第三章10『約束を果たしに、だけど――』
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エレナ=トールブリッツは午前の授業を終え、午後のランキング戦に向けて一人教室で身支度をしていた。
時折話し掛けてくるクラスメイト達と軽い世間話をしては、学内の施設やランキング戦についてなどの雑多な情報を集めながらのことだ。
彼らがもたらす情報は決して貴重な物ではないが、周りからの評価や、日常の便利情報、噂になっている生徒に、各教師がどういう性格かなどと、何だかんだで有用な物は多い。
それに、教室内での人間関係というものにも何かと注意が必要だ。
……下手に嫌われたり、関わりづらい存在になっては、何かと面倒ですものね。
全体における自身の立ち位置をコントロールすることはどんな状況であっても重要になる。
それはこの教室内、学園内、ひいては戦場においてさえ言えること。
だから周囲には適度に気を配る。
関係性の悪化が、無用な不利益を生まぬように。
そして、
「あら?」
大事な利益を生む相手と、確かに関わり合えるように。
教室の入り口付近。
クラスメイトではないが、彼ら以上に知った顔をエレナはそこに見つけていた。
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「何をしていますの?」
教室を覗き、とある人物を探していたツトム=ハルカは、その張本人からの声を聞いた。
ピクリとそちらへ振り返り、
「やあ。こんにちは、トールブリッツさん」
「ええ。こんにちは、ツトム=ハルカさん」
二人して軽い挨拶を交わす。
「うちの教室に何かようでして?」
エレナの言葉に、いや、と答え、
「どちらかというと君に用があって来たんだよ」
続けた台詞に、彼女は驚いたように小さく眉を上げる。
「あら、意外ですわね。デートのお誘いかしら?」
「まあ当たらずも遠からず、かな?」
軽口に軽口を返して互い笑い合ってから、
「今日一日、時間あるかな?」
ツトムはさっそく本題へと移った。
聞かれたエレナは小さな笑みを湛え、
「ええ。ありますわ」
さらりと答えてみせる。
ならば、とツトムは再び口を開く。
その寸前で――
「付き合いますわよ?」
「……まだ何も言ってないんだけど」
ツトムの呆れ混じりの言葉に、ふふ、と分かっていたと言わんばかりにエレナが笑う。
「大体の見当は付きますわ。修行でも、試合でも、相談でも、貴方が相手ならば何であろうと付き合いますわ」
それに、と彼女は続け、
「不埒なことをお願いする相手ではないと、信じていますもの」
言われた言葉にツトムはただただ苦笑を返すしかない。
……実際、言われた通りの頼み事だしなぁ。
自分の思考は分かりやすいのだろうか、と少し考え、分かりやすいんだろうなあ、と即座に納得してしまえるのが何とも言えない。
まして目の前の相手は己と似た性質なのだと理解できるからこそ、余計に見抜かれているということにもはや笑うしかない。
ツトムがそんなようなことを考える目の前で、件のエレナは、早く続きを言え、と言わんばかりに首を傾げてツトムを見つめている。
だから、ツトムも一息を入れ直してから、
「試合を、申し込みたいんだ。いつか約束した通りに」
はっきりと、告げるべきを告げた。
新しい戦い方を知った。新しい武器を手にした。新しい道をみつけたのだ。
だからこれはとても大事なことで、必要なこと。
彼女と戦わずして、“彼女”に挑む資格無し。
ツトムの言葉を聞いたエレナは、ふふ、と再び小さく笑う。
そして、
「よろこんで」
一言、静かに告げた。
躊躇いもなにもない、清々しいほど確かな肯定。
断るどころか率先して請け負うかの如きその言葉が、ツトムの口元を緩めて仕方ない。
だから、
「ありがとう」
ツトムはただ、礼を告げる。
一言、礼を告げる。
それ以上はいらなかった。この相手とはそれで十分なのだと理解出来る。
だって、たとえ立場が逆であったとしても同じ言葉を自分も返すと確信できるから。
もしも相手が己を求めるならば、その手を取ろう。
もしも相手が己に挑むというのなら、喜んでぶつかろう。
そうして互いを高め合える存在こそが、“好敵手”というモノなのだから。
だけどそういう相手だからこそ、ツトムの心に一つの“わだかまり”が重くのし掛かる。
それは彼女と戦う理由。
それは彼女を軽んじるという事実。
どこまでも、彼女に不誠実を働く罪悪感が、じわじわと心を重くする。
「…………」
笑って礼を告げた筈の口元は、しかし徐々に下がり、ツトムは堪らずエレナから目を逸らす。
「?」
疑問符を浮かべているであろうエレナの顔を、ツトムは直視できなかった。
ただ足下に視線を落とし、自らの罪を自覚して沈黙するばかりだ。
だが、それでも――
……言わなきゃいけない。
自らが働く不実を。彼女に真摯であるために。
「……トールブリッツさん」
長くはない、ほんの少しの沈黙を破って、ツトムは彼女の名前を静かに呼んだ。
「何ですの? ハルカさん」
まるでこちらの気持ちを察するかのように優しく答えるエレナ。
そのことに思わず笑みが漏れるのを自覚しながら、
「俺は、君との約束を――」
汚してしまう、そう続けようとした言葉を、
「別に構いませんわよ。訓練にしてもらって」
まったく、と溜息付きで遮られたのをツトムは聞いた。
● ● ●
エレナ=トールブリッツは、ただただ呆れていた。
目の前に立つ男が、あまりに真面目にこちらに誠実を示さんとしているということに。
……そこまで気に病むことですの?
承諾の言葉を告げてからありがとうの礼を受け取った後、彼が不意に暗くなるのを、エレナは即座に気が付いていた。
一体何故、を考えてから、すぐさま思い当たる節が見つかった。
……ようはこのタイミングで私に申し込んできた理由、ですわね。
今週から始まったランキング戦は既に後半へと差し掛かっている。
仮に、彼が元からこちらと戦うつもりでいたのなら今試合を申し込むこと自体は別段不思議なことではない。
ただ、
……この場合、今日である必要もありませんわ。
それこそ初日だろうが二日目だろうがいつでもよかったはずだ。
いつかの約束を果たすという事を意識したのなら、いっそ明日の最終日の方がしっくり来るとも言える。
だが、“今日”だ。それも“今日”試合を申し込み、“今日”戦いたいと言っている。
……彼らしくない。
今まさに落ち込んでいるような矢鱈とこちらに誠実な男が、礼を欠いてまで今日この日を指定する理由は何だ?
そんなもの、決まっている。
……私以上に大事な約束が、彼にはある。
それは何か、なんて考えるまでもないだろう。
――アンヌ=アウレカム。
彼と己、そのどちらもが目指し、挑む相手に他ならない。
本当に面白い人だと、強く思う。
……あの“戦い”を見て、なお挑むというのですね。
アンヌ=アウレカムの真実。彼女の規格外たるやを間近で見た。共に見た。
だからこそ余計にそう思う。
エレナはかつて、彼女に言った。彼にまだ期待しますの、と。
それは己自身が折れて砕けて諦めかけたからこその言葉だ。
あんなものを前に、挑むなどと、越えるなどと、どうして言えようか。
少なからずそう思ってしまったから、目の前の男もそうだろうと彼女に告げたのだ。
事実、エレナには彼が、あの日あの場から逃げたように見えたから。
……でも、そうじゃなかったのですね。
逃げたのではない。“挑む”ことを心に決めた。
そうであることを、今ここにいる彼自身が証明している。
では、彼ならばその後どう動く?
考えて、思わず笑みが零れるのをエレナは自覚した。
……やれることをやりますわ。
つまりそれが昨日と今日。このエレナ=トールブリッツとの戦いというわけだ。
前座だと、そう言われているということに悔しさはある。
だが、今回ばかりはそれも甘んじて受け入れよう。
己が諦めようとしたモノに、彼はなお挑むと示したのだから。
その姿をして、燃えぬ己ではないと強く分かっているから。
……やってやりますわ!
この相手と、戦いたい。
“彼女”と、戦いたい。
改めて、そう強く思ったから、
「別に構いませんわよ。訓練にしてもらって」
エレナはそう告げたのだ。
● ● ●
「戦うのでしょう? アウレカムさんと」
いきなり言われた台詞に、ツトム=ハルカは驚きながらも頷いた。
「私は前座で、所詮は訓練?」
からかうように続いた言葉に、ツトムは気まずそうに再度頷く。
……見透かされているな。
自分がどうしてエレナの下に来たのか。
自分がどうして彼女を直視できないのか。
何も言わずとも伝わってしまうのは、やはり同じ“モノ”を見ているからだろうか?
そんなツトムの目の前で、エレナが、ハンッ、と鼻で笑う。
「そんなことで落ち込むほど、私、ヤワな女ではありませんのよ」
ニッと小気味良い笑みを浮かべながら、
「訓練? 上等ですわ。あの子に追い付こうと言うのなら、この私を訓練扱いするぐらい当然のこと。それこそ、ムトウ先生辺りと本気の試合を申し込むぐらいはやって見せなさいな」
勢いよく発せられた台詞に、ツトムはただただ唖然とした。
言われた内容以上に、彼女があまりに生き生きとしているということに。
何故? どうして?
そんな疑問は、しかし、
……彼女にとって、俺が思っていたことなんて所詮些細なことか。
そう思えた瞬間に、全てがどうでもよくなった。
「良いんだね? トールブリッツさん」
「構いませんわ」
それに、と彼女は続ける。
「どうせ本気で来るのでしょう? ならば何が問題なんですの? それとも、私相手には手を抜くおつもりで?」
言われた言葉に、下がった筈の口元が自然と笑みを浮かべる。
そして、
「いいや、本気さ」
グッと、彼女の前で拳を握り、
「本気も本気。新しくなる俺の力を、見せてあげるよ」
真っ直ぐ、ぶつけた台詞に、
「それはそれは、楽しみですわね」
返ってきた言葉と共に、ツトムとエレナは二人して笑い合った。
ああ、本当に楽しみだ。
そしてそれは、すぐそこに迫っている。
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