第二章10『何者も届かぬ高み』


● ● ●


 爆発音と剣戟音が会場に響き続けていた。

 振り抜かれる剣の軌跡は高速で、幾条の光となって交差する。

 合間合間に放たれるのは光線の群れ。それは一方へと多角的に照射される。

 それを避けながら、“彼女”は一度距離を取る。

「……どうした? その程度か?」

 視線を向けた先、そこにいる男は鬼気迫る顔で構えていた。

 以前とは決して似ても似つかぬ顔。

 礼も優しさも何もない。目的のためにあらゆる手段を取る男の顔が、そこにある。

 彼ら二人の戦いは、皆の予想を大きく裏切る形で展開していた。

 剣を振るい、魔法を放ち、自ら試合の流れを作っているのは男――ゴルドの方だ。

 尋常ならざる魔力を持つはずのアンヌは、しかし何故か防戦に徹している。

「…………」

 彼女は一息を吐きながら、相手を――相手の周囲を取り巻く“それ”を見た。

 そこに浮かぶのは、小型魔導具。

 流線型の“それ”は都合四つ。全く同じ物が、ゴルドに付き従うようにジッと佇んでいる。

「……いくぞ」

 そう言葉にしながら、ゴルドが構えを深くする。

 次の瞬間――

「…………!」

 高速で飛来した光線をアンヌは剣で斬り払う。

 その射撃手はゴルドの小型魔導具。

 光を弾く向こう、そこにあるのは一体だけ。ならば残りは?

「――――」

 背後へと剣を振り抜いた。手応えは無い。

 だが視界に“それ”を一つ見つけられた。だけどまだ足りない。

「――――ッ!」

 息を吐き出しながら魔力を込め、障壁を周囲に展開する。強い感触が一つ、二つ。

 振り返れば左下と右上に魔導具が魔力の剣を吐き出しながら突き刺さっている。

 ならばこれで終わり? いいや、違う。

「ハァアアア――ッ!」

 叫びを上げるのはアンヌ――ではない。

 彼女の目の前、上段に振りかぶるゴルドだ。

「ッ」

 大剣が、振り下ろされた。

 大きな衝突音と共に、鉄塊がアンヌの障壁へと激突する。

 しかし壁は割れない。バチバチと爆ぜるような光を放ちながらも、大剣に抗っていた。

「…………」

 アンヌは障壁を打ち破らんと力を込める相手に向けて、手を翳す。

 収束する魔力。光は強く、大きくなりながら、

「――――!」

 放たれた。

 彼女の動きを察知したゴルドは、即座に剣を引き、盾のように構え直す。

 光が彼へと迫る中で、四つの“影”がその間へと差し挟まる。

 小型魔導具。それら四体は連動したように魔法陣を展開。一つの大きな防壁を形成していく。

 更に盾として構えられた剣と、ゴルドの装着する鎧の各所から新たに魔法陣が展開され、彼を堅く守護していく。

 結果、

「――――ぐぅッ!」

 彼はアンヌの極太光線を受けながらも、押し戻される程度で済んでいた。

 纏わり付く白煙を一振りで払い除け、彼は再び攻撃の構えを取る。

 ドッシリと沈むように構えながら、彼はどこか誇るように笑った。

 そして、

「そうだ。これが――、これが俺の力だァ!」

 再び魔導具という従者を引き連れて、ゴルドはアンヌへと吶喊した。


● ● ●


「姑息な……!」

 エレナ=トールブリッツのあの男に対する嫌悪感は、ここに来て一気に振り切れた。

 自分は傍から見れば確かに彼と似た境遇かも知れない。

 歴史ある旧家の娘で、願えば欲しいものは何でも手に入る。

 そう思われるのも仕方がない出自ではある。

 だが自分がそれに当てはまらない事は、誰より自分が知っている。

 我が家は厳しく、礼節を重んじる家。

 願えば叶うなどとは無知の妄想であり、断じてそのような経験などない。

 自分はそんな我が家を、不満に思うどころか誇りにすら思っていた。

 礼を尽くす。それは強者のあり方として、とても素晴らしい物であると断言できるから。

 武において、それはより顕著な形で表れる。

 だから、ああだから、

 ……恥知らずが!

 そう思うことをエレナは止められなかった。

 武装による補助を否定はしない。が、あれはあまりに酷い。

 補助などというレベルではない、むしろ本体と言って差し支えない。

 ……一体どちらが着られているのでしょうね?

 そんな皮肉をあの男に言ってやりたくて堪らない。

 彼に武人の誇りなどない。あるのはただ勝利への執着のみ。

 意地汚くも勝ちを狙うその様は、日頃の態度も相まって非常に癇に障る。

 憤慨の吐息を思わず漏らしながら、エレナは不意に隣の反応が気になった。

 ……ハルカさんはどう思いますの?

 そう思い見てみれば、

「…………」

 彼はただ、無言で試合を見つめていた。

 ほとんど表情は変わっていない。だが前で組まれた両の手に、力が入っているのは分かった。

 その瞳には憤りのような物が見え隠れしていて、彼と共感できているという事実に思わず苦笑してしまう。

 改めて思う。彼女に負けて欲しくない、と。

 ……あなたが選んだ殿方は“それ”を否定していましてよ。

 誇りなき武を彼は求めない。だからそれに負けるようでは目にも留めてもらえないぞ。

 そんな想いが届いたのか、あるいはただの必然か。

 こちらに望まれるまでもなく眼下の事態は動いていた。


● ● ●


 アンヌ=アウレカムは相手を見ながら思った。

 ……かっこ悪い。

 魔法技能、戦闘技術、そのどちらにおいても、おそらくこちらの方が上だろう。

 しかしその差を補うに余りあるのが彼の身に付ける魔導具達だ。

 それこそ実質の相手はあの魔導具達だと言っても過言ではないだろう。

 本来ならば決して手間の掛かる相手ではない。

「…………」

 違う。そうじゃない。そんな普通の話じゃない。

 魔力光を撃ち出しながら、アンヌはどこか自嘲する。

 何を試合の真似事なんてしてるのだろう。何を加減なんてしてるのだろう。

 己の持ち得る力の意味を、嫌と言うほど知っているというのに。

 見据えた先にあるのは武装頼りの男の姿。

 確かに普通であればあの魔導具達はとても厄介だろう。

 だけど、それは普通の人間の話だ。エレナやツトム達の話だ。

 自分にとってはあんな物――

「…………」

 剣を振るい、魔法を放ちながら、しかしその全てを防ぎ続ける魔導具の群れに、だけど全く脅威を感じない。

 容易に潰せてしまえる、という絶対的な自覚だけがそこにある。

 だから、どうしようもなくやるせない。

 自らの異常をやはり“ここ”でも感じてしまうのだと。

 それでも、期待した人がいる。求めた相手がいる。

 その人に比べて、彼はどうだ?

 武装に頼り、自らを磨かず、それを以て己の力と吠える彼は何だ?

 ……かっこ悪い。

 負けたくない。負けたくないのだ。

 かつて見たあの人の戦いを否定させないために。

 自らを磨き、立ち上がり続け、挑み続けるあの姿を否定させないために。

 何より、それに心動かされた自分を否定しないために。

 だから、

「いくよ」

 小さな呟きと共にアンヌは前へ出る。

 忌避してもいないが、誇ってもいない己の力。

 それを使うことを躊躇いはしなかった。


● ● ●


「な、にィ……!?」

 ゴルド=ルクセリアは驚愕を隠せずにいた。

 先程、ほんの一瞬前まで、自分が優勢だった筈だ。

 確実に相手はこちらの装備に手も足も出なかった。

 その筈なのに――

「く、そがァッ!」

 斬撃が飛んで来る。放ったのは無論目の前にいる人の形をした“化け物”。

 迫る斬撃をゴルドはどうにか力任せに弾き飛ばし、大きく距離を取る。

 放たれた一撃、それは今までとは比べ物にならない程の威力を有していた。

 この戦いの中で、何度も目にしたはずの一振り。

 ただ静かな、“軽い”一振り。

 だというのに、

「――――ィッ!」

 そのあまりの変容ぶりにゴルドは奥歯を噛み締めずにはいられない。

 ……ふざけるな。

 手が震える。それは弾いた物の重さ故か、あるいは目の前の事態に対する憤り故か。

 どちらでもいいと、ぞんざいに思いながら、握る拳だけが固くなる。

 ……なんだ、これは……!

 苛立ちだけが、ただ募る。相手のしたことの意味、それが示す事実、覆しようのない真実。

 なまじ理解出来てしまうから、苛立ちは止まることを知らない。

「……舐めるなアアア!」

 魔力が噴き出る。怒りに呼応し、感情に呼応し、溜め込んだ全てを吐き出すように。

 見開かれたゴルドの目が睨む先は、目の前の少女。

 すました顔でそこに立ち、見下すようにこちらを見つめる、くそったれな化け物。

 その姿が堪らなくむかついた。歯ぎしりが止まらない。

 だから、

「――――」

 手を前へ翳す。

 こちらの動きに反応し、浮遊魔導具達が十字を描くように連結する。

 手を前に翳したまま、剣を持つもう一方の手を後ろへと引き絞る。

 そして、

「……モード:≪フル・バースト≫」

 言葉に合わせ、魔導具達はその姿を変容させる。

 浮遊魔導具はそれぞれその姿を開き、内蔵された魔力炉を露出、同時に射出口を形成する。

 装着している各部装甲は自らを展開しコードを射出すると、それぞれとの連結を遂げていく。

 そして大剣は、その刀身を上下左右に広げ、砲身へとその身を変えていった。

 全装甲に蓄積された魔力が、連結部を通して砲身へと伝い、超圧縮された小型弾体を形成。

 十字連結した浮遊魔導具群は、互いに一定距離を保って離れ、円状に等速で回転し始める。

 高速で円運動をするそれらの合間、その内側に形成されるのは魔力で作られた仮想砲身。

 己の魔導具、その全てが展開し終えたことをゴルドは確認すると、

「…………」

 大きく深呼吸。

 己に流れる魔力が急速に弾体へと変換されていくのを感じながら、敵を見据える。

 こちらの動きを、何の興味も無く静かに見守る女がそこにいた。

 力が篭もる。身体が震える。

 一番でなければならないのだ。そうでなければ嘲笑われる。優秀で有能で、絶対的な強者でなければ、この社会で自由には生きられない。

 こき使われるなどごめんで、使い捨てられるなどもっての外。

 誰かに体よく利用された挙げ句、自分だけが不幸になるなど許せようはずも無い。

 だから力がいる。決して下にならないための力が。

 ……負けて堪るものか!

 誰にも命令されないために。

 ……負けてなどやるものか!

 誰にも邪魔させないために。

 だから――

「勝つのは、俺だアアアアアアアアア――!」

 ただ、全身全霊をゴルドは振り抜いた。


● ● ●


 空間が、激震する。

 砲身から放たれた魔力弾は、仮想砲身を高速で通過していきながら一人の少女へ吶喊した。

 風が荒ぶ。轟音が響く。大気を割りながら特大の魔力光が直進していく。

 迫るそれを前にして、対する彼女は動かない。

 ただ、迫る光をジッと見つめ、為す術もなく光に呑み込まれていく。

 直撃だった。

「――――――――――」

 彼女を喰らった魔力の光条は、しかし止まることを知らなかった。

 喰らい貪り消し飛ばしてなお、突き進む。

 果てに行き着くのは戦場の外縁部。

 勢いそのままに高速で衝突した光の柱は、弾けるようにその身を割った。

 それでもなお勢いは止まらず、壁を這うようにあらゆる方向へと走り続けていった。

 そうして天井高くまで登り詰め、ようやくその身を散らしていた。

「……………………」

 その光景を前に、誰一人として言葉を発さない。

 戦場の外にいる彼らの視界には、ただただ白が覆い被さる。

 数十秒にも及ぶ光の激流は、彼らを圧倒するには十分すぎた。

 だからこそ、彼らは等しく思うのだ。

 この後に見るであろう分かりきった結果を。

 あらゆる者が理解し、判断し、確信した絶対的結果を。

 たとえどのような者であろうと、これに耐える術など持ち得ないのだから。

 彼らは見る。光が溶け、自分達が確信したあるべき姿を。

「…………?」

 それが当たり前に崩される、その光景を。

 

● ● ●


 白で覆われた戦場が、その本来の姿を晒す。

 光の激流はすでにその姿を霧散し始め、勢いはもはやない。

 にも関わらず――

「…………?」

 人々の視界に映るのは未だ悠然と輝く大きな光。

 激流とはまた別の、戦場の中心より伸びる二つの柱だった。

 それはただ凛と立ち、優雅と高貴を両立しながら、その身を儚くも美しく散らしていく。

 ふわりふわりと落ちる小さな光の欠片達。

 その光景を経て、その柱が何なのか、誰もが理解する。

「…………翼」

 天高く伸び上がり、確かな威容を放つ光の両翼。

 神々しく荘厳なるその姿が、この場にある全ての目に焼き付いたのだった。

 翼がゆっくりと、その身を閉じていく。

 縮まり、折り畳まれながら、戻る背中は戦場に。

 小さく華奢な、たった一人の少女の下へと帰っていく。

 彼女はただ、静かに佇む。

 受け止めたはずの激流も、広げたはずの翼も、何も解さず、ただジッとそこに立つ。

「…………」

 誰の目にも分からぬ、泣き出しそうな小さな笑みだけをそっと浮かべて。 


● ● ●


「……ごめんなさい」

 ただ無感動に発される謝罪の言葉。

 なぜ彼女は謝るのだろうか。

 強者ゆえに? 勝利するがゆえに? 絶望を叩き付けるがゆえに?

 どれでもあって、どれでもない。

 彼女はただ自らの力が生む結果を知っているだけ。

 それは生まれた時から持っていた力。それだけで全てを超えてしまう“天よりの賜物”。

 どんな形であっても、どれほどの物であっても、力で押すことが出来てしまう。

 質が違いすぎるが故に、“それ”は量を圧することが出来てしまう。

 それを望んで手にした訳ではない。だがだからこそ、なおさら彼女には堪えていた。 

 頑張る意味も、頑張ろうとする気概も、頑張った喜びも、何も知らない。知ることが出来ない。なのに力だけは持ち合わせてしまっているから。

 結果、相手はどうなるか。

 答えは簡単だ。

「化け、物が――!」

 ただ、負けるしかない。そうさせることしか、彼女は知らない。

 そして彼女はこれから先、相手がどうなるかをよく知っていた。

 潰れた者はもはや立ち上がらない。

 仕方ないと諦めて、彼女から目を逸らす。

 才能、特性、体質、それは生まれついての物だからと言い訳をして。

 だから誰も彼女を受け止めない。ぶつかろうとしない。等しく諦め、割り切るだけ。

 それを咎めることはおそらく誰にもできないだろう。彼女の力を前にして、その理屈を理解できぬ者などいないのだから。

 だから彼女は待ち続ける。絶望的なまでの諦観の中で、待ち続けている。

 己に立ち向かい、叩き潰されても立ち上がってくれる者を。

 逃げず、諦めず、何度もぶつかって来てくれる人を。

 真正面から向き合ってくれる誰かのことを。

 ずっとずっと、待っている。


● ● ●


 新たな光がゴルドごと会場を呑み込む様を見つめながら、ツトム=ハルカは組んだ手に力を込めた。

 アンヌ=アウレカム。彼女の力は絶大で、どうしようもないほど遥かな高み。

 その差はもはや絶望的という言葉すら生温い。

 あれを見せつけられて心折れぬ者が果たしてこの場にいるだろうか。

「…………」

 目を閉じ、思考する。

 彼我の差、それを理解した今、己は彼女をどう見る?

 答えは出ない。

 分からないまま、だけどこの場にいられないという衝動だけが、胸の内を埋め尽くす。

「…………」

 思考しながら、大きく深呼吸。そして衝動に身を任せるまま、ツトムは立ち上がる。

 そうだ、ここにいてはいけない。ここにいるべきではない。ここにいる場合じゃ無い。

 驚くエレナ達を無視して、ツトムは足早に出口へと向かっていった。

 ふと見下ろした視線の先、戦場の中心に立つ彼女がそこにいる。

 彼女はただ、こちらを見つめていた。

 それはいつかと真逆の構図。

 気のせいかも知れない。勘違いかも知れない。

 でも、もし彼女が己を見ているというのなら――

「…………」

 一歩を踏む力が強くなる。歩みは早く、目指す先は当て所なくとも、ただ突き進もうとする意志だけは止まらない。

 どうすべきかなど二の次で、ただ、

 ……今のままでは駄目だ。

 それだけが、心の中を埋め尽くしている。

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