第四章3『自分の何たるか』


● ● ●


 ランキング戦最終日、その放課後。

 本日最後を飾ることとなった彼女との試合まで、ツトム=ハルカは決して準備を怠らない。

 試合開始まであと二時間あるかないか。

 それでもツトムは行動する。

 向かうのは修練場。かつてエレナと訓練をした場所だ。

 今、ツトムは一人でその前に立っていた。

 約束はない。他人は要らない。

 これからするのは、この身一つで出来ること。この身一つでやらねばならぬこと。

「…………」

 いつもより少し重い鞄をもう一度背負い直し、ツトムは中へと入っていく。

 扉を潜るなり、受付へと一直線に進んだ。

 まだ慣れぬ申請に多少四苦八苦しながらも、ツトムは訓練室を一部屋借りる。

 そうして中に入り、だけど更衣室へは向かわない。

 ただ制服のまま、部屋の中心へと進み、

「――――」

 鞄を置いて、座り込む。

 一体ここで何をするのか。その答えは簡単だった。

「…………」

 ガサゴソと鞄の中を探り、取り出すのは一つの大きな袋。

 中から取り出してザッと周囲に広げるのは、黒塗りされた機械の群――貯蔵庫だ。

 そう、これからするのは極々単純で、簡単な事。

 ――魔力の充填。

 目の前に広がる二十近くにも及ぶ貯蔵庫群を見ながら、ツトムは考える。

 ……昨日は結局十個かそこら使ったんだよな。

 それだけの数を使ってもなお、エレナ=トールブリッツには届かなかった。

 単純な数の多寡が戦いを決するとは思わないが、今日は相手が相手だ。数があるに越したことはない。

 だから、

 ……全部、いけるだろうか?

 昨日もそうだったが、やはり時間が足りない。

 さすがにここ数日ハードスケジュール過ぎるなと、改めてツトムは実感していた。

 それでもやらねばなるまい。

「…………」

 そうしてツトムは全ての貯蔵庫をザッと整列させていきながら、幾つかを選り分ける。

 分けて外すのは、既に溜まった貯蔵庫達。

 確かに昨日、エレナとの試合で全ての貯蔵庫魔力は使い切った。

 だが、そこからまた幾つかを新たに貯められたのだ。

 それは寝ている時。それは通学の時。それは授業の時。

 日常の他愛ない時間の中で、それらは溜まっていった。

 正直、そこまで意識していた訳ではない。

 ただそうすることが重要だと、頭に入っていただけ。

 だから肌身離さず身に付けて、過ごしてみれば、この成果。

 ……先輩様々だな。

 こうして然したる支障もなく魔力を貯蔵できた事に、ツトムはただただ感動していた。

 だけど、時間のない今だけは、それが意味を為さない。

 だからするのだ。ただ充填にだけ、意識を向けるということを。

 身体を休め、思考をクリアに、そして自らの力にだけ集中していくことを。

「――――」

 貯蔵庫群を並べ終えたツトムは、一度立ち上がる。

 邪魔な部屋の明かりを消してから、同じ所へ戻って、今度は緩く胡座を掻いて座る。

「…………」

 大きく、深く、ゆっくりと、ツトムは呼吸した。

 ただそれを何度か繰り返して、徐々に徐々に心を落ち着かせていく。

 少しずつ全身の力を抜きながら、そっと首を下ろし、そして目を閉じる。

 “瞑想”の姿勢に、入った。

 真っ暗闇の中で、ツトムは手だけは前に出す。

 その両の手の間に、貯蔵庫達が並ぶようにして。

「…………」

 ツトムは再び深呼吸。それを静かに繰り返しながら、思考の中へと埋没していく。

 ツトムがしていること。それは自らをリラックスさせることだった。

 人間の魔力には三つの活動状態がある。

 活性状態。準活性状態。そして非活性状態。

 活性状態とは、すなわち戦闘や激しい運動などの魔力が活発化した状態。

 準活性状態とは、すなわち軽い運動や日常生活などの魔力が安定化した状態。

 そして非活性状態とは、すなわち睡眠や休息などの魔力が静穏化した状態のことだ。

 これらのどの状態にあるのかによって魔力生成量、すなわち自己治癒能力は変わってくる。

 ではどの状態が今のツトムに望ましいのか? そんなもの、火を見るより明らかだ。

 非活性状態、それしかない。

 だからこそツトムは自らを落ち着け、瞑想状態へと入っていく。

 身体を休めること以上に、心を休めるために。

 自らの“これまで”を振り返り、なおも己を確と定めるために。

 ツトムはただ、己自身に没頭する。


 ● ● ●


 暗闇と静寂。外界を閉ざして、ツトム=ハルカは自らに集中していく。

「…………」

 視界は黒すら無くし、静寂は更に深くへ、外部からもたらされる全てが、遠ざかる。

 感じるのは己のうねり。

「――――」

 それは、血の脈動。

 それは、筋肉の呼吸。

 それは、魔力の送還。

 己を構成する全てを強く感じていきながら、ツトムは自らを駆動させる。

 頭、首、肩、腕、胴、腰、足――。

 動かしていく。

 実際の動きではなく、意識の動きとして。

 自らを流れそのものへと変えて、ツトムは己自身を循環していく。

 そうして触れるのは血と、骨と、筋肉、そして、魔力の行き交い。

 揺らぎなく、淀みなく、あるがまま流れ、鼓動する全ての“うねり”に、触れていく。

 いつものそれとも、戦いのそれとも違う、ただ清らかで澄んだ“うねり”の中へ、ツトムは緩やかに溶け込んでいった。

「――――」

 自らで自らを包み込み、穏やかと安らぎに身を浸しながら、魂そのものとなったツトムは、自らの奥、そして更にその奥へと進んでいく。

 そうして到達したのは、何もない空間だ。

 だがツトムは理解している。己の“全て”がここにあると。

 これまで紡ぎ、刻んだ、全ての想いが“ここ”にあるのだと。

 ここは自らの“最深奥”。

 己の何たるかを示す“原初”そのものが、この場所である。

「…………」

 何もない空間の中、ツトムはただ漂う。

 動くこともなく、彷徨うこともなく、浮遊する意識となって、静かに佇む。

 そんなツトムの前へと、

「――――」

 不意に、一人の子供が現れた。

 幼く、小さな少年。まだ自分がどうなりたいのかも分かっておらぬ無垢な少年。

 その子は周囲を見回し、キョロキョロと何かを――“誰か”を探す。

「…………」

 何故分かる?

 ……そんなの決まってる。

 己は“彼”をよく知っているから。

 ……ああ。

 誰よりも、よく知っているとも。

 あの子は、あの“少年”は、

「…………!」

 ――かつての、“自分”だ。

 少年がパッと明るくなるのをツトムは見た。

 彼はどこかへ駆け出して、その先にいた二つの影へとぶつかっていく。

 小さな身体を受け止める二つの影、それは――

「……父さん、母さん」

 二人が、少年へと笑いかける。

 ただ彼の頭を撫で、その両手をそれぞれ握ると、二人の“親”が子供を挟んで歩き出す。

 子も、親も、共に笑顔を浮かべながら、そうして三人は虚空へと消えていく。

 その光景を前に、ツトムは思う。

 ……そうだ。

 ああやって、笑っていて欲しかった。

 いつだって、笑っていて欲しかった。

 ……悲しませたくない。困らせたくない。

 己を想うばかりに、苦しんでなど欲しくなかった。

「…………」

 思うツトムの視線の先、再び一人の子供が現れる。

 少し成長した、だけどまだ幼い、かつての自分。

 目の前で一人遊ぶ彼は、しかしすぐに一人ではなくなっていた。

 一つ、また一つと、彼の周りに影が近付く。

 それは二つを容易く越えて、すぐに大勢となった。

 そのどれも、見知った顔だ。よく知った顔だ。

 少年を囲んで笑う彼ら。

 それは祖父で、祖母で、叔母で、叔父で、従兄弟で、はとこ。

 父と母だけではない、大きな家族が、少年へと笑いかけ、触れ合っている。

 ツトムは思う。

 ……色んなことを、教えてもらったな。

 それは勉強で、スポーツで、遊びだったり、戦い方だったり。

 時に厳しく、時に優しく、時にふざけながら、多くの事を学んで、知った。

 誰も彼もツトムのことを分かった上で、家族だからと助けてくれた。

 ありがたいと、強く思う。

 だけど同時に、

 ……いっぱい迷惑も、掛けてしまったな。

 普通ではなかったから。真っ当ではなかったから。

 多くの苦労を彼らに強いてしまったのだと思う。

 それでもなお、彼らは言うだろう。

 家族なんだから気にするな、と。

 それが少しだけ、ツトムの胸に刺さってくる。

「…………」

 家族と少年が、笑顔のまま消えていく。

 淡い光で、粒となって消えていく。

 そうして戻ってくるのは、また何もない空間。

 ツトム以外、誰もいない空間だ。

 だけどそこに、

「――――!」

 一人の少年が、飛び出してきた。

 その姿に、ツトムは思う。

 ……ついこないだまでの筈なのに。

 もう遠い過去のようだと。

 ツトムの目の前、そこにあるのは“学園”に入る前の自分の姿。

 何かに押し出されたように飛び出してきた彼は、よろけながらも立ち止まり、何か文句を言いながら、苦笑と共に押された方へと振り返る。

 彼の視線の先、数人の男女がどこからともなく現れて、彼へと近付き、そして、

「――――」

 声なき声で何かを告げながら、笑って彼を通り過ぎては消えていく。

 それを見届けると、彼は一人になった。

 だけどすぐに、次が来た。

「――――!」

 走りながら通り過ぎ、振り返っては何かを告げて走り去る小さな子供。

 二人で会話しながら近付いて、通り掛けに会釈を送っては過ぎ去っていく近所のおばさん。

 ゆっくり歩くおじいさんや、ジャージ姿で走る大人達に、同じ制服を着た先輩後輩――。

 大勢が、彼の周りを行き交いながら、笑顔で声を掛けてはどこへなりと消えていく。

 彼はただ、その全てに笑みを返していきながら、誰も彼もが消え去る姿を見届ける。

 そして、

「…………!」

 彼もまた、改めて笑顔を浮かべて、どこかへと走り去っていった。

 ツトムは静かに、その光景を見守った。

 そして、思う。

 ……大勢に支えられ、助けられてきた。

 友達に、先輩に、後輩や、近所の人。

 たまに訓練に付き合ってくれた大人達に、やたら可愛がってくれた老人達――。

 皆に支えられてきたから、己はこうして“ここ”にいる。

「…………」

 ツトムはただ、心に刻み付けていく。

 この恩にこそ報いたい、と。

 助けられて、支えられて、応援されてきたからこそ、それに応えられる自分でありたいと。

「――――」

 自分は確かに、“健全”には生まれなかった。

 それなりの苦労もあったし、出来ない自分を悔しくも思った。

 だけどそれでも、そんな自分を皆は助けてくれた。支えてくれた。

 そのせいで多くの苦労を、色んな迷惑を、掛けてしまったけれど、だからこそ、

 ……もう大丈夫なんだと、胸を張って言えるようになりたい。

 そして今度は、皆を支えられるようになりたい。

 そのためにこそ、

 ……挑み続けるんだ。

 手を、伸ばし続けるんだ。

 ……誰もに誇れる自分であるために。

 なにより、

 ……自分自身を諦めることだけはしたくないから!

 皆に形作られた自分だけは、投げ出さないために。

 そうしてツトム=ハルカは、“確たる己”を胸に刻む。


 ● ● ●


 夢から覚めるように、ツトム=ハルカはゆっくりと目を開けていく。

 視界に色が戻り、空気の流れを耳にする。

 身体はまだ力なく、だけど意識は徐々にハッキリとして。

 ツトムはここに、“現実”へと浮上した。

「…………」

 目を開けた先、不意に目に付くのは微かな光。

 それは手から、腕から、身体全体から発せられ、一つの流れを作る光。

 大河のように雄大で、緩やかに流れて向かうその先は、己の目の前。

 そこに並ぶ、黒い影の群へと。

 それが何を意味しているのか、ツトムは考えるまでもなく理解する。

 ここに来た目的は、滞りなく果たされた。

「――――」

 ゆっくりと、少しずつ、身に力を入れていく。

 首を回し、腕を回し、肩を回して、大きく伸びを一つ。

「よ」

 まだ凝り固まっている足を上げて、ツトムはサッと立ち上がる。

 再び身体を伸ばす。

 全身を伸ばし、腰を、手首を、足首を回して、固まっていたそこかしこを解していく。

 時にはジャブを、時にはキックを、時にはコマの様に身を回して、そうして、

「よしっ」

 ツトムはようやく全身の調子を整えた。

 次にツトムは、

「……………………」

 ゆっくりと、大きく大きく息を吸い、

「――――――――」

 吐いた。また吸って、

「……………………」

 吐き出す。それを何度か繰り返してから、今度はギュッと目を瞑る。

 強くギューッと瞑り続けて、パッと開く。

 もう一度、強くギューッと瞑り続けて、パッと開く。

 それもまた何度か繰り返して、僅かに残った微睡みすらもツトムは一切吹き飛ばす。

 こうしてツトムは、ゆったりとしてしまった意識もまた、元の調子へ整える。

 さて、と完全に復調したツトムは、一度時間を確認する。

 ……そろそろ行くか。

 試合開始までもう長くない。

 だからツトムは、広げた貯蔵庫をせっせと回収していき、

「……あれ?」

 不意に気付く。

 手に取っていく全ての貯蔵庫が、満杯まで溜まっているということに。

 ……まさか本当に全部溜まるとは。

 もしかしたら溢れたりもしたのかなと、そんな冗談を考えながら、ツトムはそれら全てを鞄に収めた。

 そうして部屋を綺麗に片付け終えたツトムは、出口へと向かった。

 扉へと手を掛け、出ようと思った寸前で、

「…………」

 ツトムは不意に、手を止める。

 ただ何となく、振り返る。

 そこにあるのは静かで、何もない部屋。

 だけど、

「――――」

 その場所に、かつての自分を幻視して、

「ああ」

 ツトムは彼らに向けて、頷いた。

 そして、

「挑んでくるよ」

 告げる。己は己を諦めないことを。その証明へと向かうことを。

 その言葉に、確かに彼らが頷くのを見て、

「――――」

 ツトムは笑ってその場を後にした。

 己の何たるかに、迷いなどない。

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