第3話

ぞろぞろと緩い歩幅で歩く集団に少し乗り遅れ、諦めてゆっくりと息を吐く。

耳の横を掠める冷たい風が首筋に口付け、羽織っていたコートをぎゅっと両手で握りしめる。

街路樹が小さな光達で装飾され、聞き覚えのある軽快な音楽が楽しそうに弾んでいる。



結局、あのあと何も話せなかった。

大人気ない、と思いつつも、それでいいか、と開き直ってしまいたくなった。

私の祝福なんて、別に貰っても嬉しくないだろうし。

そもそも私のことを覚えているんだろうか。

一度は親友と呼んだ仲だ、けれどもあの日を境に避けるようになってしまい、話していない。

はぁ、とついた溜息が白く鼻先に漂う。


「待って!」


軽いヒールの音。声をかけられた気がして振り向こうとすると、袖に重みがかかった。


「良かった、忘れ物しちゃって戻ってたら皆先行っちゃうんだもん」


肩を上下させて息をする、長い髪の綺麗な女性。

顔を上げると、大きな栗色の瞳が私を捉えた。



「美咲」

「七海、久しぶりだね」


今更どんな顔をして彼女に向ければいいのかわからなかった。彼女は今幸せを掴んでいて、私はまだあの日から抜け出せずにいて。

時が止まったままの私と、確実に歩んでいる彼女とでは決定的な隔たりがあった。

もうあの頃に戻れない。巻き戻せない過去が二人を、空と海のように隣り合っても触れられない距離に留めていた。


「美咲が元気そうで良かったよ」


私がどんな気持ちで今日ここに来たのかを彼女は知らないだろう。彼女が貸してくれたアーティストの曲を聴き、彼女の好きだったピンク色に爪を塗り、お揃いで買ったシュシュを手首につけて。


「七海、怒ってる?私が拓哉と付き合ったこと」

「なんで?幸せそうで良かったと思うよ」

「だって、あの日以来じゃない、私が拓哉のこと好きって言った日から」

「私が美咲のこと避けたって?」

「そう。だから、七海も拓哉のことほんとは好きだったんじゃないかって」

「そんなわけないじゃん」



わかってると思ってた。美咲は私のしたことの意味を分かっていると思っていたのに。

昔から本当に美咲は鈍感だった。私がモテているように美咲に映っていたのは、半分は美咲のせいだったこと。美咲に近付きたいけど、美咲は高嶺の花すぎて妥協して私にしよう、という男達の結果でしかなかったこと。

何にも分かってなかった。


「じゃあ、なんで?私たち親友だったじゃない」


何度目かの親友という言葉。

いつしか嫌いになってしまった響きだ。

寒くて感覚の無くなった手の指を握りしめる。


美咲のそういうところが嫌いで好きだった。


「親友って思ったことなんてない」


え、と声が漏れ出るのを聞こえないフリをして私は続けた。


「私があの日何したか覚えてる?」

「キスした…?」

「そういうことだよ」


こんなに冷たく当たりたいわけじゃない。

私はただ美咲と幸せに笑い合いたかっただけなのに。


「七海が好きだった人って」

「美咲だよ」



あの時言えれば良かった。そしたら、もしかしたら私たちは美咲の言う通り、親友にはなれたかもしれないのに。


「七海、私」

「美咲、結婚おめでとう」


立ち止まって、見つめる。

冷気に当たって凍りついた頬をなんとか笑顔に作り変える。けれどもうまくいかない。

生暖かい筋が頬を伝うだけだ。


「大好きだよ」



これ以上はもう、無理だった。

行く当てはないけれど、踵を返して背を向ける。

名前を呼ぶ凛とした綺麗な声が追いかけるのを無視して歩みを進めた。

私も進まなくちゃ。

ふぅ、と深呼吸をして、髪を結んだ。

側に居たかったなぁ。

街を彩る色鮮やかな灯がぼやけて滲む。

瞬きをする度に溢れる熱い塊が、首元のマフラーを濡らした。

これからまた寒くなる。

また、春が来るといいけれど。

歩き出した交差点は、いつかの甘いシャンプーの香りがした。




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甘い夢幻は光に溶けて @nazuku

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