第三章14『自らの得意とするところは?』
● ● ●
蒸気を噴き上げながら、前のめりに倒れ伏すその姿を、アマネ=ムトウは見ていた。
彼はそのままピクリとも動かず、ただ沈黙を返す。
「…………」
少し離れた場所で、一つの影が落下した。
エレナ=トールブリッツだ。
彼女は地面に着地すると姿勢を整え、そしてそっと槍を下げる。
ただジッと倒れ伏す彼――ツトム=ハルカを見つめてから、スッとこちらへ向き直る。
彼女からの目配せに、アマネは頷きを返す。
そして、
「――――――――」
会場内のどよめきを受けながら、アマネはツトムの下へと近付いた。
この場の全てが、彼女と、そして彼へと注意を向けている。
これで決着なのか? それとも――
そんな思いを肌に感じながら、アマネはツトムの傍らへと到着し、屈み込む。
――その時だった。
「…………!」
目の前の少年の腕、それが動く。ダンッと前に投げ出された掌が、地面を叩く。
そのまま彼は地面を掻いて腕を引き寄せ、顔の辺りまで持ってくると――
「……ァアッ!!」
声を上げながら、一気に押した。
顔面を、地面から引き剥がす。
もう片方の腕が動く。ガッシリと、地面を掴んで押し出し、さらに身体を持ち上げる。
上半身が上がれば、膝を立て、足を突き、そしてそのまま――
「――――――――」
立ち上がった。
まだフラつく身体を、しかししっかりと地に足立てて、持ち直す。
「……………………」
大きく深呼吸する彼は、ただジッと相手を――エレナを見つめている。
……まったく。
そんな様に内心呆れながら、アマネもまた立ち上がる。
彼に向けて、
「いけるかね?」
愚問の言葉を投げ掛ける。
答えは決まっている。分かっている。それ以外などこの少年にはあり得ない。
「はい!」
気合いを入れ直すように、大きな返事をアマネは聞いた。
● ● ●
歓声を上げる会場の声を聞きながら、エレナ=トールブリッツはツトム=ハルカを見つめていた。
その瞳に、闘志の炎はなおも揺らいでいる。
強く、激しく、消えぬとばかりに。
「――――」
知らず零れる笑みは何度目か?
つくづくこちらを気持ちよくさせてくれる相手に、感謝の念しか抱けない。
……本当に惚れてしまいますわよ?
そんな冗談が浮かんでくるほどには、彼を好きになっている自分がいた。
だが、
……ここからどうしますの?
今この時に、その感情は必要ない。
これから相手がどう動くのか、そればかりに思考は割かれる。
……勝つのでしょう?
そんな貴方だからこそ、私は勝ちたいのだから。
● ● ●
「…………」
エレナを見つめながら、しかしツトム=ハルカは止まっていた。
……どうしたものか。
ここまでの戦いから言って、このままでは勝ち目はないだろう。
ならば戦い方を変えるしかあるまい。
なにより、
……そのためにこそ彼女に挑んだのだから。
では何をする? 中級魔法をまた使う? 上級魔法を試す?
……いいや駄目だ。
そんな一朝一夕もない物では、到底彼女に勝ち得ない。
ならばどうする?
「…………」
ツトムは考える。己が彼女に互するモノとは何か。
考えて、考えて、一つの姿が目に留まる。
――アマネ=ムトウ。
かつて戦ったその強さは、今戦っている彼女と同等か、それ以上。
そんな相手に、己は勝った。認められた。
その方法とは?
「――――」
不意に笑みが零れるのをツトムは自覚した。
そうだ。己に出来ることなど“それ”しかない。
積み重ね、鍛え上げ、何度となく行ってきた修練の結晶。
“体術”。それ以外にあり得ない。
かつては魔法なしだった。
両者魔法なしの、純粋な技術勝負で根比べ。
そうでなければ己にあまりに不利だから。
しかし、今は違う。
魔法がある。魔力がある。何かを示すのではなく、ただ勝利を掴む戦いこそがこの“今”だ。
ならば、使うべきはこれまで培ってきたその全て。
そう理解したから、ツトムは動いた。
● ● ●
一人の少年が、構えを解くのを皆は見た。
彼はただ、自然体のまま、静かに息を整え、
「…………」
己が魔力に包まれる。
ゆったりとしたうねり。薄く発光した力は雄大で、淀みない。
全身を覆うあまりに綺麗なその力を前に、会場内の全てが、一度沈黙する。
大気は凪ぎ、言葉はない。耳に届くのは力の脈打つ音だけ。
静寂は、ほんの一瞬だった。
当事者も、観戦者も、誰も彼もがただ一点を見つめ、そして――
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!!!」
雄叫びが、上がった。
会場全体を震わせる、魂の咆吼。
力を込めて、力を溢れさせて、己が全霊を発露するための雄叫び。
同時、少年の魔力が、一気に発光した。
強く、眩く、そして激しく流れて少年を巡る力のうねり。
両の腕から一際大きく噴き出しながら、魔力の流れが少年を回る。
そして、
「――――」
次の瞬間、全てが一気に収束する。
少年の身体に、“それ”は取り込まれた。
眩い光は消え果てて、先程までの見慣れた光景が戻ってくる。
しかし、静寂もまた戻っていた。
誰もが少年を見つめていた。
その身体を、見つめていた。
そして気付く。
薄らと輝くその身体に。そこに纏わり付く、高密度の魔力に。
「…………」
少年が何をしたのか、ここにいる誰もが、理解した。
それは誰もにとっての当たり前。
ごくごくありふれて、幼子の頃から慣れ親しんだ基本の技。
腕を振るい、足を蹴る。それら自身の行動を、支え、伸ばし、高める魔法。
“身体強化”。それに他ならない。
だが、彼の“それ”は、誰もが知るものとは断じて違う。
自らへと注ぎ込んだ桁が違う。それに耐え得る身体が違う。
そして何より――
「――――!」
それを扱う練度が、違った。
少年が、疾駆する。
● ● ●
目で追えない、という程の速さではない。
そう思いながら、しかしエレナ=トールブリッツは驚嘆していた。
……私に迫りますわね!
速度は己にとっての得意分野だ。雷撃とは、すなわち高速そのものである。
故に、彼女の目に捉えられぬ者などいないし、いさせない。
その覚悟を持っているからこそ、目の前の相手の速度を前に彼女は当然のようにそれを受け入れられている。
だが、それでも思う。速い、と。
ここまでに見せた己の速度を、彼は優に越えていた。
決して手を抜いていたつもりはないが、それでもそんじょそこらで越えられるような速度で戦っていた訳がない。
ならば彼はどうやってそれだけの速度を得た?
――簡単だ。
一極集中。多大な魔力を、脚力へと集中させた。
その量、中級を越え、上級魔法一回分に迫るだろう。
馬鹿げている。ただの身体強化に、そこまで突っ込む者はいない。
何より、そんなことをすれば肉体への負担も、それを扱う技術も、並大抵のものでは済まされない。
……でも、彼ならば。
可能にする。可能にできる。それだけの鍛錬こそが、彼の得意分野なのだから。
ならば、己もまた得意分野で挑むとしよう。
それが何か? 語るまでもない。
「私の最高速には及びませんわ!」
言いながら、彼をも越える速度で、エレナは後退する。
ただ一歩蹴り出して、正面から来る彼を置き去りにしながら、背後へ跳んだ。
しかし、
……狭いですわね!
即座に背に感じたのは、硬い壁の感触。
彼の速さに驚き出した行動は、力が入りすぎて自らを端へと追いやっていた。
未だ遠い彼の姿が、しかしすぐにこちらへ迫る。
引き絞られる拳が近付くのを視界に入れながら、エレナは横へと再び跳んだ。
今度は速度を乗せぬ、軽いステップ。
彼の方へと身体を向け直しながら見つめた視線の先、その拳が壁へと至る。
轟音。そして衝撃波が一気に走る。
その風に、髪が後ろへたなびくのを感じながら、エレナは敵手の動きを捉えて構える。
即座に槍を突き立てた。だが、
……まったく、器用ですわね!
彼は躱す。持ち前の体術で。
その脚部に強化はもはや集中していない。今はただ全身に行き渡り、鎧として機能する。
そして次は、拳。
即座に槍を引き、エレナは大きく距離を取る。
厄介だ。実に厄介だ。
脚部の強化。拳の強化。全身強化。
切り替えて、制御して、必要な箇所に必要な分だけ配置する。
それはあまりに流麗で、エレナをして真似できぬと理解してしまうほど。
……随分と未熟を痛感させてくれますのね。
思い、身に力が入る。
速さ勝負なら、勝てるだろう。
魔法勝負なら、勝てるだろう。
しかし総合力で、勝てるかどうかは分からない。
……楽しい!
感情が沸き立つ。
ただただ楽しくて楽しくて、仕方が無くて、だから――
「追いつけますの!?」
勝つために、エレナは己が本領を見せつける。
疾走した。
高速だ。相手の速度を更に上回り、なおも加速しながら、エレナは会場内を疾走する。
もはや止まる気は無い。
それを理解したのか、彼もまた走り出す。
エレナを追うように。それを越えんとするように。
背後に迫る男の影を、エレナは肌で感じて笑う。
時に加速し、時に減速しながら、彼女は付かず離れず前を行く。
そして、
「くらいなさいな!」
エレナは、射撃した。
不意に後ろへ振り返り、背後の影へと雷撃を放つ。
こちらの攻撃を容易く避ける相手を見届けてから、エレナは次の一歩で再び前へと向き直る。
そうしてまた、自らが主導権を握る追いかけっこを始めていった。
そうだ。速さならば勝てる。魔法ならば勝てる。
怖いのは体術。即ち近接戦。
距離を保ち、間合いの主導権をこちらが握っているのならば、致命はない。
「――――」
これが逃げだと? 笑わせるな。
勝つための最善。己の領分での戦いだ。
それを理解出来ぬ者は、強くなどなれぬ。
だから、
「どうしますの!?」
高速域での問い掛けの答えを、エレナは大いに期待した。
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