第四章2『二人の約束、二人の願い』


 ● ● ●


「どうしてここが?」

 挨拶代わりに、ツトム=ハルカは目の前の少女へ笑って問い掛けた。

「……探したから」

 照れたように小さく告げられた彼女の言葉に、ツトムはつい笑ってしまう。

 ……今日は探されてばかりだな。

 それだけ良い関係を築けているということだろう。

 そうしてツトムは、ごめん、と彼女に謝りながら、隣を示した。

 彼女――アンヌは、いいの、と小さく首を振りながら、促されるままツトムの隣に腰掛ける。

 少年と少女は、寄り添いそうで寄り添わない絶妙な距離を保ちながら、並んで座る。

 それは、かつてと同じ状況。

 少年と少女が互いを求める言葉を口にした、あの瞬間と全く同じ。

「……………………」

 だからなのか、二人はただただ沈黙する。

 気恥ずかしそうに、互いを見ようとしては目を逸らし、照れたように笑っては口を開かない。

 だけど、

「――――」

 それはかつてと比べようもないほど豊かで、充実した沈黙だった。

 そんな心地良い時間を、二人は少しだけ楽しんでから、

「あのね」

 そうして先に口を開いたのは、意外にもアンヌの方だった。

 さっきの試合、と彼女は続け、

「おめでとうとは、言われたくない……?」

 聞いた。

 不意の言葉に、ツトムは一瞬キョトンとしてから、だけど、

「そうだね」

 にこやかに、笑って頷いた。

 ただ笑みを崩さぬまま、ツトムは告げる。

「勝ってはいない。でも、負けてもいない」

 だから、

「あと少しだ」

 そうして確かに宣言したその言葉に、そっか、と彼女は小さく呟いて、嬉しそうに頷いた。

 何度も頷き、微笑みながら、不意に彼女は自らの胸にそっと手を当てる。

 小さな手が、少し握られた。

「――――」

 彼女が何を思ったのかは、分からない。

 ただ静かに目を閉じ、何某かに思いを馳せてから、

「私にも……勝てそう?」

 その綺麗な瞳を真っ直ぐにこちらへ向けて、彼女は確かにそう告げていた。

 どこか冗談めかした言葉は、だけど少し不安がっているようにも見えて、だから、

「…………」

 ツトムは思わず、固まった。

 彼女は言った。私に勝てるのか、と。

 勝てると思えるか。勝ちたいと思えるか。勝とうと思えるのか。

 それは、自らをよく知っているからこその問い掛けだ。

 規格外。化け物。彼女は一体、何度そう言われてきたのだろう?

 分からないし、分かりたくもない。きっとそれは、数えるのも嫌になるほどだろうから。

 そんな酷い現実に対し、だけど納得してしまう自分もいる。

 ……それだけ彼女は強すぎる。

 ごくごく一般的な感性で、彼女に挑もうとする者などそうはいない。

 たとえ特異な者であってさえも、彼女の前では膝を折ってしまう。

 そういった光景を、彼女は何度も目にしてきて、だからこそ、今ここで問い掛けている。

 お前はどうなのだ、と。

 だから、

「――――」

 ツトムは笑った。

 今更過ぎるその問い掛けに、笑って見せた。

 そして、

「今はまだ、勝てないと思う」

 気安い調子で、答える。

 ただ、

「いつか必ず、届かせてみせるよ」

 告げるべきことだけを、確かに告げて。


 ● ● ●


 目の前の彼の言葉を、アンヌ=アウレカムはハッキリと耳にしていた。

 告げられた台詞に、彼の態度に、一瞬アンヌは呆けて、だけど、

「――――」

 知らず零れた笑みは、嘘じゃない。

「そっか」

 アンヌは告げる。優しく、静かに、ただ心に広がる温かさに身を委ねながら。

「ふふ」

 彼女は笑う。思わず笑う。

 ああ、だって、

「あなたは本当に、凄い人だね」

 心の底から、そう思うから。

「ねぇ」

 アンヌは言葉を投げる。

「なんだい?」

 彼が優しくそれに応じる。

「いつまでも、追い掛けてくれる?」

 口にするのは、答えの分かりきった問い掛け。

 だけど、聞きたい。貴方の口から、何度だって、聞いてみたい。

 それだけが、この胸を震わせるから。

 聞かせて欲しい。


 ● ● ●


「もちろん」

 ツトム=ハルカは真っ直ぐに答える。

 己の在り様を。己の生き方を。それしか出来ぬ、己の誇りを。

「いつまでだって、君を追い続ける」

 ――そうだ。

「何度だって、君に挑み続ける」

 ――そうだ。

「どれだけ困難だったとしても、諦めたりなんかしない」

 ――そうだ!

 だって、己は、

「自分を、諦めたくないから」

 それだけが、誰にも譲れぬ唯一無二。

 ツトムは笑う。ただ晴れやかに、清々しく。

 己の言葉に、微塵の後悔もありはしないから。

 ただどこまでも、胸を張れる生き方だけが、ツトムの全てだ。

 そんな男を前に、

「待ってるよ」

 彼女は告げる。

「いつまでも、待ってる」

 美しく微笑むその姿に、もはや欠片も不安はない。

 そうして彼女は告げるのだ。

「――私の傍に、いて下さい」

 それこそが、きっと彼女の本当の願いだろうから。

「俺はずっと、君の傍にいるよ」

 ツトム=ハルカは、確かにそう答えたのだった。


 ● ● ●


 努力の少年と才能の少女は、二人一緒に笑い合う。

 願いを、誓いを、共に宣し、これから先の全てを約束して。

 そんな彼ら二人を、風が撫でる。優しく包み込むような春の風。

 周りには誰もいない。

 木々のさざめきと、それぞれの息遣いだけが、互いの耳を小さく打つ。

 そんな中、二人はただ笑い合い、見つめ合って、そして、

「――――――――」

 不意にお互い、目を逸らす。

 顔を逸らして、身体を逸らして、自分の顔が真っ赤になるのを自覚しながら、黙りこくる。

 片や、やってしまったと頭を抱え、片や、言ってしまったと身体を抱いて。

 互い違う方を仰いで喘ぎ、それぞれに頭を冷やして時を過ごす。

 ほんの数秒の、気まずい時間。

 だけどそれはすぐに終わりを告げる。

「「あの」」

 再び口を開いたのは二人ほぼ同時。その事に、お互いまだ多少顔を赤くしながら苦笑して、

「明日――」

「うん、明日――」

 共に告げるのは、待ち望んだその日のこと。

「頑張ろうね」

 少女が告げる。

「ああ、頑張るよ」

 少年が応じる。

 そうして二人は笑顔で別れ、約束の時へと向かっていく。

 その時まで本当にあと少し。

 少年少女は一切の不安なく、待ち望んでいる。

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