第一章3『戦いの意味、競いの現場』
● ● ●
少女は一人、そこにいた。
教室ではない。そこは“研究室”。
かつて彼女の試験官をした、一人の教師の研究室だった。
今、部屋の主は自らが担当することとなったクラスへと赴いている。
だから少女は一人ここにいる。どこかのクラスに向かうことなく、ここにいる。
そういう風に告げられたから。
「…………」
少女は眼を閉じ、静かに“次”を待った。
煌めく薄クリーム色の髪が、小さく揺れる。
時間はゆっくりと、ゆっくりと流れていく。
本来あるべき喧騒も、触れ合いも、ここにはない。
どうしようもない“特別”だけが、ここにはあった。
少女はただ、自らの“ズレ”を認識し続ける。たった一人で。
● ● ●
「改めまして皆さん、入学おめでとうございます」
ニコニコとした笑みを浮かべながらの挨拶を、ツトム=ハルカは聞いた。
ピンク色のロング髪を緩く巻き、ゆったりとスーツに身を包んだ女性の挨拶だ。
「私はこのAクラスの担任になりましたエレノート=ヘスティアです。専門は“治癒術”なので怪我をしたり、体調不良になった人は気軽に声を掛けてくださいね」
彼女は簡単な自己紹介を終えると、さて、と続ける。
「皆さんの机の上にあった資料ですが、それにはきちんと目を通すようにしてください。そこに書かれた情報は、これから皆さんに必要となる物ばかりです。特に、今後のスケジュールに関しては要確認ですよ?」
彼女の言う資料を手に取ると、その表紙には『入学生ガイダンス』と書かれている。
言われたとおりに、皆はパラパラとページを捲っていき、ざっと中身を確認する。
主な内容は、今後のスケジュール、施設紹介、部活紹介、教員紹介などなど。
そうして資料を読む皆を見た教壇の女性――エレノート=ヘスティアは困った様に苦笑する。
「ごめんなさい、じっくり読むのはまた後ででお願いします。このあと放送があったら、もう一度講堂に行くことになりますので」
そんな彼女の言葉を聞き、皆は再びヘスティアへと視線を移す。
自分に注目が戻ってきたと理解したヘスティアはニッコリと優しく微笑むと、
「まあそれまでは暇なので、皆さん教室の中で騒がしくない程度にお話ししてていいですよ?」
そう告げて、自らの話を終わらせるのだった。
彼女の言葉を機に、クラスメイト達は席に着いたまま、あるいは立ち上がって、再び周りのクラスメイト達と騒がしくない程度に話し始める。
先程仲良くなった相手と冊子を共に見る者、先程ダメだったから意を決して周りに話しかける者、周囲を無視し一人黙々と冊子を読み進める者。
それぞれが自分なりのやり方で、クラスの中でのあり方を模索していた。
……ならば自分は?
ツトムは少し考えて、一つの結論を出す。
立ち上がり、向かう先はタクミの席――ではなくすぐ近くにあるリン=キミハの席だ。
周囲の者と軽く自己紹介をし合っていた彼女の下まで行き、
「よければ俺も自己紹介させてもらっていいかな?」
笑みを浮かべながら声を掛ける。
「ああ、さっきの」
彼女がこちらに気付くと、周囲のクラスメイト達もまたこちらに注目する。
そんな彼らにも笑みを向け、
「皆も良ければ聞いてくれ。俺の名前はツトム=ハルカ。皆にはこれから迷惑を掛けるかもしれないけど、どうかよろしく頼む」
簡潔に自己紹介をして軽く頭を下げる。そんなこちらを見て、彼女は一言、
「迷惑掛けること前提なんだ」
苦笑して、手を差し出してきた。
「私はリン=キミハよ。ま、こっちも何かあったらよろしく」
「もちろん」
彼女と握手を交わし、その後、皆にも手を挙げて告げる。
「何かあればお互い様ってことで、皆も好きに頼ってくれ。頼りになるかは分からないけど」
告げた言葉に、皆も苦笑しながら軽い返事をして、改めてそれぞれの自己紹介を始め直す。
ツトムはその光景を眺めながら、自然と笑みが浮かぶのを止められなかった。
ここにいる皆が、新しい生活に期待を膨らませている。
高揚感を隠し切れず、笑顔を浮かべずにはいられない。
なにせ無事に“この学園”に入ることが出来たから。
誰もがここに至るまで、ドキドキで何も手につかない思いをしたり、駄目で元々で受けたらまさか受かって有頂天だったり、受験の話で大いに盛り上がれるのが今日この日というものだ。
そんな今日限りの他愛ない話に、他のクラスメイト達も徐々に加わっていく。
そうして皆で盛り上がっていると、不意にチャイムの音が鳴り響く。
『あー、マイクテス、マイクテス。――聞こえているかな? 新入生諸君。二度手間ですまんが、準備は整った。講堂まで再びご足労願おうか』
続いた放送を皆が聞き終えると、
「では皆さん、順に出ますので廊下で待ちましょうか」
ヘスティアが笑みでそう告げるのだった。
● ● ●
講堂から保護者や来賓の姿は消え、数名の教師とズラリと整列した新入生達だけがそこに集まっていた。
入学式からそのまま鎮座し続ける椅子に皆は腰掛け、前に立つ教師陣を静かに見つめる。
皆の視線が集う中、横一列に並ぶ教師陣から一歩前に出たのは男物のスーツを着込んだ女性。
かつて、ツトム=ハルカの試験官をした女性だった。
彼女は、よく通った声で、
「諸君、散々言われているだろうがまずは入学おめでとう。私はアマネ=ムトウ。一応、この学年の仕切り役ということになっている」
簡単に自己紹介をする。最後の方の言葉は少し苦笑混じりだ。
「さて、ガイダンス書は貰ったと思うが、まぁあれは明日以降使うものだから今は忘れてくれ」
彼女は入学生全員に向けて両の腕を大きく広げながら、続ける。
「これから私が説明するのは君達の成績、ひいては卒業へと繋がる“ある試験”についてだ」
告げられた言葉に皆が軽く息を呑む。
学生という立場にとって、成績や試験といった言葉は常に警戒の対象だ。敏感にもなる。
そんな彼らを見た彼女はおかしそうにニヤリと笑い、
「――≪ランキング戦≫、というのはご存知かな?」
人差し指を立て、皆に向けて問い掛ける。
告げた先、学生達から返るのは一様な頷きだった。
「結構」
それに対し、彼女もまた満足げな頷きを一つ返して、話を続ける。
「念のため軽く説明しておくと、実戦形式の実技試験という感じだね。無論それだけで全ての実技成績がつく訳では無いが、加点は十二分に付けられるだろう」
彼女が口にした事柄。それはこの学園の方針である実力主義を象徴する実技試験の事だった。
実技戦闘試験――通称≪ランキング戦≫。
学園のパンフレットに必ず載っているその試験は、まさしく実力が物を言う世界だ。
学年別に設けられた全生徒対象のランキング。
SからDで分けられる実力のランク。
これら二つを決める、あるいは変動させるために生徒同士で戦うことが≪ランキング戦≫の主な目的だった。
女教師――アマネ=ムトウは、片頬を上げた軽妙な笑みを浮かべて、説明を続ける。
「さて、ランキング戦がどうして実戦形式なのかという質問が例年保護者や受験生達から多く寄せられてくるわけだが、これから実際に体験する君達にも改めて説明しておこう」
このご時世、“戦闘”における技能という物はあまり重要な物ではない。
世界はある程度の平穏を手にし、命の張り合いや喧嘩といった“危険”な行為は、自ら進んで突っ込まない限りそうそう出会う物ではなくなった。
結果、“戦い”という物に関する関心は薄れ、一種の娯楽や自己鍛錬といった形でのみその存在を残している。
ここにいる生徒達にしても、殴り合いを本当の意味で経験したことがある者などそうそういないだろう。
ならばそんな“戦う”ための技能を競い合って一体何になるのか。
答えはある意味酷く単純だった。
「まあ要するに、総合力を鍛えるためだよ」
アマネの気軽い言葉が、講堂に響く。
確かに“戦闘”のための技能は今後の生涯で必要になる物ではない。
しかし“戦闘”、すなわち“実戦”という在り方にはある種の利点があった。
それは、制限の緩さ。
例えば剣術、例えば近接魔法術、例えば球技。
これら武術やスポーツは、それぞれ独自のルールに則って試合を行う。
そうして互いの実力をぶつけ合い、勝敗を――互いの上下を決するのだ。
しかしこれらスポーツ全般はある意味で完結している。
なぜならそれぞれのルールに則って“のみ”行動が許されるから。
すなわちルール違反と分かりきっている行為は発想そのものから抜け落ちやすい。
手を使えぬスポーツで手を使う戦法は考えないし、考えようとも思わない。
それは無意味な思索で、邪道にすら属すから。
そうして生まれる思考法はどこまでも“型通り”。
素人考えの方がまだ自由であることが何よりの証拠だ。
そんな“型通り”のままでは、限界は容易く見えてしまう。
だからこそ、“それ”を崩してやる必要がある。視野を広げ、一つ所に凝り固まらぬように。
そのためのルール撤廃――“実戦”である。
剣士は剣士として、魔法士は魔法士として、選手は選手として。
それぞれがそれぞれのルールに基づいて培った技術を、しかしルール無用の場所でぶつけ合う。そうして己に染み付いた型が自ずと崩れ去る。
――否、崩さざるを得ない、勝つために。
剣士は剣士と剣を交えず、魔法士は魔法士と魔法を競わず、選手は選手と点を取り合わない。
己が対する相手はもはや己と同じ土俵の者ではない。全く別の、門外漢にして専門家。
ならば“それ”に勝つためにすべきことは何か?
“思索”である。“試行”である。
己に出来得ることの中から勝利を掴むために様々な筋道を立てる。
己に出来ないことでも勝利に必要とあらば出来るよう訓練する。
これまで通りにはいかない。これより先を見なければならない。
そうして臨機応変な対処法を“己で”見つけられるようになることこそが、この試験の意義。
「――とまあそんな感じの理由になるわけだが、人を傷つけるのは嫌だという生徒もいるだろうし、運動が嫌いな生徒もいるだろうから、強制したりはしない。君らには君らで活躍できる機会を別に設けているから安心したまえ。例えば作品発表とか、研究発表とか、ね?」
長々とした説明を、アマネは終えた。
彼女は最後に、ここからは個人的な意見だが、と苦笑しながら続け、
「なるべく参加してくれると体育担当としては嬉しい。机に向かうだけが勉強ではないからね。それに他の試験でダメだった場合の保険にもなったりするよ?」
告げられた内容に新入生達もまた苦笑を返した。
さて、とアマネは告げる。
「そんなこんなで≪ランキング戦≫の概要を説明した訳だが、ここからは≪ランキング戦≫に関する具体的な話をしようか」
彼女は言いながら、背後に並ぶ教師陣に目配せをする。
「例年通り、新入生諸君には来週から初の≪ランキング戦≫を行ってもらう。ただその前に、今の自分の順位を知っておくのも大事だろう」
彼女の目配せを合図に、教師陣が自らのクラスに向けて資料を配り始める。
その資料が皆に行き渡るまでの僅かな時間の中で、
「それと――」
アマネは静かに、しかしよく通る声で告げた。
「君たちが目指すべき目標、もね?」
果たしてこの学年の頂点は一体誰なのだろうか?
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