第四章1『ほんのしばしの、羽休め』
● ● ●
「――――――――」
がやがやと一つの方向へ進む雑踏に紛れながら、ツトム=ハルカは一人歩いていた。
試合を終え、出口に向かいながらのことだ。
隣に並ぶのは見知らぬ誰か。
タクミでも、リンでも、ましてエレナでもない。
彼は一人、外へと向けてただ歩いて行く。
そうして、
「――――」
朱の空の下へ出た。
多少冷たさの残る春の風が、優しく顔を撫でる。
なおも進む人混みに運ばれながら、開けた場所まで辿り着き、ようやくツトムは自由を得た。
周囲、まだいくらか行き交う人々の合間を縫って、人気の少ない場所へと向かう。
進んだ先で目に付いた、無人のベンチに座るなり、
「…………!」
大きく伸びを一つ。
フッと力を抜いて、ここで改めてツトムは一息を吐いた。
ただ何の気なしに朱く染まった空を見上げ、そっと目を閉じる。
思い返すのは、つい先程までのこと。
……いい試合だった。
大きな満足感に包まれながら、ツトムは確かにそう思った。
エレナ=トールブリッツとの試合。
それは、これまでの全てが詰まった戦いで、これからの可能性を見た戦いだった。
武器がある。魔力がある。経験がある。
新たに手にしたモノに、これまで積み上げてきたモノ。
それら全ての結集を、己は確かにあの中で掴んだのだ。
だけど、とツトムは思う。
……これで終わりじゃない。
ここから先がある。果てなく、終わりなく、進んでいける道は、なお永遠だ。
未熟な自分を知っている。
未完成な自分を知っている。
鍛え、挑み、試してみても、まだまだ先があることを何よりよく知っているから。
まだ、終わりじゃない。
諦めないかぎり、終わりはない。
だから、
……“彼女”と戦うんだ。
遥か先を行くその背に、手を伸ばし続けていくために。
……待ち遠しいな。
その瞬間を、ツトムは今か今かと待ちわびた。
そんな、諦め知らずの男に向けて、
「お疲れさん!」
二人の男女が、声を掛けた。
● ● ●
不意の声に目を開ければ、ツトム=ハルカは見知った姿をそこに見た。
歯を見せ大きく笑う少年と、そっと小さく笑う少女。
タクミとリンだ。
「やあ」
彼らに応じるように声を返せば、
「おう」「ええ」
軽い挨拶が戻ってくる。
気楽で、心地良い関係性だ。
「さすがのおめぇも今回ばかりは疲れたか?」
タクミが告げる。何てことない、他愛ない質問。
「まあ多少はね」
応じた台詞に、リンが、うへ、と声を漏らす。
「……あれだけやって多少ってアンタ」
そう言って呆れる彼女に、ツトムはただただ苦笑した。
そして、
「よくこの場所が分かったね?」
ちょっとした疑問を口にする。
告げた先、二人は、ああ、と理解して、
「いや、最初は控え室まで迎えに行ったんだけどさ、そこにお前いねぇんだもん」
「だから周り探して見当たんなくて、さすがに帰ろうかなーって適当に出て来たら――」
ね、とこちらを指で差しながら続けるリン達に、
「それはすまなかった」
ツトムは素直に謝罪した。
いいっていいって、とこちらの態度に二人は笑いながら、
「面白いモノ見せてくれたからそれでチャラ」
そう言って、グッと親指を突き立てる。
そんな二人を見て、ツトムは思わず笑う。嬉しくて、笑う。
その姿に二人もまた笑みを返す。
本当に、心地良い関係性だ。
そうして三人でただ笑い合っていると、
「あ、そうそう」
不意に、タクミが何かを思い出す。
「?」
ツトムは疑問符を浮かべながら、そちらを見た。
いやな、とタクミは続け、
「何でお前、中級魔法使えたんだ?」
疑問を口にする。すぐ隣で言われた台詞に、リンもピクリと反応して、
「そういえば最後の身体強化? も明らかに魔力量おかしかったわよね?」
重ねて質問をぶつけてくる。
二人の言葉に、ああ、とツトムは得心して、
「それは――」
己が手にした新しい武器と昨日の議論について、二人に話して聞かせた。
十分にも満たない、ひどく簡単な説明だ。
二人はそれを時折相槌を打ちながら聞き終え、
「やっぱ色々考えてんだなぁ~」
「つーか行動力ありすぎでしょ、アンタ」
ハードスケジュール過ぎない?、などと思い思いの感想を口にした。
言われた台詞に、今更ながら心の中で同意して、ツトムは二人に苦笑を返す。
……本当、短い期間によくやっている。
だけど、
「本番はこれからだ」
小さく告げた台詞に、二人は顔を見合わせた。
そして、
「告白か?」
「まあ告白みたいなもんじゃない?」
からかうように、ニマニマ笑いながらツトムに向けて一言返す。
そんな二人の言葉に、ツトムはただただ呆れて笑い、
「まあ頑張るよ」
返した台詞に、
「おう」「うん」
二人もただ、強く頷いた。
● ● ●
タクミとリンが帰る姿を見送りながら、ツトム=ハルカはなおもベンチで休んでいた。
……今日ばかりは、もう少しだけ。
そう思いながら、また空を眺め、ボーッと一息。
そこへ、
「やあやあやあやあ、お疲れさん!」
一人の男が、やって来る。
軽く手を振りながら近付くのは、眼鏡を掛けた青色ストレートヘア。
アルト=スタークだ。
ツトムは彼の方へと向き直ると、
「君の方こそ、お疲れ様だろ?」
そう言って笑い掛ける。するとアルトは何を言ってるんだと言わんばかりに肩を竦めて、
「ついさっきまであんな激しい戦いしてた君ほどじゃあないさ」
やれやれ、と呆れて応えた。
彼はそのまま、
「それにしても探したよ。控え室いないし、周り見てもいないし、外出てようやくだよ」
続けた台詞に、ツトムは思わず苦笑した。
そして、
「それはすまなかった」
本日二度目の、謝罪の言葉を口にする。
ツトムのそんな反応に、アルトは何が可笑しいのか分からず、小首を傾げる。
だからそんな彼に向けてツトムは、気にしないでくれと、首を振ってから、
「それで? どうだった? 俺の戦いは」
話題を変えるように、率直な感想を聞いてみた。
不意の質問に、しかしアルトはピクリと反応し、いや~、と頭を掻いてから、
「僕は戦闘に関してはさっぱりだから、何とも言えないよ。後半ほとんど見えてなかったしね」
肩を竦めて苦笑する。
彼のその反応に、そっか、と口にしながら、ツトムもまた苦笑を返す。
そして、
「探してたって事は、俺に何か用かな? もしかして武器の調整?」
続けて聞いた言葉に、そう!、とアルトが強く頷いた。
「試合見てたらさぁ~、色々と問題点とか? 改善点とか? 見えてきちゃってさぁ~」
どこか嬉しそうに続くそんな彼の言葉に、ツトムはただただ微笑む。
そうしてアルトはあーだこーだとしばらくツトムに語って聞かせると、不意に、
「そんなわけで、ちょうだい!」
バッと両の手を差し出した。
何を?、などと考えるまでもない。
はいはい、とツトムは呆れながらに、
「よろしく頼むよ」
鞄にしまっていた“己の武器”を、彼に向けて差し出した。
いえー!、とおもちゃをもらった子供みたいにアルトはそれを受け取り掲げると、
「そうだ!」
突然、何かを思い出したように声を上げる。
彼はゴソゴソと鞄を漁り、
「ほいコレ、持ってって!」
言いながら、ツトムの手元にドサッと一つの袋を置いてみせる。
「これは?」
聞きながら、バッと袋を開けたツトムは、その中にギュウギュウに詰まった“それ”を見た。
それは――
「貯蔵庫」
ただ一言、アルトは告げる。大した様子もなく、実に気楽に。
……ちょっと待て。
ツトムは何となく頭痛がするような気がしながら、
「……もしかして、俺用の?」
眇め聞いた言葉に、
「当たり前じゃん。何言ってんの?」
アルトは当然のようにそう答えてみせた。
その反応に、う~ん……、と思わず呻ってから、ツトムは、
「……あのさ、休んでる?」
目の前のアルトに向けて、聞く。
すると彼は、え?、と一瞬キョトンとしてから、
「別に平気だってぇ~! どうせ明日までなんでしょぉ~? 余裕余裕」
平然と答えて笑う。そんな彼の姿に、ツトムはただただ呆れるばかりだ。
そうして、
「いや、ホント、ありがたいけど、無茶は止めてね?」
告げたツトムの言葉に、アルトは、あはは、と明るく笑うと、
「君に言われたくはないなあー!」
さらりと言われた一言に、思わずツトムは閉口した。
……そうか。俺って周りからこんな風に見えてるのか。
今更ながらに実感したその事実を前に、ツトムは軽く目眩がする。
でも、
……変えられないんだろうなぁ!
そう自分で思えてしまえることが、なおさら性質が悪い。
目の前の彼も、きっとそういう人種なのだろう。
ならばもはや、心配するだけ無駄だ。やりたいようにやってくれる。
だから、
「もう好きにしてくれ」
呆れながら告げた台詞に、アルトがグッと親指を突き立ててみせるのを、ツトムはただただ笑って見ていた。
● ● ●
「そいじゃま、また明日!」
一人の男がウキウキで去って行くその姿を、ツトム=ハルカは苦笑しながら見送った。
彼がいなくなると、ツトムは再び一人になる。
ベンチに座ったまま、彼はただ休む。
今日一日の満足感に浸るように。
そんな彼の目の前、周囲を行き交う人々は徐々に減り、静けさだけが彼を優しく包み込む。
夕日がまだ、空を朱くする。
「――――」
風が吹く。少し冷たく心地良い、春の風。
流れるその風音と共に、木々のさざめきが耳を打つ。
穏やかで、ゆったりとした時間が、ここにはあった。
そんな中で、ツトムはふと思う。
……本当に、いい人達に出会えた。
タクミにリンに、エレナや、アルト、そしてアマネに、ダイグウジに、カジや上級生達。
……みんなみんな、いい人ばかりだ。
彼らのおかげで、自分はどんどん新しくなる。
自分はどんどん強くなる。
それが堪らなく嬉しいし、堪らなく楽しい。
だからこそ、彼らに報いたいと強く思う。
挑む姿で、諦めない姿で。
決して折れぬことだけが、己にできる唯一だから。
「…………」
ツトムは改めて思った。この学園に入って良かったと。
己のこれまでの挑みは、決して間違ってなどいなかったのだ。
親に支えられ、友に支えられ、先輩に、教師に、その他いろんな人に支えられて、そうして続けてきた挑みの全ては、無駄なんかじゃない。
自分を諦めず、自分を投げ出さず、鍛えて鍛えて真っ当たらんと生きたこの道を、己はただ誇っている。
――そして、これから先も誇り続けていたい。
だから、
「――――」
目を閉じ、思い描くのはかつての記憶。
それは、いつか遠くに見た姿。
それは、いつか隣に並んだ光景。
それは、いつか言葉を交わした“あの時間”。
己の挑みの最先端たる少女の姿を胸に抱き、そして、
「――アウレカムさん」
開いた視線のその先に、“彼女”は静かに立っていた。
「こんにちは。ツトム=ハルカくん」
どうしようもなく綺麗な笑みを浮かべながら、彼女は確かにそこにいる。
アンヌ=アウレカム。少女は一人、少年の下へと舞い降りた。
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