第二章11『少年は、少女を前に――』
● ● ●
試合が終わり、夕刻の空の下にアンヌ=アウレカムは晒されていた。
結果は無論勝利。しかしそれを祝う者はおらず、周囲から突き刺さる視線はただただ無遠慮に恐怖だけを映している。それをいつものことと受け流しながら、アンヌはここにいた。
会場を少し離れ、人気の無いその場所で、アンヌは静かに空を見上げる。
己がした事。己が示した真実。己が為した荒唐無稽。
その結果、周囲がどうなるか。分からなかった訳では無い。
知っていたし、分かりきっていた。
だけど、
「彼にまだ期待しますの……?」
去り際に会ったエレナ=トールブリッツのそんな一言に、ただただ後悔だけが生まれてくる。
間違えた。間違えた。間違えた。
彼はどうなる? 彼はどう思う? 彼はどうする?
真実を知れば、彼でもきっと――
「…………」
だから後悔だけが、アンヌの心を埋め尽くす。
自分が抱いた淡い期待は、こうして何もせずに打ち砕かれたのだと。
やらなければ。見せなければ。勝たなければ。
そう思いはしても、きっと結果は変わらない。
ただ彼に直接絶望を叩きつけることになるだけ。
「やっぱり――」
無理、なのかな?
こんな自分が誰かと関わるなんて。こんな自分が誰かと並ぼうなんて。こんな自分が誰かを望むなんて。
……許されない、のかな。
だけどそれでも、縋りたい自分がいる。
笑って、泣いて、怒って、共にいてくれる誰かをどうしようもなく求めてしまう自分がいる。
だから今一度、チャンスが欲しい。
会場を去った彼は、本当に逃げ出したのか。
それとも――
「……答えがほしい」
探そう。彼の言葉を聞こう。ちゃんと話したこともないけれど、直接聞いて納得したい。
やっぱり自分は一人なのだと、今度こそ諦めるために。
● ● ●
学園内の一角。修練塔からそう遠くない場所で、ツトム=ハルカはベンチに座っていた。
膝の上で手を組み、顔を伏して目を閉じる。そうしてただ、思考に没頭していく。
考えるのはアンヌのこと。
あの強さは規格外。それは確かだ。
別段一位にこだわりがないのなら、彼女とわざわざ戦う意味はないだろう。
どうせ勝てぬ。当然負ける。あれに勝つのは一生懸けても不可能だ。そんな物に挑むなど時間の無駄。
浮かぶ言葉の数々は、彼女を知ったからこその当然の事実。
諦めろ。否、諦めるという次元にすら無い。
決して届かぬ高み。翼を持たぬ人間が、太陽へ跳び立とうとする無理無茶無謀。考えることそれ自体が絵空事の現実を前にして、だけど――
「……それでいいのか?」
逃げて、諦めて、目を逸らす。そうして得られる物は何だ? そうして掴める物は何だ?
自分を諦めて、自分がどうしようもないことに納得しろというのか?
「ふざけるな」
諦めない。諦めない。諦めない。
生まれた時から劣っていたからこそ、自分自身を諦めて、何かに甘えるなど許さない。
……そんな自分は認められない。
ならばすべきことは何だ?
そんなもの酷く簡単で、分かりきっている。
……戦おう。
それだけだ。
挑む。挑むとも。たとえ何が相手であろうとも。たとえどれほど差があろうとも。
今までもこれからも、己は“そう”する者だから。
だから彼女に対しても、変わらず同じ。
何度倒れようと、何度負けようと、挑み続けることに変わりなし。
できないならできるようになればいい。どうすれば?、それを考えるのはとても楽しくて、やり切った時の喜びもよく知っているから。
そうしていつか必ず彼女にも――
「……ツトム…………ハルカ、くん……」
不意に聞こえた己を呼ぶ声に、没頭していた思考の海からツトムは急速に浮上する。
たどたどしく、弱々しく、こちらを呼んだ声の主。
華奢で儚げな身体に、夕日の光を透き通らせる薄いクリームの髪の持ち主。
アンヌ=アウレカムが、そこにいた。
● ● ●
驚いたようにこちらを見つめるツトムに、アンヌ=アウレカムは真正面から視線を合わせた。
こうして話すのは本当に初めてのこと。
「…………」
だけど言葉は出て来ない。
聞きたいことがあるのに、知りたいことがあるのに、それでも口は開かない。
そんなこちらを見かねてか、
「や、やあ」
困ったような笑みを浮かべながら、彼は片手を上げてこちらに挨拶する。
「……んっ」
アンヌはただ小さく頷く。今できる精一杯がそれだったから。
それ以上の言葉はでない。
無意味に視線を彷徨わせ、髪を掻き上げては間を保たせようとするばかりで、何も言えない。
「…………」
「…………」
だから気まずい沈黙だけが、続いていく。
「えっと……」
耐えかねた彼が、先に口を開く。
「何か用かな?」
● ● ●
ツトム=ハルカは堪らず問いかけていた。
するとアンヌは身体を浅く抱き、
「……っ」
小さな吐息を漏らしてから、意を決したように再びこちらを見る。
「……隣、いい?」
発されたか細い声に、ツトムは一瞬詰まりつつも、
「あ、ああ」
了承を返すと、彼女は静かにこちらの隣に腰掛けた。
再びの沈黙。
その間、彼女は少し俯きがちだった。
どうしたものかと頬を掻きつつ、だけど今はただ、静かに彼女の言葉を待つ。
「あな、たは――」
ゆっくりと紡がれる彼女の言葉。緊張をほぐすように深呼吸を挟んで、
「……私と、戦いたい?」
告げられた問いに、ツトムは思わず息が詰まるのを自覚した。
それは今まさに考えていたこと。そしてその答えは既に心の中で決まっている。
だがよもや直接本人からその言葉を聞くとは思ってもみなかった。
そんな予想外にツトムは僅かに返事が遅れる。
それを彼女はどう取ったのだろう?
「やっぱり、嫌?」
悲しげな声音。返る答えをまるで知っているかのように、彼女は問う。
だから、
「そんな筈はない」
立ち上がり、ツトムは彼女へと振り返る。
そして、
「喜んで受けるよ。いや、むしろ申し込ませてくれ。君は俺の目標なんだから」
笑顔で告げる先、何故か彼女は理解が追い付かないというように呆けていた。
「本、当に……?」
そうして出て来た確認の問い掛けに、
「勿論」
確かな“答え”をツトムは返す。
それでもまだ、彼女は不安げな表情を崩さない。
「きっと、勝てないよ?」
中々きつい言葉が返ってくる。だがそれがどうした。
「それでも、さ」
できないと言われることなど今まで散々あった。
だけどやってみなければ分からないし、やってできなければ努力すればいい。ただそれだけ。
「……どうして?」
そんなこちらに、彼女は再び問いかける。
「どうして、そう思えるの?」
まるで特別な物を見るような眼でこちらを見つめながら、彼女は静かに問うてくる。
それに対する答えは、己にとって酷く単純な一言。
「ただの意地だよ。自分を諦めたくない」
それこそが自分の生き方。たとえどんな桁外れや規格外だろうと、諦めてなどやるものか。
確かな決意はずっとこの胸にある。
だから彼女から逃げるなどあり得ない。
そんなこちらの答えを聞いた彼女は、ただこちらを呆けた様に見つめるばかり。
だからそんな彼女へ向けて、
「それに、挑戦するのは好きだしね」
ニッと笑いながらツトムがそう付け加えると、ようやく彼女は笑ってみせた。
とても素敵な笑顔だった。
「おかしな人」
「君も大概じゃないかな?」
「それもそうだね」
そんなやり取りに、二人して笑い合う。
確かに自分達は普通ではない。
能力も精神も、どこか一般からズレている。だけどそれでいいじゃないか。自分をわざわざ卑下する意味なんてどこにもない。むしろこれこそが自分らしさと誇ればいい。
そう思うから、ツトムは彼女へと手を伸ばす。
「ツトム=ハルカだ。改めてよろしく」
そうして彼女の温もりがこちらと繋がって、
「アンヌ=アウレカムだよ。こちらこそよろしくね」
手を引き、ツトムはただ彼女と並び立った。
そして、
「試合は最終日でもいいかな?」
「いいけど、どうして?」
「やれることはやっておきたいから、さ」
「ん、分かった」
そんな他愛ない会話をしながら、ツトムとアンヌは共に歩み出していった。
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