第四章4『挑む者、挑まれる者、なれど互い想う心は一つ』


● ● ●


 心晴れやかに、ツトム=ハルカは選手控え室へと向かっていた。

 途中、リンとタクミに会い、そしてアルトとも会う。

 二人からは激励を、アルトからは調整の完了した手甲を受け取って、ツトムは今ここにいた。

 廊下を進みながら、ツトムは思う。

 ……まだ一ヶ月も経ってないんだな。

 入学して、友達ができて、気になる人ができて、ライバルができて、だけどまだここでの生活は始まったばかり。

 ふと思い返してみれば、思わず笑ってしまうような中身の濃さだ。

 ……こんな生活が、これから先も待っているんだろうか?

 考えてみて、そうだろうなとすぐに納得できる自分がいる。

 これまで色んな人がいた。濃い人、凄い人、楽しい人、面白い人、変わった人――。

 まだ出会えていない人の中にも、きっと色んな人がいる筈だ。

 ここでの学園生活が、そんな彼らに会わせてくれる。

 そしてそれは、学内に留まらず、学外へも伸びていくと思うから。

 まだ見ぬ凄い人達に出会えるのだと、そんな予感が確かにあった。

 ああ、それは何て、

 ……楽しみな。

 ただどこまでも、これから先の全てを想って、ツトムは期待に胸膨らます。

 そして、だからこそ、思う。

 ……そんな日々を、彼女と一緒に過ごせたなら――

 素敵な日々は、もっと素敵な日々になるはずだと。

 そのための挑みの第一歩へ向けて、ツトムは真っ直ぐに突き進む。

 そうして歩んだ道の先、扉の前で見つけた姿は、

「トールブリッツさん?」

「あら、ようやく来ましたの?」

 きっとこれからも、己と共に挑み続ける人だった。


 ● ● ●


「どっちの応援かな?」

 軽い挨拶を交わしてから、ツトム=ハルカは気安い調子で目の前の少女に問い掛けた。

 少女――エレナは、ふふ、と小さく笑うと、

「どっちもですわ」

 サラリと軽い調子で答えてみせた。

 待ち人来たりと、そう言わんばかりに彼女は壁に預けていた身体をサッと離し、ツトムの方へと向き直る。

 そうして互い向かい合い、ツトムとエレナは扉の前で並び立つ。

 周りには誰もいない。

「…………」

 二人は互いを見つめて、だけど口を開かずひたすら黙る。

 沈黙の時はただ流れ、向き合うだけの男女がここにいた。

 そして――

「ふっ」

 不意に吹き出したのは、エレナの方だった。

 彼女は、ふふふ、と堪えていた笑いを抑えきれずになお吹き出して、

「何か言って下さいまし」

 笑い混じりにツトムへと声を掛ける。

 するとツトムの方も、いやぁ~、と照れながらポリポリと頭を掻いて、

「何を話せばいいか分からなくってね」

 笑って答える。

 そうして男女二人はしばらく声を抑えて笑い合い、だけど不意に、エレナが何かに気付いたように、ああ、と呟く。

 疑問符を浮かべるツトムに対し、エレナはからかうような視線を向けると、

「もしかして、私に自分だけを応援して欲しかったりしましたの?」

 それでしたらごめんなさいと、口元に明らかな半笑いを浮かべながら謝罪する。

 ツトムはそんな彼女に対し、はは、と笑い返し、

「いやいやまさか」

 首を振って答える。

 そして、

「そうだったら嬉しいとは思うけどね」

 意趣返しのように冗談めかしてそう続けた。

 ツトムのその返しに、まったく、とエレナは呆れたように苦笑して、

「冗談はこれくらいにしましょうか」

 言うと、彼女は一度息を入れ直した。

 ゆっくりと呼吸して、顔からいたずらめいた笑みを消し、次いで浮かべるのは優しい微笑。

 エレナはただ、ツトムを真っ直ぐ見据えて微笑む。

 そんな彼女の視線を前に、ツトムもまた身を正して息を整える。

 同じように真っ直ぐな視線を返しながら、笑みを浮かべて彼女の次の言葉を待った。

 だってツトムから今、彼女に告げるべきことはないから。

 何を言ってくれるのだろうか? どう応援してくれるのだろうか?

 分からないけど、ありがたく受け取りたい。

 そんなツトムの視線から、彼女は一切目を逸らすことなく、口を開く。

「――準備は万全ですの?」

 問い掛けだ。やれることはやり尽くしたのかと、問い掛けてきている。

 それに対する答えは、一つ。

「もちろん」

 確かな頷きを、ツトムは彼女へ返す。

 やれることはやった。成長し、強くなっている自分が確かにここにいる。

 だから後悔はない。

「昨日以上の万全を、見せてあげるよ」

 握って見せる拳には、彼女と試し、挑んだ全てが詰まっている。

 君がいたから今の自分はあるのだと、そう彼女に示すように。

 それを見た彼女は、あらあら、と笑って、

「それはそれは、楽しみなことで」

 ただ嬉しそうに、微笑んだ。

 そして、

「いずれ私にも、直接見せてくださるのでしょう?」

 そんな言葉を、投げ掛ける。

 その意味、理解出来ぬほど馬鹿じゃない。

 これは再戦の申し込み。また見せろと、また戦おうと、そういうこと。

 だから、

「ああ、もちろん」

 ツトムは応える。変わる事なき答えを返す。

 そうだ。変わるはずもない。断るはずもない。

 何度だって、何度だって、挑んでみせる。戦ってみせる。

 たとえ相手が誰であろうと、それを諦めることだけは絶対にしない。

 だから、

「またやろう」

 ハッキリと、その言葉を告げた先、エレナもまた微笑み、強く頷いた。

 彼女は告げる。

「その時は、もっと強い私をお見せしますわ」

 だからそちらも、と彼女は続ける。

 無論だとも。言われるまでもない。

 いつ何時も、己を諦めず、強く誇れる己であるために――

「頑張るよ」

 いつだって、己はそうしていくのだ。

 互いに交わした言葉の数々に二人は笑い合い、そして、

「――――」

 いつかのように、昨日のように、好敵手達は握手を交わす。

 強く、強く、互いのかけがえのなさを知るが故に、しかと交わす。

 そうして――

「頑張って下さいまし」

 エレナ=トールブリッツは激励の言葉を好敵手に告げ、その手を離す。

 ニッコリと笑いながら、彼女は数歩を下がり、

「では、私はこれで」

 わざとらしくお嬢様染みた礼をしてから、ツトムへと背を向ける。

 そのまま一歩を踏んで、彼女がこの場を去ろうとする――その直前で、

「あら?」

 不意に、彼女は固まった。

「あらあらあらあら」

 続いた言葉は、笑い混じり。

 一体何を、そう思ってツトムは身体を傾げ、彼女の視線の先へと目を移す。

 そこにいたのは――

「こちらもようやくお出ましですのね」

 笑って告げるエレナの言葉通り、来たるべき人が、そこにいた。

「――――」

 綺麗な細い髪が、ふわりとたなびく。

 煌めいて、眩いて、光に溶け込む。

 それを揺らすのは細くしなやかな身体。

 その上にある幼げな顔立ちは、どこまでも可憐で愛らしい。

 小さなその姿は、ともすれば容易く手折れてしまいそうで。

 そうして感じる儚げな印象は、だけど全くの偽りだ。

 その真実はあらゆる一切を置き去りにする。

 ツトムも、エレナも、この学園にいる誰も彼もを越えて、なお遥か先。

「アウレカムさん」

 天上に至る者、その人だった。


 ● ● ●


 自分より背の高い、一人の少女が目の前に来るのをアンヌ=アウレカムは見ていた。

 努力の少年を向こうに置いて、少女――エレナ=トールブリッツは立ち止まってアンヌに向かい合う。

 そして、告げる。

「良かったですわね」

 何が、と言いかけた言葉を、しかしアンヌはすぐに呑み込んだ。

 分かってる。分かりきっている。

 自分が何を求めていたのか、この人は知っている。

 だから、

「うん」

 頷いて、告げる。

「あなたのおかげだよ」

 こうしてここに来られたのは、あの日、背を押してくれたあなたのおかげ。

 戦えばいい、とこんな自分に声を掛け、話してくれたあなたのおかげ。

 あなたがいたから、今の自分がある。

 彼を信じられる自分が、“ここ”にいる。

「ありがとう」

 その言葉は、決して嘘なんかじゃない。

「――――」

 素直に告げた感謝の気持ちに、だけど何故か彼女は一瞬呆けて、

「どういたしまして」

 続く言葉と共に、ただ優しく微笑んだ。

 まったく、と彼女は不意に呟いた。

 そして、

「あなたも彼も、一体どれだけ私を刺激したら気が済むんですの?」

 苦笑しながら言われた台詞に、アンヌは意味が分からず小首を傾げる。

 ふふ、と彼女が笑う。

「感謝するべきはこちらの方。貴方がいて、貴方に挑む彼がいて、だから――」

 清々しく、心晴れやかな顔で、

「今の私がいるのですわ」

 彼女は確かにそう続けた。

 それがどういう意味なのか、アンヌには分からない。だけど彼女も、彼のおかげで変われたと言うのなら、

「――――」

 自然と笑みが零れてしまうのも、無理ないことだろう。

 そうして少女二人は笑い合う。

 一人の男が、彼女らを変えたというのを笑い合う。

 三者三葉、それぞれがいたから、今のそれぞれがある。

 そのことが嬉しくて堪らない。

 出会えて良かった。話せて良かった。二人の胸にあるのは、ただそれだけ。

 だから――

「楽しんで下さいまし」

 エレナは告げる。アンヌに向けて、真っ直ぐに。

「私は楽しみましたわ、存分に。だからあなたも――」

 ね、と続いた彼女の言葉に、

「うん」

 アンヌは満面の笑みで応じるのだった。

 少女二人は、こうして別れる。

 去って行くエレナを見送ってから、アンヌは前へと向き直る。

 そこにいるのは、一人の少年。

 挑み、諦めない、どこまでも真っ直ぐな男の子。

 彼が笑顔をこちらに向ける。だからこちらも笑顔を返す。

 近付いて、向き合って、見つめ合う。

「――――」

 何度目かは分からない。出会った時から、いつも目を合わせているような気もする。

 それぐらい、私にとって彼は“特別”だったから。

 ……あなたにとっても、私は特別なのかな?

 きっとそうなのだろうと思えるから、こんな身体でよかったと初めて思う。

 あなたの前に立てる人でよかった。

 あなたの目標になれる人でよかった。

 あなたに出会えて、話せて、挑まれる人でよかった。

 だから――

 ……私も、私を諦めない。

 あなたが諦めないから、こんな自分を信じられる。

 諦めないあなたを信じられるから、

 ……私はもう、一人じゃない。

 絶対にあなたが傍にいてくれるのだと、信じられる。

 目の前にいる彼こそ、己が信じた“唯一人”。

 ……ううん、違う。

 きっともう、一人じゃない。

 彼がいたから、“彼女”がいる。挑み続ける彼に、挑んで行ける“彼女”がいる。

 ならば“彼女”だって、信じられる。信じていける。あなたがいたから。

 ねえ、

「ハルカ君――」

 ……“あなた”がいたから、今の私があるんだよ?

 だから、

「始めよう?」

 笑顔でただ、手を伸ばす。

「ああ」

 それを取る手はとても暖かくて、力強い。

 握って、繋がって、共に行こう。

 いつかあなたが、本当に並び立ってくれる“その時”まで――

 ……共にいることを、諦めない。


 ● ● ●


 そうして二人の男女が、扉を潜る。

 挑む者。挑まれる者。

 諦めない彼と、諦めていた彼女。

 だけど今、見据える先は共に一つだ。

 ――諦めたりなんてしない。

 どれだけ碌でもない身体だったとしても、だからって自分を諦めたりしない。

 共にいてくれる彼がいる。

 挑み続けられる彼女がいる。

 誰かに隣にいて欲しかった。

 自分自身に胸を張って生きたかった。

 それを彼が叶えてくれる。

 それを彼女が叶えてくれる。

 ――ならばその手を離しはしない。

 こうして努力の少年と才能の少女は、共に歩むための一歩を踏み出す。

 決して諦めないことを、証明するために。

 絶対に挑み続けることを、証明するために。

 きっとこれから先、何度だって経験していく“挑戦”の、その始まりへと向かっていった。

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