

「……!」

 そんなツトムに不意に降り注いだ攻撃を、しかし当然のように躱してみせる。

 光芒はまだ、追い縋ったまま。決してこちらに追い付いてはいない。

 だが、攻撃は来ている。

 光線が、来ている。

 偏差撃ち。移動先を予測して、彼女はこちらを狙ってきていた。

 それは一発だけか? いいや、違う。

 再び攻撃の手が加速する。

 未だ光芒を放ち続けながら、こちらを狙う偏差の光線はその数を増やし続ける。

 ツトムは避ける。始めと同じように、その全てを避けていく。

 だけど同時に、後ろに縋る光芒が近付いてくるのもまた理解していた。

 始め以上に動きが制限されながら、だけど同じだけの回避を要求されている。

 これはつまり、

 ……難易度を上げてくれているんだね!

 アンヌはツトムへ、更なる試練を課しに来た。

 戦いが経過する毎に、こちらが困難を乗り越える毎に、彼女は“次”を与えてくる。

 越えてみせろと、届かせてみせろと、願って求めて縋っている。

 挑み続けて欲しいから。

 ……ああ、分かっているとも。

 だから――

「行くよ」

 言葉と共に、ツトムは加速した。

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