第三章15『勝ちたいと、そう吠えて』


● ● ●


 二つの影が――否、閃光が、会場内を縦横無尽に駆け巡る。

 追う者と追われる者。

 時に近付き、時に離れ、雷撃を散らしながら、二つの光が疾走する。

 それはもはや、地の上だけに留まらぬ。

「――――」

 踏む足の先に形は無い。

 あるのは少し柔らかい感触と、踏めば蹴り出せるという事実だけ。

 眼下、広がるのはただただ敷き詰められた影で、顔だ。

 観る者と戦う者。それを分かつ境界線上を、光は高速で突っ走る。

 その軌跡は円環。故にゴールはない。

 無限に続くその追いかけっこを、壁面からの眩い光が包み込むばかりだ。

 だが、

「――――」

 不意に、追う光が跳び上がった。

 それまでの高速の一切を捨て、ゆっくりと戦場の中心へと舞い降りる。

 何故? 単純だ。

 この追いかけっこに勝ち目はない。

 追い続け、追い続け、なまじ追いつけそうに感じたから追い掛けて、だけど手は届かず。

 だから彼は理解した。この先に勝利はないと。

 ならばどうする?

 思考は即座に、そして行動へ。

 降り立った戦場の中心で、彼は上空の彼女を捉え続けた。

 光と化した彼女は遥か高速。

 一度でも視線を切れば、途端に見失ってしまう。

 故に彼はただその場に佇み、視界の中心から彼女を決して離さない。

 ひとえに待つのは、ほんの小さな一瞬。

 そんな彼へ目掛け、

「…………!」

 雷撃が、降り注いだ。

 廻る円環の内側、四方八方から落下してくる無数のそれらを、しかし彼は最小限の動きで避け、戦場の中心を譲らない。

 視線はただ、彼女に向けながら。

 そして、

「――――」

 落雷の間隙に、彼は、跳んだ。


● ● ●


 エレナ=トールブリッツは、自らの身体が突然揺れるのを感じていた。

 駆けながら、雷撃を放ち、眼下の男を打ちのめさんとしていた直後の事だ。

 何故? どうして?

 そんな疑問は、踏んだ足に返るべき感触がないことで、即座に理解できた。

 そこに地面がない。形がないのではなく、本当に“ない”のだ。

 何度となく踏みしめ、蹴り出した筈の壁面は、今、その形を大きく歪めていた。

 窪み、ヘコみ、激突した“何か”を、深くその身に沈ませながら。

 強い光の向こう、沈み込んだ“何か”がこちらを見る。

 ――彼だ。

 その瞳は激しく燃えて、こちらを真っ直ぐ見据えている。

 そして、

「――――!」

 来た。一直線に、来た。

 避けられない。迎撃も出来ない。

 踏み足をスカされ、宙に投げ出されたこちらに、為す術などありはしない。

 故に、

「…………ぐ、ァアッ!!」

 苦悶の呻きを上げながら、彼の一撃が己にめり込むのをエレナは実感した。

 飛んだ。

 勢いよく、これまでの高速そのままに、飛んでいく。

 向かう先は、本当の“地面”。

「ガッ……!!」

 激突する。

 土を抉り、滑りながら、エレナは天を仰いで全身の痛みを知る。

 苦しい。辛い。吐きそうだ。

 だが、

 ……まだだ!

 そう、まだだ。まだ立てる。立ち上がれる!

 故に再び身に力が入る。

 ……勝つために!

 勝ってみせるために。

 しかしそれは、相手も同じ事。

 遥か上空、一人の男が落下してくるのをエレナは視界に捉えていた。

 その瞳はなおも激しく燃えて、意志は遥か堅い。

 故に腕は引き絞られ、トドメを指さんと迫る姿が、確かにこの目に見えている。

 だから、

「…………ィ、アッ!!」

 身体を起こそうとして、痛みが走る。

 それでもなお動かんとして、しかし間に合わないと即座に理解する。

 ……ならば!

 思い、エレナは手を掲げる。迫る彼へ向け、突き上げ、もう片方で押さえながら。

 そして、

「――くらい、なっ、さいなあアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

 一気に、放電した。


● ● ●


 魔法と呼ぶにはあまりに荒く、しかし絶対的な力となって雷撃の槍がツトム=ハルカを襲う。

 バチバチと激しく音を鳴らしながら、呑み込む様に迫る穂先目掛け、

「――――!」

 ツトムは、拳を突き立てた。

 雷撃が霧散する。だが終わらない。

 次が来た。穂先が砕け、消え果てようと、次なる雷が続く様にツトムへ迫る。

「――――!」

 殴った。

 再び縋る雷撃を、また殴る。

 殴って殴って殴って殴って、

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――!!!!」

 殴り、続けた。

 雷撃の流瀑が、ツトムを呑み込む。

 だがそれを、殴って掻き分けていきながらツトムはなおも前へと進んでいく。

 彼我の距離は迫りそうで、迫らない。

 彼女の下へ辿り着かんと殴り続けるツトム。

 来てくれるなと雷撃で拒み続けるエレナ。

 ここに、放電と殴打による“根比べ”が成立した。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 猛り、殴る。

「はあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 叫び、放つ。

 両者譲らず、ただ愚直に、それのみに没頭していく。

 これは意地のぶつかり合い。勝ちたいという意志の、ぶつかり合い。

 挑み続けた二人の多寡に、差などない。

 しかし――


 ● ● ●


「ぐ、……ぅう…………ッ!!!!」

 エレナ=トールブリッツは、苦しんでいた。

 疲れはある。痛みはある。だがそれでも、止まる気はない。

 そう思っているのに、

 ……まだ、ま、だアアア…………!!

 身体が、魔力が、徐々に、徐々にだが底を見せ始めている。

 焦りがあった。

 不安があった。

 この“根比べ”を制してなお、自分は満足に動けるのかと。

 そんな思考を無理矢理に脇へ追いやって、エレナはなおも雷撃を放ち続ける。

 だが、

「――――」

 無意識に染み込む不安は、容易く己を鈍らせる。

 彼女が放つ雷撃。それは敵を穿ち、はね除けんと呻って進む不屈の牙。

 そこには彼女の意志が宿っていて、連綿と続く一撃にはひとつひとつ意味がある。

 彼の動きを縫うように。彼の進撃を止めるように。

 だがしかし、今そこに、ムラが出来る。

 それはまだ小さく、些細なもの。故に彼女は意識できぬ。

 だが、確かな不安と焦りが、“そういうもの”として徐々に徐々に表出する。

 そして――


 ● ● ●


 ツトム=ハルカは、打撃した。し続けた。

 既に満身創痍。身も心も共に疲労し、悲鳴を上げている。

 だがそれでも、彼は殴り続ける。戦い続ける。

 そういう“生き方”をしてきたから。

 “自らを諦めない”と誓ってきたから。

 目の前に迫る雷撃の群を前にしてなお、彼は真正面からぶち当たりに行く。

 その中で、

「――――」

 彼は徐々に、徐々にだが確実に、その身を進ませていく。

 ……見える。見える。見えている!

 ほんの僅かなゆらぎが、些細な変化が、雷の瀑布の中に見えている。

 当然だ。

 かつて、これよりひどいモノを見た。

 それは拳打の応酬。それは蹴打の応酬。

 連綿に連綿を重ねてなお連綿に続く殴打の連なりを、己はその当事者として見たのだ。

 ……あれに比べれば、こんなもの!

 故に殴る。なお高速に、殴り続ける。

 回転速度を更に上げ、緩むことなく殴って進む。

 彼女は近い。

 だが同時に、己の底も近付いている。

 だから、

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

 叫び、殴る。

 殴って、殴って、殴って、そして、

「いっけえええええええええええええええええ――――――――!!!!!!!!」

 ただ一撃で、粉砕した。


 ● ● ●


 エレナ=トールブリッツは、放った全ての雷撃が散る向こうに、彼を見た。

「……………………」

 ただ驚き見開かれた目で、彼を見つめ、ゆっくりと迫るその姿に、

「――――」

 静かに微笑んだ。

 引き絞られる腕。硬く握り締められた拳。ゆっくりと、天を仰ぐ己の真正面に降りてくる彼。

 その姿を前に、エレナは、しかし、

 ……まだだ!

 なおも、動く。

 なおも、足掻く。

 天に掲げた腕。今まで雷撃を放っていたその腕を、一気に地面へと振り下ろし、

「――――!!」

 叩き、つけた。

 我武者羅に、強烈で、強力。

 その衝撃を前に、地面にへばり付いていた彼女の身体が反動で僅かに浮き上がる。

 それはほんの僅かな上昇。

 しかし地面から身体を離し、彼女を止める一切をなくすには充分すぎるものだった。

 ならば後はどうする?

 ……自分で自分を吹き飛ばせばいいのですわ!

 いつか彼がやって見せたこと。

 自傷も厭わず、後に繋げるための行動。

 だから――

「…………!?」

 そう思い、行動しようとした矢先、彼女は小さな感触を胸に得た。

 胴の中心。心臓のすぐ横。

 何かがそこに触れるのを、彼女は感じる。

 それは掌。優しく、そっと、しかし確かな力強さと共に“それ”は添えられている。

 そうしてただ、押し込まれた。

「…………」

 落ちる。落ちていく。

 手にした自由は押さえ込まれ、硬い地面が出迎える。

 目の前に見えるのは、こちらに手を添える“彼”の姿。

 それを見上げながら、

 ……負けましたわね。

 エレナ=トールブリッツはここにようやく自らの負けを認めた。

 その顔には満足げな笑みが浮かぶ。

 ……ああ、充分だ。

 楽しんだ。楽しめた。

 挑んでみたし、挑まれた。

 だからもう、充分だ。

 そうして彼女はそっと目を閉じる。

 ……これで終わり、ですわね。

 ただ静かに、最後の一撃を待った。


● ● ●


 待てども待てども、エレナ=トールブリッツは来たるべき痛みを感じていなかった。

 己は負けた。後はただ、彼の一撃を受けて終わり。

 そう思っているのに、痛みは来ない。

 何故? どうして?

 疑問にゆっくりと目を開く。

 視界の中心、そこには確かに彼の姿があった。

 己の身体の上で、組み伏せるように跨がっている彼。

 ……少し、扇情的ですわね。

 そんなくだらない冗談を心に浮かべながら、彼を見る。

 そこには先程までの気迫はない。

 ただあるのは、いつも通りの柔らかな少年の顔。

 彼もまた、勝負の終わりを実感したのだろう。

 だからなのか、その拳は開かれ、力無く下がっている。

「……紳士ですのね」

 小さく告げた台詞に、彼は苦笑しながら、しかし首を振る。

 何故?

 そんな疑問を持ちながらも、しかし先にすべきことをエレナは思い、行動する。

「私の負け、ですわ」

 己の敗北を、確かに宣言したのだ。

 たとえ彼がここでトドメを指さなかったのだとしても、その結果は変わらない。

 優しさが徒になったなどと、無粋なことを言う気はない。

 そこまでの意地汚さは、このエレナ=トールブリッツに相応しくないから。

 故にエレナは敗北を認め、それを公然とするのだ。

 しかしそんなこちらに向けて、

「いいや」

 否定の言葉が、目の前から返って来ていた。


 ● ● ●


「俺の負けだよ」

 告げた先、小首を傾げてキョトンとするエレナの顔をツトム=ハルカは見ていた。

 だからまず、ツトムは彼女の上から身体をどかす。

 しっかりと立ち上がってから、倒れる彼女に手を差し出してその身体を引っ張り起こす。

 そうして起き上がるなり彼女は、

「どういうことですの?」

 疑問を口にする。

 向かい合いながらの、真っ直ぐな質問。

 だからツトムは、両の腕を見せながら、

「燃料切れ。ただの準備不足だよ。もう戦えない」

 苦笑と共に答えを告げた。

 それを聞いたエレナは、一瞬呆けてから、しかしすぐに苦笑する。

 そして、

「準備万端なら勝っていたと、そう言いたいんですの?」

 そんな軽口を言ってから、

「まあいいですわ。お互い未熟であったと、そういうことでしょう?」

 告げられた台詞に、ツトムも苦笑しながら頷いた。

 そうだ。未熟があった。

 魔力切れの、貯蔵庫切れ。それが良い証拠だ。

 しかしそれでも、

 ……やれることはやれたと思う。

 多くの気付きを、この試合でツトムは得た。

 だから、

「今日はありがとう。おかげで色々試せたよ」

 彼女に多大なる感謝を。

「こちらこそ、楽しかったですわ」

 返る言葉に、二人して笑みを浮かべる。

 そうしてお互い、グッと固い握手を交わして、そして――

「これからもよろしくお願いしますね?」

「もちろん」

 互いこれからに期待しながら、二人の戦いはこうして幕を閉じた。

 ――ように見えた。


● ● ●


「――オホンッ」

 わざとらしく咳払いをしながら、仲睦まじい二人の少年少女の下へとアマネ=ムトウは辿り着く。

 ……まったく。

 随分な試合をしてくれる。

 ……期待しか持てないじゃないか!

 そう思って笑みが漏れるのを抑えながら、彼女は二人へ向けて、

「仲良きことは結構なのだが、ちょっとよろしいかな?」

 言い放つ。

 彼女の声に、ようやく二人が反応する。

 彼らは共にアマネへと向き直り、もう一度お互いへと向き直ってから、

「…………」

 自分達の手元を見た。

 そして、

「――――ッ!? いえ! あの、なんと言いますか……まあ、そのッ、当然のスキンシップであって、別にそういった意味ではありませんのよッ?!」

「そ、そうですね! あくまでお互いの健闘を讃え合っていたと言いますか、それ以上の意味は特にないと言いますか――」

 バッと手を離すと、急に気恥ずかしくなったのか、顔を赤くしながらやたらめったらこちらへと捲し立てる。

 ……初々しいなぁ!

 その反応が面白くて可笑しくて、だからアマネはついついからかいたくなる。

「別にそういう意味で言ったつもりはないのだが?」

 とぼけた顔でそう答えてみせると、

「――――ッ!!!!」

 口を強く引き結んで、二人はそのまま押し黙った。

 その反応に、思わず吹き出す。

 口元を抑え、笑いを堪えていると、片方からは怒ったような視線が、片方からは困ったような視線が突き刺さる。

 本当に、何とも可愛らしい生徒達だ。

 しかしそれにしても、とアマネは思う。

 ……アウレカム君にもそんな反応してなかったか? 君。

 片方の少年を訝しげに軽く見つめてから、ようやくアマネは切り替えた。

 二人に向かって、告げる。

「さて、勝敗はどうしようか?」

 こちらの空気が変わったのに気付いたのか、二人は少し呆けてから、すぐに真剣な眼差しへと変わり、そして、

「…………」

 再び口を引き結び、考え込む。

 当人達の中で決着は付いているが、勝敗は付いていない。

 それをどうするべきか、二人が悩み、決めあぐねているのをアマネは容易く理解出来た。

 同じ気質だからこそ、その懊悩はよく分かる。

 だから、

「私としてはぁ、引き分けとしたい所だがなあ!」

 わざとらしすぎる口振りでそんな声を上げてみれば、

「――――」

 二人はキョトンとした顔でこちらを見つめる。

 しかしすぐに、

「「ではそれで」」

 苦笑しながら、共にそう告げた。

「うむ」

 そうして聞こえた解答に満足の頷きを返しながら、アマネはビシッと右腕を掲げる。

 そして、

「この試合、引き分けとする!」

 高らかに宣言した直後、会場中からドッと歓声が沸き上がる。

 ただどこまでも、そこら中からの声が、二人へと降り注ぐのだった。

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