第三章1『授業の時間だ』


● ● ●


「……………………」

 薄暗い部屋の中で、ツトム=ハルカはゆっくりと重く閉じていた瞼を開く。

 窓から差し込む光はまだ弱い。だがそれはいつもの光景。

 目覚めの時間は朝日が幾分弱々しい頃。

 そういう風に決めたから、その通りに行動する。

 だから布団を取り、起き上がる。

 多少残る眠気を、首を回して払いつつ、ツトムは着替えを済ませていく。

 袖を通すのは制服――ではない。動きやすいトレーニングウェア。

 使い続けたせいで多少よれついているものの、それはとてもよく身体に馴染んだ。

 着替えと支度をササッと済ませ、寝静まった家の中を静かに進んでツトムは外へと出る。

 しっかりと鍵を閉めてから、最後の眠気覚ましに伸びを一つ。

 そうしてふと見上げた空。そこに広がる果てしない場所に視界が埋め尽くされる。

 それは決して届かぬ“高みの場”。

 日が昇り、月が昇り、生命を遥か下に見る絶対的な“天頂”。

 そこにいるのが“彼女”。

 そこに立つのが“彼女”。

 その先へ行くのが、アンヌ=アウレカムという少女だ。

 目指す背は遠く、手を伸ばして追い掛けようとも決して近付けぬ。

 だがそれが何だ? それがどうした?

 伸ばし続け、挑み続け、追い掛け続ける。

 そう誓ったし、そう告げた。

 だから今もこうして、追い掛けるのだ。

「よし!」

 気合いを一つ入れて、ツトムは走り出す。

 走りながら考えるのは、具体的にどう戦うのかということ。

 自分に出来ること。やれそうなこと。これから必要になること。

 今一度見つめ直し、考えろ。

 それで足りぬのなら、あらゆるものを使い、頼り、利用しろ。

 そのためにこそ、あの学園に入ったのだから。


● ● ●


「さて皆さん。魔力について、どの程度理解していますか?」

 リツ=ダイグウジがそう問い掛けるのを、ツトム=ハルカはノートを取りながら聞いていた。

 翌日午前の魔法学講義でのことだ。

「魔力というのは、この世界に存在するあらゆる物が持つエネルギーの総称です。例えば我々人間、例えば魔獣、例えば魔鉱石」

 まだ入学したばかりのこの時期では、魔法学も基礎の基礎からおさらいという事らしい。

 皆が分かりきっている事実をダイグウジは語っていく。

「生物は意志を持って魔力を使いこなし、鉱物は性質として魔力を蓄えます。そうして世界全体に生まれ、消費され、発散され、行き渡って溶けていく。それが魔力というものです」

 では、と彼は続ける。

「どうして、魔力は存在するのでしょうか?」

 ニッコリと笑って告げられた問いに、皆が疑問符を浮かべて固まった。

 ……どうして?

 そんなの考えたこともない。

 誰もが皆、生まれた時から“それ”を有している。当たり前に感じ、知覚し、操っている。

 だからどうしてそれがあるのかなんて、考えもしない。

「皆さんにとって、魔力は当然の様に身に宿している物です。ですが、それがなければ生きられない、という訳ではありません」

 事実魔力を持たないという人も極々少数ですが確認されています、と続いた教師の言葉に、確かに、とツトムは納得する。

 ……生きるのに必要不可欠な要素なら理由は分かる。

 だが、実際はそうではない。

 食べ物や空気のように、必ず取らねば死に至るような物ではない。

 ならばなおのこと、魔力とは何なのか、疑問が強くなる。

「魔力が存在する理由、それには諸説あります。環境に適応するため、生命力を強くするため、自然競争に勝つため、などです。基本的には生物が魔力という力を生み出した、というのが通説ですね」

 幾つかの答えを述べてから、しかし、とダイグウジは続けた。

「それにしては、あまりに都合が良すぎないでしょうか?」

 言われた台詞に、

 ……どういう意味だろう?

 分からないまま、ツトムは耳を傾け続ける。

「魔力という不定形のエネルギー。精霊を媒介とし、魔法という形にも変化する万能の力。そんな便利な物が、あらゆる生物に宿っているというのはどうにも都合が良すぎると思いませんか? 環境適応にしろ、自然淘汰にしろ、全ての生物が辿り着いた進化、その全てが魔力の発現というのは、私としてはまるで腑に落ちないのですよ」

 言われた言葉に、思わず頷く自分を自覚した。

 そして、

「だからこそ私は別の説を唱えています。と言っても、通説と結果にあまり差はないのですが」

 苦笑しながら、ダイグウジは自らの論を告げる。

「“魔力”とは、始めからこの世界に“あった”物」

 そんな彼の一言を、皆はただ聞き入っていた。

「世界にはまず魔力があった。世界というモノが生まれた時点で、魔力と呼ばれるエネルギーは既に存在していたのです。だからこそ生物はそれを取り込み、操り、適応していった。そうして進化していく中で、それぞれの暮らす環境にも適応していき、今の多様な生態系が出来ていったのだと、私は考えています」

 自説を唱え終えると、ダイグウジは皆にニッコリと笑って見せた。

「このように、魔法の根源ともなる魔力一つとってみても奥深い世界が広がっています。この話を聞いて魔法の技術だけでなく、魔法や魔力のより根本的な部分にも興味を持って頂けると幸いです」

 そうして告げられた言葉に、皆は感心したように先生を見つめるばかりだった。

 そんな彼らに向けて、

「さて」

 ダイグウジはなおも続ける。

「実はここまでが前説になります」

 軽い調子で言ってのけたその言葉に、皆が、え、と固まった。

 それを見た魔法学教師は、何食わぬ顔でおどけて見せると、呆れた苦笑が皆からは返される。

「というわけで今回の授業は魔力についてです」

 そう言って、曰く本題へと入るリツ=ダイグウジ。

「先程も説明したとおり、魔力という物は我々人間を含め、生物が自由に扱うようになった力です。肉体を強化したり、術へと転用したり、道具に込めたりと使用用途は実に多岐に渡ります。謂わばあらゆる技術の起点とも言えるでしょう」

 教師の説明の通り、それなくして生活するのは至極困難、そう断言できるのがこの社会にとっての“魔力”という存在だ。

 だからこそ、その多寡は自らの社会的立ち位置に大きな影響を及ぼすことになる。

 例えば自分、例えば“彼女”。

 それだけが全てではないにしろ、技術を磨くにも最低限という物があるし、最大限を以てすれば技術を押し潰せもする。そういう物なのだ。

「そんな全ての起点とも呼べる魔力ですが、必ずしも平等な物でないのは、皆さん身を以て痛感していると思います。生物が生み出し、扱う以上そこには個体差、いわゆる“生来の物”という要素があるのです」

 ツトムにとってとても関わり深い話題が、教師の口から語られる。

 生来の物。それこそが自分を諦めないと誓った全ての始まりであり、元凶だった。

「まず分かりやすいのは“保有量”です。生まれた時点で個々人に器の大小があり、その後の伸び率にも一定の影響を与えます。ある種、魔力というエネルギーに対する適性のような物だと考えられています」

 魔力保有量。それは、自分や彼女のような特例を除いても、人々の人生に大きな影響を与える物だ。この学園で言うならば“ランク”に、社会で言うならば“将来”に、世界で言うならば“経済”に影響を及ぼす絶対的物量。

 そして始めにダイグウジが説明したとおり、生物の“進化”にまで絡んでくる要素だ。

 魔力が多いほど魔法が使える、特殊性質が現れる、強靱な肉体を持てる、人間のみならず生態系そのものに多大な影響を及ぼすのが魔力の絶対保有量というもの。

 生存競争の趨勢を決める最重要事項だと言っても過言ではない。

 だけど量さえあれば全てが決まる訳ではない。

 Sランクと呼ばれる彼らがそれだけでそこに立っていないように。

 凡百が億の数集まろうと彼女を打倒しうる訳ではないのと同じように。

 ダイグウジの話は次へと進む。

「保有量もさることながら、こちらも生来の部分が強い、それこそ遺伝という意味でなら保有量以上に深い関わりを持つ物があります。それが“属性適合”です。例えば炎魔法が得意、水魔法が得意、強化魔法が得意だったり、治癒魔法が得意だったりと、魔法――ひいては精霊に対する適性が個々人には存在します」

 属性適合。それは、魔法を扱うにおいて必須となる精霊との“繋がり”とも呼べる物。その如何によって使える魔法の傾向が変わり、修められる分野も変わってくる個人適性だった。

 なぜ精霊との“繋がり”が魔法の使用可否にまで影響を及ぼすのか?

 その答えは簡単だ。

 そもそも精霊という存在は単一の物ではない。細かな分類別けをすればその種類は膨大な数に上る。

 魔法とはその用途に合わせた精霊と協調することによって多様な結果を生み出すことに他ならない。だからこそ、それぞれの精霊と如何に上手く協調できるかが、如何に上手く繋がることができるかが、属性適合という形で使用できる魔法に影響してくる。

 特に人間社会で影響を及ぼしやすいのが基礎属性だ。

 炎、水、土、風、雷、光、闇など、魔法の結果に顕著に表れる物が大きな枠組みとして定義されている。一般的に属性適合と言った場合、これらの適性を指す。

 だが、より高度な魔法になればなるほど、情報や空間といった理解しにくい属性の精霊とも繋がる必要も出てくるのだ。

 そうして行使される各種魔法が組み合わさることによって、世界は動いている。

 だからこそ使用できる魔法を決めてしまう属性適合というものは、誰もの人生において重要な位置付けとなっていた。

 しかし、ツトムにとっては属性適合が周りほど重要な物にはなり得ずにいた。

 なぜならどれだけ適性があろうとも、行使するだけの魔力を用意できないのだから。

「…………」

 自分が魔法に関してあまりに無力であることを改めて痛感しながら、ツトムは授業へと集中を続ける。

「以上二点は、特に生来という部分が強く、余程のことがないかぎりはこれらが劇的に変化することはありません。ですから今度はこれらとは逆、やり方次第で如何様にでも伸ばしていける物について説明していきましょうか」

 そうしてダイグウジが告げた内容に、ピクリとツトムは反応する。

 彼がこれまで説明したのは所謂ところの魔法の“才能”。

 だがこれから説明しようとしているのは魔法の“努力”、すなわち自分が為すべきことだ。

 だからより一層耳を傾けながら、ツトムは彼の言葉を聞いていく。

「まず分かりやすいのが魔力の制御です。より精密に、より迅速に、より複雑に。魔力を上手く扱えれば扱えるほど、たとえ同じ魔法を使ったとしても結果は大きく異なってきます。皆さんにとっての修行とはこれを指すことが多いのではないでしょうか? 魔法の反復、魔力の練り上げ、魔力の高速操作。確かにこれらは経験を積めば積むほど上達していきます。しかしただ闇雲にやればいいという物でもありません。漫然とやるのではなく、目的意識を持ち、自分が何を為したいのかに合わせて、柔軟にやり方を変えていかなければいけませんね」

 魔力の制御。無論すでに自分もよく実践している訓練項目だ。

 たとえ初級魔法しか満足に使えなかったとしても、だからこそ最低限それだけは真っ当に出来なければいけないと思っていたから。

 しかしダイグウジの言うような目的ある訓練かと言われると微妙な所だった。

 なにせそれしか出来ないからただそれを行っているだけにすぎなかったから。

「では次は魔力生成と魔力出力について説明しましょうか」

 なおもダイグウジは続けていく。

「魔力生成とは文字通り一定時間でどれだけの魔力を生成できるかという物です。これは一見生来の物に思われがちですが、実際は違います。魔力生成というのは消費された魔力に対する身体の治癒反応です。簡単に言えば体力と同じ物なのですよ。だから消費と生成を繰り返すことで本来持っていた生成量を大きく超えることもまた可能になってきます。ただし、過度な酷使をすれば身体そのものが壊れかねませんし、後遺症や最悪生成不全を起こす可能性も高いので、これを鍛えるにおいて重要になってくるのは継続と適度な負荷、ということになりますね」

 言われた内容にツトムは驚いていた。

 魔力生成。それは身体的要因が大きく絡む物だという先入観が確かにあったのだ。

 だから自分には当然縁遠い要素だと思っていた。だが言われて思い返してみれば、訓練を始めたばかりの頃に比べて、最近の方が明らかに魔力の充填が早くなった気はする。

 意外な収穫にツトムは満足しながら、益々授業へと没頭していく。

「次に魔力出力ですが、これは保有する魔力の内、一度に扱える量を指します。これが少ないと、如何に大量の魔力を保有していても大したことが出来なくなってしまいます。いわば許容限界ですね。限界以上の魔力を扱おうとすると、精神や身体に多大な負荷が掛かり、生命活動そのものに支障を来します。まあだからそもそも扱えないように一歩手前で身体が拒否反応を起こし始めるんですが」

 話された内容に、しかし今度はあまりピンと来なかった。

 魔力出力。その言葉自体は知っているが、元々の魔力保有量が少ないツトムにとって、許容限界という物を実感したことはそう多くない。

 ただ聞く所によると魔力を必要以上に使用したり、保有量が空っぽになるまで使用したりすると、意識が朦朧として身体にビリビリとした激痛が走るらしい。

 最後には倒れて気絶する何てこともスポーツ中継などでは稀に見る。

 だから一応は気を付けてはおくべきことなのだろう。

 魔力出力に関するダイグウジの説明は続く。

「この魔力出力も魔力生成と同じく適度な負荷で大きくすることが出来ます。これは常に求められる量を身体が覚え、それに耐えられるよう生物的に成長していくためですね。ただあまり大きすぎるのも考え物です。一度に使えるからといって考えなしに使ってしまえば、保有量自体は変化していないのですぐに魔力が尽きてしまいますから」

 言われた言葉に、確かに、とツトムは納得する。

 何でもかんでも鍛えれば良い、と言う訳でもないのだ。

 やはりそこには目的意識、何のための訓練なのかを意識する必要がある。

 ならば自分にとっての“それ”は何だ?

「…………」

 少し考えるが、答えは出ない。

 こうして授業を受けているのは自分が学生だからというのも確かな理由ではある。

 だがそれ以上に、今は“彼女”に追い付く手段を知るためというのが本音だった。

 授業を聞いたことで訓練の見直しが必要だと感じたのは確かだろう。

 しかしその方向はどこに向ける?

 勝つための方策はどこにある?

 自分に必要な物、その具体的な部分とは何だと言うんだ?

 あの日から、頭の片隅で考えていたことに対する答えはまだ出ない。

 ならばこれは“頭打ち”だということ。

 自分一人ではもうどうにもできないということ。

 ならば――

「さて、細かく別けていけば他にも成長できる要素はありますが、目に見えて分かりやすいのはこの当たりでしょうかね」

 告げながら、なおも魔法学の授業を続けていくダイグウジ。

 そうだ。目の前に答えはある。

 自分の知らぬ事を知り、それを以て多くの教えを授けてくれる相手。

 その力を借りることを躊躇う必要は無い。

 すべきことを見定め、ただ行動に移せ。

 彼女に“追い付く”ために。

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