第2話

じりじりと焼けるような陽の光が、蝉の声に乗って肌を刺す。

遠くから聞こえる掛け声と校庭を走る快活な足音。

首筋を伝う汗がつつ、と通り過ぎていく感覚がくすぐったかった。

スカートをたくし上げて足元が濡れないように、と気をつけて歩いた。


「七海、はやくモップかけ終わらせて、アイス食べに行こうよ」


ミンミンと音が鳴り響く空気の中で、凛と涼しい声が心地よく耳を震わせる。

足元の床を綺麗にするのに集中していた私は、ふと顔を上げて声の主に、うんと笑いかける。

目が合った、彼女はまだ少し濡れている長い髪を揺らしながら向日葵のように優しく微笑んだ。


「美咲、アイス好きだよね、そんなにしょっちゅう食べてたら太るぞ〜?」

「えーいいの!食べたいんだから。それに今日も沢山泳いで運動したんだから大丈夫だよ」

「もーそうやってすぐ大丈夫って言う〜楽観的すぎだよ?だから今朝の漢字テストも名前書き忘れるんじゃない?」

「楽観的と関係ある?それ」


あはは、と二人の笑い声が重なる。

白い入道雲から垣間見える青く高い空に吸い込まれていくような笑い声だ。


「ねぇ、この前貸したCD聴いた?」


彼女がモップをかける手を止めて小首を傾げた。私はそんな彼女の可愛らしい仕草を見つめながら、うん、と大きく頷いた。


「美咲が良いっていうだけあって、すごい良かった!歌詞が綺麗だし、すごいサビのメロディとか好き」

「ほんと?嬉しい!私七海ならわかってくれると思ってたんだ」


彼女がモップをかたりと床に置き、手を差し出した。つられて私もモップを置くと、彼女は私の両手を包み込むように取った。手の温もりがじわりと伝わってくる。

少し驚いた私は、目を見開いて、彼女を見つめる。

大きな栗色の瞳がじっと私の顔を映し、そしてくしゃりと細められた。

形の良い桃色の唇が優しく弧を描く。

近くに寄るとふわりと甘いシャンプーの香りがした。


どきりと胸の奥が波打つのを感じながら、彼女に合わせて微笑む。魅力的な彼女の笑顔をじっと見つめるのが照れ臭くて、へへっと女らしくない声が漏れる。


しばらくしてぱっと離された手に名残惜しさを感じながら、私はずっと聞きたかったことをゆっくりと口から溢した。


「美咲は夏休み、なんか予定あるの?」


うーん?と少し考え込んだ彼女は顎を手を当てて体ごと傾げながら、そして、多分ない、と続けた。


「そっか」

「七海は?彼氏とか、どうなの?」

「私はいないよ」


声が少し硬くなってしまう。できるだけ普通に、平生を装うよう努力した。


「なんでー?七海可愛いからモテるのに!この前拓哉くんに告白されてたでしょ?」

「あーうん、断っちゃった」

「なんで?好きな人いるの?」


彼女にとっては無邪気な質問なのだろう。でも、私にとっては一つ一つ答えるのに必死で頭を回して、紡ぐように口を開いた。


「…いるよ」

「え、誰ー?」

「教えないー」

「えーいいじゃん、親友でしょう?」


そう、私と彼女は親友だ。私は彼女のことが大好きだし、彼女も私のことを大好きと言ってくれる。

ただ。

ただ、少し、大好きの意味が二人で違うだけだ。


顔を伏せ、返事を止めた私に、彼女の白い顔が下から覗き込む。


「…どうしたの?もしかして悩んでる?」


茶化すように喋っていた先程とは打って変わって、真剣な面持ちで尋ねる彼女の優しさに胸が張り裂けそうだった。


うん、とも、ううん、とも取れない曖昧な呻き声を漏らす私を、どう汲み取ったのか、少し間を置いたあと、ぽんとその小さな手を私の頭に置いた。


「なんでも話して?親友でしょ」


「美咲は?美咲はないの?」



え?と彼女が声を上げる。恋の悩みってこと?と尋ねる声に頷くと、少しの静寂が訪れた。

校庭から聞こえる部活動の掛け声と、プールの匂いがする。


「あるよ」

「どんな?」


もう、私が質問してたのに、と少し頬を膨らませた彼女は、それでも優しく、私のことを問いただすことなく、私の質問返しを甘んじて受け入れた。



「私ね、七海になりたい」

「え?」

「変なこと言ってるってわかってるけど、七海が羨ましいの」

「なんで?」

「…拓哉くんだよ」



少し声を抑えて呟いた彼女の言葉の意味がわからなくて数秒思考停止した。

拓哉くんだよ。

どうして急に拓哉くんの名前が?と思ってはっと気づく。先程の会話に出てきていた、あの拓哉くんのことだ。



「そうなん、だ」


拓哉くんのことが好きなんだね、と明文化するのが怖くて言葉を濁す。

うん、と小さく頷いた彼女に、なんと声を掛けたらいいかわからなくて、黙ってしまう。


「ほら、私は話したんだから、次七海の番だよ。七海の好きな人って誰なの?難しい人?」


美咲だよ。

貴女だよ。

目の前にいる人だよ。


様々な言葉が浮かんでは喉につっかえてとまる。うまく吐き出せない。

何か言わなきゃ。

声が出ない。

代わりにどくどくと脈拍が高まるのを感じた。

想いが、衝動となって吐き出されそうになる。広く静かな空間に、私と彼女の二人きり。これ以上の空間は無かった。


目の前には愛らしい小さな顔。大きな瞳がまっすぐに見つめてくる。長い睫毛がふっくらとした頬に影を落とし、そして、紅がかった唇がそっと閉じられていて。そして、そして。


息と息が触れ合う瞬間、遠くの蛇口がぽたりと雫を落とす音が妙に響いた。

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